八の巻「曼珠沙華」3



by 戸田采女


 根岸、両替商・天満屋の寮。

 八畳に付け書院のある奥座敷では、一間(1m80cm)にわたる本床の前で、異様な光景が繰り広げられていた。
 二本の燭台の大蝋燭の明かりをうけ、緋色の絹夜具の上、二人の武士が下帯姿で絡み合っている。
 反対側の部屋の一角では、画帳を手にした絵師が鋭い視線で夜具の上を凝視していた。

 その他、室内には見物とおぼしき裕福な身なりの町人が二人。
ひとりはこの寮の持ち主、両替屋の天満屋五兵衛。
もうひとりは錦絵版元の近江屋清七だった。


 紅い夜具の上、白磁のような肌を曝して横たわるのは、高山藩中屋敷用人、櫻田右近。漆黒の眸は涙でうるみ、秀麗な眉が屈辱に歪んでいる。
 
 半身を重ねるように横たわり右近を見つめる美丈夫は、元中岡藩上屋敷奥右筆、日下賢吾。現在は浪々の身である。

 衆道ものの枕絵で儲けようという天満屋に、二人はまんまとはめられた。
 
 右近は唐渡りの薬を一服盛られ、日下は借財を盾に強請り同然の手段で、このようないかがわしい場に引き出されたのだった。




「日下様、困りましたなあ…。下帯だけは勘弁してさしあげたものを、お二人で木偶のようにただ抱き合っていたのでは話になりませぬ……ねえ、天満屋さん?」
「左様でございます。二十両の借財を帳消しにするという条件なのですから…二十両分のお働きをしていただかないと…。日下様がそんなでは、お嬢様にお縋りするより他ございませぬ…」

 娘のことを持ち出された途端、日下は痛々しい程狼狽した。
「…分った。美和のことは金輪際口にするな」 
日下の相貌が悔しげに歪んだ。

 あろうことか、日下は右近の長年の想い人、溝口誠之進に瓜二つだった。
自分の置かれている状況を一瞬忘れ、『娘を吉原に売る』と脅されている日下に、右近は同情を禁じ得なかった。

 日下が右近の耳元にだけ聞こえる声で囁いた。

「櫻田殿…すまぬ。このような辱め、武士として耐えられぬのがあたりまえ…。なれど、お手前を本当に犯すわけではござらぬ。…それらしく絡みおうて見せればよいのだ。…頼む、娘を助けてくれ!」

 日下は精悍な目元に涙を滲ませていた。

 意識はあるものの、薬で身体の自由を奪われ、本気で抗うこともできなかった。誠之進に似た瞳で見つめられ、さきほどから何度も懇願されては、もはや抵抗する気力も萎えていた。
 右近は睫を伏せ、万策尽きたように身体の力を抜いた。


 天満屋と近江屋の喉がごくりとなった。

「ふん…やっとそれらしくなってきたじゃねえか」
瑛泉は鼻を鳴らすと、さらさらと画帳に筆を走らせはじめた。


 ぴったりと重なりあった胸から動悸の高まりが伝わってくる。
息使いが聞こえるほど近く、お互いを憐れむような視線を交わすうちに、日下の瞳の奥に暗い火が灯った。
 誠之進と瓜二つの顔で見つめられ、広い胸に抱き込まれると、右近の血も一気に沸き上がった。

(ばかな!…これは誠之進ではない!)

 陶然としかけた自分を右近は激しく叱咤した。
だが朦朧とする頭の中で、誠之進と日下、二人の像は、時に重なりあい、時に離れ、最後には見分けがつかぬほどひとつに溶けあった。

 惑乱した右近に追い討ちをかけるように、日下の大きな掌と長い指が右近の肌の上をさまよいはじめた。
(誠之進もこのように、触れてくるのだろうか…)
暖かく、さらりとした掌で撫でさすられ、またもや錯覚に捕われる。
(違う!これは誠之進ではない…流されてはならぬ…!)
右近は僅かに残った理性を必死でかき集め、心の中で叫び続けた。
(これは…誠之進ではないのだ…誠之進が男に触れるなど…ありえぬ……)



「おお…抗いながらも蕩けていくような表情がたまりませぬな」

 嬉々とした近江屋の声に、右近は我に帰った。漆黒の瞳にきつい光りが宿った。
(下衆め…きさまなど後で刀の錆にしてくれるわ!)
右近がぎりっと奥歯を嚼む音が聞こえたのか、日下が宥めるように唇を寄せてきた。

 思わず顔を背けたが、日下はそのまま右近の首筋に口づけた。
耳の後ろを柔らかく吸われると、甘い疼きがじんわりと広がる。
(こんなことは、あってはならぬ…!)
情けなさに涙が溢れた。こめかみを伝い落ちた涙すら優しく舐め取られ、右近は混乱の極みに達した。

(このままでは、おかしくなってしまう!)

 動悸はもはや隠しようがないほど高まっていた。触れあった素肌からお互いの変化を感じる。
ひんやりと冷たかった肌がお互いの温もりであたためられ、鼓動の高まりとともに一気に熱を帯びた。

 日下はもはや覚悟を決めたのか、動きにためらいがなくなっていった。
右近の首筋や肩に優しく唇を落としていたのが、ついっと下のほうへ滑り降りていった。

(く、日下殿?!)

「ほれ、もっと可愛がっておあげなされ…」
天満屋のかすれた声が聞こえた。

 間をおかずに逞しい両腕で腰を抱かれ、胸の突起を口に含まれた。
右近は思わず力の入らぬ両腕で、日下の肩を押し返そうとした。
舌先で転がすように愛撫されると、名状しがたい感覚が下半身を襲った。
「……んっ」
鼻先から甘い声が洩れそうになるのを、右近は懸命に堪えた。

 二人とも下帯はつけたままだったが、日下の昂りが窮屈そうに布を押し上げている。
足の付け根の柔らかい肌に日下の屹立が触れた途端、右近は身をすくませて息を詰めた。

 鳥肌がたったのは嫌悪感だけではない。それが一層右近を打ちのめした。




 瑛泉は快調に筆を走らせ、一枚、また一枚と下絵が描き上がっていった。

 紅い夜具の上で絡み合う二人を、天満屋と近江屋が固唾をのんで見つめていた。

 本床の掛け軸の後ろ、覗き穴の向こうでも、この光景に狂喜している男がいた。

 絵師の瑛泉だけが、醒めた目で黙々と筆を動かしている。


「…今度は後ろからやってくんな」
淡々と指示を出す瑛泉に、日下は無言で従った。

 うつぶせに寝かされた右近は、顔を隠すように敷布の上に押し付けた。

「顔が見えねえよ」

 絵師の声には容赦がなかったが、日下は壊れ物でも扱うように、そっと右近の頬に手を添えて頭の向きを変えた。

「もう少しの辛抱でござる…」
日下は宥めるように囁くと、両手を右近の腹の下に差し込んで、腰をぐっと引き寄せた。うつぶせで腰だけ高くあげたような姿態にうろたえ、右近が肩ごしに振り返った。

 抗議のまなざしも、日下の懇願するような瞳に絡め取られ、右近はがっくりとうなだれた。四肢に力が入らない以上、日下の腕から逃れることもできない。


 やがて、瑛泉の指示で、日下が自分の腰をすりつけるように動き始めた。
背後で息使いが荒くなっていく。
あってはならないことなのに……肌があわ立つ。
右近はたまらず首を左右に振り、弱々しい抗議の声を上げた。

 気がつけば双丘の谷間に日下の屹立が直に触れていた。
やんわりと押し付けられ、右近はわずかに背を反らせて喘いだ。

 もどかしいような後ろへの刺激で、六尺(褌)の中の右近自身も形を変えていた。

 日下も肌を合わせているうちに、妙な気分になってしまったのだろう。
中途半端に高められた己の欲望に屈したのか、今までとは明らかに空気が違う。

 もはや瑛泉は指示を出す必要もなく、舌先で唇をなめると夢中で絵筆を走らせた。


 日下は右近の腰を強く引き寄せ、獣のような姿勢をとらせる。
双丘の谷間に屹立を押しあて、前後に激しく動かし始めた。
「よ、よせ…!」
演技とは思えぬ動きに、右近は動揺し、叫び声を上げた。
日下は動きを止めるどころか、右近の前に手を伸ばしてきた。
「触るな…っ」

 身を捩って逃れようとしたが果たせず、右近自身が日下の手の中に捕らえられた。
張り詰めていたものを布の上から揉みしだかれ、右近は堪え切れずに声を上げた。
 薬を盛られたとはいえ、こんなことを許している自分が信じられない。
男に後ろから抱かれ、布越しに触れられるだけで、猥らに前を膨らませるなど…。

(いやだ、こんなのは嘘だ…誠之進!)

 日下の動きが頂点に向かって加速する。
激しい律動と手の動きに翻弄され、右近のものも布の下で解放を求めて涙を流していた。


「うっ…あぁ…」

 もはや正気を保つ方法などなかった。
右近は愛しい男の顔を、瞼の裏に必死で描こうとした。

 少年の頃から、誠之進だけを見つめてきた。
惣一郎に求められていると知りながら、応えることができなかったのは…

(せ、誠之進……!)

 万にひとつ、こんな日が来ることを、心の奥底で望んでいたからだ。

(誠之進!)

 恋心を打ち明けられない、己の怯惰を激しく呪いながら、『友情』という既に手にした安全を、どうしても捨てられなかった。

 だが、自分はどんな時にも飢えるほど誠之進を求めていた。
一生清い心で誠之進を愛するのだ…。
そう誓いながらも、身体の奥底では誠之進に欲情していた。

 そうだ…認めてしまえ。

 誠之進に瓜二つの男に抱かれ、屹立を擦り付けられるだけで、身も世もなく感じてしまうような……無様な己を。

「う、右近どの…!」
 ひときわ強い突き上げとともに、日下の身体が大きくニ、三度痙攣した。
生暖かい液体が、右近の双丘をしとどに濡らした。

 背筋に震えが走り、右近も少し遅れて達した。
解放の余韻にひたりながら、そのまま崩れるように敷布に身を沈めた。

「誠之進…」

 甘やかな吐息とともに友の名が口をついて出た。

 背中にぬくもりが被いかぶさってきた。
こめかみにそっと口づけられ、右近は陶然と睫を伏せた。

 絵筆を止め、食い入るように見つめる瑛泉や、喉をひきつらせて見物していた男たちなど、もはや眼中にはない。

 右近は唇の端に、蕾みが綻ぶような笑みを浮かべていた。




 暖かい水底へ沈んでいくような感覚のなか、次の間になだれこむ足音が聞こえた。

 たん、と襖が勢いよく開いた。

「………!」

 一瞬の沈黙の後、地を這うような声音が響いた。

「…これは、何の冗談だ」

「そ、惣一郎様…?!」
慌てふためく天満屋の声。

「なんでえ!せっかく盛り上がってきたところなのによう…、まったく、不粋な真似をしてくれるぜ」
悪びれもせず、瑛泉が憮然として絵筆を放り投げた。

 惣一郎は二人を完璧に無視して、夜具の側へ傲然と歩みよってくる。

 右近は冷水を浴びせられたように我にかえった。
睫の間からおそるおそる覗くと、恐ろしいまでに表情を殺した惣一郎が、間近に片膝をついていた。

「この者から離れろ!」

 惣一郎は呆然と見上げる日下を、渾身の力で押し退けた。

表・「曼珠沙華」4へ


裏・艶本書庫 目次


下弦の月・目次






Copyright © 2003 戸田采女
All rights reserved.