
八の巻「曼珠沙華」3
| by 戸田采女 |
|
根岸、両替商・天満屋の寮。 「日下様、困りましたなあ…。下帯だけは勘弁してさしあげたものを、お二人で木偶のようにただ抱き合っていたのでは話になりませぬ……ねえ、天満屋さん?」 「左様でございます。二十両の借財を帳消しにするという条件なのですから…二十両分のお働きをしていただかないと…。日下様がそんなでは、お嬢様にお縋りするより他ございませぬ…」 娘のことを持ち出された途端、日下は痛々しい程狼狽した。 「…分った。美和のことは金輪際口にするな」 日下の相貌が悔しげに歪んだ。 あろうことか、日下は右近の長年の想い人、溝口誠之進に瓜二つだった。 自分の置かれている状況を一瞬忘れ、『娘を吉原に売る』と脅されている日下に、右近は同情を禁じ得なかった。 日下が右近の耳元にだけ聞こえる声で囁いた。 「櫻田殿…すまぬ。このような辱め、武士として耐えられぬのがあたりまえ…。なれど、お手前を本当に犯すわけではござらぬ。…それらしく絡みおうて見せればよいのだ。…頼む、娘を助けてくれ!」 日下は精悍な目元に涙を滲ませていた。 意識はあるものの、薬で身体の自由を奪われ、本気で抗うこともできなかった。誠之進に似た瞳で見つめられ、さきほどから何度も懇願されては、もはや抵抗する気力も萎えていた。 右近は睫を伏せ、万策尽きたように身体の力を抜いた。 天満屋と近江屋の喉がごくりとなった。 「ふん…やっとそれらしくなってきたじゃねえか」 瑛泉は鼻を鳴らすと、さらさらと画帳に筆を走らせはじめた。 ぴったりと重なりあった胸から動悸の高まりが伝わってくる。 息使いが聞こえるほど近く、お互いを憐れむような視線を交わすうちに、日下の瞳の奥に暗い火が灯った。 誠之進と瓜二つの顔で見つめられ、広い胸に抱き込まれると、右近の血も一気に沸き上がった。 (ばかな!…これは誠之進ではない!) 陶然としかけた自分を右近は激しく叱咤した。 だが朦朧とする頭の中で、誠之進と日下、二人の像は、時に重なりあい、時に離れ、最後には見分けがつかぬほどひとつに溶けあった。 惑乱した右近に追い討ちをかけるように、日下の大きな掌と長い指が右近の肌の上をさまよいはじめた。 (誠之進もこのように、触れてくるのだろうか…) 暖かく、さらりとした掌で撫でさすられ、またもや錯覚に捕われる。 (違う!これは誠之進ではない…流されてはならぬ…!) 右近は僅かに残った理性を必死でかき集め、心の中で叫び続けた。 (これは…誠之進ではないのだ…誠之進が男に触れるなど…ありえぬ……) 「おお…抗いながらも蕩けていくような表情がたまりませぬな」 嬉々とした近江屋の声に、右近は我に帰った。漆黒の瞳にきつい光りが宿った。 (下衆め…きさまなど後で刀の錆にしてくれるわ!) 右近がぎりっと奥歯を嚼む音が聞こえたのか、日下が宥めるように唇を寄せてきた。 思わず顔を背けたが、日下はそのまま右近の首筋に口づけた。 耳の後ろを柔らかく吸われると、甘い疼きがじんわりと広がる。 (こんなことは、あってはならぬ…!) 情けなさに涙が溢れた。こめかみを伝い落ちた涙すら優しく舐め取られ、右近は混乱の極みに達した。 (このままでは、おかしくなってしまう!) 動悸はもはや隠しようがないほど高まっていた。触れあった素肌からお互いの変化を感じる。 ひんやりと冷たかった肌がお互いの温もりであたためられ、鼓動の高まりとともに一気に熱を帯びた。 日下はもはや覚悟を決めたのか、動きにためらいがなくなっていった。 右近の首筋や肩に優しく唇を落としていたのが、ついっと下のほうへ滑り降りていった。 (く、日下殿?!) 「ほれ、もっと可愛がっておあげなされ…」 天満屋のかすれた声が聞こえた。 間をおかずに逞しい両腕で腰を抱かれ、胸の突起を口に含まれた。 右近は思わず力の入らぬ両腕で、日下の肩を押し返そうとした。 舌先で転がすように愛撫されると、名状しがたい感覚が下半身を襲った。 「……んっ」 鼻先から甘い声が洩れそうになるのを、右近は懸命に堪えた。 二人とも下帯はつけたままだったが、日下の昂りが窮屈そうに布を押し上げている。 足の付け根の柔らかい肌に日下の屹立が触れた途端、右近は身をすくませて息を詰めた。 鳥肌がたったのは嫌悪感だけではない。それが一層右近を打ちのめした。 瑛泉は快調に筆を走らせ、一枚、また一枚と下絵が描き上がっていった。 紅い夜具の上で絡み合う二人を、天満屋と近江屋が固唾をのんで見つめていた。 本床の掛け軸の後ろ、覗き穴の向こうでも、この光景に狂喜している男がいた。 絵師の瑛泉だけが、醒めた目で黙々と筆を動かしている。 「…今度は後ろからやってくんな」 淡々と指示を出す瑛泉に、日下は無言で従った。 うつぶせに寝かされた右近は、顔を隠すように敷布の上に押し付けた。 「顔が見えねえよ」 絵師の声には容赦がなかったが、日下は壊れ物でも扱うように、そっと右近の頬に手を添えて頭の向きを変えた。 「もう少しの辛抱でござる…」 日下は宥めるように囁くと、両手を右近の腹の下に差し込んで、腰をぐっと引き寄せた。うつぶせで腰だけ高くあげたような姿態にうろたえ、右近が肩ごしに振り返った。 抗議のまなざしも、日下の懇願するような瞳に絡め取られ、右近はがっくりとうなだれた。四肢に力が入らない以上、日下の腕から逃れることもできない。 やがて、瑛泉の指示で、日下が自分の腰をすりつけるように動き始めた。 背後で息使いが荒くなっていく。 あってはならないことなのに……肌があわ立つ。 右近はたまらず首を左右に振り、弱々しい抗議の声を上げた。 気がつけば双丘の谷間に日下の屹立が直に触れていた。 やんわりと押し付けられ、右近はわずかに背を反らせて喘いだ。 もどかしいような後ろへの刺激で、六尺(褌)の中の右近自身も形を変えていた。 日下も肌を合わせているうちに、妙な気分になってしまったのだろう。 中途半端に高められた己の欲望に屈したのか、今までとは明らかに空気が違う。 もはや瑛泉は指示を出す必要もなく、舌先で唇をなめると夢中で絵筆を走らせた。 日下は右近の腰を強く引き寄せ、獣のような姿勢をとらせる。 双丘の谷間に屹立を押しあて、前後に激しく動かし始めた。 「よ、よせ…!」 演技とは思えぬ動きに、右近は動揺し、叫び声を上げた。 日下は動きを止めるどころか、右近の前に手を伸ばしてきた。 「触るな…っ」 身を捩って逃れようとしたが果たせず、右近自身が日下の手の中に捕らえられた。 張り詰めていたものを布の上から揉みしだかれ、右近は堪え切れずに声を上げた。 薬を盛られたとはいえ、こんなことを許している自分が信じられない。 男に後ろから抱かれ、布越しに触れられるだけで、猥らに前を膨らませるなど…。 (いやだ、こんなのは嘘だ…誠之進!) 日下の動きが頂点に向かって加速する。 激しい律動と手の動きに翻弄され、右近のものも布の下で解放を求めて涙を流していた。 「うっ…あぁ…」 もはや正気を保つ方法などなかった。 右近は愛しい男の顔を、瞼の裏に必死で描こうとした。 少年の頃から、誠之進だけを見つめてきた。 惣一郎に求められていると知りながら、応えることができなかったのは… (せ、誠之進……!) 万にひとつ、こんな日が来ることを、心の奥底で望んでいたからだ。 (誠之進!) 恋心を打ち明けられない、己の怯惰を激しく呪いながら、『友情』という既に手にした安全を、どうしても捨てられなかった。 だが、自分はどんな時にも飢えるほど誠之進を求めていた。 一生清い心で誠之進を愛するのだ…。 そう誓いながらも、身体の奥底では誠之進に欲情していた。 そうだ…認めてしまえ。 誠之進に瓜二つの男に抱かれ、屹立を擦り付けられるだけで、身も世もなく感じてしまうような……無様な己を。 「う、右近どの…!」 ひときわ強い突き上げとともに、日下の身体が大きくニ、三度痙攣した。 生暖かい液体が、右近の双丘をしとどに濡らした。 背筋に震えが走り、右近も少し遅れて達した。 解放の余韻にひたりながら、そのまま崩れるように敷布に身を沈めた。 「誠之進…」 甘やかな吐息とともに友の名が口をついて出た。 背中にぬくもりが被いかぶさってきた。 こめかみにそっと口づけられ、右近は陶然と睫を伏せた。 絵筆を止め、食い入るように見つめる瑛泉や、喉をひきつらせて見物していた男たちなど、もはや眼中にはない。 右近は唇の端に、蕾みが綻ぶような笑みを浮かべていた。 暖かい水底へ沈んでいくような感覚のなか、次の間になだれこむ足音が聞こえた。 たん、と襖が勢いよく開いた。 「………!」 一瞬の沈黙の後、地を這うような声音が響いた。 「…これは、何の冗談だ」 「そ、惣一郎様…?!」 慌てふためく天満屋の声。 「なんでえ!せっかく盛り上がってきたところなのによう…、まったく、不粋な真似をしてくれるぜ」 悪びれもせず、瑛泉が憮然として絵筆を放り投げた。 惣一郎は二人を完璧に無視して、夜具の側へ傲然と歩みよってくる。 右近は冷水を浴びせられたように我にかえった。 睫の間からおそるおそる覗くと、恐ろしいまでに表情を殺した惣一郎が、間近に片膝をついていた。 「この者から離れろ!」 惣一郎は呆然と見上げる日下を、渾身の力で押し退けた。 |
|
Copyright © 2003 戸田采女 All rights reserved. |