「――アンヌさん、ここぞとばかりに重いもの頼んできたな」
「普段は自分で買いに行くからね、ディディさんを連れて」
アンヌから渡されたメモを見ながら愚痴るクロムに、ギルベットは苦笑で答えた。
ディディは、細身の体つきから想像できないほどの力があり、よくアンヌと共に買出しに行くことが多い。
今回も、二人では心許ないからと――彼らに使いを頼んだ張本人ではあったが、彼女について来てもらおうとした。
だが――
『規律を乱した罰である以上、私が手出しをしては無意味になりますよね。それに、これまでは多少の時間の遅れは大目に見てきました。ですが、貴方達にも後続が何人か出来ましたよね。彼らに模範となす筈の貴方達がそれでは、他の者達にも示しがつきません』
と、すげなくあしらわれてしまったのだ。
そこで仕方なく、クロムとギルベットの二人だけで、一番近い街まで向かう事になった。
緑茨館から街までは、ほぼ一本道で行く事ができる。徒歩で行くとしても、大体一時間半あればたどり着ける距離だ。
途中、見通しのいい草原で羊飼いが羊を追い立てていたり、小魚の泳ぐ小川の脇を通り抜けたりと、のどかな光景が続いていく。そして、徐々に道が舗装されていき、二人は街についた。そのまま石畳の敷かれた道をしばらく歩いていくと、活気のある市場に着く。
早速、クロムたちはメモを確認しながら、必要なものを購入していくと、あっという間に二人の両腕は塞がってしまった。しかもその殆どが、瓶詰めだったり巨大な固形物だったりで、かなり重い。
「ロバ連れてくればよかった」
「ほんとだね」
そんな会話をしながら、彼らは次の目的の店へと向かっていた。今の所、これといって面倒なものは無かったが、目的の場所の近くを訪れた時、クロムは隣に居たギルベットに声をかけた。
「ギル、この辺で待っててくれ」
「わかった」
針と糸車の看板の下がった店の位置を覚えると、ギルベットは頷いた。
それを確認すると、クロムは己の持っていた荷物を彼に預け、肉屋に向かった。
「おじさん、骨付きのハムを一キロと、腸詰の燻製を三百グラム、あとはヘッドを五十グラム」
「あいよ! お使いか、坊主」
「まあね」
「へえ、小さいのに偉いねえ」
店主に子ども扱いされた事に、クロムはムッとしつつも、いつもの事なので口には出さずに「まあね」とだけ答えた。人のいい店主は、そんな彼の様子に揚げたての惣菜を一つ、おまけしてくれた。
「熱いから気をつけろよ」
もらったのはコロッケなのだが、割ってみると中身にひき肉が混じっており、クロムは少し考えると、自分ひとりで食べてしまおうと、舌を火傷しながらそれを頬張った。
一方、口の中に何かを入れて戻ってきたクロムに、ギルベットはギョッとした。
「どうしたの、クロム」
口の中のものを飲み込んだ後、一息ついてクロムは答えた。
「コロッケもらった」
「いいなあ」
「肉屋のコロッケだから、美味かったよ」
「そっか」
苦笑しながらも、ギルベットはクロムが一人でコロッケを食べた理由を察した。
というのも、ギルベットは諸事情で肉類を食べる事が出来ないのだ。
宗教上とか出身国のお国柄ではなく、彼個人の問題なのだが――あまりにも複雑で、常軌を逸した事情であるため、クロムは話を聞いた際、軽い気持ちで理由を聞いたことを後悔していた。それ以来、彼はできるだけギルベットから肉類を避けるようにしていた。
今も現に、荷物を詰め替えて、ギルベットの持つ方には肉屋で買った品物が入らないようにしていた。
「これでよしっと。ギル、悪いけど匂いだけはしばらく我慢してくれよ」
「このくらいなら、屋敷まで近いし平気だよ」
とはいえ、さすがに人一人分距離が開いていると、クロムのほうがギルベットの姿を見失いそうな上に、少し寂しい。とはいえ、彼の事情を知っているから、文句をつける気は無い。
そのまま歩いていると、ふと、誰かに付けられているような気配がした。
最初のうちは、気のせいかとも思っていたのだが、確実に、クロムの後を追ってきていた。
横を見ると、いつの間にかギルベットが寄り添っていた。
「二人かな、クロムの事狙ってる」
「どんな奴か、分かるか?」
「格好は、戦場のプロっぽいんだけど……なんで気配駄々漏れなのかな」
不思議そうに首をかしげるギルベットの言葉に、クロムもどんな人等に付けられているのか気になり、さりげないように後ろを振り返った。
するとそこには、揃いの銀色に磨かれた鎧と揃いの赤いマントを身に付けた、中年と思しき男が二人、少し離れた位置にいた。
片方は、鎧抜きにしても胸板厚く、全体的にがっしりした体つきの男。もう片方は細身の体ではあるが、眦の吊り上がった目が、隙の無い雰囲気やキツイ性格を感じさせる、所謂典型的なでこぼこコンビという風体を醸し出していた。
ただ、彼らは「こっそり後をつけている」と思っているのだろうが、太陽の元で光り輝かんばかりの鎧がアダとなり、かなりの悪目立ちになっていた――今も、すれ違った子供達に指を指され、母親に注意されると言う光景がクロム達の目に入ってきた。
僅かに呆れながら、彼はギルベットに問いかけた。
「どうする? ぶっちゃけ、無視したほうが被害被らない気がするんだけど」
「用件聞こうよ。ああいう手合いって、結構しつこいんだよね。んで、用事によっては追い払う。これでいいんじゃない?」
「そうするか」
ギルベットの案に賛同すると、彼らは男たちをさりげなく路地へと誘い込んだ。
日当たりが悪く、生ゴミや動物の糞があちこちに散乱したそこは、風に乗って酷い匂いを漂わせる。
二人は、後に続く足音に注意しながら、そのまま黙々と進んでいき、そして袋小路にたどり着くと、クロムたちは後ろを振り返った。
「んで、俺たちに何のようだ。オッサン」
突然話しかけられた事に男達は驚いたようだったが、クロムの顔を見て、どこか残念そうに首を振った。
「別人のようですね。髪の色が同じだからてっきり殿下かと思ったのですが……」
「何を言うか、だから言ったであろう。殿下の髪は濡羽色の艶やかな黒髪であると。これは唯の黒髪であって、殿下の麗しい御髪とは月とスッポンほどにも差があるではないか」
「確かに。そうでしたね」
「まあ……背格好は僅かに似ておるが、それだけではないか」
どうやらクロムの容姿が、二人が探していた人物と似ていたようなのだが、彼はどうにも釈然としないものを感じていた。
「ギル。何でこのおっさん達、いきなり俺のこと貶してんの?」
「僕はクロムの髪の毛好きだよ。柔らかくて」
「――いや、嬉しいけど、そうじゃないだろ」
呆れながらも、クロムは少し頬を赤らめた。
二人がそんなやり取りをしている間に、男達の視線が、今度はギルベットに移った。
「ふむ、こちらもどうやら、あの男とは関係無さそうですね」
「いや、分からんぞ。あの男の手の者かも知れん」
「ですが、無関係な者だとしたら、我らの信用が――」「我等に必要なのは信用ではない、殿下の身の安全のみ。違うか?」
「――確かに、隊長のおっしゃるとおりです!」
体格のいい男が放った言葉に、吊り目の男が賛同すると、クロムとギルベットは互いに顔を見合わせ、頷きあう。
そして荷物を抱えなおし、二人を無視して元来た道へと戻ろうとした。
「そういえば、肉に匂い移ってないかな、何も考えないでこっち着ちゃったけど」
「僕は食べないから平気だけど」
「お嬢様が食べるだろ。それに、あの世話係が何言うか、わかんねーだろ」
「大丈夫じゃない? 多分」
と、世間話をしてやり過ごそうとしたが――
「おい、待たぬか! 話は終わってないだろうに!」
「そうですよ、まだまだ貴方がたには聞かねばならない話が山ほどあります!」
と、我に返った男達が物凄い勢いでクロム達の行く手を阻んだ。
このときの行動の素早さは、まさに『あっという間』。思わず彼らは息を呑み、男たちに対し、警戒の色を強めた。
「聞きたい事って? そもそも、オッサン達は何者なのさ」
「笑止、我らの正体が知りたいのならば――」
「私たちを倒して見なさい」
男達が剣を抜いた所で、クロムはとっさに、持っていた袋の中から円筒状の紙包みを取り出し、思い切り振りかぶって細身の男の鼻面に叩き込んだ。
彼は、完全に油断していた。
どう見ても少年にしか見えないクロムが、適当に荷物から取り出したものに、なんのダメージを受けようか――そんな楽観的な事を考えていたからこそ、彼はあえて避ける事をしなかった。
だから、まさか投げつけられた物が、鼻っ柱を折るほどの硬いものだとは思っていなかったようで、そのまま鼻血を噴きながら昏倒する。
「――っ、貴様!」
唖然と、二人の様子を見ていた体格のいい男は、我に返るなり、クロムに向けて抜いた剣を振り上げ、突っ込んできた――が、ギルベットが彼の足を引っ掛け、クロムに切っ先が届く前に転倒させた。しかも、己の立派な鎧が重石となり、そのまま男は勢いのついたまま横転し、壁に後頭部を打ちつけたのか、そのまま伸びてしまった。
謀らずしも二人を倒した彼らは、最初に倒した細身の男に投げつけた物を回収した。
紙包みの中身は、円筒状に固めた砂糖で、やはりぶつけた衝撃で半分に砕けていた。
「しまった、折れた」
「いいんじゃない? どうせ食べるのに使うんでしょ?」
「――男にぶつけて、鼻血が付いて、しかもこの汚い地面に落ちたものを食べさせるのか! ってキレる人を、俺は知ってる」
「僕の知り合いでもあるよね、その人」
「正当防衛だから、ダメかな」
「抜いたのは向こうだけど、先にぶつけたのはクロムだったよね」
楽しそうに笑うギルベットに、クロムは少しムッとした。
「剣を抜いた時点で、悪いのはあっちだ」
「まあ何にせよ、事情聞いてみないことにはねえ。とりあえず武器と防具取り上げて、お話聞いてみようよ」
言いながら、ギルベットは手早く彼らの装備をすべて外し、下着一枚にしてしまった。
下着一枚だけにしたのは、適度な羞恥心と、この場の主導権を二人が握る為。そして、クロムのほんの僅かな情け心だった。
「フルチンはかわいそうだろ、さすがに」
「え、これで立派なものもってたら、それはそれで楽しそうだけど」
「俺が後で怒られるから止めとけ」
「? まあ、確かにそうだね。要はこの人たちが、ここから逃げなければいいだけだしね」
そう言いながら、ギルベットが二人の脱がした衣服を探っていると、一枚の肖像画が出てきた。
どこかあどけない表情で笑みを浮かべる、可愛らしい少女の絵だった。どちらかの娘かと思い裏を見ると、絵の人物であろう名前が書かれていた。
だが、くせ字なのか、いまいち読み辛い。
「クロム、これ読める?」
「なんだそれ」
「二人の服から出てきたんだ。何か関係あるかと思って」
「ちょっとまて、えーと……あ、る……」
そんな話しをしていると、男達二人がようやく目を覚ました。そして、肌寒さでも感じたのか腕を擦った後、己の格好を見て目を丸くさせていた。
「き、貴様等! わ、我等をどうしようと言うのだ!」
「まさか、私どもに劣情を感じ、手篭めにしようと言うのですか! そうはいかないですよ、私たちは殿下に身も心も捧げているのですから!」
「なんと、き、貴様等そういう趣味だったのか! だから我等を昏倒させ、その間に好き勝手身体を弄くり回そうというのだな!」
「ですが、殿下がそのような目にあう事を考えると、私どもがここで、この不届き者たちに操を捧げてしまえば――」
「くっ、好きにしろ! さあ、どうした、煮るなり焼くなり、嬲るなりすればいい!」
矢継ぎ早に言われた言葉に、正直クロムは呆れて物が言えなかった。
そもそもこの男達は、最初から、自分等の用件を、自分達の範囲内で確認し合い、何の説明もフォローもせぬまま剣を抜いてきたのだ。
まあ結果だけ見れば、クロム達の方が先に手を出してしまったが、それでも、ここまで徹底して自分たちの中で物語を作ってしまえるのは、真似したくは無いが、真似できない。
「――いっそ、フルチンにしてやればよかった」
「娼館近いし、置いてく? こういうタイプは、男女どっちにもモテそうだし」
ギルベットの言葉に、僅かに身体を振るわせた二人は、何かを言いかけ、ふと、体格のいい男の方がクロムの手にあるものに気がついた。
「そ、その絵は!」
「ん? ああ。オッサンの子供か?」
「か、返せ! それは私の大事な……!」
素直に返そうとして、ふとクロムは思いとどまった。
「返してやる代わりに、全部話してくれるか?」
一瞬言葉に詰まったものの、男は唸りながらもようやく首を縦に振った。
それを見て、クロムは隣に居たギルベットに確認すると、彼も小さく頷いた。そこでようやく、クロムは持っていた絵を男に返却した。
「ほらよ。んで、オッサン達は何者で、俺たちに聞きたいことって何なんだ?」
しばらくは、体格の良い男――ベスティオと細身の男――レフィスは互いに顔を見合わせ、気まずそうな表情を浮かべ、仕方なく、といった体で俯いた。
「我等は、ルゼルリア王国アルシス親衛隊に所属している。私が団長で、隣のレフィスが副団長だ。主に行っている事は、アルシス殿下の警護、護衛。有事の際は、殿下直属の兵団として戦う事になっている」
話を聞いていたクロムは、国の名前を聞いて眉を顰める。親衛隊の二人はそれに気付かず、肖像画を優しく見つめながら告げた。
「この方は、ルゼルリア王国第一王位継承者であらせられる、アルシス殿下です。これは、殿下が十歳のときのお姿で、実際は十五を迎えております」