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そんなあ…父さんが今日中に帰れるっていうかから、がんばってチキン用意したのに…。
思わず洩れそうになったブーイングをぐっと押さえて、僕は電話口で笑顔を作った。
『じゃあ、明日の午前中には着くんだね』
『ああ、そのはずだ。まったく…ハワイに緊急着陸なんて、えらい目にあったよ…。この真冬に夏服なんか一枚も持ってないぞ…』
『父さん、そりゃ仕方ないよ。そのまま無理して飛んで、どっかに墜ちること思えば、さっさとハワイに降りてくれてよかったんじゃない?』
『しかしなあ…』
受話器の向うから、父さんの特大の溜息が聞こえてきた。
今日はクリスマスイブ。
エンジニアの父さんは、一週間前から地下鉄の仕事でニューヨークに出張。昨日ニューヨークを発ち、ロサンゼルスを経由して今日の昼過ぎに成田へ着くはずだった。
ところが、LAを発ってから数時間後、まさかのエンジントラブルで急遽ハワイに不時着することになった。やばいエンジンを抱えながら、よくそこまでたどり着いたものだと思う。ある意味ラッキーだった。
『…まいったよなあ』
『そう言わずに。せっかくだし、ビーチにでも行っておいでよ』
『うむ…まあ一日やることもないしな』
典型的な仕事人間の父さん。暇を持て余す姿が思わず目に浮かんだ。
僕はくすくす笑いながらも、正直がっかりしたのは否めない。イブには父さんが帰国すると聞いて、僕はローストチキンを焼くぞ!と朝からスーパーに鳥を買いに出かけた。たまねぎとマッシュルームを炒めたのと生パン粉を混ぜて、中に入れる具を作る。それを鳥のお腹に詰めて、しっかりタコ糸で緊縛して(うそうそ!)、あとはオーブンに入れるばかりだったんだ。
僕が小学生で母さんが生きてた頃、何度か手伝ったことがある。その時の記憶をたよりに再現してみようと思ったんだ。ここまでは結構うまくいってた。それなのに…。
『じゃあ、明日待ってるから。父さんも気をつけて』
『すまないな、信明。帰ったら、必ずどっか連れてってやるから』
『はいはい…楽しみにしてるよ。じゃあね』
『ああ』
ピッ。
父さんが電話を切るのを待って、僕は子機をこたつの上に戻した。
「あ〜あ…。詰め物ももう入れちゃったからなあ…。明日焼くってわけにもいかないし…」
すっかり肩すかしを食った僕は、こたつに足を突っ込んだまま、ごろりと横になった。なんだか急にかったるくなってしまった。
だけど、とりあえず焼いておかないと、せっかくの仕込みも台無しだ。ローストチキンは次の日も美味しいから…ま、いいか。後で焼くだけは焼いておこう。
僕はついでに休憩してやれと、そのままぼんやり天井を眺めていた。
(先生…今頃どうしてんのかなあ…)
父さんが帰ってくるからと、朝から忙しく働いている間は忘れてた。だけど、こんな風に手があいてしまうと…また先生のことで胸が一杯になる。
結局、イブはどうするの、なんて聞けなかった。次の家庭教師の予定は26日から28日までの3日間。今年最後の集中授業だそうだ。それはそれで嬉しかったけど、先生がしっかり24、25日を外してたことが僕の心に影を落とした。
やっぱり何かあるのかな…。知りたいけど、確かめるのが恐くて…。
(だけど…何も泊まりのデートと決まったわけじゃないじゃん…。オケの友達と飲み会かもしれないし…、横浜の実家に帰るとか…)
真っ白いクロスの天井を見上げながら、出るのは重い溜息ばかり。我ながらイヤになる。これじゃまるで女の子だ…。いや、今時こんな女の子、いないか…。
そんなに気になるんなら、あっさり聞いておけばよかったんだ。それとも…今から先生のマンションに電話してみるか?
僕は迷った末、再び起き上がると受話器を手に取った。男なら電話くらいかけてみろ!と自分を励ましながら、先生のナンバーを押した。
トゥルルルル…、ルルルル…、
やっぱり留守なのか。コールが7回続いた後、留守番メッセージが流れてきた。僕は最後まで聞かずに途中で電話を切った。
壁の時計を見れば、もうじき3時になろうとしていた。
どうしよう…。
先生、出かけちゃったの? それとも部屋に彼女が来てるとか…?
電話に出ないのはどっちが理由…?
へんな映像が頭に浮かびそうになり、僕は頭をふるふると振って打ち消した。
「先生…」
僕は膝を抱えて丸くなり、こたつ蒲団を顎まで引き上げた。
イブにひとりでいるのが良くないんだろうか。単なる人恋しさで、先生を思い出してしまうのか。自分でもわからなくなっていた。だけど、電話をかけてしまったことで、「確かめたい」という欲求が、僕の中で堰を切ったように溢れ始めた。
「ちょっとでいいから、会いたいよ…」
僕は懸命に先生のマンションを訪れる口実を探した。
『急にわからない問題が出てきて気になって仕方ない』
…明後日が家庭教師の日なのに、なんかとってつけたような理由だ。
僕は再び考え込んだ。誰もいない部屋に、チクタクと時計の音だけが響く。
「…そうだ!チキンがあった!」
『上手に焼けたんで、先生にも一口食べてもらおうと思って…、日頃のお礼です』
うん。これならばっちりだ。絶対変に思われたりしない。よし、これでいくぞ!!
気を取り直した僕は、こたつから飛び出ると、縛り上げた鳥をオーブンに入れるべく、最後の仕上げにかかった。
鳥の表面にオリーブオイルを薄く塗り、塩、胡椒をして、ローズマリーの葉をちょこっと散らす。
鳥ののった焼き皿をオーブンに入れ、後は待つこと80分ほどだ。焼き時間は鳥の大きさに比例するから、温度と時間計算さえ間違えなければ、大失敗は滅多にない。
でも先生に食べさせるんだから、今日は特別。最高の出来上がりを祈りながら、僕は付け合わせの野菜の料理にかかった。
*
4時を過ぎた頃から肉の焼けるいい匂いがあたりに漂い始め、4時半過ぎ、チキンは見事に焼き上がった。付け合わせの人参やブロッコリーはもうスタンバイオッケー。ほんとは今食べたら超美味しいんだけど、ローストチキンは冷めてからも結構いける。オーブンの余熱でじっくり蒸らして、自然に温度が下がるのを待って、僕はチキンを切り分け始めた。
一番美味しいモモと手羽を一本ずつタッパーに入れる。
「うーん…もう少し、足してもいいかな…」
元はといえば、父さんのために用意したチキン。先生にはお裾分けのはずだった。
「でも…先生肉好きだし…」
そう思うとなんだか止まらなくて、結局、胸肉もそいで、ほぼ半身のチキンと詰め物がタッパーに収まってしまった。
(父さん…ごめんね。で、でも一応半分残したし)
父さんのために焼いたチキンなのに、好きな人、それも男の人のところへ届けにいく僕って…あ、とんでもない息子かもしれない…。
*
気がつけば窓の外に暮色が迫っていた。時計を見ればもう五時を回っている。
僕は料理を紙袋につめて、ダウンを着込んでマンションを出た。暮れなずむ街を帰宅途中の人々とすれ違いながら、僕は駅への道を急いだ。
つづく
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