〜騎士団員の恨み言〜

 

 

 

だるい。体が重い。胃の辺りがムカムカする。

 その所為で眠れない。瞼が少し腫れている。

 ふと喉の渇きに気付き、体を起こそうにも腕に力が入らない。

 誰か居ないかと辺りを見回しても、部屋には自分ひとり。

「さい、あく」

 チッ、と舌打ちが部屋にむなしく響く。

 何とか体を起こし、ベッドの近くにあった水差しに手を伸ばす。

 手元が狂い、水差しが床に落ちた。

 その、甲高く、不快な音で目が覚めた。

 同時に、自分を覗き込んでいた顔に驚き、跳ね起きた所で額同士をぶつけて、二人は悶絶した。

「って〜。お前なあ、折角見舞いに来た心優しい軍団長さまに頭突き喰らわせるか、普通」

ぶつけられた箇所をさすりながら、青年は苦笑した。

 

 

つい最近、アルスバルト王国騎士団が創立してから久しく無かった大惨事に見舞われた。

それは、集団食中毒事件だった。

隣国から越境してきた盗賊の討伐依頼があり、そこに最小限の兵力のみを残し、ほぼ全兵力で望んだ結果が、これだ。

「私、寝てたんだ」

 僅かに頭を振り、少女――オルカは蹲った状態でぶつけた所を擦った。

 思った以上に掠れた声が出て、彼女は反射的に水差しを探そうと手を伸ばす。だが、先ほど自身で床に落とした事を思い出し、しばらく宙を彷徨ったオルカの手は、ぱたりとシーツの上に力なく落ちた。

 その様子を何となく見ていた青年――ランゲルは、落ちていた水差しを拾い、中を確認すると小さなテーブルの上に戻した。

「どうした、元気ないな。ちなみに水差しの中身は空だぞ」

「今、何時くらいか分かりますか?」

「ついさっき、鐘が十五回鳴ってたな」

「そう、ですか」

 昨夜、オルカは余りの腹痛で眠れなかった。

軍医からもらった薬を飲んだり、何度も厠に通ったり、腹を温めたりと何とか眠ろうと苦心しているうちに夜が明けてしまったのだ。

 もう、朝一番の鐘の音が聞こえた辺りの記憶は、ほぼ無い。

どこか気落ちしている彼女に、ランゲルは首をかしげた。

だがすぐに、ここに来た目的を思い出し、手に持っていた器を差し出した。

「ほれ、見舞いだ」

唐突に目の前に現れた物に、オルカの反応が遅れた。

「何、これ」

「ハチミツ入りのくず湯だ。こんくらいなら、お前も食えるだろ?」

そういうとランゲルは、呆然とくず湯を見つめるオルカの口に、強引に木さじを押し込んだ。

 突然口の中に入ってきた甘い味を、彼女は目を白黒させながら飲み込む。腹の底からじんわりと暖められるような感覚に、少しだけ力が抜けた。

 最近、毎日のように苦い薬湯しか飲んでいなかったからか、舌が思いのほか甘い物に飢えていた。

 しばらくは、サジを咥えたまま離さないオルカの様子を、微笑まし気に見ていたランゲルだったが、そのまま動かない彼女に焦れ、軽くサジの柄を弾いた。

「おい、サジ咥えても甘くねえだろ」

「!」

己の行為に気付いたオルカは、頬を真っ赤に染めた。

次の瞬間には、慌ててランゲルの持っていた器を奪い、彼と視線を合わせないよう黙々とくず湯を口に運んだ。

彼女の一連の素早い動作に、呆気に取られたランゲルは、溜息を一つつくとオルカの頭を乱暴に撫でながら豪快に笑った。

「よし、元気でたな」

「軍団長痛いです、食べ辛いです!」

 文句を言いながらも、オルカはその手を振り払わない。彼が純粋に心配してくれた事が、嬉しいからだ。

「ではオルカ副軍団長、俺はこれから他の団員も様子見てくるから、それ食ったら要安静」

「了解」

 ベッドの上ではあるが、オルカは背筋を正しランゲルの言葉を受けた。

 それを確認し、彼は眦をほんの少し下げて部屋を後にした。

 

 * * *

 

あの後、回復したのはランゲルが率いていた軍と、数人の隊長格の団員だけという話がオルカの耳に届いた。

 それは、ほぼ全員が洞窟の外で待機していた部隊だった。

「ほれ、俺特性薬湯セット。極限まで甘さは控えめだ。あとこれはサービスの丸薬だ。急な腹痛時に使えよ」

「ありがとうございます」

 セルストから薬を受け取り、オルカは一礼すると医務室を後にした。

 兵舎に戻る傍ら、薬の入った袋を見つめる。

 一回の使用量ごとに包んであるため、中の物がカサカサと乾いた音を立てる。同時に、つい最近まで飲んでいた薬湯の味を思い出してしまい、彼女は顔をしかめた。

 だが、医務室に出入りしている中には、まだ症状がよくならず、ついには脱水症状が現れたものも出てきた。中には、例の食中毒の影響で食べ物を受け付けなくなった者も居ると聞く。

 考えるだけで気が重くなってしまったオルカは、自室に薬を置くと、しばらく触れていなかった剣を手に外を目指した。

 

 

 兵舎を出ると、オルカは真っ直ぐに訓練場を目指した。

 それは、アルスバルト城の裏庭園にある。

 美しく広大な庭園は、元々この城の主が妻の為に造った物だったが、何代目かの城主の時に何故か地盤が沈下、大きな段差が出来てしまった。

 魔法で何とか元の形に戻しても、すぐに沈んでしまう為、仕方なく手前の庭園だけ残し、沈んでしまった部分は騎士団、近衛隊の訓練場に落ち着いたのだ。

 オルカはまず倉庫に向かい、邪魔にならない様軽く髪をまとめ、簡素な鎧を着込んだ。

 準備を整え外に出ると、目的地にはすでに先客が居た。

「よぉ、やっと復帰か」

「ランゲル軍団長」

そこには、素振りをするランゲルの姿があった。

日の下にでて気付いたのだが、食中毒の影響か、普段より若干頬がこけていた。

それでも、精気あふれる笑顔を浮かべる姿は、雄雄しく感じる。

「まあ、互いに災難だったな」

「そうですね」

「何だ。てっきり、ザマ見ろ。くらいは言われると思っていたんだがなあ」

「傷に塩塗っても楽しくないですし」

 ランゲルの軽口にも、オルカは淡々と返した。

そして、彼女は真っ直ぐランゲルを見つめると、深々と頭を下げた。

「軍団長、お願いします。稽古をつけてください」

 

 

「ったく、ここが閑散とする日が、来るなんてな」

 普段は、模範演習などで様々な所から金属のぶつかり合う音がしていたが、今は二人があわせている剣の音以外に聞こえてこない。

「人が、居ないと――この広場も、かなり広いんですね」

「そうだな。しっかしお前、ちゃんと食ってっか?」

「食べて、ますけど、何か?」

「太刀筋が、軽すぎ――だ!」

 急に大きく懐に入り込まれ、オルカは反射的に一歩下がり防御に入る。だが、剣を打ち払うと同時に軸足を払われ、気がつけば、青い空とランゲルの顔を見上げていた。

「お前、まだあのくそ苦い薬だけしか、腹に入れてねえってのか? おいこら、もう固形物食えんだろ。なのに何だ、このざまは」

 少し責めるような口調に、オルカは言葉を詰まらせ、ランゲルから視線を外した。

 それを肯定と受け取った彼は、大きな溜息と共に肩を落とし、オルカの二の腕を掴む。流石にまともに食事を取れていないだけあって、その腕はすっかり痩せ細っていた。

 そのまま強引に引き起こすと同時に、彼女の額を、思い切り強く弾いた。

 地味ながら痛い攻撃に、オルカは弾かれて赤くなった箇所を手のひらで擦りながら、睨みつけた。もっともそれは、痛みで溜まった涙の所為で威力は半減していたが。

「いきなりなにするんですか!」

「それはこっちのセリフだ馬鹿。んな状態で稽古にくんなこの馬鹿」

「そ、そんなに馬鹿馬鹿言わないでくださいよ!」

「大馬鹿者に馬鹿っつって、何が悪い。この馬鹿!」

 盛大に怒鳴った後、ランゲルは剣を鞘に納めると、ピッとオルカに人差し指を突きつけ、言い放った。

「いいか、今すぐ液体以外の物を腹に詰めて来い。命令だ、すぐ行け!」

 文句を言う暇も無く、彼女の足は兵舎に向かって駆け出していた。

 

  * * *

 

「ほんと、災難だったね。しかも、行動封じにしてもなんか荒っぽい感じだしな」

「そうなんだよね。ところでケール君」

「何、オルカ副軍団長?」

「何で私が、アンタのノルマの芋をせっせと剥いてるんだ?」

「え、だって手伝ってくれるんでしょ?」

きょとんとした表情で、ケールはオルカを見つめた。

 その表情から、嘘はついてないことは分かったが、オルカには納得がいかない。

 ケールという少年は、オルカと同い年だが騎士団に入った時期が浅い為、現在『騎士団見習い』という肩書きがある。

 見習いの主な仕事は、団員たちの補佐的な役割が多い。

 馬の手入れや、武器防具の点検。騎士団内の食事も当番制で彼らがおこなっているのだ。

今日の当番は、本来ケールのいるグループではなかった。

だが、やはり彼らも例の件で人手が足りないようで、一人当たりの準備する食材の量が尋常ではない。

現に二人の背後には、彼らの座高を越すほどの量の芋が積まれている。

「あのね。私はただ、ランゲル軍団長から何か食えと命令されたから厨房を覗いたんであって、断じてアンタの手伝いをするためじゃないんだけど」

「でも俺が泣きついたら、手伝ってくれるって言ったじゃん」

「あれは、アンタがあんまりにもネチっこく、しつこかったからだよ」

 言葉を交わしながらも、二人は芋を剥く作業をやめない。

「えー。だって、こういう時は助け合いでしょ?」

「私がアンタを助けたとして、あんたはいつ私を助けてくれるっていうの?」

「オルカが、極限まで腹を空かせて帰ってきたときに、温かいものを作って差し入れ出来るよ」

「中々無い状況じゃないの、それ」

 ケールに向かってそう言った直後、大きな音を立ててオルカの腹が鳴った。

 音を立てた本人は、恥ずかしさで頬を真っ赤に染め、それを聞いた友人は、腹を抱えて声も出ないほど笑う。

「ちょっ、そんなに笑う事無いだろ!」

「だって、タイミング、良すぎだろ」

 そう言って笑い続けるケールに、オルカは赤い顔をしながらしばらく無視していた。

 だが、彼の笑い声は一向に収まらない。むしろ、時間の経過と共に酷くなっている。

 ついに業を煮やしたオルカは、静かに立ち上がった。

「ケール、覚悟しろ」

「何を――って、ちょっと! 何でナイフ本気持ちなの、それに、目が笑ってないんだけど!」

 真っ青になったケールに、オルカは唇だけ笑みの形を作った。

 

 

「何してんだ、お前」

「ケールのヤツが逃げたんで、芋の皮剥き続行中ですが?」

 不貞腐れた様に呟いたオルカに、ランゲルは状況を察したのか、小さく笑った。

 彼女の脇と、少し離れた所に、皮を剥かれた芋が山になっており、皮付きのものは、オルカが手にしているもので最後だ。

「それで、何でお前は不機嫌なんだ」

「私事になりますので、お答えしかねます」

 そのとき、また小さくオルカの腹が鳴る。

 一瞬慌てたものの、聞こえていないフリをして、彼女は芋を剥き終えた。

「ランゲル軍団長、終わりましたんでこれ運ぶの、手伝ってください」

 

 * * *

 

「おーい、そこの義兄妹。ちょっとお使い頼まれろ」

「嫌ですよ」

「おう、いいぞ」

厨房からの帰り、二人は背後から軍医であるセルストに声をかけられた。

オルカとランゲルが、真逆の言葉と表情で答える様を、彼は愉快そうに笑った。

 一方のオルカは、疎ましそうにランゲルを見つめ、当のランゲルは、彼女の視線など何所吹く風で笑っている。

「相変わらず面白いな、お前らは。さて、ここに買い物メモがあるんだけどな、ちょーっと量が多いんだよ」

「セルスト団長のお使いって、いつも量が多いじゃないですか」

「そうなんだよな、しかも騎士団の全体でかかっちゃった食中毒の所為で、余計に物資が足りねえというわけだ。了解? オルカ副団長様?」

 オルカが不満をぶつけても、セルストはあくまで紳士的に、かつ、彼女の逃げ道を功名に塞ぎながら、反論を拒絶した。

 一方のオルカも、相手がわざわざ肩書きを出してきた事に、悔しさを感じつつ渋々頷いた。  

「わかりました、全ては食中毒がいけなくて、憎むべきは軍医様ではなく病気のせいだって事ですね」

「そういうこと。とりあえず、ニレラギの枝を五束、ウシオ花の種を三袋、コーラルミントの葉、生葉乾燥葉問わず五袋、あとは協会に行ってゴシキソウと、あ、そうそうハッカ油も切れてきたからそれも追加ね。あとは――

「わかった、わざわざメモに書いてあることを言わんくてもいいだろ。ほらオルカ、行くぞ」

 セルストの言葉を途中で遮り、ランゲルはオルカの腕を掴んで兵舎を後にした。 

 

 * * *

 

 何だかんだで、軍医からの頼まれ物を全てそろえた二人は、城への道を歩いていた。

 それは市場を抜け、大鐘楼塔の下を通り抜けようとしたときだった。

「あ、オルカ、ちょいまち」

 唐突にランゲルが大声を上げて、オルカを呼び止めた。その声の大きさに驚いた彼女は、無意識にビクリと体を震わせる。

「な、いきなり何ですかランゲル軍団長」

「悪い、ちょっと寄り道していいか? すぐ終わるからさ」

「それって、これを置いてきてからではダメなんですか?」

「いやー、戻って忘れるといけねえだろ?」

「そんなに大事なものなんですか?」

「ああ。アレがないと、きっと今日の夜にでも暴動が起きるかもな」

「それ、真面目に言ってますか?」

「もちろん」

 基本、束とか袋単位での買い物なので、すでに二人の両手は塞がっている。大きさによっては持ち運びも可能だろうが、正直オルカはこれ以上の荷物を持つ気はなかった。

 だが、ランゲルは彼女の上司だ。

 仕方ない。そう思い、オルカは肩を落として溜息をついた。

「分かりました。とっとと行きましょう」

「すまんな」

 文句は言うが、最終的に彼女はランゲルのやる事なす事を許容するのだ。

 それはオルカ自身も自覚がある、ブラコンの症状だった。

 

 

「軍団長、用というのはこの場所にあるんですか?」

「そうだな。よお店主、いつものを樽で」

「おお、ランゲルじゃねえか。前回の もう飲みきったのか」

「そうなんだよ、上に酒豪が多いもんでね」

「はは、待ってな。すぐ持ってくるよ」

 酒場の店主は、人のいい笑みを浮かべながら店の奥へと消えた。

そして、二人のやり取りを呆れながら聞いていたオルカは、持っていた荷物を一旦床に置き、ランゲルの小脇をつついた。

「軍団長。樽でって、この状況で更に樽を持つんですか?」

「何、これも筋力を上げるための鍛錬と考えれば楽なもんだろ?」

「病み上がりの人間に持たせる量じゃないですよ!」

「あー、心配寸なって。樽はちゃんと俺が持つから」

「そういう問題じゃなくてですね……!」

オルカが更に言い募ろうとして、ふとある一角が騒がしい事に気付いた。

時間はまだ十六回の鐘が鳴ったばかりで、酒盛りが始まるには少しばかり時間が早い。

 好奇心から、彼女は歓声の上がっているテーブルにそっと近づいていった。

「おい、オルカ。どこ行くんだよ」

「ちょっと覗くだけです」

 そう言って、彼女はランゲルの側を離れる。その肩を掴もうとした所で、店主が戻ってきた。

仕方なく、彼はオルカを横目で見ながら酒の値引き交渉を始めた。







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