甲高く、金属がぶつかる音が響く。
栗色の髪の青年が、巨大なトカゲの脇腹に剣を突き刺そうとしたのだが、それを察したトカゲが、僅かに体をひねり軌道を反らしたのだ。
その隙に。と、もう一人、赤髪の青年が槍で首を狙えば、噛み付かんばかりに牙を見せ威嚇する。
「くそっ、鋼かよあの皮膚!」
「ウェルス軍団長。コイツ、何食ってここまでデカくなったんすか。通常の二倍近くあるっすよ!」
「そりゃお前、お貴族様のペットだ。いいもん食ってんだろうな!」
金属のような硬い鱗が、剣を、槍を拒む。
そして、先端に三連の膨らみを持つ尾を振り、鎧トカゲは己に傷を付けようとしている二人を蹴散らす。
荒い攻撃ゆえに、避ける事は容易かった。
だがそれが近くの木をなぎ倒したのを見て、彼らは慌てて距離を取る。
ウェルスと呼ばれた栗色の髪の青年は、今度は尾を切り落とす為に剣を振るうも、どうやらその部位の皮膚が一番硬いようで、刃こぼれを起こしてしまった。
彼の翡翠のような緑の目が、焦りで細くなる。
その際、左目にある傷が少し引き攣れた。
「尾もダメか」
舌打ちと同時に吐き捨てると、彼は攻撃が来る前に再度距離を取った。
遠目で見る姿は、まるで物語にでてくるドラゴンのよう。
違うのは、それが炎や氷の吐息を吐かないという点だけ。その太い足で踏みつけられれば骨が砕け、牙の覗く口に噛まれれば、その部位を喰いちぎられる。
戦っているものの名は、鎧トカゲ。
名にある通り、鋼のような硬いうろこで身を守る、大型の爬虫類だ。
「ロストン、関節を狙っていくぞ」
「了解っす」
彼らは何とか関節の隙間などの柔らかい所を狙い、槍や剣を突き出す。
だがその瞬間、後ろの方で女性の叫び声が聞こえてきた。極安全な、屋敷の中から。
「お願いよ、絶対にロレーヌちゃんに怪我させないで頂戴、絶対よ!」
ヒステリックに叫ぶ彼女の声に、彼らの表情は引きつった。
「無茶だろ、おい」
「無茶すぎっす」
どう考えても、状況からいってそんな悠長なことは出来ない。ようやく、屋敷近くの平原まで追い込む事が出来たのだ。
そもそも、なぜ彼らが鎧トカゲと戦っているのかと言えば、単純に先ほどの女性、アラドーネ伯爵夫人がペットである先述のトカゲ、ロレーヌを誤って逃がしてしまったからである。
裕福な貴族の家でぬくぬくと育てられたロレーヌは、癇癪を起こした子供のように暴れ回り、ついに近くの村に被害を出した。
幸いにも村人たちは軽傷で済んだが、これ以上の被害が出てしまえば、本格的にロレーヌを駆除しなければならない。
そこで、穏便に事を運びたいアラドーネ伯の配慮から、王国騎士団が派遣された。
その白羽の矢が刺さったのが、ウェルスの率いている部隊だった。
ちょうど地方派遣から帰ってきたばかりのウェルスにしてみれば、間の悪いことこの上なかった。
通常のトカゲを駆除するのとは訳が違う。
先ほどのような無茶苦茶な条件を出されても、飲むしかない。
それでも、今回は自身の腹心もいるとなれば、まだ心は軽い。
ウェルスは左耳に手を伸ばしかけて、止めた。
「無傷、ね。どうしたらいいと思う?」
「投げ縄で押さえつけるの、最初に失敗してるんすけどねー」
ウェルスの問いにロストンが深く溜息をつくと、二人に向かって馬を飛ばしてきた者たちがいた。
「ウェルスさま。村人達の非難と救援、終わりました!」
「状況が全く変わっていないが、そんなに苦戦しているのか?」
「でしたら尚の事、早くご指示を。これ以上の被害は未然に防ぎませんと」
タイミングの良い増援に、ウェルスは思わず笑みを漏らした。
彼の腹心が、全員そろったからだ。
実のところ、彼らが揃って出向くのは久々の事だった。
地方派遣の前日、騎士団内で集団食中毒事件が起こってしまったのだ。それに丁度彼らも巻き込まれたため、同時に起こっていた隣国からの盗賊流入事件や、魔術師集団失踪事件等では、偶々難を逃れたウェルスのみで解決する事になったのだ。
事件が収束を見せ、その報告をした時の彼らの反応は様々だった。
「ウェ、ウェルスさまぁ、ご心配お掛けして、申し訳ございませんでした!」
涙目になりながら必死に謝罪する、部隊最年少のアイナ。
「手前の不手際により、異変に気付けず、軍団長殿に余計な心労を与えてしまい、誠に申し訳ない」
妙に丁寧な言い回しながら、態度が不遜な、部隊最年長のトール。
「今回は、ご迷惑お掛けして申し訳ございませんでした。ですが、なぜ近衛の隊員と……し、しかも、よりにもよってあの二人なんて――確かに腕は立つかもしれませんが、女性だけ二人なんて、どんな噂が立つかも分からないのに、軽率すぎます!」
謝罪と共に、近衛隊と行動を共にしたことを非難する、生真面目なエダ。
「ウェルス様も隅に置けないですよねぇ、城内でもっとも人気のある二人と異変解決。羨ましいなあ、両手に花」
そして、謝罪以前にウェルスをからかう、お調子者のロストン。
他の団員たちは、普通に労いと謝罪を伝えに来ていたのだが、腹心達のあからさまに差異ある態度に、ウェルスは肩を落とした。
「大体、ウェルス様は最近、単独行動が多すぎます。グルエル将軍や、スウェルブ元帥に言われたのならともかく、何も協会の仕事まで引き受ける事無いと思います」
「確かに。最近のウェルスは少し単独行動が多いな」
「っていうかウェルスさま、あのハイマスターの人と知り合ってから、俺らの事忘れがちですよねー」
部下達にこぞって責められ、ウェルスは曖昧に笑いながらその場を流した。皆、言いたい放題だが、仲が悪いというわけではない。ウェルスに二つ名がついたときは、その栄誉に喜び、その名を傷つけぬよう。と各々の武具に誓いを立てた。
アイナとトールは弓に、エダとロストンは槍に。
そして彼らは、自らをこう称した。
『鷹の風切羽』
鳥が高く、長く、早く飛ぶ為に必要な羽。
ウェルスが動きやすく、戦いやすいように道を作るのが、彼らの役割だ。
「丁度良い。皆揃った事だし、アレを無傷で捕らえろと夫人からの要請なんだけど、良い案あるかな」
「無理です。村の被害状況から見ても、多少の傷は止むを得ないでしょう」
「そうだな。そもそも、我々を呼んだ時点でアラドーネ伯の方は目を瞑るつもりのようだしな」
即効で、エダとトールからは無理だと返答が返ってきた。ウェルスの隣では、ロストンも頷いている。だが、アイナは思い当たる事があるのか、少し弱弱しい声で意見を述べた。
「あ、あの、無難ですけど、眠らせちゃうのってどうですか?」
「薬剤があれば可能かもしれないけど、あるのか?」
「はい、眠り苺の果汁が少し」
そう言って、彼女は腰に下げていた袋から、少し濁った赤い液体の入った小瓶を取り出すと、四人の目は丸くなった。
「どうしたんだ、これ」
「村長さんから頂いたんです。良ければ使って欲しいって」
「――よし、じゃあそれはトールとアイナが使ってくれ。ロストンは俺と引き続きアイツを極力弱らせる」
ウェルスは三人に指示を出すと、残ったエダに向き直った。
「エダ、悪いけどあの夫人に伝えてくれないかな。後で腕の良い獣医、紹介するってね」
一瞬キョトンとした彼女だったが、ウェルスの意図を汲み取ると、小さく笑みを浮かべた。
「かしこまりました。伝令後、すぐに合流します」
「頼んだぞ」
すぐさまエダは、屋敷へと向かって駆けていった。
その背を見送ると、ウェルスもすぐにトカゲに向き直った。
「どうだ、アイナ。いけそうか?」
「ダメです、関節や首は範囲が狭い上に小さくて狙い辛いです。せめてお腹か、最悪口の中にコレを入れられれば……」
彼女の言葉に、ウェルスは考えるよりも先に体が動いた。
必死に隙を作り出そうとしているロストンと共に、目の前に立ちはだかるトカゲに剣を繰り出す。
一進一退。
僅かに抑え込んだと思えば、すぐに尾が振られる。
不規則に動くそれを馬に飛び越えさせるには、動きが複雑すぎた。
そのとき、エダが何かを手に持って戻ってきた。
「ウェルス様、何とか夫人を言いくるめ、こちらを拝借してきました」
彼女が手にしていたのは、下処理の済んだ一羽の七面鳥。多分夕食にする予定だったのだろう、血抜きも内臓の処理も完璧だった。
それを受け取ると、ウェルスはニッと笑う。
「よくやった。ロストン、あいつの口をあけさせろ。アイナはその援護を。トールはコレに、瓶の中身を!」
「了解っす!」
「引き受けた」
トールは、放り投げられたそれを受け止めると、素早く苺の果汁を塗りつける。ロストンは袋を探り、手のひら大の木の実を取り出した。それをわざと見せ付けるように視線誘導し、槍の先にそれを刺す。
しばらくは不審そうに見つめていたトカゲだったが、今度はアイナがトマトの刺さった矢を鼻先に打ち込む。
それを見て、ロレーヌはロストンの槍目掛けて大きく口を開けた。
「今だ!」
ウェルスの号令に、トールが七面鳥をその口の中に放り込んだ。
一瞬、何が入ってきたのか分からなかったロレーヌは、少しの間もがいていたが、知っている味と知らない味を同時に感じ、喉を鳴らしながらそれを飲み込む。そのすぐ後、一分も経たずにロレーヌはその場に倒れこんだ。
すぐさま馬から下りたロストンとエダが、ゆっくりと近付き、完全に眠っている事を確認すると、二人は合図を出した。
それを見て、ウェルスたちもロレーヌの側に近付いた。
「大丈夫です、完全に寝ました」
「やーっと終わったっすね」
大きく肩を落としたエダとロストンに、ウェルスも溜息混じりに苦笑した。