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4 幸せのポットパイ
惣一郎はバラを花瓶にいけると、キッチンへやってきた。後ろから私の肩ごしにちろちろ手元を覗き込んでいる。邪魔だからどいて、と思ったが、まあ子供がまつわりついているようなもんだと、私は苦笑するだけにとどめた。
私は焼き皿にクリーム煮を入れ、その上にパイシートをかぶせて、葉っぱの飾りなんかつけてみた。水で溶いた卵黄を刷毛でぬりぬりしていると、
「いつの間にこんな料理を覚えたんだ?」
惣一郎が後ろで感嘆の声をあげた。
「美容院でレシピを見て…美味しそうだなと思って。で、今日試してみた」
惣一郎は再度うなると、
「中身は何?」
「チキンとポルチーニのクリーム煮」
「またいきなりそんな本格的なのを…」
「大丈夫、ポルチーニって干し椎茸より戻すの簡単だったよ」
薄く微笑んで見上げれば、予想通り惣一郎は感極まった眼差しで、私をじっと見つめている。
(そうやってすぐに目をうるうるさせて…。ポットパイくらいでそんな喜ぶなよ。若殿だった頃はもう少し威厳があったのに…。今生の惣一郎はどうもヘタレでいけないな♪)
私はくすっと笑って、
「ほら、オーブンに入れるからそこどいて」
「あ、ああ」
私は惣一郎を下がらせ、焼き皿をオーブンに入れた。
温度は取りあえず200℃くらい?
ま、10分くらいにセットして様子を見よう。
「シャンパン、そろそろ…あけてくれる?」
「…了解」
惣一郎はアイスバケットを用意し、テーブルに置いてくれた。実家でさんざんやっていたのか、手慣れたものだった。私も前菜をテーブルに運び、とりあえず始めることにした。
惣一郎はシャンパンの栓を抜きにかかっていた。
「おっ! スモークサーモンとオレンジのサラダかい? おしゃれだなあ」
「これも雑誌に載ってたやつだよ。そっちのロブスターは出来合いのだけど」
「どれも美味しそうだね、早速いただこう」
惣一郎はそわそわと浮き立つような調子で言うと、コルクに親指をかけ、小気味よい音をたてて栓を飛ばした。
泡を立て過ぎないように、上手に二人分のグラスにシャンパンを注ぐ。
いくら庶民の私でもドンペリくらいは聞いたことがある。だが家庭で気軽に飲むようなランクの品は名前すら知らない(当然飲んだこともない)。とりあえず酒屋の薦める無難なフランスものを買ったけど…それでよかったのかな。
でもまあ…全然大丈夫そうだな。惣一郎…目尻が下がりっぱなしで、なんだか見ていておかしい。
「では」
惣一郎がグラスを手に取り軽く持ち上げた。私もそれに習う。
軽くグラスを触れあわせると、済んだ音が響いた。
*
お互いバレンタインのバの字も口にしなかったが、食事は和やかにすすみ、前菜があらかた終わった頃、パイもこんがりと焼き上がった。
「いい色に焼けてるねえ…美味しそうな匂いだ…」
冷凍のパイシートを使ったとはいえ、初めてにしては上出来だ。
サーバーでパイ皮を破ると、さくっと軽い音がした。
中からほんわりポルチーニの香りと湯気が立ち上る。
惣一郎のパイ皮と中身を適当に皿にとってやると、はふはふ言いながらうまそうに平らげていく。
「さすがだな…パイ皮と中身のバランスが絶妙だ」
「そ、そうかな」
「塩加減も完璧…おいしいよ、右近」
「そう、ならよかった」
私はすました顔でシャンパンを一口飲んだが、内心褒められて嬉しかった。
自分で食べてみても結構いけるなと思った。こういうこってりしたのは、毎日食べる代物じゃないけれど、たまには目先が変わっていいものだ。
(私も食わず嫌いはやめて、もう少し頻繁に洋食を作ってやろう…)
「熱いうちにもう少しどう?」
「ああ、いただくよ」
私はおかわりを惣一郎の皿に乗せてやる。
惣一郎は残り少なくなった私のグラスに、再びシャンパンを満たしてくれた。
惣一郎は少しペースを落としながら、大学の話しなどしつつおかわりを味わっていた。夏頃に古賀教授がロンドンから戻ってくるそうだ。またうるさいのが帰ってくるとか何とかいいながら、このふたり決してまじで仲が悪いわけではない。現に古賀教授は私たちの『結婚おひろめ食事会』にも、プレゼントを持って駆け付けてくれた。ロンドンから急遽一時帰国してだ。
私たちが入籍するとき、当然学内では惣一郎に対してそれなりの批判があったらしい。後輩の平岡健太から聞いた話では、古賀教授が学長にもかけあい、教授会でも惣一郎が大学に残れるよう、色々と弁護してくれたという。
古賀教授の話が一段落すると、パイを平らげた惣一郎はナイフとフォークを揃えて、かちゃりと皿の上に置いた。
「ごちそうさま、最高に美味しかった。また作ってくれるね」
「うん、気に入ったなら…」
ぢつはクリームソースの濃度と塩加減が気に入らず、一度はシンクに捨ててしまった。やり直して正解だったなと、私はほっとため息をついた。
じゃあそろそろコーヒーの仕度でも、と腰を浮かしたところ、
「…今日は、いったいどういう風の吹き回し?」
惣一郎が冗談めかして尋ねた。
「え…っと」
私はふたたびそろりと椅子に座り直した。
わかってるよ。
私のほうから言わせたいんだろ?
バレンタインのごちそうだよって。
し、しかし…。
「あ、あの…クリスマスの時は悪かったと思って…」
「右近…」
「ばあちゃんにも叱られた」
「え?」
「惣一郎…クリスチャンなのに。『うちでは西洋の祭りはしない』とか、一方的に決めつけて…」
「バカだな。そんなこと気にしてないよ…でも」
言葉を切った惣一郎を私は上目使いに見上げた。
口元を優しく綻ばせながらも、どこか切ない惣一郎の眸とぶつかった。
「これは罪ほろぼし?」
「え…ま、まあ…」
惣一郎がテーブルの上でそっと私の手を握った。
「愛してるよ…右近」
「う、うん」
自分でも思う。
愛してると言われて、うん、てのはないだろう。
わかってはいても、ありったけの感謝を込めてこくこくうなずくしか、私にはできなかった。
去年の春、惣一郎に『交際』を申し込まれて以来、冗談ではなく、もう百回以上も聞かされたかもしれない。最初は男が男に面と向ってよくこんな台詞がはけるなと、心底呆れたものだった。無論、雨あられと降り注ぐ結城先生の『好意』を、学生の頃から感じ取っていたが、「愛してるよ」なんて私は軽々しく言えない。
言えないのに、なんでこんな掟破りの『結婚』したかって?
そ、それは…。
照明を落としたリビングの中、ダイニングテーブルのキャンドルが惣一郎の表情を淡く照らしだしていた。決して押し付けがましくなく、穏やかに見つめてくる眸の中に、私への深い想いが溢れている。私だってそれくらいのことはわかるんだ。
『愛してるよ…』
うん…知ってるよ、そんなこと。200年も前から知ってる。
あの頃は…もごもご(『青嵐』が終わるまでバラしちゃいけないんだ)だったけど。今度は…こうして…一生、惣一郎だけを見て生きていくよ。よく考えたら同じ墓に入るんだ…。前世ではいかに寵愛が深かろうと、藩主の惣一郎と同じ墓など論外、同じ菩提寺に葬られることすら考えられなかった。
高山藩結城家の江戸の菩提寺は江東区の霊巌寺だ。惣一郎が逝ってから、私は何度も足を運び菩提を弔ったし、今の世に生を受けてからも、前世の記憶が蘇った中学の頃、一度花を供えにいったこともある。
大学に入ってからは本物の生まれ変わりに出逢ったから、その必要もなくなったけれど…。
惣一郎は私が黙って見つめ返している間、ゆっくりと重ねた手で私の手の甲を撫でていた。温もりがすっと離れた途端、私ははっと物思いから覚めて顔を上げた。
「コーヒー、私がいれるよ」
惣一郎は椅子から立ち上がると、キッチンに向っていった。
あ…。
またもや私から『愛してる』の言葉をもらえず、惣一郎が静かに落胆しているのがよくわかった。そういう時ほど惣一郎は普段に輪をかけてやさしくなる一一。
キッチンでコーヒーの仕度をする惣一郎を、私は横目でちらちら眺めていた。
惣一郎…。
『ばかもの、何をしておる。はよう渡さんかい!』
ふと耳の奥でばあちゃんの激がとんだ。
そうだ、何のためにデパートまで買いにいってもらったんだ。
私は意を決して椅子から立ち上がり、早足でベッドルームへ向った。クローゼットから隠してあったブツを取り出し、いそいそとリビングへ戻った。
コーヒーメーカーをセットした惣一郎は、ソファでくつろいでいた。TVをつけたがろくな番組をやっていないらしく、一通りチャンネルをチェックした後、ふたたびスイッチを消してしまった。ソファに身を沈めて天井を仰いだ惣一郎が、目を閉じてため息を洩らした。
私は後ろ手にブツを隠しながら、そろそろとソファに近付いた。
背もたれの後ろから、惣一郎の目の前にすっとリボンのかかった箱を差し出した。
「デザートは…これなんだけど」
私が耳もとに囁くと、惣一郎は箱を凝視したまま石のように固まっていた。
「なんだ…チョコレート、嫌いなの?」
手も出そうとしないのに、こちらのほうが焦れてしまった。
「い、いや…ありがたくいただくよ」
惣一郎は掠れた声で呟き、ようやく両手で恭しくチョコを受け取った。
それでも相変わらず無言である。包みをじっと見つめている。
黙り込んでしまうなんて…どうしたんだろう?
え…まさか気に入らないのかな?
こんな女みたいなこと…しないほうがよかった?
相手が何を思っているのか…言葉にしてもらえないって、こんなに不安なものなのか…。
「惣一郎…」
再び後ろからおずおずと呼びかけてみた。
「…こっちへおいで」
惣一郎はようやく私を仰ぎ見て柔らかく微笑んだ。
今生では元師弟だし、昔と違って年齢差も大きい。私としてもこういう時、それを言い訳に素直になりやすかった。言われるままに惣一郎の隣、皮張りのソファに身を沈めた。
惣一郎は膝の上からチョコの包みを取り上げ、
「これ…おまえが買いにいったのか?」
「…う、うん」
「店…女の子でいっぱいだったろう?」
「うん…かなり恥ずかしかったけどね」
嘘も方便。自分で買ったことにしなさい…と、ばあちゃんにも言われている。
「ありがとう…」
惣一郎は深い吐息とともに、しんみりそう言った。
惣一郎は包みをコーヒーテーブルに置くと、胸の中にくるみ込むように私を抱きしめた。私も上質なニットの暖かさと心地よさに黙って頬を預けた。
閉じた瞼に惣一郎の唇が優しく降りてきた。
「どれくらい嬉しいかわかる?」
キスを受けながら、かすかに頭を振ると、
「人生で二番目にハッピーな出来事だ」
「じゃ、一番は?」
「そんなこともわからないのか」
惣一郎が苦笑した。
「おまえと結婚できたこと」
「うん…」
また「うん」しか言えなかったけど、私は惣一郎の肩に額を押し付け、背に両手を回してそっと力を込めた。
伝わるかな…少しは。
好きだってこと…。
惣一郎の側が心地よいってこと…伝わるかな。
私は惣一郎の胸に身体を預けながら目を閉じた。仄かに鼻腔をくすぐる惣一郎のコロンの香りに、不思議なほどの安らぎを覚えた。
静かで満ち足りたふたりだけの夜。耳をすませば、キッチンでコーヒーメーカーがこぽこぽと音をたてていた。
翌朝。(な、殴らんといて ;^^)
遅く目覚めて見れば、ベランダにうっすらと雪が積もっていた。
(夕べの冷え込みは半端じゃなかったからな…)
窓を開けると確かに寒かったが、しんと冷えた空気を思いきり吸い込むと、心があらわれるような気がした。私は換気のためしばらく窓開け放しておいた。めずらしく今朝は惣一郎がまだ寝ている。夕方、編集者との打ち合わせがある以外、急ぎの用はないらしい。
すっきりしたところで窓をしめ、暖房をつけた。
私は朝食の下ごしらえを済ませ、コーヒーをセットした後、ばあちゃんに電話をかけた。惣一郎が起きてくる前に、ばあちゃんに報告しておきたかったのだ。
「ばあちゃん? おはよう、ぼくだよ」
『おお、右近かい? おはよう』
「え…と。その…」
『…ふふ、ちゃんと渡したかい?』
ばあちゃんは口ごもる私の心中などお見通しのようだった。
「うん…渡した」
『で、婿殿は団子が気に入ったのかえ?』
「うん。ふたりで食べたけど、どれもみんな美味しかったよ。ばあちゃん、いいの選んだね」
『うふふふ…そりゃああたしの見立てに間違いはないさ』
誇らしげなばあちゃんの声に、思わず私の頬がゆるんだ。
「ばあちゃん…」
『ん、何だい?』
「ありがとう…」
私は子機を手にしながら、思わず首を垂れていた。
『礼はいらないよ。じゃが右近』
「はい」
『来年は自分で買いにお行き』
ばあちゃんはそう言うと、かかかと明るい笑い声をたてた。
「うん…そうするよ」
夕べの幸せな記憶をたどりつつ、私は頬を熱くしてそう呟いた。
おわり
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