しょせん、魔術師の茶番劇。
 
 〜序・開幕の合図〜



 黒色の日、二十の刻。レベラリア帝国と、アルスバルト王国の国境付近の森にて。

 風も無いのに、草や木々の葉が荒々しい音を立てていた。それは何かに追われているように、もしくは追いかけられているようにも聞こえる。

 音は、なだらかな坂道を駆け上り、傾斜がきつくなっても速さは変わらない。

やがて景色は変わり、草野原が広がる。その中央に、小さな家があった。

とはいってもすでに壁は崩れており、屋根もかろうじて板が乗っているような状態で、とても人が住んでいるとは思えなかった。

そこで、草分けの音は止んだ。

音はやがて人の姿を結び、一人の青年の姿を現した。

彼は、朽ちて壊れた扉を押しのけると、腰に下げてあった携帯用のランプをつけた。

家の中は、すでに乾ききった泥足跡がそこかしこに残っていた。

「くそっ、遅かったか」

「ほんと、鼻が良い奴らだよねえ」

 青年が、苛々と頭をかいていると、背後から溜息混じりに肩を落とした、同い年くらいの青年が立っていた。それぞれ手に持っていた杖の先にあるランプで室内を照らした。

「この一帯で雨が降っていたのは何時だ、イルド」

「目の記録だと、一番近い時で三日前だね。少なくとも、 

 そのとき、二人の背後に小さなつむじ風が現れた。その中から現れたのは、彼らと同じ制服を着た少年だった。

 表情は暗くて見えないが、息遣いの荒さで彼がとても急いでこちらに来た事が伺われた。

「あ、アルド隊長、イルド、隊長。大変です」

「どうした、何か見つかったか?」

「はい。異変が、あったと。城に、待機していた、仲間から連、絡が」

「うん、分かった。とりあえず落ち着いて」

 息も整わないうちに話し始めた少年を、イルドと呼ばれた青年が落ち着かせる。

 ある程度息が整ったところで、少年は一度深呼吸をし、靴のかかとをあわせて敬礼をした。

「失礼、しました、報告します。実は、城に待機していた仲間の一人が、アルスバルトとの国境に仕掛けてある『目』を通して、盗賊を発見したとの報告がありました」

「何だと!?

「――っそ、それで、盗賊たちはそのまま山伝いに国境を越え、隣国へ渡ったと」

予想外の報告に、アルドは少年に噛み付かんばかりに声を荒げた。少年は、少し怯えた表情をうかべたものの、すぐに表情を引き締めて報告を続けた。

「越境しちゃったのか、困ったなあ。どうしよっか、兄さん」

「ご苦労だった、では陛下に伝えてくれ。現刻より国境付近の警備の増強の開始と、隣国アルスバルトに手配書と警告文を至急送るようお願いしてくれ」

「は、はい!」

 アルドの命令に頷いた少年は、そのまま城に戻ろうと移動の呪文を唱え始めたところで、イルドに肩を叩かれた。少年が訝しげに顔を向けると、彼はその耳に顔を寄せ、小声で命令を付け加えた。 

「ついでに、盗賊団捕まえたらこっちに引き渡してもらえるように言っといてね」

続くイルドの言葉には思わず首を傾げてしまった。それを見て、彼は苦笑しながらこう付け加えた。

「あの盗賊団ね、兄さんがファルシーダになってからずっと追っかけてるところなんだ。全員の確保が難しいようなら、頭だけでも引き渡してもらえる様に、ちっちゃく伝言付けといて」

内緒話をするように唇に人差し指を当てたイルドは、戸惑う少年の背中を軽く押して、そのまま城に戻るよう促した。

「頼んだよ」

 少年の背を笑顔で見送る弟に、アルドは不思議そうに首をかしげた。

「何かほかに伝令事項あったか?」

「まあね。それより、国境付近行ってみようよ。まだ何か残っているかも」

「そうだな」

 残ったアルドたちは、互いに顔を見合わせ、頷きあい、そのまま移動魔法で国境まで向かった。

 

  * * *

 

同日、二十ニの刻。アルスバルト王国、キャルバント地方の酒場にて。

毎月末にあたるこの日は、『大地の女神を労う日』で、農業を営む者たちは豊饒期を除き、土に触れる事を控えている。そのため、前日は馬車馬のように働き通し、翌日、収穫した作物を女神にささげながら、朝から晩まで酒を飲み交わしあうのが通例となっている。

なので、今日はドコの酒場も人で溢れ返っていた。

酒場の主人は、この時間に顔を出す一人の常連が好きではない。

確かに、店をやっている身としては、常連の存在はありがたい。定期的に金を落としていく客に限り、だが。

「よお、景気どうよ?」

「ドードさんが、溜めたツケを一気に入れてくれるというなら、かなり景気よくなりますよ」

「茶化すなよ。おいねーちゃん、麦酒くれよ」

 カウンターに着くなり、ドードと呼ばれた男は、近くで注文を取っていた給仕の女性に声をかける。快活な声で返事をした彼女は、直ぐに彼に麦酒を持ってきた。それを一口飲むと、ドードは声を潜めて店主に話し掛けた。

「今日は取って置きの話があるんだよ」

「またホラ話ですか?」

「ちがうぜ、今夜は取って置きだ。溜まったツケだって釣りが出る」

毎回この調子で、似たような儲け話なり安い酒を大量に飲んでいく。それは、まだ一度も払われていない。

 だったらそれを払ってから話してくれと言いたいが、男は気分を害すると手当たり次第に物を壊す。

 一度、高価なブドウ酒の瓶を割られて以来、主は彼の話に、必要以上の横槍を入れることをやめた。

 店主が何も言わないのをいい事に、ドードは意気揚々と話し始めた。

「アルスバルトから東南の方角にずーっと行ったとこに砂漠地帯があるだろ、あそこに、砂漠のルビーが山ほど実ってる場所があるんだよ」

「砂漠の、ルビーですか」

「ああ。あのつやっつやした光沢見たら、そこいらの女の唇が真っ青に見えらぁよ」

「それで? 貴方はそれを見つけたんでしょう?」

「いや、話に聞いただけだよ。でもな、砂漠のルビーだぜ? 一房に、ン千と金貨を落とす貴族だっていやがるうえに、それを山のように見つけてみろ! 簡単に大金持ちになれる!」

 話すうちに興奮してきたのか、カウンターを拳で叩きながら喚き始めた。

「はいはい、砂漠のルビーだろうとダイアモンドだろうと、ドードさんがきちんと御代を毎回払ってくれればいいだけなんだけどねえ」

「んだよ店主、つれねぇなあ。んじゃ、今日の麦酒もツケで」

「次御代持って来なかったら、二度とうちの敷居またがせないからな」

 毎度のやり取りに、給仕の女性が苦笑した。それだけ毎回、二人は同じ事を繰り返しているのだ。

 ドードが、足をもたつかせながら店を出ると、潮の匂いが混じった夜風が頬を掠めていく。

 思わず空を見上げれば、雲ひとつ無い空に星が無数に散っていた。ただ、月がないためほとんどの建物が空との境目を無くしていた。

「月の無え、良い天気だ」

 そういうと、ドードは首から下げていたペンダントの一つ、平たい輪になった石を唇に挟み、鋭く鳴らした。しばらくこだましたその音は、空に吸い込まれるように消えていった。

 その少し後、遠くより同じような音が聞こえた。

 その音を満足そうに聞いたドードは、何事も無かったかのように家路に向かった。 

 

  * * *

 

同日、同時刻。アルスバルト王国と、レベラリア帝国国境付近の山道にて。

「どう、シャンベル」

「ダメです。車輪が一つ、それにヘムルが足に怪我を負ってるみたいです」

「困ったねえ、修理に時間はかかりそうかい?」

「車輪だけなら、代用できる素材はあるけど、ヘムルの足を治すのに、どれだけ時間が掛かるか分からないです」

 シャンベルと呼ばれた少年は、荷台を引いていた巨大なトカゲの後ろ足を見てそう答えた。

 女は肩を落として額に手を置いた。

「セルヴァンスまでは、まだ遠いわよね」

「はい。アルスバルト側から入ったんで、このままこの山を北北西に抜けて、一度レベラリア領土に入った後、更に北に向かわないといけないはずです」

「弱ったねえ。この子の足でなら、三日で着く予定だったんだけど」

「とりあえず、一度街に出ましょう。皆、この辺の野草とかには詳しくないはずだから」

「それもそうね。みんな、今日は一旦野宿。明日は一度街に下りて稼ぐわよ!」

 シャンベルに同意すると、女は大きなホロ付きの台車に向かって叫んだ。

 すぐに、威勢の良い返事が返ってくると、彼女は笑顔で頷きながら野営の準備を始めた。

 それを横目で見ながら、シャンベルは手に持っていたランプで、再度ヘムルの後ろ足を照らした。

 ヘムルは、シャンベルが幼い頃から連れ添っている、スナオオトカゲだった。普通のトカゲとは違い、砂漠の熱にも耐えられるだけの厚い皮膚をしている。

 寒さには弱いが、今まで南の暖かいところを中心に移動を繰り返していた彼らには、ヘムルの存在は貴重な移動手段の一つだった。

 どんな劣悪な道でも、彼の強靭な皮膚に勝る物は無かった。それは、鎧を作る材料として用いられるほど強く、硬く、丈夫だ。つい最近では、硬いトゲのサボテンを踏んでも平気に歩き回っていた。何てこともあった。

そんな彼が、普通の山道にある程度の草花で歩けなくなるのだろうか。

「お前、イラクサ踏んでも平気で砂漠越えしてただろ、どうしたんだよ……ん?」

 ヘムルに話しかけながらその足の裏を見たシャンベルは、そこに太く、長い針が刺さっているのが見えた。

「これが原因か、しかも先に何か塗ってあったんだな。爛れてる」

 痛々しい物を見るように、シャンベルはそっとその傷付近に触れる。

「ちょっとまってろ、すぐ抜いてやる。だれか、ヘムルの体を押さえてくれ!」

 顔を上げたシャンベルは、野営準備をしていた仲間に向かい助力を求めた。すぐに屈強な男二人がそれに答え、ヘムルを術で眠らせると、念のため体を押さえつけた。

 それを確認すると、シャンベルは刺さっていた針を抜いた。衝撃で、ヘムルの体が大きく跳ねたが、男達に押さえてもらったおかげで特に被害は無かった。

 彼は男達に礼を言うと、先ほど引き抜いた針を見つめた。

 先端に返しのついたその針は、どう考えても作為的に仕掛けられたものだった。

 しかし、それらしい罠も見えず、周囲に人が住んでいる気配も無い。それに、ただこの針が落ちているだけならばまだしも、刺さり方から見てこれは地面に埋められていたようだ。針の半ばまで泥で汚れていたのが何よりの証拠だ。

「狩人? でも、人も通るような道に、こんなもの仕掛けるか?」

 針を見つめながら考えていたシャンベルの耳に、かすかに笛の音が聞こえてきた。

 初めは、仲間が試し吹きをしているのかとも思ったが、今度は比較的近くから笛の音が聞こえた。

 それが、仲間の居る方向からではないことを知った瞬間、シャンベルは腰のナイフに手をかけ、声を張った。

「誰だ!」

 だが、その声に答える者は居らず、風が通り過ぎただけだった。

 周囲に仲間以外の気配が無い事を確認すると、シャンベルは直ぐに事の次第を、団長に報告に向かった。

彼がヘムルの側を離れると、闇にまぎれて一人の少年が現れた。

彼はそのまましばらく、ヘムルの影からシャンベルたちの様子を観察していた。そして、視線をめぐらせながら、彼らの人数を数えると胸元から雫型の石のついたペンダントを取り出した。そして、輪になった石に向かって、少年は小さな声で淡々と告げた。

「人数は十五人。大柄な男三、年配の男性一、青年二、女性が四、少年三、少女二。うち、少年一人の顔に痣、もしくはタトゥーあり」

『了解、リーダーに伝える。直ぐに戻れ』

「はい」

 雫型の石から聞こえてきた声に、簡潔に返事をすると、そのまま少年の姿は現れたときと同様、闇に同化して消えていった。  









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