十三の巻
「残照」1




by 戸田采女

 誠之進、三郎ら一行は湊で馬を暢達し、陸路高山城下へ戻った。

 夕暮れ時、悄然と西の丸に戻った誠之進と三郎を、お福と源蔵が迎える。
「さ、三郎ぎみ…」
誠之進と三郎の姿を見た途端、源蔵は声を震わせてその場に泣き崩れた。
すかさずお福が誠之進の足下に身を投げ出すように土下座した。

 「誠之進様っ…申し訳ござりませぬっ‥」

 溝口家の者に情報を洩らしたのはお福だったのか?
出奔の計画を知っていたのは小兵太とお福だけのはず。
されど誠之進は今さら誰を責める気にもなれなかった。
「もうよい…お福」
誠之進は無力感にひたりながら、淡々と呟いた。

 「母上のせいではござりませぬっ!」
源蔵が涙目で誠之進を見上げる。
「私が…三郎ぎみのお部屋の掃除をした時、手文庫の蓋がずれているので直そうとしたら、中に私や皆様にあてた手紙の山が…」

 誠之進の傍らで三郎が息を飲んだ。

 源蔵は声を震わせながら続けた。
「慌てて母に知らせにいったところへ、ちょうど志保様(誠之進の妹)が誠之進様を訪ねておいでになり…」
父・主膳が倒れたと知らせにきたのだな…。
源蔵のことだ。
心配のあまり大騒ぎしたに違いない。
そこへ志保が現れては、もはやどうしようもなかったろう。
お福の苦しい立場はよくわかる。
「我らの居所を志保に問いつめられ…隠しきれなんだか」
「はいっ…」
声を詰まらせるお福。
誠之進は深い溜息を洩らした。

 三郎は沈鬱な表情でうつむいていた。

 皆の心を思って三郎は書き置きを残したのだろう。だが、そのせいで出奔の計画が知れた。お福も海路、ふたりが蝦夷を目指すことを知っていた。主膳が卒中などと言われれば、もはやしらを切り通すことなどできなんだろう。

 (つくづく運がなかったのだな…)

 主膳が倒れなければ志保が西の丸を訪うこともなかった。すべては巡り合わせと言うほかはない。

 「誠之進、早う主膳を見舞うてやれ」
諦観を滲ませながら、三郎が力なく微笑んだ。

 出奔は頓挫した。三郎の言うとおり、城下に戻った以上、一刻もはやくそうするべきだった。

 「御意…」

 三郎に一礼して、誠之進はそのまま父のもとへ急ごうとした。

 と、その時、
「誠之進!」
慌ただしい足音とともに、堀隼人丞が血相を変えて玄関に飛び込んできた。
「…この馬鹿ものめが!」
間髪をおかずに堀の鉄拳が飛んだ。
倒れこそしなかったが、誠之進は二三歩後ろへよろめいた。
口の中に苦い鉄の味が広がる。

 堀は肩で息をしながら、 
「昨日、生島が泡を食って我が屋敷へ相談に来よったわ。出奔などと…なんと愚かなことをしてくれたのだ」
「…藤十郎殿」
誠之進は返す言葉もなかった。

 二人の仲を見守り、本田家との縁組にただ一人反対してくれた堀。その堀をも裏切っての企てだったからだ。

 「西の丸の慌ただしい様子、やはり誰か嗅ぎ付けたものがおってな。今朝方、『三郎ぎみははいつ関川から戻られるのか』と、青木殿(信輝公の側用人)から某にお尋ねがあった。墓参のあと川下りを楽しまれる予定だが、今夜中には戻るはずと、苦しい言い訳をしておいたわ…」
「…藤十郎殿っ」
またしても敬愛する先輩に尻拭いをさせてしまった…。
慚愧に耐えない眼差し見つめる誠之進に、
「ともかく貴公はすぐに溝口の屋敷へ帰れ」
堀は諭すような口調で言った。
「藤十郎殿、恩に着る…」
誠之進はこの場は堀の言葉に甘え、後日きちんと詫びを入れようとおもった。

 今度こそ、溝口の屋敷へ急ごうと誠之進が表に出ると、
「溝口誠之進殿」
重々しい声音で庭先から名を呼ばれた。

 三郎と誠之進の帰りを待っていたのは堀だけではなかった。

 「殿がお召しじゃ。御案内つかまつる」
裃姿の本丸からの使者は、いかめしい顔つきで誠之進を促した。

 「では、私も父上に御挨拶を!」
すかさず同行しようとする三郎を、
「三郎ぎみは長旅でお疲れでしょう。しばらく西の丸でお休みくださりませ」
っと、使者は礼儀正しく退けた。

 三郎の黒目がちの瞳が不安に揺れた。

 誠之進にある予感が走った。

 誠之進は三郎の目の奥をじっと見つめ返した。
この一瞬に全ての想いを込めて。

 九歳の三郎に初めて会った日から今日までの、三郎を慈しみ、愛おしんできた想いの全てを込めて。

 「誠之進殿、お急ぎくだされ」

 無機質な声音で促す使者に、誠之進は、
「承知」
と短く返した。

 そのまま使者の後について、西の丸を立ち去る。

 「誠之進っ!」
「三郎ぎみ!」
追いかけようとする三郎を堀が懸命に抑えている。

 「藤十郎放せ! 私も誠之進と一緒にっ」
「なりませぬ! ここはひとまずお静まりくださりませ!」
「嫌じゃ、誠之進っ、誠之進一っ!!」

 (三郎ぎみ…)

 傷口から迸る血のような三郎の叫びが、いつまでも誠之進の耳に残っていた。 




 誠之進は室内ではなく、中奥の庭先に案内された。これが何を意味するか、わからぬ誠之進ではない。書院の上段の間には既に信輝公が鎮座し、誠之進が現れるのを待っていた。

 「殿…おつれいたしました」
使者は一言報告すると、一礼してその場を去っていった。
濡れ縁には固く唇をひき結んだ信輝公の側用人、青木忠左衛門がひかえていた。

 誠之進はまず青木に目礼すると、白州に片膝をついて書院奥の信輝公に挨拶した。
「誠之進にござります」

 信輝公からの言葉はなかった。

 誠之進が首を垂れたままひたすら待っていると、ほどなく上座から公が立ち上がる衣擦れの音、ひたひたと向かってくる足音が聞こえた。濡れ縁の板を踏むと同時に足音が止まった。誠之進は平伏する自分を見つめる、信輝公の刺すような視線を感じた。

 「青木、あれを誠之進に見せよ」

 張り詰めた声音で信輝公が青木に命じた。
「御意」
青木は立ち上がって濡れ縁から庭へおりると、懐から紙片を取り出して誠之進の眼前に差し出した。

 (やはり…)

 もはや見ずとも分かっていたが、誠之進は青木の手から紙片を受け取り中を広げた。

 信輝公にとうとう例の怪文書が届いていた。

 「そなたが養子にあれほど反対したのは、斯様な理由(わけ)があったからか?」

 普段、温和な信輝公とは別人のような、芯が凍ったように冷たい声音だった。

 「頼むものはそなたしかいない…そこへ付け込んで三郎を意のままにしたのか?」

 誠之進は答えなかった。

 「誠之進、その身をやつした姿は何ぞ? 関川へ墓参など偽りであろう? そなた、三郎をつれて逃げるつもりであったか?」

 誠之進は石のごとく微動だにしない。

 一切の弁明をしない誠之進に、信輝が声を荒げた。

 「答えよ、誠之進!」




 誠之進が連れていかれた直後、三郎は堀隼人丞とともに城の裏門へと走った。そちら側から中奥の庭に潜入するつもりである。幸い人払いしてあるのか庭番らの姿はなく、ふたりは潅木や紫陽花の茂みに身を隠しながら、首尾よく書院前を見渡せる位置まで近付いた。

 (誠之進っ…)

 西日のさす庭先で誠之進が詰問されている。

 青木の手から小さな紙片が誠之進に手渡された時、三郎と堀は同時に息を飲んだ。

 「誠之進っ…」
堀の唇から、絞り出すような声が洩れた。

 三郎と堀が固唾を飲んで見守るなか、誠之進がようやく重い口を開いた。
 
 「殿…。私は七年前、殿の命を受け、三郎ぎみを加賀屋にお迎えにいった日から、片時も離れず三郎ぎみのお側近く仕え、ご成長を見守ってまいりました…」

 信輝公は固く拳を握りしめ、唇を震わせている。
「今さらそのような話…。聞きとうもない」
「殿っ…」
「…今いちど尋ねる。三郎と割りない仲になったというのはまことか?」

 堀は紫陽花の陰で唇をかんだ。

 (誠之進!…認めてはならぬっ…)

 堀の心の叫びも空しく、誠之進は信輝公と青木の前で静かに首肯した。

 (誠之進っ…)

 己の袴を皺になるほど握りしめ、堀は飛び出していきたいのを懸命に堪えた。その側で、三郎はまばたきもせずに父君と誠之進のやりとりを見つめている。

 じっと俯いていた誠之進が面をあげた。

 「守役の身で若君と契りを交わしたこと…立場にあるまじき振るまいといわれれば、一言もござりませぬ」
「当然じゃ、穢らわしい!」
信輝公が吐き捨てるように言った。

 誠之進は信輝公にひたと視線をあてたまま、眉ひとつ動かさずに罵倒を受け止めた。何といわれようと三郎への愛と忠義に一点の曇りもない。もはやお手討ち覚悟で存念を信輝公にぶつけるのみだった。

 「なれど、三郎ぎみはこの世の誰よりも愛しい…私の命。三郎ぎみに万一事あらば、全てを投げ打ってもお守りする覚悟にござります」
「もっともらしいことを言うでない!」
「いえ。かくなる上は殿に申し上げたき儀がございます」
眦を決して見上げた誠之進に、信輝公は気色ばんだ。
青木の頬にも緊張が走った。
 
 「殿…。ご寵愛深い三郎ぎみと守役の私が契ったこと…穢らわしいと仰るのなら、許せぬと仰るのなら、なにゆえ御自身の手で若をお守りくださりませぬ?! なにゆえ本田家との養子縁組の儀、きっぱりとお断りくださりませぬ?」
「そなた…この後に及んで余に諫言する気か?」

 「恐れながら」

 誠之進はもはや不退転の決意で信輝公に対峙していた。

 「この悪意に満ちた縁組…はっきり申し上げましょう。本田忠直の閨に三郎ぎみを差し出そうなどという、お牧の方様と田安様の下劣な企て…断じて看過できませぬ。殿がはねつけてくださらぬ以上、もはや出奔以外に道はないと考えました…」

 「まだ言うか! この痴れ者が!」

 信輝公は庭先に駈けおりると、手にした扇で誠之進の顔をしたたかに打った。

 誠之進は歯を食いしばり、なおも続けた。
「殿…。御自分の室を貶めるような言葉を口にしとうはないお気持ち、この誠之進お察しいたします。なれど、お方様の御気性は…殿もよう御承知のはず。殿が情けをかけた奥女中がいかなる目にあったか…。その昔、おひろ様が何ゆえ城におられぬようになったか…知らぬとは言わせませぬぞ」

 「誠之進殿っ…お言葉が過ぎますぞっ!」
いよいよ狼狽した青木が目顔で制しながら、鋭く叱責した。
信輝公の貌(かんばせ)は先程よりさらに色を失い、こめかみが震えていた。

 もはやこれまで、と誠之進は瞑目した。

 誠之進は片膝で跪いた姿勢から、居住まいを正して白州に正座した。
ほとんど首を差し出すかのごとく低く頭を垂れた。

 「殿…非礼の数々、お許しくださいませ。此度の出奔は…切腹はおろかお手討ちも覚悟の上。我が命を惜しんでいては事は成せぬ…と。なれど、どうか最後にこれだけはお聞き届けくださりませ」

 「殿っ…」
哀れに思ったのか、側用人の青木が取りなすような声を出した。

 「殿の大切な三郎ぎみを辱めるこの縁組…何としてでもお断り下さいますよう…、伏してお願い申し上げます」

 苦渋に満ちた誠之進の声がかき消えた後、あたりは犯し難いほどの静寂に包まれた。

 端正な横顔に西日を受けながら、誠之進は低く首を垂れたまま巌のごとく動かない。白州に長い影が落ちていた。

 「おのれ…っ」
信輝公は低く呟くと、身を翻して大股で書院の中へ戻った。
「殿っ…」
血相を変えて腰を浮かす青木。
数秒の後、信輝公は小姓の手から大刀をひったくり、乱暴な足音とともに濡れ縁に戻ってきた。
「殿!」
あわてた青木が思わず止めに入ろうとしたが、信輝公は歩きながら鞘を払い、抜き身を下げて一気に庭先へと階段を降りた。
「誠之進、覚悟せい!」

 誠之進の頭上で、『和泉守国貞』の大業物が、西日をうけて禍々しいまでの光りを放った。


つづく


「波濤」3「残照」2
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壁紙は「空色地図」さんからお借りしています。


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