それは、花咲き乱れる時期に届いた。
伝令隊に入りたての少年は、震える手で扉を叩く。いきなりの大役と、初めて訪れる場所に緊張していた為だ。
開かれた扉の前に立つ男に、少年は恐る恐る近づき、持っていた封書を差し出した。
「ご苦労様。えーっと、これは陛下からの手紙?」
「は、はい。大至急、目を、通していただくようにと、仰せつかっております」
少年から手紙を受け取った男は、封筒の表一面に大きく書かれた文字を目にした途端、思い切り噴出してしまった。
「極秘、ねえ」
しげしげと封筒を眺めて顔を上げると、困ったような顔をした少年と目が合った。すると彼はびくりと身体を震わせ、おずおずと言葉を紡いだ。
「あの……返事も直ぐに欲しいと」
「ちょっと待ってて」
そういうと男は、近くにあった真っ白な羊皮紙に何かを書き込むと、少年に手渡した。彼はそれを受け取ると、深々と会釈をした後、勢いよく踵を返し建物を後にした。少年の背中を見送ると、男は鼻歌を奏でながら分厚い書類を取り出した。
「さーて、誰に行ってもらおうかな」
酷く楽しそうな笑顔で、彼は書類をめくった。
糸のように細い月が浮かんだ夜、一人の魔術師が王城を前にため息を吐いた。
「何だってこんな事……」
言葉と共にうな垂れると、小さく金属のこすれ合う音がする。それは魔術師の眼鏡から伸びる、細い鎖だった。
気を取り直した魔術師は、顔を隠す為に目深にフードをかぶり、口元も同じ色の布で覆った。何の飾りも無い、黒くて丈の長いローブを着込んだその姿は、死神と間違えそうなほど不気味な装いをしている。だが、今はそのほうが好都合だ。
人目につきにくいよう、裏庭園に侵入し、カーテンのように垂れ下がった蔦葡萄の葉と実を押しのけ、城の回廊に出た。すぐさま闇と同化する呪文を呟き、見回りの兵士たちの目をかいくぐる。
そのまま明かりの少ない通路を過ぎ、魔術師は目的の部屋を見つけ、慎重にその扉を開く。鍵が掛かっているだろうと、少し強い力で丸ノブを捻りながら押した。だが、予想に反してあっけなく扉は開いてしまった。
魔術師は急いで扉を開け放ち、執務室の中に入って呆然としてしまった。
まるで部屋の中だけ嵐が起きたかのように、机に積まれたであろう書類は散乱し、鍵付きの箱は強引にこじ開けられ原型を留めていない。資料のつまっていた本棚も、中身が所々抜け落ちていた。
そしてその中心に、黒い影が立っていた。魔術師と同じように黒いローブを身に付け、フードも目深に被っている為口元しか見えない。ただ、彼が持っていた杖のようなものが異様に長く、そこだけ不気味に感じた。
「お前……誰だ?」
口元の布を外し、不振そうに魔術師が問うが、侵入者は無言のまま答えない。しばらく互いに無言の状態が続き、魔術師は先ほどより強い口調で問い直した。
「あんた、誰なんだよ」
「答える、義務、無し」
唐突に口を利いた侵入者は、硬質的な声で答えた。先ほど同様、てっきり無視されると思っていた魔術師は、思わず面食らってしまった。
だが、彼が持っていた杖を振うと、次の瞬間、彼の背後にあった窓が大破した。細かい破片になったガラスが、雨のように降り注ぐのを防ぐと、魔術師はすぐさまガラス片の一つを掴み、何事か呟き彼に向けて投げつけた。彼は難なくそれを避けると、自ら壊した窓から飛び降りた。
「しまった!」
魔術師は窓に駆け寄り下を覗き込んだが、すでに誰も居なかった。
「何か聞こえなかったか?」
「執務室からじゃないか?」
突如として騒がしくなった部屋の外に、魔術師は忌々しそうに舌打ちをし、侵入者と同じように窓から逃げ出した。
「聞いてないって、こんなの!」
吐き捨てられた魔術師の声は、誰に聞かれることも無く闇に溶け消えていった。
* * *
「みろ、面白いものが届いたぞ」
深夜、部屋に溶け込むくらいの黒い髪をした男が、鬱陶しそうにメガネを上げ、ため息混じりに目の前の男に手紙を投げ渡した。
受け取った人物は封筒から中身を取り出すと、ろうそくの僅かな明かりを頼りに内容を読む。
「建国百年おめでとうございます。ますますの国の発展を願うと同時に、レベラリア国王のお命を頂戴いたします……ってクロンド様、何ですコレ。色々突っ込むところがありすぎなんですが」
「ウェルス。お前はこれが何に見える?」
ウェルスと呼ばれた男の視線が手紙から離れ、クロンドと呼ばれた男の指が指し示めすモノに集中する。
それは、封筒に箔押しされた紋章と封筒を止めるための封蝋。今この部屋に飾られている壁掛けに縁取られたモノと同じだった。
「コレは、もしかして陛下専用の……?」
「ちなみに、それが盗まれたのは三週間前だ。盗まれた羊皮紙は二枚、多分その一枚がコレだ。犯人はわざわざご丁寧にも、我が国家の紋章入りの物を盗んだ上に、それを使って脅迫状を作成し、送りつけたということだ」
――三週間前、城に賊が忍び込んだ。
彼らは何故か宝物庫を狙わず、国王の執務室に入り、羊皮紙とインク、そして封蝋を盗んだ。大破した窓以外大した被害ではないと、ほっとしていた兵士たちは、上層部からの思わぬ叱責で青ざめる。
このとき盗まれたのが、国王専用の羊皮紙と封蝋だったからだ。
それを使用して、近隣国に誹謗中傷を書いて送ってしまえば、それが国王の言葉として捕らえられてしまう。ひいては、アルスバルトの総意と思われ、戦争の発端になりかねないのだ。
アルスバルトはごく最近、国王が代変わりを果たしたばかりだった。しかも彼は、今まで政治に関わった事のない人間で、国政関係は、全て宰相のクロンドが一手に引き受けている。
そして、恐れていた事が起こってしまった。
アルスバルトの紋章が入った封蝋と書簡で、軍事帝国レベラリアに脅迫状が届いたのだ。
「丁寧な方だ、わざわざ封筒ごと送り返してこられたのだからな」
皮肉めいた笑みを浮かべ、クロンドはレベラリアから届いた手紙をウェルスに見せた。
彼はクロンドからそれを受け取り、中を見た。
そこには、「どういうことか、説明求む」と簡潔な文章と、レベラリアの王の名が書かれていた。
「大臣達には?」
「これを見せた途端、泡吹いて倒れたよ」
ウェルスの問いに、クロンドはため息をついた。
「それでクロンド様、なぜお……私にそんなお話を?」
「この事を、魔法協会長・ロマ=ウェンデルに、伝えて欲しいからだ」
「魔法協会長、ですか」
一拍あけて、クロンドの口から出た名前は、ウェルスにとってかなり意外な人物だった。困惑に目を揺らしている彼に、クロンドは一通の封書を手渡し、淡々と告げた。
「とりあえず事の報告と、これを渡してもらえればいい」
「任務に関しては了解しました。ですが、なぜ私なのですか。近衛部隊か伝令隊の誰かに頼んだ方が早かったのでは?」
「近衛の人間は、魔術師嫌いばかりだからな。問題は少ない方がいい」
「ああ、そうですね」
口元だけで笑うクロンドに、ウェルスは肩を落として頷いた。
近衛部隊長の魔術師嫌いは有名で、城内に魔術師の姿を見つけようものなら、散々難癖つけた挙句、強制的に追い出してしまうのだ。それに合わせるかのように、近衛部隊全体で、いつの間にか魔術師に対して険悪な態度を取るようになってしまったのだ。
一応そういう事情を知ってはいるものの、ウェルスは納得行かないという表情のまま敬礼をし、部屋を後にした。
その後ろ姿を見送ると、クロンドは、懐から折りたたまれていた羊皮紙を取り出し、近くの蝋燭で燃やした。