第五回・後編
「下弦の月」in 199×


by 戸田采女

 「ピンポーン…」
ドアフォンが鳴った。

 待ち焦がれていた瞬間がついにやってきた。
右近は大きく深呼吸をすると、エプロンを外して玄関に来客を出迎えにいった。

 ドアを開けると、
「こんばんは…」
スーツ姿の誠司がぺこりと一礼した。
自分の部屋へ帰らずこちらへ直行したらしい。
「いらっしゃい。さあ、どうぞ、おあがり下さい」
「お邪魔します…」
右近に促され誠司は玄関へ入って靴を脱いだ。

 (ふうん…結構、靴、大きいんだ)

 スリッパを出してやりながら、そんな小さなことまで洩らさず観察する右近であった。

 まずは誠司をリビングに案内した。
皮張りのソファに身を沈めた誠司は、
「おお…快適ですねえ。うちのホームセンターのラブソファとは大違いだ」
と、苦笑した。
右近は『ラブソファ』にかちんと反応したが、とりあえずにこやかに煎茶を出した。
「ここはもともと惣一郎がひとりで住んでた部屋なんで…家具は全部彼が選んだものです」
「ああ、そうなんですか。じゃ、文字どおり、身ひとつで嫁に来たわけですね?」

 確かにそうなんだが…。誠司の口から『嫁に来た』と言われて、右近は何とも複雑な気分がした。怪訝そうに見つめていると、
「す、すみません、俺、変なこと言いましたね」
「い、いえ…べつに」
「なんか、御近所の皆さん、なにげにお二人を夫婦扱いしてるもんだから、つい俺たちも…」
誠司はいたずらが見つかった子供のように焦りまくっている。スーツを着た男前のそんな姿がおかしくて、右近はくすくす笑いだしていた。
「…怒ってなんかいませんよ」
「ほんとですか?」
「男同士でパートナーとして暮らしてくなんて、最初はどうなることかと思いましたけど…」
「…けど?」
「なんか、皆さんあっさり認めてくれちゃって。へんなマンションですね、ここって」
「はあ…」
「惣一郎が私のことを『妻です』と紹介しても、皆さんごく普通に挨拶してくださって」
「はあ…なんか、わかるような気がします」
相づちを打つだびに、誠司の声が次第に脱力していった。
「そうでしょうか?」
「結城先生には、その…何ていうか…世間にとやかく言わせない迫力がありますし…。奥さんは…」
「…私がなにか?」
右近が小首をかしげて見上げると、誠司がうつむいてぼそっと呟いた。
「…そこらの主婦が女やめたくなるような、美形ですから。みんな納得したんじゃないですか」

 「そ、それはどうも…」

 面と向かってそう言われても、とりあえず礼を言うしかないだろう。右近はちいさく咳払いをした。

 「…っと。食事、もうできてますけど。まずはビールでも召し上がりますか?」
右近は気分を変えようと、明るくいってソファから立ち上がった。すたすたとキッチンへ戻っていくと、その後を追うように誠司も立ち上がってダイニングテーブルに近付いてくる。
「おお!和食だ!」
既に並べてある、おばんざい系の煮物や和え物を見て、誠司が嬉しそうな声をあげた。
「あ、小柱とわけぎのぬただ! こっちはゼンマイと油揚の煮物、あ、みょうがと茄子の浅漬けなんかもある!しぶいなあ…」

 ふっふっふ。どうだ三郎、まいったか。

 どうせおまえは脂っこい肉料理ばかり誠之進に食べさせてきたのだろう? 昨日、惣菜屋で買っていた品を見て思ったのだ。誠之進はぜったい和食に飢えている、とな。

 「奥さん、この炭の入った容れ物は?」
右近は冷蔵庫から鯵のたたきを取り出しながら、
「ああ、それは後から鶏手羽を網で焼くんです。その後は大根と浅蜊の鍋で締めくくりましょう」
「…なんだか一流料亭みたいだな」
「やろうと思えば、うちでだって簡単にできるんですよ」
いちいち感動する誠司が微笑ましくて、右近も何やら気分が浮き立ってしまう。

 「うーん、このメニューはビールより日本酒ですよねえ…」
「あ、伏見の山田錦100%のお酒もありますよ。そっちにしましょうか?」
「あ、す、すみません…あつかましいことを」
「ほら、お座りください。上着、かけておきますから…」
「あ、どうも」
誠司が脱いだ上着を片手に、ハンガーを取りにベッドルームへ行った。

 思わず顔を押し当てて、匂いを嗅ぐなんてことは………した。




 炭火でこんがり焼けた手羽から、香ばしい匂いが漂ってきた。右近は焼けたものを誠司の皿に取り、柚胡椒を添えて勧めた。
「好きずきですけど…、焼き鳥に柚胡椒っていけるんですよ」
「へえ…初めてだけど、なんかよさげですね」
誠司は素直に目を輝かせて、一口頬張った。
もぐもぐと口を動かしながら、まず鳶色の瞳が見開かれ、次には幸せそうに細められた。

 誠之進も江戸詰めの間に舌が肥え、結構な美食家だった。誠司の味覚も破壊されてなくて幸い、っと右近は満足そうに笑みを浮かべた。

 「…や〜、参ったなあ。どれもこれも手品のように美味ですねえ…」
「お口に合えば嬉しいです…」
右近は殊勝に答えながらも、腹の中では「どうよ、三郎!」と高笑いが鳴り響いていた。

 「奥さん、くろうとはだしの腕前ですね。まさか、結婚前は料亭で修行してたとか?」
思わず、自分の板前姿を想像したではないか? まあ、侍時代から刃物は扱い慣れている。結構似合うかもしれん、と思いながらも、右近は真顔で応えた。
 
 「まさか…。料理はほとんどばあちゃんから習ったんです」
「へえ…」
「ばあちゃんが酒呑みでね」
鯵のたたきに手をのばしていた誠司が、ぶっと吹き出した。
「子供の頃から、大人と一緒に酒の肴みたいなものばかり食べてましたから」
「それ、なんとなくわかります。うちも親が食い道楽で…」
「じゃあ、ひれ酒のひれとか台所のタイルに貼ってあったりして?」
「そうそう!」

 酒好き、魚好き以外には滅多に通じないネタだった。(わかる方…少ないですよね、きっと)
ふたりはひとしきり陽気な声をたてて笑いあった。右近は何だか嬉しくなって、祖母のことを語りはじめた。
「そのばあちゃんがね、時代劇おたくっていうか…。『鬼平』とか『梅安』が好きでねえ…。目が悪くなる前は本もよく読んでました」
「そうですか…」
「私の右近って名もばあちゃん命名なんです」
「…な、なるほど」
「幼稚園の頃は、アナクロで恥ずかしかったんですが…そのうち慣れました」
「…でも、なんか似合ってますよ」
「え…?」
「右近…」

 あああああ…。
いきなりその声で呼びすてにするなんて、反則だ…。どうしよう、心臓が破裂しそうだ…。

 「うん、全然違和感ないですね」
人の気も知らずに誠司は破顔すると、二つ目の手羽に箸をのばした。

 手羽の塩焼きのあとは、揚げたての鰯つみれ団子を出した。生姜味をきかせるのがポイントだ。誠司ははふはふと団子を頬張り、見てて気持ちいいほど豪快に平らげていく。そろそろ御飯も炊けたかな、右近は炊飯器をチェックしにいった。

 誠司は冷酒のグラスを傾けながら、右近に問いかけた。
「ところで右近さん…」
呼び方が奥さんから右近さんに変わっている。一瞬どきりとしたが、誠司に奥さん奥さんと呼ばれ続けるのも、なんだかなあ〜と思っていたところだ。それに「さん」づけならそれ程心臓にも悪くない。

 「さっきの話の続きですが、ご結婚前はどこかにお勤めだったんですか?」

 おのれは…人をOLか何かと思ってるのか?

 思わず脱力しかかった右近だが、御飯の炊け具合が完璧だったので思わず笑みが洩れた。
「k大学で、惣一郎の助手をしてました」
「え…じゃあもしかして、元生徒?」
「はい…学部と院であしかけ六年とちょっと、世話になりましたよ」
「へえ〜」
誠司は感心したようにため息をついた。
「結城先生もやるなあ…」
「でも、付き合ったのは修論の審査が終わってからです」
「え?」
「その…あっちはもっと昔からその気だったらしいですが、こちらが学部生の間はそんな素振りは一切みせまんでした」
「う…」
「そういうとこ…一応、立派というか、ポイント高かったです」
右近は正直なところを口にした。惣一郎がセクハラ教官だったら、おそらく見向きもしないどころか、ふざけるなと蹴りを入れていただろう。

 なぜか黙ってしまった誠司。不思議に思った右近は、
「どうしました? 誠司さん?」
思わず自分も名前で呼んでしまった。
「いや…な、何でもないです」
誠司は慌てて微笑もうとしたが、どこか表情は固かった。話題を変えたいのか、炊飯器を指差していった。
「あ…飯、炊けたんですね?」
「え、はい…。もう御飯がいいですか?」
「…ですね。そろそろ」
テーブルに並べた肴はあらかた片付いていた。
「もうお腹はいっぱい?」
「ええ、大満足ですよ」
「まだ浅蜊と大根の鍋があるんだけど…」
「あ…大丈夫。そんなあっさりしたのなら、まだまだ入ります」
「よかった」

 酒を呑んだあとの〆におすすめの鍋だった。ちょっと行儀は悪いけど、汁を御飯にかけてさらさらといただくのもいい。右近は一人用の土鍋に上等の昆布だしをはり、鍋をコンロにかけた。出汁が煮えたところで、大根の千切りと浅蜊を放り込む。さっと煮てからダイニングテーブルへと運んだ。先程手羽を焼いた炭の余熱で、あとは温度をキープできればいい。

 土鍋の蓋をあけると、ふわりと貝と大根の旨そうな匂いが漂った。お椀に汁と一緒によそい、粉山椒を振りかけて誠司の前においた。

 お椀を手にとって、誠司が一口汁をすすった。
うまそうに喉がなった。誠司はお椀を手にしたまま目を閉じている。相手が目を閉じているのをいいことに、右近はあらためて誠司の顔を正面から観察した。きりっとした一文字眉、すっきり高い鼻梁の線、少し薄めだが形のよい唇…。髪型が違うだけで、誠司は右近が昔愛した溝口誠之進に瓜二つだった…。

「この出汁…泣けそうにうまいですね」
誠司が肩で小さく息をついて目を開けた。

 泣けそうなのは…こっちだ。
胸の奥からせりあがってくるものを堪え、右近は俯いて自分も一口汁を飲んだ。

 どうして…、出会ったのが今なんだろう。
年は近いはずだ。もし…もし…学生の頃出会っていたら…。

 右近は突如としてわき上がった問いを、口にせずにはいられなかった。
「誠司さんは…おいくつですか?」
「えっと、二十四ですが。右近さんは?」
「二十五です」
「あ、ひとつしか違わないんですね。落ち着いてらっしゃるから、三つくらい上かと思ってました」

 そ、そりゃあ、二百年前の記憶もしょってるからな。どうしたって年くって見えるだろう。
「…よく老成してるっていわれます」
誠司はぶんぶんと首を振って、
「そんな意味じゃあ!」
慌てていいつのった。

 やっぱり年下かあ…。どうりでちょっとかわいいはずだ。頭の中に『年下攻め』の文字が、ぽっと浮かんでは消えた。

 「誠司さん、大学は…どちらですか?」
「一応、H大です」
少し照れたように誠司が頭をかいた。

 右近は思わず箸を取り落としそうになった。

 じゃあ何か、もし私がセンター試験の日に事故に巻き込まれず、受験できていたなら…。誠之進と同じ大学に行けてたってことなのか?

 「ま、まあ商学部なんで、そんな偏差値高くないっすよ。右近さんたちは…法学部でしたっけ?」
誠司の問いには直接答えず、右近はぼんやりと呟いた。
「…実はH大の法学部が…私の第一志望だったんです」
「え…そうなんですか?」
「うちは庶民でしたからね。そりゃ国立狙いに決まってます。だけど、受験当日、ちょっと事故にあっちゃって試験を受けられなかったんです」
「それは…何ていったらいいか…」
誠司は気の毒そうに言葉をつまらせた。

 「で、併願で受かったK大にいきました。学費は高いし校風も今いち合わないんで、どうしようかと思いましたが、幸い奨学金がおりたもので…」
「そうだったんですか…」
誠司は神妙な顔で黙りこんでしまった。

 「あ…、貝が煮え過ぎると美味しくないから…、もう少しいかがです?」
「はい…いただきます」

 「…もしかすると、学生時代に右近さんと出会っていたかもしれないんですね…」
「…合格していたら、ですけど」
右近は薄い微笑を浮かべて応えた。
H大を受けられなかったことは、長い間心残りだったが、今は別の理由で切なさが二倍になっていた。

 残酷なものだな。何度生まれ変わっても、誠之進とはすれ違う運命か…。それも、こんな紙一重の差で。

 「…御飯、よそいましょうか?」
「あ、じゃあお願いします」
「この浅蜊のおつゆをかけて食べても美味しいんですよ」

 右近は再び立ち上がってカウンターキッチンの向こうへ戻ると、御飯と香の物を持ってテーブルへ戻った。

 誠司は右近にすすめられた通り、汁を飯にかけてさらさらとかきこんだ。
「なんか、いくらでも飯が食えそうな感じですね、まいったな…」
「おかわり…してくださいね」

 一杯目を平らげた誠司に、右近は二杯目をよそってやろうと立ち上がる。
「…しかし、人の運って不思議なものですね」
「え…?」
「右近さん、H大を受けなかったから、結城先生と出会えたんでしょう?」
「…そういうことに、なりますね」
「人間万事塞翁が馬…ってやつですね」
誠司は鳶色の目もとを和ませて右近を見上げた。
「だって…お二人はとても幸せそうだ」

 「ええ…おっしゃる通りです」

 右近は小さくうなずくと、誠司に背を向けてキッチンへ戻った。

 「お茶…いれますね」

 声が震えていないだろうか? 鼻の奥が熱い…。
右近はやかんを火にかけ、誠司に背を向けたまま、固く目をつぶってこみあげてくる涙を堪えた。

 何を泣くことがあるんだろう…。そう、誠司が言うとおり、幸せじゃないか。立派なマンションに住み、何不自由ない暮らし。こんなに大事にされて…、恥ずかしいくらい自分に惚れている惣一郎…。

 リビングの電話が鳴った。…ああ9時の定時連絡だ。

 右近は指先でそっと涙を拭うと懸命に笑顔をつくった。

 「ちょっと…失礼します」

 誠司に一声かけると、寝室で電話をとろうとリビングを後にした。



第五回おわり




ああ…何か昼メロのようになってきましたねえ…。しかし、こっちの右近ちゃんはお誘いモードもできるんですね。新たな境地を開いてもらおうかな…(にやり)さあ、次は修善寺の温泉か、「合宿から帰った信明が異変に気付く編」にするか…。悩むところですな。






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