きみの瞳に映るもの 〜遺言〜



「それって本当に茜なのか?」

右京が搾り出すように言った。
リビングのソファーに深く座り、右手を肘掛に置き左手はしっかりと蒼の手を包んでいる。
蒼は隣で青ざめた顔をして空(くう)を見つめたまま、何かを深く考え込んでいた。

「おかしくないか? その如月さんが茜だとしたら、生まれ変わりにしては年齢的に合わないだろう?」

「そうなんだ、彼女は見たところ20代後半だ。どう考えても茜の生まれ変わりとは考えられない」

「茜が入院していた頃に知り合って、色々おまえたちの事聞いていたんじゃないのか?」

「いや、それでは茜と僕しか知らない記憶を知っていた事の説明がつかないんだ」

「茜と接点の無い女性だとしたら彼女はどうして茜の記憶をもっているんだ?」

「それがわからないから頭を悩ませているんだよ」

右京が溜息をつきソファーに沈み込むようにして、座りなおす。
隣に座っていた蒼が不意に立ち上がって、「ちょっと待ってて」と言うと部屋を出て行ってしまった。
静かな室内に時計の音だけがやたらと大きく響く。
蒼が戻るのを待つ間、二人はそれぞれに思いをめぐらせていた。
5分ほどして蒼が戻ってきた。手には少し色あせた桜色の封筒を持っており、その目は泣いた後のように赤く潤んでいた。

手にした2通の封書の内、1通は既に封が開けてあり、もう1通が未開封になっている。
蒼は何も言わす開封済みの封筒を差し出した。
晃は震える手でそれを受け取った。

懐かしい茜の文字が現れる。

その内容の切なさに晃はこみ上げて来る涙を抑えることが出来なかった。



〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜

蒼へ


これは私の遺言です。
もしも、私が出産に耐えられなかった時、あなたに頼みたい事があるの。

一つは子どもの事。
母親のいない子どもになってしまう可哀想な子に、私に代わって母親の愛情を与えてあげて欲しいの。
母親にもなっていないのに?ってあなたが言うのが目に浮かぶわ。でも大丈夫よ、蒼は優しいし、子どもみたいな私の我侭をたくさんの愛情で包んできてくれたんだから、ちゃんとママになれるよ。

二つは晃の事。
私がいなくなった後、きっと晃は無理をするでしょう。
決して人前で泣かず、冷静であろうとすると思う。
心が壊れてしまわないかと、とても心配です。

晃にとって、きっと子どもは支えになるでしょう。可愛がって大切に育ててくれると思う。
だけどこれから医者になる為、勉強や研修を重ねる晃にとって、時に大きな足かせになることも事実です。
育児がおろそかになることも、負担になることもあると思う。
そんなときには蒼、あなたが助けてあげて欲しい。
蒼もお医者様になりたいって言っていたから、無理ばかりは言えないけれど、晃にとって頼れるのは蒼と右京だけなのです。
彼は無理をする人だから、何もかも自分でこなそうとするでしょう。
どうか出来るだけ力になってあげて欲しいの。

そして、いつか私以外の女性の話をする事があったら、あなたに託した手紙を晃に渡して欲しい。
彼が再婚を迷ったら、背中を押してあげて下さい。
結婚を決意したらどうぞ祝福してあげて下さい。
晃には誰よりも幸せになって欲しいから、もしも私を忘れても、彼を責めないであげて下さい。

三つめは私の最後の我侭。
病院で友達になった目の見えない女の子がいるの。彼女は事故で両親と目を失って、いずれ伯母さん夫婦に引き取られるらしいの。
両親もいない目も見えない彼女に、私は光を残してあげたいのです。
私の角膜を彼女にあげて欲しい。
両親が死んだ時、私には沙紗姉さんや蒼がいたけれど彼女には誰もいない。
お願い、反対しないで。私に出来る最後の事だから絶対に望みを叶えてね。
18年間、蒼には我が儘ばかり言ってきたけれど、これが最後の我侭です。

何故晃ではなく蒼に頼むのかと、あなたは思うでしょうね。
でもこれだけは私の逝った後の晃に頼む事が出来ないの。
彼は私の髪のひと房、爪の先までも大切にしてくれている。体の一部を誰かに提供することは、晃にとって余りにも残酷だと思うのです。
でも蒼、あなたなら私の気持を分かってくれるよね?
彼女の主治医の水城先生には事情を話してあります。
彼女は和泉陽歌ちゃん。小児病棟に入院しています。

最後の最後まで迷惑かけてごめんね。
蒼、あなたと双子で生まれてきて、私は幸せだったよ。
蒼はいつも、私の分まで頑張ってくれたよね。
学校を休みがちな私のために、頑張って勉強していつも教えてくれた。
運動が満足にできない私の変わりに、頑張っていつも二人分走ってくれた。
いつもいつも、私のために我慢をしてくれたね。本当にありがとう。

何も返してあげられずに先に逝くことを許してね。
いつも護ってもらってばかりでごめんね。
もう、我慢しなくていいからね。

蒼 大好きだよ。
ずっとずっと大好きだよ。
私がいなくなっても寂しがらないで。
私の心はいつもあなたのそばにある。分かるでしょう?
双子だものね。いつだってお互いを感じる事が出来る。

ずっと傍にいるから。
あなたにメッセージを送り続けるから。

あなたの妹でよかった…

あなたが私の姉だった事を、心から誇りに思うよ。

私の姉に生まれてくれて、ありがとう。

4月5日 
高端 茜



晃の目からは涙が零れていた。
晃を見つめる蒼の目にも、大粒の涙が溢れていた。
部屋に戻ってきたとき、彼女の目が潤んでいたのは、別室で手紙を読んだからだったのだろう。

どんなに辛かっただろう。

どんなに寂しかっただろう。

愛するものを残してひとり逝かなければならなかった茜の悲しみが、ひしひしと胸に迫ってきて、涙が止まらなかった。

どんなに生きたかっただろう。

茜の手紙を抱きしめ涙を流す晃に、蒼は封を切ってないほうの手紙を差し出した。

「茜から晃君への手紙よ。いつか茜以外の女性の話が晃君の口から出た時に渡してって頼まれていたの。 たぶん、今日渡すのが正しいと思う」


晃は涙を拭うと、桜色の封筒を受け取りゆっくり開いた。



〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜

晃へ


この手紙があなたに渡ったという事は、あなたの傷が癒えたと思っていいのでしょうか?
蒼にこの手紙を預ける私の心境はとても複雑です。
私のことを忘れてゆくのは寂しいけれど、あなたには幸せになってもらいたい。
いつまでも、私のことだけを想い続けて一人で生きていくなんて、そんな寂しい人生を送って欲しくはありません。
あなたが誰かに恋したのなら、幸せになって欲しいと思います。
もしも想う人ができたのなら、私の事は忘れてください。

あなたと共に歩いた時間はとてもゆるやかで
あなたと共に生きる毎日はとてもおだやかで
あなたと共に過ごしたその一瞬はいつも輝いて見えました。
短い時間だったけれど、一秒一秒がとても満たされていました。
あなたに愛されて、とても幸せでした。
あなたと生きることができて、誰よりも幸せでした。

だから晃、あなたも幸せになって下さい。
私がいなくなった後も、どうぞ幸せでいて下さい。

あなたの幸せをいつも祈っています。


4月5日
  茜


〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜


晃は喉を迫り上げてくる感情に耐え切れず、その場に崩れ落ち咽び泣いた。
晃のそんな姿を見たのは、茜が死んだ後、たった一度きりだった。
右京がしゃがみこみ震える背を擦ると、晃は無言で右京に手紙を渡した。

右京と共にその内容を見た蒼は、右京に縋り泣き崩れ、彼女を支えるように抱きしめた右京の瞳にも涙が浮かんでいた。

窓から吹き込む風がふわりとカーテンを揺らす。


空を染める夕陽は、茜が去った空を思い出させる色だった。





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