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六月下旬。
浴衣を縫ったから取りにおいでと、ばあちゃんから電話があった。
久しぶりに実家のある南千住の団地を訪れる。
「ばあちゃん、ただいま〜」
一声かけて、合鍵で勝手にあけて入った。
居間へいくと、相変わらずばあちゃんは昼の時代劇を見ていた。「必殺〜」の再放送だ。今回のキャストの中では三味線屋がお気に入りだそうだ。
最近、どうにも膝の具合がいけなくなったばあちゃんのために、父は部屋を三階から一階にかわっていた。防犯上あまりよろしくないのだが、階段がきつくて動きがとれないのだから仕方ない。ドアの外にはお約束のように高齢者御用達の乳母車が置いてあった。これにつかまってぼちぼち買い物にいくのだ。
父が国税局を定年退職するまであと七年。その後、湯河原の温泉に小さな家でも買うつもりらしい。惣一郎と私がそれまでにアメリカから戻っていれば、近所にマンションを借りてやりたいと思っていたが…。実現するかどうかはわからない。
「今日は誰を仕掛けるんだい?」
「呉服問屋の男好きなお内儀だよ」
座椅子に坐ったばあちゃんは、画面を見たまま説明した。
「番頭とできた挙句、人の好い亭主をやりやがった…」
「ふうん…」
「悪い女だねい…」
何も慌てる理由はないのだが、正座した足の先がほんの少しむずむずした。
あとは黙ってふたりで番茶をすする。
一緒に食べようとあんみつを買ってきたが、番組が終わるまではそっとしておこう。
ちゃぶ台の上には塗の器。中には亀屋の固焼き煎餅が入っている。昔と何一つ変わってない。
着物を縫う祖母の横で、公文式の算数のプリントをせっせとこなす自分の姿がふと蘇った。
小学生の時、母が亡くなって以来、祖母とふたりで過ごした午後の情景を、私は懐かしく思い出していた。
高校と大学の受験勉強もばあちゃんとどら焼き食べながら、ほとんど居間の炬燵でしたっけ。その頃のばあちゃんは、もう少し皺も白髪も少なかったような…。
恩師の惣一郎と『結婚』するといった時、父はショックで数日寝込んだ。国税局の同僚や部下に合わす顔がないと、大学院まで出した息子が『嫁』にいくとは何事ぞと、青筋たてて怒りまくったものだ。
あの夜、祖母はちゃぶ台を前にちんまりと坐り、父と息子の口論にじっと耳を傾けていた。父が怒鳴るだけ怒鳴ったあと、ばあちゃんは「いい加減、気がすんだかい?」いわんばかりに、おもむろに口を開いた。
「蔵之助…おまえの同僚の話なぞどうでもいいんじゃ。右近の人生じゃないか? それに、衆道の相手と一緒になろうなんて、よくよくの覚悟だよ。わしらに打ち明ける前に相当悩んだはずじゃ。右近が決心したなら好きにさせておやり」
「お、お母さん、何を言い出すんですか! いくら相手が立派な大学教授とはいえ、ホモの夫婦なんて世間の笑いものだ! 結城先生は有名なだけに余計始末が悪い!」
「なにをおたおたしておる、見苦しいぞ蔵之助!」
「お母さん、うちにもマスコミが来るかもしれませんよ、○ライデーとか…」
「ふんっ…気の小さい男じゃのう…。そんなもん、来おったら来おったで結構。わしの顔写真ならいくらでも撮らせてやるぞ。なんなら腰巻き姿の写真も…」
「お母さん! 何バカなこと言ってるんですか!」
「おまえはなあ…何かといえば世間体を気にしおって…。そんな肝の小さい男に育てた覚えはなかったのに…。だから一生小役人で終わるのじゃ」
「ばあちゃん!そういう言い方はやめなよ!」
「とにかく…私は認めないからな。元男爵の家柄だか何だかしらないが…大事なひとり息子を『嫁』にくれだなんて、こんな人をバカにした話があるか!」
「父さん…」
結局、父は『式』にも出席せず、勘当とはいかないまでも、以来、父との間にはすきま風が吹いている。
お内儀が三味線屋の糸で吊られ、お約束の「婿殿いびり」のシーンで番組が終わると、ばあちゃんは押し入れからいそいそと浴衣を出してきた。
「どうだい?」
「ああ、いい柄だね。こっちが惣一郎?」
生成り地に海松茶の子持ち変り縞。赤みが抑えてあるのが上品でいい。
「ふむ」
ばあちゃんは、あたり、とばかりににんまり微笑んだ。
もう一方の浴衣は藍の格子で、ところどころに張り子の虎の絵が染め抜かれていた。
「こっちが僕だね」
「ふん。…この虎が何かかわいいだろう?」
「ああ。ばあちゃん、いつもありがとう」
ばあちゃんは私にはたいてい青か黒系の着物を用意する。多分私に一番似合う色を心得ているのだろう。
「それを着て、婿殿とふたりで縁日にでもおいき♪」
「ば、ばあちゃん…」
うふうふと微笑むばあちゃんを前に、私は急に涙目になってしまった。
「どうしたんだい、そんな顔をして?」
心配そうに私の顔をのぞきこむばあちゃん。
「婿殿と喧嘩でもしたのかい?」
私はだまって頭を振った。
惣一郎との結婚話が出たとき、親族の中で反対しなかったのはばあちゃんだけだった。その後も正月の着物や肌襦袢、今回の浴衣まで、いつだってばあちゃんは惣一郎の分も一緒に縫ってくれる。目も大分弱っているのに…。「仲良くおやり」と二人を気づかってくれる。
そんなばあちゃんを前に、私の胸はうしろめたさでしくしくと痛んだ。
瞳をうるませたまま、黙りこくっていると、
「ちょっとお待ち」
ばあちゃんは膝が痛いくせに、ちゃぶ台につかまってよっこらしょと身を起こした。再び押し入れから、今度は救急箱を出してきた。
「蔵之助の使いさしだけど…まだ大分残ってるから」
「え…?」
ばあちゃんは、蓋をあけて中をがさごそちとかき回す。
「ほれ…持っておいき。近所の薬屋で買うのは恥ずかしいだろう?」
救急箱が出てきたあたりから、嫌な予感はあったんだ。
しかし目の前に座薬の箱をつきつけられ、
「ば、ばあちゃん…そりは…」
文字どおり私は絶句していた。
青ざめる私を前に、ばあちゃんはしみじみと語った。
「やっぱり男同士だと…辛いんだね。そりゃ、おまえが男と結婚するっていったときは、見事添い遂げてみせい!と激を飛ばしたけど…」
「ばあちゃん、そ、そうじゃなくて…」
「夜の生活のほうはあんまり無理しちゃいけないよ」
「ばあちゃんっ!」
「何なら一度、私から婿殿に…」
「ちが〜うっっ!!」
大声を上げたのち、私はぜいぜいと肩で息をしていた。
「ばあちゃん、やおいサイトでは間違っても×の薬なんか出してきちゃいかんのだ。そういうデリカシーのないこと言うと、ばあちゃん二度と出番はないぞ!」
「ふん…そうかい? だけどこれは、その道の人たちの必需品じゃあないのかい?」
「ばあちゃん!」
「…声が大きいねえ…そんなに怒鳴らなくたって、わかったよ…」
「ったく」
私は特大の溜息をつくと、
「いいからもう…あんみつ食べよう!」
「ほんじゃ、ごちそうになろうかの」
私は救急箱をひったくるようにして、さっさと押し入れにしまい、冷蔵庫へあんみつを取りにいった。
冷蔵庫の前でごそごそしていると、居間からばあちゃんが話かけてきた。
「まあ…とにかく元気でおやり。よかったらぬか漬けを少し持っていくかい?」
「う、うん…」
「後でタッパーに入れてやるよ」
ありがとう…ばあちゃん。○○○○ー○はいらないけど、漬け物なら喜んで。惣一郎もばあちゃんの糠漬けが大好きだよ。
私はじわっと潤みかけた目元をごしごし擦り、あんみつ片手に居間へ戻った。
ばあちゃんの糠漬けは絶品だ。私も結婚後、自分でやってみようと思ったが、いまいちうまくいかなかった。糠漬けを隣にもわけてやろうと思い、少し多めにもらってきた。
夕食前、届けにいくと信明が出てきた。
腹の中ではちっと思ったが、
「あ、信明くん。こんばんは」
「こんばんは‥」
「今日ね、実家に帰った時、少し糠漬けをもらってきたんだ。うちのばあちゃんのお手製で…なかなかいけるんだよ」
お、大人の余裕であくまでもにこやかに!だ。
信明は上目使いに私を見上げ、くんと匂いを嗅いだ。
「なんかぬかみそ臭いですね…」
あたりまえだ。糠漬けなんだからぬかみそ臭いに決まってる。
ばあちゃんの力作にけちをつけられ、正直ムカついたが、
「うん、そりゃあ糠床でちゃんとつけてるからね。デバラの『浅漬けの元』とは大分違うよ…」
ごくあっさりと逆襲した。
しかし、今度は信明がかちんときたのか、
「先生は…こういうの食べつけてないから、好きかどうかわからないですよ…」
刺のある口調で言い返した。
「そうかな? 実家ではよく和食を食べてたって聞いたけど…?」
信明の黒目がちの瞳がきっと私を睨み付けた。
なんでおまえがそんなこと知ってるんだ、といわんばかりだ。
私の中でもむらむらと対抗心が芽生え、もうすこしいぢめてやれと思った。
「…信明くんは食べ盛りだから…やっぱりこってりした肉のおかずが好きなんでしょ?」
「そうですけど」
信明はわずかに頬を膨らませた。
「じゃあ、作るものもそっちばっかになっちゃうよね」
「うちはいいんです。ふたりとも若いから」
「(ぐっ)…」
沈黙するとは、なんたる不覚。
信明はたたみかけるように、
「あっさりしたもんばっかり食べてたら、枯れちゃってスタミナつきませんから」
うぐぐぐ…誠之進にスタミナつけさせて、ななな何をさせようと言うんじゃ〜。おのれ三郎…子供のくせにっ、子供のくせにっ…!!
左手の拳をふるふると握りしめ、喉まででかかっている言葉を懸命に抑えていると、
「こんばんは!」
背後から急に明るい声がかかった。
「先生!」
誠司の声を聞き付け、嬉しげに叫ぶ信明だったが、誠司はまず右近に向かって会釈した。
「右近さん、こんばんは」
「こんばんは…」
私は間の悪さを感じながら、黙って頭を下げた。
いぶかりながらふたりを交互に見やる誠司だったが、
「あ…それは?」
と、右近の手にあるタッパーを指差した。
勇気づけられた私は、
「これは…私の祖母がつけた糠漬けなんですが…、今日たくさんもらってきたのでお裾分けしようと思って」
と、誠司に向かって極上の笑みを浮かべた。
誠司が和食が好きなことくらい、とっくに知っているのだ。きっと泣いて喜ぶに決まっている。こないだうちへ来たとき出した浅漬け、鉢いっぱい食っていったぞ!
それに誠之進だって、夏は漬け物で一杯やるのが好きだったんだ!
気付いたら自信満々で微笑んでいた。そんな私を、信明の黒目がちの瞳がじいっと見つめていた。
この場に漂う微妙な緊張に気付いたのか、気付かぬのか?
誠司は破顔して、
「それはどうも。じゃあ、ありがたく頂戴します!」
私の手からタッパーを受け取った。
すかさず信明に向かって、
「信明、御飯炊けてっか?」
と勢いこんで尋ねる。
「う、うん…」
「今日は外回りで疲れた。はやく飯にしよう!」
「う、うん。じゃあ、肉焼いてくるね」
誠司ににっこり笑ってそう言われては、信明はそそくさとキッチンに戻るしかなかった。
信明が行ってしまうと、
「右近さん。わざわざすみません」
誠司が改めて丁寧に頭を下げた。
「い、いえ…」
「あの…信明、何か失礼なこと言ったかもしれませんが…気にしないでくださいね」
「え、べ、べつに」
この様子だと、ドアの前でのやり取りを少し聞いていたのかもしれない。
「俺…実は大好きなんですよ」
「あ、あの、あの…」
ビロードのような艶のある声で、好きだなんて言われたら…。
右近は胸苦しさにちいさく喘いだ。
「わ、私もですっ」
ほとんど意味も考えず、条件反射のように口走ってしまった。
おそるおそる誠司の顔を見上げれば、なんだかのんびりと微笑んでいる。
「実家でも母が糠床できちんと作ってましたから…なんか懐かしいや」
「あ…漬け物のことですか」
「はい」
「うまい糠漬けがあれば、飯が何杯でも食えます」
「…お好きで、よかったです」
つ…漬け物の話か。そりゃそうだよな…。しゅぅぅぅん。
「…きゅうりになす、みょうがも入ってますから。古漬けになってきたら、洗ってショウガと一緒に刻んで食べてもらっても…」
右近はうなだれて説明すると、
「じゃ」
と頭を下げてドアの前をはなれた。
しばらくドアをあけて見送っていた誠司だが、
「…ありがとうございました」
深い声音で礼を言った。
*
誠司が中へ入ろうとドアを閉めかけたとき、
「結城先生…」
エレベーターの前でじっとこちらを見ている結城惣一郎に気付いた。
「おかえりなさい」
いつものように愛想よく会釈した誠司だが、
「誠司君、こんばんは…」
挨拶を返す惣一郎の声はどこか固かった。
おわり
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