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2 ばあちゃんのバレンタイン大作戦
二月の中旬@ふたりのマンション
「…そんなこと言ったって、『西洋かぶれな行事はやらん!』ってあれほど摺り込んだのは、ばあちゃんじゃないか!」
私は受話器を握りしめ、思わずもう片方の拳を振り上げて叫んだ。
『それはうちの家風だよ。櫻田家ではそんなものは未来永劫やらん』
「うん」
『…おまえも鈍い子だね。櫻田家ではやらんが、おまえと先生のすいーとほーむとやらでは別だよ』
す、すいーとほーむ。
ばあちゃんが敵性語を使った。
まさかもうボケが始まったんじゃ?
ど、どうしよう…。
「ばあちゃん…そんな言葉誰に教わったの?」
恐る恐る尋ねると、
『結城先生に決まってるじゃないか』
ばあちゃんはあっけらかんと答えた。
『発音がいいって褒められたよ』
「あ、そお…」
私は思いきり脱力してソファに沈みこんだ。
ばあちゃんはどういうわけか、呆れるほど惣一郎贔屓だ。
私が学生の頃から、何かとまめに世話をやいてくれる『結城先生』に、好感を持っていたらしい。
『ともかく結城家に嫁いだからには、あちらの家風に合わせにゃいかん』
「と、嫁いだって…僕達はそういうのとはちょっと違うよ」
『おまえも理屈っぽいね。要はふたりの家庭なんだから、お互い歩み寄って仲良く暮らせばいいんだよ』
「ばあちゃん…」
『おまえも…くりすますでしくじったと思ったから…こうして電話してきたんだろ?』
「まあね」
『その、ばれんたいんとやら、一体何をする祭りなんだい?』
「チョコレートを渡すんだよ」
『ふん、そんなことかい。子供だましな祭りじゃのう。スーパーで買ってくればいいじゃないか?』
「そういうわけにはいかないんだよ! それなりの店で、プレゼント用に綺麗に包んだ奴を買わなきゃいけないんだ」
『じゃあ、デパートにでもお行きよ』
「え〜、でも…」
『何だい、ぐちぐちと煮え切らない子だね!』
「この時期…男がギフト用チョコレート買うなんて、めちゃくちゃ変だよ…」
『はあ?』
電話口の向こうでひたすら首をかしげるばあちゃんに、
「だから〜、普通は女の子がチョコを買って、好きな男に渡すもんなんだ…」
言葉にすると、あらためて恥ずかしさに身悶えしそうだ。やはり自分は『受け』なのだと、思い知らされる瞬間…。
だいたいチョコ売り場を男がうろつくだけでも面妖だ。ましてや婦女子の群れをかき分け、チョコを求めるなど言語道断。元葉隠武士のやることではない。
『ふむ…。おまえの言いたいことはわかったけど…。夫夫(ふうふ)になった以上、耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍び、旦那を喜ばせてやろうとは思わんのか?』
(そんなことなら週に○日はやってるよ…)
と、腹の中で呟きつつ、私は沈黙した。
気がつけば、ふたりの会話に妙〜な間があいていた。ばあちゃんが小さな手で黒電話の受話器を握りしめ、しみじみとうなずく姿が目に浮ぶ。
***
「確かに…あの中に入って行くのは気合いがいるのう…」
もう後がない、二月十三日。
某デパート、七階でエレベーターを降り立った櫻田とめは、肩でため息をついた。
普段から洋菓子屋には近寄りもしない、それどころかデパートにも滅多に来ないとめだった。乳母車を押してでは雑踏で邪魔もの扱いされるし、やはり近所の商店街や『とげぬき地蔵』あたりがとめには心地よい。
それでもとめは孫可愛さに、今日は新しい腰巻きをきりりと締めて電車に乗った。目指すは本所松坂町、ではなく松○屋×野店。電車を降りたとめは、何とか人に尋ねつつ目的地に辿り着いた。
敵の本陣、『バレンタイン特設会場』とやらの場所は、すでに折り込み広告で確かめてある。とめは一階のインフォメーション横に乳母車を預け、杖をつきながらゆっくり人をかき分けエレベーター前に向った。
すし詰めエレベーターで七階まで昇る。とめは人いきれで目眩がした。
(何のこれしき一一根性じゃ!)
鼻をつくねえちゃんたちのコロンの匂いにも、とめは歯を食いしばって耐えた。
人波に押され、とめはエレベーターから降り立った。目の前にはピンクや赤のハートのディスプレーが飛び交い、高級チョコレート店の出店がずらりと軒を列ねていた。
客足も好調と見え、特設会場は婦女子の熱気でむんむんしている。とてもじゃないが、男の来るところではない。右近の言い分もわかる気がした。平日の昼とはいえ、あちこちの店で若い娘が真剣にチョコを選んでいる。中には制服姿の高校生までいる。その様子をじっと観察しつつ、とめは思った。
あの中に混ざってチョコを買えというのは…うちの孫には酷な話しじゃ。別嬪じゃから余計に目立つ。
じゃが。
結城先生があれを欲しがる気持ち…ようわかった。
偉い学者さんかもしれんが、あの先生は根は単純で子供っぽいお人。右近が自分を好いてくれてるかどうか、気になって仕方ないんじゃ。すぐに証のようなものを欲しがる。まあ、孫を大事にしてくれれば、わしも文句はないがの。
ここはわしがひと肌ぬいでやらねば一一。
とめはひとりでこくこくうなずくと、果敢にバレンタイン特設コーナーへと歩を進めた。
「ちょっとごめんなさいよ」
時折杖で女子高生のソックスをつんつんと叩きながら、しっかりと中に割り込んでショーケースを物色し始めた。
ふむふむ、チョコと言えば板しか知らなんだが、何やら粉をまぶした団子のようなものや、白いやつまであるのじゃな。な、なにあんな団子が6個で二千円? 何じゃその人を食った値段は。中に金でも入ってるんだろうか…。
「おばあちゃまもチョコをお探しですか?」
上品そうな年増の店員ににっこり声をかけられ、とめは一瞬かたまった。
「ご主人に?」
とめはぶんぶんと頭を振った。
「わしは後家じゃ」
「じゃあ老人会のボーイフレンドに?」
「わ、わしじゃのうて…孫に頼まれたもんで…」
肩を丸めて口ごもる自分が情けない。
タールで固めたような睫のねえちゃんが、隣でくすくす笑っていた。
「ま、孫は流感でふせっておる」
「ああ、それでおばあちゃまが代わりに?」
うむ、ととめは大きくうなずいた。
ここまで来たらもう照れている場合ではない。とめは腹を決めて商品選びにかかった。惣一郎はもういい年だし、あまり子供騙しな品もいかがなものかと思う。それもあって、比較的大人な雰囲気の漂うこの店からのぞいてみたのだが…。
「おばあちゃま、失礼ですが、お孫さんはおいくつでしょうか?」
「二十四じゃ」
「なんだ、孫もババアじゃん、きゃはは…」
ソックスを杖で突かれた女子高生が、ここぞとばかりとめに逆襲した。
「やかましい、ひよこは黙っとれ!」
「うるせえな、ババアがこんなとこくんな!」
「何じゃ、その汚い言葉使いは! そもそも子供のくせに色気づきおって。昼間っから女学校さぼって盛り場をうろうろと…勉強がそんなに嫌なら額に汗して働かんかっ!」(ばあちゃんにはデパートも盛り場です…)
売り場中に通る凛とした声で、とめは思いきり叱責した。小柄な身体に似合わぬ大音声に、皆が思わず振り返る。ここは完全にとめの気合い勝ちだった。女子高生たちはさんざん悪態をつきながらも退散した。
店員は貼り付いたような笑みを浮かべていたが、商魂逞しく、次の瞬間には気持ちを切り替えて接客に励んだ。
「…で、おばあちゃま、お相手も大人の方ですよね?」
「うむ、たしか三十にはなっていたはず」
「…ではこちらの、甘さを押さえたビターチョコとブランデーのセットはいかがでしょう?」
ああ、洋酒と一緒になっとるんか。先生の好みではありそうじゃが…。右近とふたりでつまめるように、やはり団子がええかいの。
「そうじゃなあ…それもよさそうじゃが、先生は両刀だから…」
「甘いものもお好きなんですね」
「そ、そういうことじゃ…」
とめはごほごほと咳払いをした。
(言葉にしてからその意味深さに気付くとめであった。孫の右近とそっくりである。)
結局店員にうまくのせられ、とめは八個入りの団子を買わされてしまった。ラッピングも金箔に茶色のリボンと、よその店に比べればだいぶん大人の雰囲気がある。まあ右近はこれで満足するだろう。
すっかり催場で疲れてしまったとめだったが、ついでに地階の鮮魚売り場で天然ブリのあらや珍味類をゲットして、何とか夕方のラッシュ前に家路についた。
今夜、惣一郎は付き合いで帰りが遅くなるらしく、夜、車で右近が南千住までブツを取りにくる。
(久しぶりにブリ大根でも煮てやろうかの…)
かわいい孫のためにもうひと働きしようかと、とめは思わずしゃっきり腰を伸ばすのであった。
つづく
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