第十回・前編
「下弦の月」in 199×


簡単な背景、キャラ説明はこちら

by 戸田采女

 七月の半ば、子種神社で祭りがあった。この界隈でもっとも早い夏祭りだ。

 愛妻・右近の婆様が縫ってくれた浴衣に身をつつみ、私は右近とふたりで縁日に繰り出した。私の浴衣は生成り地に海松茶の子持ち変り縞。右近のほうは小さい張り子の虎を染め抜いた藍の格子柄だ。ご近所ではとっくにカミングアウトしている私たち。商店街の人たちもごく普通に接してくれる。
「いや〜、結城先生、夫婦で浴衣たあ、しゃれてるねえ!」
すれ違う知人が皆うらやましそうに私達を見る。
そりゃそうだろう。
男といえどもこんな美人妻、東京中探してもいるわけない。

 私は懐手で鷹揚な笑みを浮かべながら、道行く人たちに目礼した。

 境内には提灯が灯り、多くの夜店が軒をつらねていた。りんご飴に綿菓子、いか焼きにフランクフルト。たい焼き、たこ焼き。ヨーヨー釣りに金魚すくい。子供の頃からお馴染みの懐かしい屋台がいっぱいだ。私は小さい頃、買い食いをさせてもらえなかったこともあり、妙にこの種の食べ物に憧れがあった。どれにしようか目移りしたが、やはり真っ赤なりんご飴が私の目をひいた。右近に「いるか?」と目で問うと、桜花のような微笑を浮かべて首を横にふった。

 私は自分の分だけりんご飴をもとめ、次は金魚すくいかなと目を凝らしていると、右近につんつんと袖を引かれた。
「先にお参りしようよ」
「はいはい…」
いつものごとく、私は苦笑しながら右近にひっぱられて本殿へ向かう。
ふたりで下駄をならしながら石畳の参道をいくと、

(む…できるっ)

 本殿前の広場にすっくと立つ、リーバイスのCMに出てきそうなジーンズのケツを見た。
失礼、正確にいうと、青年の美しい後ろ姿を見た。
飾らない白いTシャツの広い背に、引きしまった臀部、長い脚。
素材の良さはどんな装飾をも不要にする…。圧倒的な肉体美である。

 少し近付けば、我々の下駄の音に青年が振り返った。

「あっ」
青年は一瞬驚いたような顔をしたが、すぐさま私と妻に頭を下げた。
「こんばんは、結城先生に奥さん…」
「こんばんは、誠司くん」
やはり君だったか。
誠司はマンションの隣の部屋の住人だ。
「…溝口さん、こんばんは」
私の横で右近がていねいに一礼した。

 隣の誠司は右近と目があうと、惚けたように見つめている。
右近の楚々とした浴衣姿にやられたか…。気持はわかる。
誠司とて信明という、れっきとしたパートナーがいるが、いかんせんあちらは十七歳のお子さまだ。そりゃ若くてぴちぴちした身体は捨て難いだろうが、うちの右近の色っぽさときたら…。

(私がじっくり開発したからな…)

 思い出し笑いをかみ殺していると、
「せんせ〜い!」
噂をすればなんとやら。
信明がフランクフルトを両手にこちらへ駆けてくる。
おお、さすがは十七歳♪
短パンからのぞくスレンダーな足が、なかなかに…もごもごもご。

 ちなみに『先生』とは私のことではない。
誠司は信明の中学時代の家庭教師。
同棲をはじめた今でも、信明は誠司を先生と呼んでいる。

 その信明が石畳の上で凍った。
見つめあう誠司と右近が視界に入ったのだ。
「せんせい…」
もう一声かけたのに、鬼畜な誠司は振り向いてやりもしない。
黒目がちの瞳を潤ませながらも、信明はきっと誠司をにらみつけた。

 たたたっと近寄ると、誠司と右近の間に割って入った。
くるりと誠司の正面を向き、
「ほら、先生、熱々をかってきたよ!」
と、フランクフルトを誠司の口に突っ込んだ。

 ずぼっ…。

「か、過激なことを…」
りんご飴を片手に私は思わず二、三歩後ずさっていた。

(わ、わたしだって滅多にあんなことは…っ)

「最近の若い子は…慎みがなくていかん」
私はよろよろと手近な狛犬にすがりつきながら、うわごとのように呟いた。

 一方、フランクフルトを口につっこまれたまま、誠司はまだ呆然と右近を見つめている。口元はケチャップとマスタードで無惨によごれていた。

 仁王立ちになったまま、口にフランクフルトをつっこまれた誠司。

 はははは…。相当笑える姿のはずだった。

 信明もあちこちから爆笑が上がるのを待っていたはずだ。

 しかし、あたりは水を打ったように静まり返っている。

 右近も笑い出しもせず、背景にバラの花を背負っているかのように、一心に誠司を見つめている。

(な、なんなんだよう!)

 私と信明の心の声が期せずして重なった。


 誠司はようやくフランクフルトの串をもって、ブツを口からひっぱりだした。 
右近は動じた様子もなく、一歩前へ踏み出した。
「じっとして」
懐からすばやく懐紙を取り出し、片手で袂を押さえながら手を伸ばし、誠司の口元をさっとぬぐった。

 一拭きでよくも綺麗にするもんだ、と感心するほど鮮やかな手際だった。

「あ、ありがとうございます」
今頃になって頬を赤らめた誠司に、右近は薄い花びらのような笑みを浮かべた。
「さあ、一緒にお参りしましょう」
右近は何事もなかったかのように、誠司を促した。

「惣一郎…?」

 右近は肩ごしに振り返り、私の姿を探した。

(なんだ…完璧に忘れられていたわけじゃなかったか)

 だが私は思わず身を屈め、狛犬の後ろに隠れた。

「あれ、どこへ行ったんだろう…」
「と、とりあえずお参りしましょう、右近さん」
「ええ…」

(右近さん? い、いつの間に名前で呼ぶようになったんだ? 『結城先生の奥さん』じゃないのか!)

 狛犬の陰で私はぎりぎりと歯をくいしばっていた。
 
 誠司の口にフランクフルトをつっこんだきり、信明の姿もどこかへ消えていた。右近と誠司は我々のことなど忘れたように、仲良くお参りをしている。鈴をがらがら鳴らし、ふたり並んで合掌している。一体何を祈っているのやら…。

 私はふうっと溜息をついた。

 まだ、何かあると決まったわけではない。

 年も近いし、何となく気があっているだけかもしれない。

 だが…右近が隣の誠司に関心を持っているのは間違いない。やはり右近はああいう体育会系タイプが好みだったんだろうか? 私だって学生時代ボートをやってたが、…やはりイメージとしては軟派な優男と言われても仕方ない。しゅううん。

 最近…右近は妙に肌のつやもよく、瞳は以前にも増して濡れ濡れと輝いて…。悔しいが、それは私と右近の夜の生活のせいではない。

 『注意報』は発令されたと考えるべきだろう。

 渡米まであと二ヶ月足らず。
(研究のため9月にワシントンDCの大学へ移ります。つまりはお引っ越し)

 何事もなくやりすごすことができるか…。

 それも私の舵取り次第なのだろうか?

 藍の浴衣からのぞく右近の白い襟足を見つめながら、私は秘かに闘志を燃やすのであった。




 その後、ヨーヨー釣り場でやさぐれていた信明を見つけ、私は彼の御機嫌とりもかねて、四人で飲みにいかないかと誘った。

 少し誠司を牽制しておこうという狙いがあった。

 行き先は、幼馴染みの元大蔵官僚、内藤帯刀が経営するカクテルバーだ。    
 
 商店街のはずれ、重厚なマホガニーの扉を開けると、そこはしっとりた大人の空間…。

 『バー帯刀』

「へえ、こんなところに隠れ家みたいな店があったんですね…」
感心する誠司に、私は得意げに胸をはった。
「ああ、なかなかうまい酒を出す。メニューにはないけど、頼めば美味しい料理も作ってくれるよ、信明くん。お腹すいてるだろ?」
にっこり笑って肩を叩くと、信明は膨れっ面のままこくりとうなずいた。
相変わらず右近のことは見ようともしない。

 店に入ると、普段は洗い場にいる帯刀の弟・玲二が、
「あ、惣一郎さん、いらっしゃい〜」
愛想よく出迎えた。
ここの雰囲気にはいささかミスマッチな茶髪にアロハ。
であるからして、普段は奥に引っ込んでいて接客はしない。

 祭りのせいだろうか? 今日は閑古鳥とみえ、店内に他の客はいなかった。

「あにさま、惣一郎さんが見えたよ」
玲二は二階にむかって声をかけると、間髪を入れずに重量級の足音が上から降りてきた。

「いやん。そうちゃん! 来るなら来ると前もってお電話くらいくれなきゃあ♪」

 喜々としたファルセットで叫ぶと、帯刀は皆の前に姿を現わした。
磨き抜かれたカウンターに片手を置き、カメラ目線ですっくと立つ。
八頭身のなかなかのプロポーションである。

 マスターの内藤帯刀はわが国の最高学府出身。元大蔵官僚だが、オネエがバレて居づらくなり退職に追い込まれた。私の一番古い友人だ。

 なんせ幼稚園からの付き合いなので、私たちは未だに「たーちゃん」「そうちゃん」と呼び合っている。(気持ち悪くなった人は早めにブラウザのバックでお戻りください)

 さて、今日の帯刀のファッションは夏祭りに合わせて、右近と同じ藍色のゆかた。しかし、柄は大柄な牡丹。帯も紅もだったり、さりげにキティちゃんの下駄を履いているのを、私は見逃さなかった。

(ほ、ほめてやらねば…)

 帯刀は竹馬の友。相手の気性は知り尽している。褒めてやらねば大変なことになる。だが、普段雄弁な私も、今夜はいかにしてキティちゃんの下駄をほめようか、咄嗟に言葉が出てこなかった。

「浴衣、よくお似合いですね」
楽の音のような声で右近が嫣然と微笑んだ。
帯刀がうっふんと笑う。
「その意表をついた下駄に、マスターの遊び心があふれてて…素敵です」
「あら、気付いてくれたかしら♪」

 さすが内助の功、すっかり右近に助けられた。

「あなたの浴衣姿も流石ね、右近ちゃん」
「恐れ入ります」

 夫の友人をあくまでたてるしとやかさ。

 今どきこんな妻が日本のどこにいる!!

 私は誇らしさで胸がいっぱいになったが、二人のやりとりに信明と誠司の目は点になっていた。

「あ、あちらが結城先生の御友人ですか?」
「ええ、幼稚園、小・中・高とおなじ、大学は別れましたけど」

 ふうううん、と信明・誠司の嘆息が三度*でハモッた。

「ね、偏差値はあたしの方が高かったのよねっ、惣ちゃん!」
「ああ、その通りだねえ」
苦笑する私の横で、右近がにっこりと笑った。

 この少し変わっているが憎めない友人を、妻の右近が嫌っていないのが私は嬉しかった。

 「誠司くんたち、そっちの椅子にかけたまえ」
カウンターの椅子を指差すと、信明は誠司をさりげに奥へやり、自分が手前に腰かけた。
私は信明の横に、反対側の私の隣に右近が坐ることになった。

 帯刀はカウンターの中に入ると、さっそく信明に声をかけた。
「ぼうや、何がいい? 未成年だからお子さまカクテル作ってあげようか?」
「おこさま、おこさまっていわないでください」
「じゃあ、ウーロン茶でものんどく?」

 せっかくバーに来て、それもつまらないと思ったのか。
「…おまかせします」
信明はぶっきらぼうにそう言った。
帯刀は白い歯を見せてにかっと笑い、
「そうちゃんはいつものでいいのね?」
「ああ。誠司君、スコッチでよければボトル入れてるけど?」
「あ、じゃあごちそうになります」
誠司が信明の向こうからぺこりとうなずいた。

 『帯刀』にいつもキープしているのはザ・グレンリベット12年もの、フレンチオークフィニシュだ。仕上げの熟成時にコニャック用いられるオーク樽に移し替え、その風味を付けたダブル・マチュワード・モルトだ。

「右近は?」

 右近もグレンリベットは好きだが、ここへ来ると一杯目は大体決まっている。

「ギムレット」

 短く言うと、カウンターの中で帯刀が嬉しそうに微笑んだ。ギムレットは帯刀が特に自信を持っているカクテルなのだ。

 薄く微笑んで帯刀と会話する右近を、信明が前髪の隙間から探るような視線で見つめていた。




 帯刀が襷をかけてシェーカーを振り、パフォーマンスが終わると、ひととおり皆に飲み物が行き渡った。信明には傘やなんやら一杯のっかった、トロピカルなカクテルが出た。
「何だかリゾートみたいだな…♪」
いかにもお子さまな飲み物だったが、信明はまんざらでもなさそうだ。

 ひとくち飲むと、
「せんせい、美味しいよう!」
「そうか、よかったな」
誠司が掌で信明の頭をぽんぽんとたたき、カウンターの中の帯刀にぺこりと頭を下げた。

 右近も満足げにグラスを傾けている。
時折、目の端で誠司をうかがっているように思うのは、私の考えすぎだろうか…。

「ねえねえ、ところでこの子、そうちゃんの新しいお稚児さん? 食べちゃいたいほど可愛いわああ〜〜」

「たーちゃん。この子はあちらさんの連れ。平地に乱を起こすようなこと、いわんでくれ」
冗談だとわかっているが、一応私はむっとした風を装った。

「ねえ稚児ってなに?」

 信明が小首をかしげて誠司を振り返った。
お鉢が回って眉をしかめた誠司だが、仕方なく信明に耳うちした。

 目を見開いた信明がくるっとこちらを向いた。私と目が合うなり、ぷるぷるとかぶりを振った。

(なんだ、不本意だとでもいうのか。生意気だな…)

 若干プライドを傷つけられ、私はふんと前を向いた。

 私に睨まれた帯刀は、事態を収拾すべく奥に声をかけた。
「玲二、フライドチキン作ってくれる?」
「はーい、あにさま」

「まあまあ、冗談よ。うちの特製フライドチキン、作ってあげるからかんべんね」
信明は膨れ面で見上げながらも、チキンは好物なのか目がきらりと輝いた。

 ここのフライドチキン、醤油とガラムマサラで味付けした、なかなか摩訶不思議な一品である。あっさりキャノーラ油か何かで揚げている。ケンタのチキンはあまり好まぬ右近も、ここのは喜んで食べる。きっと信明も気に入るだろう。

 相変わらずゆったりカクテルグラスを傾ける右近に、
「あんらあ、右近ちゃんたら済ました顔して。ちっとも動揺しないのね」
帯刀はずいっと顔を近付けて尋ねた。
「え…だって、帯刀さんたら見当違いのことばっかり言うから…」
「くやしいわあ…、正妻の余裕見せつけちゃって!」
大きなガタイをもじもじさせ、ふきんを握りしめる帯刀を、誠司が物珍しげに見つめていた。


後編へ

*三度ってのは例えばドとミの和音。






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