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師走に入った。
今町や高山城下からの御用金と島崎屋の献上米のおかげで、高山藩はなんとか無事に正月を迎えることができそうだ。屋根の雪降ろしに連日忙しく、冬は厳しさを増すばかりだったが、藩士たちの表情は目に見えて明るくなった。とりあえず今年の俸録を支給され、ほっと一息ついたに違いない。今年一年の厄払いとばかりに、干鱈や数の子を片手に朋輩の家に集まり、ささやかな宴会を開くものもあった。
御用金も予定通り集まり、用水路普請の資金もできた。来年の早春から一斉に工事にかかることが決まる。
秋、次席家老・内藤帯刀罷免で揺れに揺れた城中だったが、それも今はおさまり、関心事は別のことに移りつつあった。
*
暮れも押し詰まったある日、中老の榊原、堀、山崎、酒井が今年の執務をほぼ終えて、御用部屋で茶を喫しながら和やかに歓談していた。
「…ところで、溝口様が来年中にも隠居なさるというのは…」
と、榊原が切り出した。
応えて朋輩の酒井が、
「まことかも知れぬな。三郎ぎみが元服されれば誠之進殿はお役御免じゃ。御家老がそろそろ後を任せたいと思うても不思議はない」
「うむ…溝口様が隠居するのは少し早い気もするが…。誠之進殿はおいくつになられた?」
「はて…そういえば、堀殿より五つほど年下であったか?」
「左様にござる」
話題を振られた堀隼人丞が、笑みを浮かべてうなずいた。
「…私よりもお若いが、見識、人格ともにすぐれ、胆力もある。わが藩の家老にもっともふさわしい人物かと…」
「まことに…」
最年長の山崎忠実翁がこくこくとうなずいた。
「実はな…」
声を潜め切り出した山崎翁を、中老三人が見つめた。
「誠之進殿に、我が姪、真紗をもろうていただこうと思うのじゃ…」
「おお、それはそれは…。もう御家老にはお話なさったので?」
「いや、これからじゃが、一度、御家老と誠之進殿を茶会にでもお招きして、それとなく持ちかけてみようとおもう」
「山崎様は昔から誠之進殿贔屓でござったからのう…」
山崎翁は白髪頭を扇で軽く叩いた。
「いやはや…、しかし、誠之進殿はまことに一本気な、気持ちのいい若者ではないか。お手前らも年頃の娘がおれば、ぜひとも嫁がせたいところではないのか?」
「左様、うちの娘はまだ五歳ゆえ…話になりませぬが」
「榊原殿、残念でござったな」
「まことに…」
四人の重臣たちは愉し気な笑い声をたてた。
*
誠之進と三郎をとりまく環境が、日々刻々と変化していく。本人たちの預かり知らぬところで、元服後の三郎の身の振り方、誠之進の家督相続、嫁取りについて、城中では様々な噂が飛び交っている。
西の丸での暖かで優しい日々が、冬の落日のように終わりを告げようとしていた。
*
「誠之進…」
三郎の柔らかな項に顔をうずめながら、誠之進は三郎の呟きを聞いた。
「この冬は…いかがして過ごそう…」
雪国の冬は長い。藩校も十一月で授業は終り、武家の子弟たちは翌年三月まで各々の家で勉学に励む。
三郎が引き取られて六年あまり。
西の丸の館で三郎と過ごした冬を、誠之進は感慨深く思いおこしていた。
付きっきりで素読を教えた初めての冬。
茶の湯の作法を学ばせた十三歳の冬。
漢詩や和歌に親しみ、舞の稽古に明け暮れた昨年…。
今年はふたりが恋仲になって迎える、初めての長い冬だった。
「…学問なり、お稽古ごとなり、三郎ぎみのお心のままに…」
優しく衿をくつろげながら、誠之進は三郎の胸にゆっくり唇を這わせる。
「冬の間は…ずっと一緒にいてくれるのか…」
三郎の声が掠れ始めた。
誠之進は動きを止めて、愛しい主人の顔を下から見上げた
「雪解けを待って用水路の普請が始まるまで…長く留守にするような視察はござりませぬ」
「よかった…」
三郎はほっと息をつき、誠之進の頭を両手でそっと抱きかかえた。
「ずっと一緒にいてくれるのだな…」
「はい…若がうんざりするほど、お側を…離れませぬぞ」
誠之進はくすりと笑みを洩らし、ふたりはどちらからともなく唇を重ねた。三郎のふっくらした唇を味わい、そっと舌を差し入れる。おずおずと迎え入れた三郎が、今度は自分から舌を絡めて誠之進に応えた。深く口づけを交わしながら、誠之進の指が三郎の袴の紐を解き始めた。
夜も更け、離れの外に森々と雪が降り積もっていく。闇につつまれた部屋の中、火鉢の炭が時折ぼうっと紅い光りを放った。やわらかな炭火の温もりの側で、綿入れの下、ふたりは一糸まとわぬ姿で抱き合っていた。人肌のふれあいが心地いいのか、三郎はうっとりと瞼を閉じて言った。
「雪は…いいな」
毎年嫌というほど見ている雪だ。今さら何を、と誠之進は苦笑した。
「雪が積もると、誰も…離れに近付かぬ…」
「…」
誠之進は黙って両腕に力を込めた。
「木戸も開かなくなるくらい…もっともっと積もればよい…」
「若…」
「そなたと二人きり…ずっとここにおりたい…」
そのような事ができれば…。
「夢のように…ござりますな」
誠之進はしばらく言葉を忘れたように、三郎を己が胸に抱き込み、そっと背中を撫で続けた。
*
来年には誠之進に跡を継がせ、隠居しようという父の思惑。誠之進を次の筆頭家老にという信輝公の御内意。三郎の養子先を物色する江戸藩邸。そして、おそらくは閉門になろうとも、水面下で動き続ける内藤帯刀の策謀…。
このままでは三郎と誠之進、二人の幸せはおろか、一緒にいることすらおぼつかない。
いったい、どう…動けばいい?
こんな時、もっとも信頼する友を…失った。三郎とともにあろうとすれば、これからも様々なものを失うだろう。とうの昔に覚悟は決めていたはずなのに。実際に『片腕』をなくした痛みはあまりにも大きく、今の誠之進はそれに耐えるのが精一杯だった。
一間先も見えぬ、吹雪の中に取り残されたがごとく。三郎と誠之進、ふたりのゆく道が見えてこない。
*
「誠之進…いかがした? 何を考えておる…」
黒目がちの瞳が揺れた。案ずるように誠之進の目を覗き込む。
「なにも…」
誠之進は三郎の柔らかい頬に唇を寄せた。
「若のこと以外…何も考えてはおりませぬ」
熱い吐息ととも囁けば、三郎が「うそだ」と小さく首を振る。
三郎は誠之進の心のゆれを敏感に読む。読みながらも決して問いつめたりはしない。
(こんな目をさせてはいけない…)
右近に去られた衝撃は大きく、誠之進はかつてない程弱気になっていた。
三郎は何とはわからねど、誠之進の迷い、不安を漠然と感じ取っている…。
(斯様なことでは…とてもこの先やっていけぬぞ。しっかりせぬか…!)
誠之進は己にも言い聞かせるように、真摯な声音で呟いた。
「若のお幸せだけを…考えていきまする」
「誠之進…」
潤んだ瞳がひたと誠之進を見た。
(そう…それだけを見据えていけばよい。余計なことを考えてはならぬ…)
誠之進は口元に笑みを浮かべる。
「若は…私がお守りします」
「あ…」
「決して、悲しい思いはさせませぬ…」
「な、なれど…!」
「三郎ぎみ…」
不安をつむぐ唇を、そっと唇で塞いだ。
羽毛のように軽く触れあえば、三郎の頬にうっすらと笑みが広がった。
やさしく溶け合う吐息が、ふたりを酩酊に誘う。
口づけは次第に深くなり、抱き締める腕に力がこもった。
三郎の肌の下に柔らかく熱がこもる。
脚と脚が絡み合い、お互いのものを擦り付けるように腰が揺れた。
三郎がもどかしげに眉を寄せ、きつく誠之進にしがみついた。ぴったり合わさった胸元から、三郎の甘い肌の匂いが立ちのぼる。誠之進はゆっくりと三郎の身体をおし開き、誘われるように己自身を深く埋没させた。
しなう背を抱きしめながら、静かにお互いを高め合うように誠之進は腰をうごめかせた。ひそやかな三郎の喘ぎは、やがてすすり泣きに変わり、誠之進の鼓膜を妖しく震わせた。
愛しい温もりを互いの肌で確かめながら、主従はひととき浄土の夢を見る。
*
いつしか雪は止み、雲が切れた。皓々たる月が冴えた光を放つ。この世の汚れも憂いも…すべてをのみ込んで、降り積もった雪はどこまでも清く、静かに、ただそこに存った。
終
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