十三の巻
「残照」2




by 戸田采女

 「父上っ!」

 「三郎ぎみっ、なりませぬ!」

 制止する堀を振り切って、三郎が紫陽花の陰から躍り出た。疾風のように庭を横切り、白州の砂利を蹴散らし、三郎は誠之進のもとへ突進した。

 平伏する誠之進の上に、三郎が身を投げ出すように覆いかぶさった。
「三郎ぎみっ!」
腰を抜かさんばかりの青木の側で、信輝公はなおも白刃をふりかざしていた。
「三郎!そこを退かぬか!」

 「退きませぬっ!」

 三郎は潤んだ瞳で肩越しに父を睨みあげた。決死の形相にさすがの信輝公もひるんだ。

 「契ったことを罪と仰せなら、私も同罪。どうぞ私ごとお切り捨て下さいませっ…」
喉声に叫ぶと、三郎は誠之進の背にひしとしがみついた。

 あまりのことに声も出なかった誠之進が、ようやく低く震える声で言った。
「三郎ぎみ、そこをお退きなさい…」
「いやじゃ、誠之進っ」
三郎は己が身を押し付けるように、さらにきつくしがみついた。
「三郎ぎみっ…」
「誠之進…」
「…退きなされっ!」
誠之進の手が三郎を押し退けようと動きかけた。
「あれは偽りか、誠之進?!」
首を垂れたまま、誠之進はふたたび石のように固まった。

 「決して離れぬと…誓うたではないか…」

 散華する花びらのごとく三郎が呟いた。

 「誠之進…ひとりで逝ってはならぬ」
「三郎ぎみっ…」
「私を…置いてゆくなっ…」

 もはや誰ひとり言葉を発しなかった。

 三郎は己の身を楯にして誠之進の上に覆いかぶさったまま、浅く息をついていた。

 誰もが呼吸すら忘れたように、折り重なる主従の姿に見入っていた。

 寂々とした夕暮れの庭で、蜩(ひぐらし)がかなかなと鳴いた。

 長い影を落とす白州の上、信輝公は上段に振りかざした刀を納めることもできず、その場に立ち尽くしていた。

 やがて用人の青木が押さえた声音で言った。
「誠之進殿、殿が『和泉守国貞』を賜るそうじゃ。ありがたく頂戴せよ」
家臣を手討ちにしかけ途中でやめた場合、その場をおさめるために用いる方便だった。

 誠之進は白州に額をすりつけて平伏した。

 信輝公は脱力したように刀を降ろした。すかさず小姓が濡れ縁に打ち捨てられた鞘を拾って、公のもとへ走る。小姓が押し頂くように差し出した鞘を手にとり、信輝公は刀を納めた。軽い鍔鳴りの音が続いた。

 信輝公は無言で和泉守国貞を青木に手渡すと、
「…誠之進、即刻西の丸から立ち去れ」
「父上!」
誠之進の側で跪いていた三郎が、泣き濡れた瞳で信輝公を見上げた、
信輝公はわざと三郎と瞳をあわせぬようにして、
「沙汰があるまで屋敷で謹慎しておれ」
力なく言い捨てた。

 慎んで頭を垂れる誠之進の横で、三郎は雷に打たれたごとく呆然と信輝公を見つめた。

 堀隼人丞はようやく紫陽花の茂みから姿を現わした。
「堀…隼人丞殿…」
用人・青木の呟きに、誠之進が肩ごしに振り返った。
「殿…」
堀は信輝公の御前に進みでて膝を折ったものの、白州に目を落としたまま二の句がつげずにいる。 信輝公は堀から三郎に視線を移すと、
「三郎…本日より後見には堀隼人丞をつける」
「父上っ…」
「藤十郎、しかと勤めよ」

 殿様に命じられば否も応もない。
「はっ…」
誠之進にも信輝公にも言いたいことは山ほどあれど、堀は慎んで頭を下げた。

 堀に向かい、誠之進は静かに微笑んでみせた。

 三郎のおかげでお手討ちは免れたが、もはや守役の任は解かれて当然だろう。後任が堀と聞きむしろ安心したのか。誠之進は『三郎を頼む』と堀に目顔で語った。

 信輝公が青木に向かってうなずき、青木が手を叩いて合図すると、どこからともなく目付とおぼしき武士が二人現れた。
青木が低い声で申し付けた。
「誠之進殿を屋敷までお送りせい」
「はっ」
ふたりの武士は誠之進の両脇に周り、罪人を連行するがごとく肘をとって誠之進を立たせた。




 「誠之進に何をするっ…!!」

 弾かれたように三郎が立ち上がり、武士にとびかかろうとした。
「三郎ぎみ、なりませぬっ!」
慌てて堀が引き止める。
「放せ、藤十郎!」
もがく三郎を堀は仕方なく後ろから羽交い締めにした。
文人とはいえ、成人男子の渾身の力で押さえ込まれ、三郎はもはや身動きがとれなくなった。
悔しげに唇をかみながら、三郎は連れ去られる誠之進の後ろ姿をじっと見つめた。

 誠之進はもはや覚悟を決めているのか、一度も三郎を振り返りはしなかった。

 「誠之進…っ」
すがるような瞳で三郎はなおも誠之進の背を追い続けた。

 砂利を踏む足音が遠ざかり、やがてかき消えた。
誠之進と目付の姿が視界から完全に消え、堀も三郎から身をはなした。
三郎は茫洋とした眼差しでその場に立っていたが、やがてゆっくりと信輝公を振り返った。
「三郎…」
泣き濡れた瞳が信輝公を捉えた瞬間、射るような光りを放った。

 「我らは何も悪いことなどしておらぬ…。此度の出奔とて、誠之進が私を助けたい一心で…計画したこと。誠之進が…罰を受けるなど、承服できませぬ!」
激しく語気を強めた三郎に、今度は信輝公がたじろいだ。
「さ、三郎っ…」
「私の養子縁組が斯様なわけありとは…誠之進は一言も申しませんでした」
「なにっ…」
「いたずらに私の不安を煽るまいとしたのでしょう…」
「三郎…」
「誠之進は何もかも自分ひとりの胸の内に納め、ただ私を助けたい一心で…」
三郎は俯いて声を詰まらせた。

 三郎はふたたび面を上げると、
「父上を…、お恨み申し上げまするっ!」

 「これ、三郎ぎみ、お父上に何ということを!」
青木が慌てふためいて腰を浮かせた。

 「誠之進を返してくださりませっ」
三郎の頬をとめどもなく涙が伝っていた。
「誠之進は…罰を受けるようなことなど、何ひとつしておらぬ!」
「三郎ぎみ…」
堪えきれぬ嗚咽に震える三郎の肩に、堀はそっと手をおいた。
見捨てられたような三郎の姿は哀れを誘い、堀はそうせずにはおれなかった。


 淡い夕闇があたりを包み始めた。
「藤十郎、三郎を西の丸へ」
「はっ」
首を垂れる堀に向かってうなずき、信輝公と用人の青木は沈鬱な面持ちでその場を去っていった。

 誠之進を呼ぶ三郎の声だけが、いつまでも寂しく宵闇の庭にこだましていた。




 目付に連行され、溝口の屋敷に戻された誠之進。

 病に倒れたはずの父が玄関に出てきた時、誠之進は己がたばかられたことを知る。

 昨日、主膳が倒れたのは事実だが、夏の疲れからのただの立ちくらみだった。しばらく横になり、半刻(一時間)後にはすっかりよくなっていたのだが、西の丸に誠之進を呼びにいった志保が、肝を潰すような知らせを持って戻ってきた。

 息子がそこまで思いきった行動に出るとは、流石の主膳も予測できなかった。

 まことに脳の血管が切れそうになったが、主膳は用人の生島と謀り、誠之進を連れ戻すため、慶次郎をも騙し卒中を装った。

 「父上…」
式台に立つ主膳を呆然と見上げたのち、苦々しく呟く誠之進。
「よう首がつながっておったな…。この愚かものが!」
歯をくいしばり、血走った眼で見上げる誠之進に、
「座敷牢にでも叩き込んでやりたいところだが、生憎我が家にそのようなものはない。離れで頭を冷やせ!」
主膳の怒号が炸裂した。
「父上っ…」

 「見張りをたてて誰にも会わせてはならぬぞ!」




 明和五年六月二十三日。

 筆頭家老・溝口主膳の嫡男、誠之進は藩主・結城因幡守信輝の勘気をこうむり、結城家三男・三郎信尭の守役を罷免された。追って沙汰があるまで屋敷にて謹慎申し付けられる。

 三郎信尭の後見には、代わって中老・堀隼人丞が任命された。

 数日後、信越国境付近の農家の庭先で三郎の馬が見つかった。報告を受けた代官所を通して、三郎の愛馬は城へ返された。

 馬を残したとおぼしき吉田小兵太の行方は、杳として知れない。


残照 了


「残照」1
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壁紙は「空色地図」さんからお借りしています。


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