きみの瞳に映るもの 〜戸惑い〜


「陽歌、今度の添乗俺とだから」

次のツアーの渡航者リストを渡しに営業部へ足を運んだ陽歌に、同期の梶 拓巳(かじ たくみ)が声を掛けた。
陽歌は旅行代理店のカウンターで接客業務を担当しているが、ゴールデンウィーク明けから続く修学旅行シーズンは特別に添乗にもかり出される。
女性添乗員がいると女生徒が安心するという理由から、毎年必ず男性と女性の添乗員がペアで担当する事になっているのだ。
添乗員の補佐をするサブ添乗とはいえ、お客様からすれば添乗員に変わりは無く、何度やってもなれない仕事に出発前から緊張するのはいつもの事だ。

だが、今回の添乗で気が重いもう一つの理由が、拓巳だった。 

梶 拓巳は入社直後から陽歌に何度も告白をしている。
180cm以上ある長身、すらりと伸びた手足はとても長く、海外添乗も多い為か女性に対するエスコートもスマートだ。
彫りの深い目鼻立ち、すっきりとした高い鼻、黒目がちな瞳は深めの二重で、薄い唇に浮かぶ笑顔を引き立たせている。
モデルといっても通るであろうその容姿は、すれ違う女性のほとんどが思わず振り返るほどで、かなりモテる。
陽歌に告白しつつも他の女性と遊んでいるという噂は後を絶たず、必然的にそれは陽歌の耳にも入る。

陽歌にとって浮気な男は恋愛対象外だ。誠意の無い男と付き合うつもりは微塵にもないという事は何度も拓巳に告げている。
だが拓巳は強引で、断っても断ってもへこたれず、何度も誘ってくるのだ。
自分に自信がある為、いつまでも首を縦にふらない陽歌に対して意地になっているか、断っている事に気付かない鈍感男であるかのどちらかだと陽歌は思っていた。
何を考えているか解らない、ちょっと女にだらしないいい加減なヤツだが、決して性格は悪くない。
仕事は出来るし、気が利くし、社交的で誰にでも愛想よく、周囲を明るくするムードメーカーでもある。女癖が悪くなければ本当にイイ男だし、友人としては最高に良いヤツだと陽歌も認めてはいるのだ。

実際に入社して6年、月に一度のペースで告白されるという恒例行事さえ無ければ、拓巳とは良い友人であり続けていると思う。
陽歌の親友の細河亜里沙と拓巳は、入社当時から気が合うらしく、互いを親友だと言ってしょっちゅう行動を共にしていた。その為、陽歌も含んで三人で食事へ行ったり遊んだりと、一緒に行動することがやたらと多いのだ。

これが亜里沙の策であることは、陽歌とて気付いている。
亜里沙は陽歌が拓巳と付き合うことを望んでいるのだ。
だが、たとえ親友の望みであっても、それだけは色んな意味で受け入れることが出来ないでいた。

実際、周囲の目を気にする事無く堂々と会社で告白する拓巳の気持ちが本物だとは陽歌には思えなかった。
最初の頃は戸惑ったり真剣に返事をしていたが、今ではまるで年中行事のようなものだ。6年も告白され続けていると免疫も出来るというもので、最近は一種の虫除け対策なのだろうと思っていた。つまり陽歌を本命と宣言している間は、しつこい女に付きまとわれること無く、割り切った後腐れの無い女と遊ぶ事ができるという訳だ。

良いように使われているような気もするが、拓巳は陽歌にとっても今では良い友人であり、恋人にはなるつもりは無くても、友人としてずっとこの関係が続いていくのならば、カムフラージュの告白ぐらい構わないと、大らかに受け入れているつもりだった。



「毎年の事だけど緊張してるんじゃないか? ま、俺に任せとけ。手配のほうよろしく頼むな?」

拓巳は綺麗にウィンクを決めると、陽歌の肩に両手を置き、正面から真っ直ぐに瞳を捉えて見つめた。
特別な感情が無くても思わずドキッとしてしまうほど、整った顔だ。
彼が修学旅行の添乗を担当すると女子学生が大騒ぎになるだろうと、10日後の事を考えて益々気が重くなった。


「な、何よ? 重いじゃない」

「何? 照れてんの? かーわいい」

「ふざけないでよ。でっかいくせに寄り掛からないで。身長が縮んだら拓巳を恨むわよ」

一瞬胸が高鳴ったのを悟られたようで、気恥ずかしくなり、誤魔化すように手を払いのけた。

「つめてーな。陽歌ちゃん。俺の気持ち知ってんだろ?」

拗ねてみせる仕草も、彼に魅力を感じる女性なら母性本能を擽られ、簡単に堕ちてしまうのだろう。
自分の魅力を知っていて最大限に利用できる計算高さには、流石と舌を巻く思いだ。
だが、そんな事にもすっかり慣れた陽歌にとっては、まったく効果はなかった。


「あのねぇ、何度も言ってるでしょ? 私には好きな人がいるのよ」

「それってさ、例の夢の人だろう? いつまで現実逃避してるんだよ」

チラリと流し目で見られると、違うと否定できなくなり、グッと言葉につまる。拓巳は陽歌が夢に出てくる男性に恋をしている事を知っている。夢から抜け出せず、現実を見ようとしない陽歌を心配する亜里沙が、拓巳と付き合わせようと色々と情報を与えているらしい。

質問を明らかに肯定する陽歌の表情に、拓巳はハアッと大きな溜息を吐くと、突然腰を引き寄せ抱きしめた。
思いがけない拓巳の行動に陽歌は戸惑った。これまでの恒例告白で、ここまでされたことはない。
いや、告白じゃなくても、6年間の友人(?)関係の中で、こんな風に触れられたこともなかった。
人気が無いとは言え、オフィスで拓巳が告白以上の行動に出るとは、想像すらしていなかった陽歌は、突然の事で暫し抵抗どころか声を出すことさえ忘れていた。

「ほら、あったかいだろ? 夢じゃこんな風にはいかないよな?」

あったかい…っていうか暑いわよ!
喉もとまで込み上げた台詞を吐き出そうと勢いをつけて顔を上げたが、拓巳の顔が鼻が触れそうな程近い所にあった為、思わずそのまま飲み込み身構えた。

唇に温かいものが触れる。
緊張にビクリと肩が跳ねた。


「絶対お前を手に入れてやるから、覚悟しとけよ」

唇に触れたのは拓巳の人差し指だった。
そのまま唇をなぞりながら、まるで誓いをたてるように甘く囁く。
流石の陽歌もこの状況には、心臓がバクバクと耳元で鳴って恥ずかしさに顔から火を噴きそうだった。
誰も見ていないとはいえ、いつ誰が来るか解らないオフィスだ。
こんなところを見られたら、ついに拓巳の6年越しの恋が叶ったと、たちまち寿退社の噂が立つだろう。
冗談じゃないと、あわてて離れようとしたが、拓巳は更に腕に力を入れて唇を近づけた。


「夢の中の男なんて、こんな風に抱きしめたりしてくれねえだろうが? 抱いてもくれない。キスもしてくれない。夢で笑ってるだけの男なんて俺が忘れさせてやるよ」


そう言うと拓巳は唇を重ねた。

陽歌との間には、それまで唇をなぞっていた人差し指が挟まれたまま…。
それが強引なようであくまでも陽歌の気持ちを優先する、拓巳の優しさだった。



「いい加減俺を好きになれよ。…俺はもう…夢に喰われているお前を見ていたくない」

甘い吐息と共にゆっくりと離れながら自分に言い聞かせるように拓巳が囁く。

「…もう少しだけ我慢してやるから、そろそろ現実へ戻って来い」

拘束する腕を緩め、陽歌を見つめる瞳の中には、これまでに見たことの無いほどの真剣な気持ちがあった。


これまでの告白もカムフラージュなどではない。拓巳はいつだって本気だったのだと、改めて思い知らされた。

陽歌は拓巳の真剣な気持ちを受け止めることができず、静かに視線を逸らすことしか出来なかった。

拓巳を好きになれたら…

もしかしたら、私の中で何かが変わるのかもしれない。

彼は私を幸せにしてくれるのかもしれない。


一瞬そう思ったことは否定できない。
だがどうしても頷くことはできなかった。
唇が重なったと思った瞬間に思い浮かんだのは、やはり会った事の無い夢の中の彼だったからだ。



あなたは…だれ?

何故私の中に住んでいるの?


拓巳を好きになれば、私は現実の中で幸せになれるのかもしれない。

なのに何故、こんなにもあなたに惹かれるの?



黙り込む陽歌に苦笑しながら、拓巳は優しく「待ってるから…」と言った。




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