オルカが幾重にもなる人波を避けていくと、そこでは数人の男達がカードゲームに興じている姿があった。
それにしては観客の方が些か興奮気味だが、どうやらゲームをしていた内の誰が勝つかを賭けているようだ。
しばらくは興味深げに――周囲に促され、小銭をかけたりしながら見守っていたが、ふいにオルカは既視感におそわれた。
どうにも、ゲームをしている青年に見覚えがある。
若く美しい外見と、長い金の髪を緩く結わえている所。横顔でも分かる、海を思わせる深い青の目。
空似にしては、余りにも特徴が似すぎているのだ。
「まさか、ねえ」
彼女が脳裏に浮かべたのは、騎士団一の美称と人気を持つ、若き将軍の姿だった。
だが目の前の青年は、かなりラフな格好をしており、葉巻を咥えながら楽しげにカードを捲っている。
そんな中、不意に彼がオルカの方を振り返った。
同時に、彼女は確信した。いや、確信してしまった。
「ルドール、将軍?」
その声は、小さかった。でも、相手の耳には聞こえたようだ。
互いに硬直したように動けない。
その時、オルカの肩を誰かが叩いた。
「何してんだよ、行くぞ」
ランゲルだった。
店主との話が終わったところで、彼女を迎えに来たようだ。
だが、オルカは困ったような顔で彼を見つめるだけで、何も言わない。
そこでランゲルがテーブルを覗きこめば、見覚えのある男性が、外野にせっつかれながらカードを捨てる所だった。
「行くぞ」
それは苦笑を含んだ声だった。
「え、でも」
「早く帰んねえと、医者がキレるだろうな」
言葉に含まれたものを読み取ったオルカは、そのまま踵を返した。
その時、グラスの割れる音が響いた。
誰かが粗相をしたのか。とオルカは思ったが、剣呑な空気を感じ後ろを振り返る。
すると、キレイにひっくり返ったテーブルと、散り散りになったカード、そして砕けたグラスが目に入った。
先ほどまでゲームを楽しんでいた一人が、興奮したのかテーブルをひっくり返したようだ。
「おい若造、素直になれよ。どう考えたっておかしいだろ」
「なにがだ?」
「すっとぼけやがって! 今まで連続で勝ってたのはイカサマだろ! でなければこりゃ、絶対におかしいに決まってる!」
どうやら、今までずっとルドールが勝ち越していた事が気に食わないようで、男は顔を真っ赤にしながら怒鳴り散らした。
だが、周囲の人間には、彼の言い分が言いがかりである事を知っていた。ずっと、彼らを囲んで勝敗をみてきたからだ。
それでも、突然の言い争いですら、彼らの賭けの対象に変化する。
「よーし、あの兄ちゃんとおっさんのどっちが勝つか、賭けようぜ」
「おっさん、頑張れよー。そんな若造のしちまえー!」
「だったら俺は兄ちゃんの方に賭けるぜ。倍率高そうだだしな」
そして、辺りは野次と金の音が飛び交い、一気に騒がしくなった。
一方のオルカは、突然の出来事に頭が着いてこなかった。
「――どうしましょうか」
「よっしゃ、俺は将軍に賭けるぜ」
「ちょ、なんで義兄さんまで参加してんの!」
「こういうのは楽しむのが勝ちなんだよ」
そう言って、彼はお使い用の小金全てをルドールに賭けてしまった。
「だから、何で全部賭けちゃうの! 万が一負けたらどうすんの!」
「お前、あの人が負けるとでも思ってるのか?」
「万が一って言ったから。それより、預かったお金を何で賭けに使っちゃうの、って私は言ってるの!」
「大丈夫。倍になって返ってくるから安心しな」
二人が言い争っている間に、どうやら男が刃物を出してきたようで、辺りが騒然となっていた。
だが、それも一瞬で歓声に変わる。
「おお、いいぞー」
「やっちまえ!」
「おいおい兄ちゃん、しっかりしろよ」
周りの野次に後押しされ、男はニタリと笑いながらジリジリとルドールとの距離を詰める。
流石に刃物を出されてしまうと、丸腰のルドールには少し厳しい。
「置いてくるんじゃなかったな」
ほんの少し抜け出すつもりでいたので、愛刀は屋敷においてある。
かといって、剣があったとしても下手に抜く事は出来ないので、武器の有無はこの際余り意味を成さない。
そうやって彼が考えている間にも、男はむちゃくちゃにナイフを振るう。
紙一重で避けてはいるが、まったく攻撃をしないルドールに、周囲は苛立ち、盛んに挑発めいた言葉を放つ。
「どうした、兄ちゃん。腰でも抜けたか!」
「おいおい玉無しか? 少しは攻撃したらどうだ!」
余りにも酷い言葉に、思わずオルカが間に入ろうとして、ランゲルに止められた。
「義兄さん、どうして止めるの!」
「 お前気付いてないのか? さっきからあの人、その場からまったく動いてないぜ」
彼の言葉に呆気に取られたオルカは、再びルドールに目を向けると、確かに、その場から一歩も動いた様子がない。
それでも、いつ攻撃があたるか肝を冷やしているオルカに、ランゲルがそっと耳打ちをした。
「もし心配なら、お前の腰のヤツ。それを将軍に投げてやれよ」
「え、でも」
「突然の援軍は、俺たちによくあることだろ?」
そう言ってウィンクした彼に、一瞬悩んだ後、オルカは鞘ごと剣を腰帯から外した。
「ルドール様!」
彼女はその名を叫ぶと同時に剣を放り投げた。
難なくそれを受け取ったルドールは、鞘から剣を抜くことなく、今度は攻撃を受け止めた。
男は驚きながらも、楽しそうな笑みを浮かべる。
「おいおい、やっとその気になったのか?」
「いや。そろそろ終りにしようと思って、ね」
「なに!」
雰囲気の変わったルドールに、男は一旦間合いを取り直し、今度は勢いよく腹を目掛けて突っ込んくる。
だがそれは、甲高い音を立てて跳ね返され、そのまま観客の足元すれすれに、深々と突き刺さった。
辺りは水を打ったように、一気に静まり返った。
静寂を壊したのは、ランゲルの口笛だった。
同時に、あふれんばかりの喝采があがる。
男は、そのまま床にへたり込んだ。
「もういいだろ、俺の勝ちだ」
ルドールの宣言と共に、もう一度大きな歓声が上がった。
* * *
あの後、なぜかかなりの気疲れをしたオルカと、掛け金が三倍近くになって返ってきたことにホクホクしているランゲルは、大荷物を持って兵舎に戻った。
そして、医務室に頼まれたものを渡しに向かうと、すでに入り口のところでセルストが仁王立ちで待っていた。
「お帰り。ずいぶん遅かったね」
「諸事情で遅れました」
「うん、酒樽がある時点で色々聞きたいことあるけど、まあお疲れ」
本当に疲れていたオルカは、二人への挨拶もそこそこに、そのまま自室に戻っていった。
そして、ベッドに向かって倒れるように飛び込むと、ノックの音が聞こえてきた。
面倒臭い。と思いつつも、ドアに向かって彼女は返事を返した。
「はい」
「すまないが、今大丈夫か?」
その声に、一気に意識が覚醒した。
「す、すみません、すぐ開けます!」
慌ててドアを開ければ、そこには先ほどまで賭けの対象になっていた、ルドールが立っていた。
さすがに着替えたのか、正規の団服を身に付けていたが。
「突然すまない。中に入っても大丈夫か?」
「はい、どうぞ」
オルカが中へと促すと、少し緊張した面持ちでルドールが入ってきた。
彼女は文机の椅子を、ベッドの近くに持ってきて、彼に座るよう促した。
「硬い椅子ですけど、どうぞ」
「ありがとう。それと、これ」
彼が差し出してきたのは、オルカが投げた剣だった。
鞘のところについた傷を見やると、ルドールが気まずそうに口を開いた。
「その、すまない。革製の鞘だったんだな、傷がついてしまって」
「いや、気になさらないでください。私が自分の判断で投げたんですし」
「そうだな、おかげで助かった。本当にありがとう」
「あ、えと……はい。ありがとう、ございます」
ルドールに嬉しそうに微笑まれてしまい、オルカは何故か照れくさくなってしまい、言葉が上手く出てこなかった。
そのまましばらく無言の状態が続き、ふとルドールが呟いた。
「酒場での事なんだが」
「はい」
「内緒に、していてもらえないかな」
一瞬、ルドールの言葉が何を指しているのか分からずに、オルカは首をかしげた。
すぐに彼が「葉巻とか、賭け事の事だ」と苦笑交じりに告げる。
「それは構いませんけど、喧嘩の方は話してもいいんですか?」
「それも内緒の方向で」
「分かりました、言いません」
ようやく合点のいった彼女は、素直に答える。
それを聞いて、ルドールは安心したように肩を落とした。
「よかった。それにしても、なぜあそこに?」
「元は必要品の調達だったのですが、ランゲル団長の私用であの店に」
「そうか」
何故か少しだけ残念そうな笑みを浮かべるルドールを、オルカは不思議に思った。
ランゲルとオルカは、団長と副団長である以前に異母兄妹なのだ。
交流自体は騎士団に入ってからではあるが、少し吊り気味の目元とか、雰囲気は実の兄妹と言っても気付かれないほどだ。
それ以上に、一人っ子だと思っていた自分に兄が居た事実を喜び、必要以上に行動を共にしたがる傾向がオルカにはある。
おかげで、今ではすっかり、彼女のブラコンぶりは有名になっていたのだ。もちろん、本人も自覚症状があるので、否定しない。
ところが。それをよく思わない人間が、何人かいた。
ルドールは椅子から立ち上がると、オルカに近づき、彼女の額の髪を優しく払い除けた。
そして、額に触れた柔らかな感触に、オルカの時が止まった。
「念のための口止め料だ。酒場のあれは三人だけの、今のは、二人だけの」
真っ赤な顔のオルカを残し、彼は艶然とした笑みを浮かべて彼女の部屋を後にした。
* * *
あれから二週間が経過した。
大半の騎士たちが寝込んでいる間に、いつの間にか事態は収束してしまった。
やっと半分以上の兵力がそろったという時だったので、彼らにはとんだ肩透かしになってしまったのだ。
「あーあ、最終的にはウェルスのヤツだけがいいとこ取りかよー。ほんっと、最近いい事ねえなぁ」
「そういえば、騎士団の人員不足で近衛の助力を仰いだって聞きましたよ」
「へえ、意外だな。あいつらが手を貸すなんて、槍でも降るのかね」
「普段の行いがモノを言うんですって、こういう時は」
「おいおい。品行方正な俺のどこに落ち度があると?」
「人徳?」
「ばっか、俺の人徳なめんな。その気になれば近衛隊の奴らだってな――」
「この前、協力要請したら突っぱねられたって怒ってたの、誰でしたっけ?」
痛いところを突かれ、言葉に詰まるランゲルに、オルカはそ知らぬ顔で赤豆茶をすする。
彼女がチラリとランゲルに視線をやると、どこか拗ねた表情で視線をそらした。
それを横目で確認すると、オルカはカップで口元を隠して小さく笑った。
「じゃあ、普段の素行のよろしいランゲル義兄さん」
久しぶりの義兄という呼びかけに、僅かだがランゲルの反応が遅れた。
「前のリベンジ。剣技演習付き合ってよ、今度は負けないから」
こうしてランゲルの事を義兄と呼ぶときの彼女は、口調がいつもより砕けた感じになる。
楽しそうに笑顔を浮かべる義妹に、彼も溜息混じりに微笑み、彼女の頭を軽く撫でた。
「いいぜ。ただし、義兄呼びだからといって、容赦はしねえからな」
何だかんだで、ランゲルもオルカの笑顔に弱いのだ。
「そういえば。何か、あったのか?」
ランゲルが剣を振り下ろすと、オルカはそれを額の位置で受け止める。
「何か?」
そのまま一歩下がり、彼の体制が僅かに崩れた所で勢いをつけて押し戻し、間合いを取る。
「いや。久しぶりにさ、将軍様の機嫌が、よろしかったみたいでな」
今度はオルカの方から、胴を狙って突きの体制を取る。
「それまでは、悪かったんですか?」
だが、その攻撃は小手と剣によって防がれる。
「ああ。まあ、騎士団半壊滅状態で、見舞いも先越されたんじゃ、苛々するわな」
「え?」
「何でも、ねえよ!」
ランゲルは、そのまま彼女を押しやり、再度間合いを取らせる。
「しっかし、これは酷いな」
「何が、ですか?」
「折角治ったってのに、皆バテるのが早すぎんだよ」
溜息と共に剣を肩に担いだランゲルに、オルカは後ろを振り返る。
確かに、前回の時はほぼ居なかった団員達が、今回はやっと姿を見せ始めてはいた。ただ、ほとんどが、数分の稽古で音をあげてしまっている事が、惜しい。
「結局、皆まだ本調子じゃないって事?」
「みたいだな。酷いやつだと、まだ腹具合が微妙らしいからなあ」
すっかり人相まで変わってしまっている仲間を見て、オルカはため息を、ランゲルは困ったように笑った。
「情けない」
どちらとも無くそう呟き、二人は同時に剣を納めた。
〜しょせん、騎士団員の恨み言。了 〜