きみの瞳に映るもの 〜桜色の便箋〜

年齢制限はありませんが、ラブシーンが含まれます。小中学生はご両親に許可をもらってね


色あせた封筒から出てきたのは、封をしたその時のままの鮮やかな桜色の便箋だった。
16年前、茜がどんな想いを込めてこの封を閉じたのか。
陽歌は手が震えて四つ折の便箋を開くという簡単な動作を上手くできずにいた。
拓巳が陽歌の手首をグッと握る。言葉にしなくても「傍にいるから」と優しい気持ちが伝わってきて、とたんに震えは止まった。
静かに便箋を開き、拓巳がかざす灯りを頼りに二人で文字を追った。
便箋には彼女の性格を表すような角の丸い優しい文字が綺麗に並んでいた。

まるで茜が語りかけるかのように彼女の声が蘇った…。



〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜


陽歌ちゃんへ

18歳のお誕生日おめでとう
この手紙をあなたの伯母さんに、18歳の誕生日に渡してもらうようお願いしました。
あなたはどんな女性になっていますか?
きっと綺麗になったのでしょうね。
今、あなたの瞳には何が映っていますか?

私は18歳の誕生日に夫と結婚式を挙げました。
ちょうど今のあなたの年ですね。
私は愛する人と自分で作ったドレスで結婚式を挙げるのが夢でした。
夫はその夢を叶える為に、結婚式を半年間待ってくれました。

その間に私には赤ちゃんが出来て、この数日の内に出産を迎えようとしています。
愛する人の子どもを産むのは、私にとって叶えられないと思っていた夢でした。
私は今、とても幸せです。

私の体は出産には耐えられないかもしれません。
仮に耐えられたとしても、先は長くないでしょう。
それでもどうしても産みたかったのです。
私の命を受け継ぐものを
私の愛を受け継ぐものを

この手紙があなたの手にあるという事は、私が出産に耐えられなかったということ。
つまり、あなたが私の瞳を受け継いだという事です。
陽歌ちゃん、約束を覚えていますか?

あなたが今18歳なら、私の子どもは5歳になっているはずです。
どうか、私の代わりに会って欲しいのです。
あなたの瞳を通して子どもの成長を見てみたい。
あなたの瞳に映る私の家族の幸せを見てみたい。

お願いします。
どうか私の愛する家族に会わせて下さい。
あなたの瞳を貸してください。
夫に愛していると伝えたい。
子どもに抱きしめてあげられなくてごめんと伝えたい。
二人に一緒に生きられなかったことを許してと伝えたい。

私は生きたかった。
夫と子どもと3人で生きてみたかった。
子どもの成長を見つめていきたかった。
我が子を抱きしめて子守唄を歌ってあげたかった。

私の心の欠片(かけら)をあなたに託します。
どうか私の最後の想いを家族に伝えてください。

陽歌ちゃん
あなたはどんな女性になるのでしょう。
どんな人と結ばれるのでしょう。
いつかあなたがその人と巡りあった時、愛することを恐れずに、自分の気持ちを信じて貫いてくださいね。

あなたの瞳に映るものが、いつも幸福であることを祈っています。

                     4月5日
                     高端 茜

〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜*〜〜〜


手紙を持つ手が震えて、涙で文字が滲んだ
日付は茜が亡くなる前日だった。
あの日帰宅してから書いた物だろうか。この数時間後に陣痛が始まり、彼女は望みどおり母となった。
命を賭(と)してこの世に生命を送り出し、彼女は永遠に旅立ったのだ。

どれほど生きたかっただろう。
どれほど我が子を抱きたかっただろう。
手紙の文字から茜の心の叫びが聞こえてくるようだった。

海から吹く風が頬を伝う涙を煽って空へと舞い上げる。
数滴の雫が手紙の上に落ち、文字が滲んで手紙が泣いている様に見えた。


「遅くなってごめんね。…やっと思い出したよ、あなたとの約束を」



陽歌の中に茜の亡くなる数日前の出来事が蘇ってきた。

エイプリールフールのその日、検診を終えた茜がいつものように病室を訪ねると、病室は惨たんたる有様だった。
花瓶が割れ、ガラスと花びらが部屋に散乱しており、その中に仕付け糸をつけたままの真新しい制服が投げ出されていた。

幸江の説明によると、その日の朝、陽歌の伯母が入学式のために制服を持って訪れたらしい。
事故で小学校の卒業式に出席できなかった陽歌を不憫の思った伯母が、せめて入学式だけは友達と一緒に行かせてやりたいと思い取った行動だったが、両親や友達との思い出に触れた陽歌が感情を抑えきれずヒステリーをおこしたのだ。
「こんな目ではもう誰も友達でいてくれない。パパやママの所へ逝きたい」と言って号泣する陽歌。
自らの置かれた状況を悲観し、死にたいと嘆く彼女を茜は一喝した。

「このまま死んだらあなたは後悔するわよ。いい、良く聞いて?目が見えない事が障害なのではなく、目が見えないと悲観して見るべきものを見失っていることが障害なのよ。あなたの目が見えないから友達が離れていくのではなく、あなた自身が作った壁で友達が近寄れなくなっているの。死にたいなんて言ってはダメ。生きたくても生きられない人は世の中に沢山いるのよ。あなたのご両親のようにね。目が見えないことは劣っているということではないわ。失ったものがあるのなら、それを補う努力をすればいいのよ。何もせず生きることを諦めるなんてご両親に恥ずかしいと思わない? あなたにそんな死に方をさせるためにあなたを産んだわけじゃないわ。この世にはあなたを必要としている人がいる。だからあなたは生かされたの。それを成し遂げずに死を選ぶことは許されないのよ」

普段は優しい彼女の思いがけない強い言葉に陽歌は強い衝撃を受けた。

「…私がパパやママを必要としていたのに、二人は死んだわ。…どうして?」

「…人の死には意味があると私は思うの。私も両親を亡くしたとき、自分のせいだと随分苦しんだわ。でもね、二人の死があったからこそ解った事があった。二人の死があったからこそ出逢えた人がいた。両親は死して尚、私の幸せを願ってくれていたのだと思う。もしかしたら、二人は私たち姉妹が幸せになる為に逝かなければいけない運命だったのかもしれないと思うことがあるわ」

「……私は…幸せになれなくても…パパやママに一緒に…いて欲しかっ…た…っ」

「そうね。でもいつかきっと解る日が来る。今が苦しいのは未来の幸せの為なのよ。どんなに悲しくて辛くても、その経験はいつか幸せのための土台になるの。人生における苦しみに決して無駄なんて無いわ。全てはあなたが幸せになる為に必要なことなのよ」

泣きじゃくる陽歌を茜は優しく抱きとめ、時間を掛けて心を解していった。
やがて太陽が西に傾き、病室が朱に染まる頃、落ち着きを取り戻した陽歌の髪を弄りながら、茜は静かな声で言った。

「陽歌ちゃん、私があなたに目が治る魔法をかけてあげるわ」

「魔法? エイプリールフールの冗談なら、からかうのはやめて。魔法を信じるほど私は子どもじゃないわ」

「からかっている訳じゃないわ。あなたに魔法をかけてあげる。きっとあなたの目は治るわよ」

「………魔法があるならパパやママだって生き返るわよ。…もし本当にこの目が治ったらどんなことでもしてあげるわ」

「…ホント? じゃあ本当に目が治ったら私の願いを叶えてくれない?」

「いいわよ、治せるものならね。願いって何?」

「私の大切な人に会って欲しいの。そして私が出来なかったことを代わりにして、言えなかった言葉を伝えて欲しいの。できるかしら?」

「そんな事? なんだ簡単じゃない。いいわ約束する」

陽歌はこのとき茜が冗談を言っているのだと思い、半分投げやりに返事をした。
今思い返せば、バカにしたような物言いで随分失礼な態度を取っていたと思う。
だが茜はそんな陽歌を抱きしめて、「ありがとう」と言った。

そして、最後に会った日。病室を去る前に、茜はまるで念を押すように、もう一度陽歌に約束を確認した。
茜を帰したくなくて拗ねていた陽歌は「またか」と軽く受け流し、「いいよ。約束ね…魔法使いさん」と冷たく答えてしまった。
そして拗ねたまま泣きながら眠ってしまい、そのまま約束を忘れてしまったのだ。

魔法の本当の意味も知らず…。

茜の愛情の深さにも気付かず…。






「拓巳、私って最低、最低だわ」

全てを思い出した陽歌は、自分の中の毒を吐き捨てるように、忌々しげに言った。

「みんなに護られていたのに、それに気付かず悲劇のヒロインみたいな顔をしていたんだわ。茜さんがどんなに私を思ってくれていたかも知らないで、大事な約束をからかっていると勝手に勘違いして、あっさり忘れてしまったなんて…。なんて馬鹿なの」

情けなさに怒りがこみ上げ、全身がぶるぶると震えた。
手にした便箋が震えてカサカサと乾いた音をたてた。

「茜さんの血の滲む様な心の叫びに気付きもしないで、10年以上も待たせた挙句、約束だけじゃなく、彼女の名前すら忘れていたのよ。記憶の片隅に仲良くしてもらった妊婦さんくらいにしか残ってなかった。私、自分が許せない…」

「陽歌、落ち着けって」

「許せないよ…。私、なんて茜さんに謝ればいいの? どんな顔をして晃先生や暁君に茜さんの気持ちを伝えればいいのよ」

両手で自分を抱きしめるようにその場に蹲る。
込み上げてくる怒りは自分に向けられ、どんどん追い詰められていった。

「私ったら酷いのよ。茜さんが毎晩のように夢を見せたのは、私を洗脳して晃先生を好きになるように仕向けたんじゃないかと思ったの。私の体を乗っ取って晃先生の元へ帰ろうとしているんじゃないかとさえ思っていたのよ。茜さんがどれほど私を大切にしてくれていたかも忘れていたくせに…。どうしようもないくらい酷い奴だよね」

自らの言葉が自身を傷つけ、心が血を噴き出した。

「晃先生が好きなの。どうしようもないくらい好きなの。 10年間夢に見続けてずっとずっと好きだったの。それなのにこの想いは私のものじゃない。茜さんのものなの。私がどんなに想っても叶わないの。茜さんには叶わないの」

「落ち着けよ。俺どうしても分からない事があるんだけど」

「…なに?」

「あのさ。いや…一旦帰ろう。風が冷たくなってきた」

拓巳は陽歌の腕をとり、夜風から庇うように肩を抱いた。
暗闇でも拓巳の足取りはしっかりしていて、心が弱くなっていた陽歌には心強かった。
拓巳の手がいつもより大きく、温かく感じた…。


民宿に戻って部屋に落ち着いたところで、「少しは落ち着いたか?」と拓巳が口を開いた
その時やっと、拓巳が陽歌の気持ちを鎮める為に、わざと少し時間をおいたのだと気付いた。
民宿まで歩く事で冷静さを取り戻し、落ち着いて話せるようにと配慮してくれたのだ。
陽歌が落ち着いたのを見計らって、拓巳は再び話を進めた。

「さっきの話だけどさ、お前が自分を責めるのはおかしいと思うぞ。伯母さんも言ってたじゃないか。術後のお前は精神的に参ってたって…。そんな不安定なお前が約束を覚えている事のほうが難しかったんじゃないか? お前が自分を責めることはないと思うぞ」

「あの時は、何日も高熱が続いてずっと変な夢を見ていたの」

「…また夢か。どんな夢だった?」

「私には姉妹がいて、大きな洋館に住んでいるの。まるで成長記録でも追うように赤ちゃんの私はどんどん大きくなっていくのよ」

「変な夢だな。それで?」

「夢の中での私は色んな経験をしていくの。苦しいことや哀しい事も沢山あったけれど、それでもとても満たされていて幸せだった気がする。目が覚めたときは、まるで何年も大人になったようだったわ。だけどそのせいで、暫くは夢と現実の区別がつかなくて、時々おかしな事を言ったりしたりしたそうよ」

「大変だったんだな。…俺は伯母さんの気持ちが解るぞ。過去の傷を忘れてやっと平穏に生活しているお前に、わざわざ辛い事を思い出させたくは無いさ。茜さんだってわかっているさ」

「……でも茜さんはその後何年も夢でメッセージを送ってきてたわ。きっと早く気づいて欲しかったんだと思う」

「まあ、お前が鈍いのは俺が証明できるからな。何年掛かったってしょうがないかも知れない」

拓巳の突っ込みに「ヒドイ」と苦笑し反論する。緊迫していた空気が緩み少し気持ちが軽くなったのを感じた。
こんな風に自然に場を和ませることが出来るのは拓巳の才能かもしれない。
陽歌の苦しみを少しでも軽くしてやりたいという気遣いが伝わってきて、拓巳を愛することができたら幸せになれるだろうか…。と、陽歌の心は揺らいだ。

「メッセージの夢を最初に見たのはいつごろだった?」

「18歳の誕生日のちょっと前…4月の桜の頃だったわ。…新入生の入学式で受付係をした日だったから日付も覚えているわ。4月6日よ」

「それ、茜さんの命日じゃないか?」

「あ…っ」

茜の意志を感じ、二人は黙り込んだ。
拓巳は暫く何事かを考え込んでいた。

「しつこいかもしれないけどさ、お前俺を選ばないか?」

沈黙を破った拓巳の台詞が告白だった事に陽歌は、自分の心が揺らいだのを悟られたように感じ動揺した。

「な、なんで今、このタイミングでそういう話になる訳?」

「お前、茜さんの最後の望みとやらを叶えてやるんだろ?」

「あ、うん。…ちゃんと叶えてあげなくちゃいけない。 晃先生に会わなくちゃ…」

今、晃に会ったら自分の気持ちを止められるだろうかと、陽歌は不安を感じた。
目を瞑ると鮮やかに笑う晃の顔が浮かぶ。
やはり好きだと思う気持ちに嘘はなかった。

「そんな不安な顔をするなよ。茜さんの願いって、子どもに会って家族の幸せを確かめたいって事だろ? だったらお前はそれを果たすだけでいいんだ。お前が如月陽歌として生きたいと思うなら、特別に感情を同調させる必要は無いんだ」

「……私がなに? 」

「お前が如月陽歌って人格だけで形成されていたら、きっと今ごろ俺に惚れていただろうな」

意味が解らず首を傾げる陽歌から視線を外した拓巳は、悲しげに笑った。

「おかしな話だよな。ついこの間まで、お前は絶対に俺に惚れると思ってた。いつか絶対に振り向かせると思っていたよ。昨日はその反動でお前に酷い事したけど、それでも、今日こうしてお前を支えていられるのは運命だと思ってた」

「……思ってた?」

「そう、思ってた。さっきお前が『茜さんが体を乗っ取ろうとしているんじゃないかと思った』って言うのを聞くまでは」

「……どういう意味?」

「彼女はお前の体を乗っ取ろうとしたんじゃない。彼女はずっと『陽歌』の中で眠っていたんだ。お前は角膜移植の手術をした時、茜さんの一生を夢に見て一緒に体感した。だが目覚めたときそれは茜さんの意識と一緒に記憶の奥に封印された。約束はその時、一緒に潜在意識の中に閉じ込められて記憶から消えたんだと思う。再び封印が解かれるまで…。陽歌、茜さんがお前を乗っ取るんじゃない。二人はあの時から一人の人間として生きてきたんだ。…お前自身が茜さんなんだよ」

拓巳の説明が解らない訳ではなかったが、自分が陽歌であり、同時に茜でもあるという事実は、簡単に受け入れ難かった。
自分が茜ならば、晃が愛しているのは自分だという事になる。
だがそれは、決して陽歌自身を愛してくれているわけではないのだ。

唇を噛んで黙り込んでしまった陽歌に、拓巳は「自分の気持ちを試してみろ」と言った。
肩を抱き寄せられ、拓巳の腕に取り込まれる。
驚いて見上げた陽歌の視線を真面目な顔で受け止め、唇が触れそうな距離で呟いた。

「陽歌、このまま俺を受け入れろよ。お前が愛してくれるなら俺は全力で護ってやるよ。晃先生への想いも、お前の中の茜さんも全部追い出してやる。でもお前が晃先生を愛していて、どうしても他の男を受け入れられないと思うなら…行けばいい。それがお前の選ぶ道なら止める事なんかできないからな」

答えられないでいる陽歌の耳元に、拓巳は痺れを切らしたように唇を寄せた。

「陽歌…好きだよ…」

温かい吐息が耳にかかって、くすぐったい感覚に体がピクンと跳ねた。
それが合図のように拓巳は唇を重ねた。
拓巳の唇は熱を帯びたように熱かった。


拓巳を受け入れよう。

彼はきっと『陽歌』だけを愛して幸せにしてくれる。

茜さんの事も、晃先生の事も、何もかも忘れて夢から解放されたい…。


陽歌は静かに目を瞑ると、拓巳のキスを受け入れた。





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