きみの瞳に映るもの 〜交差する想い〜

年齢制限はありませんが、ラブシーンが含まれます。小中学生はご両親に許可をもらってね


―――彼女に婚約者がいると知って動揺した時、心に浮かんだのは誰の顔だった? それがおまえの気持ちだよ―――


今朝の右京の言葉を思い出し、溜息を吐き出すと晃は星空を見上げた。
習慣になった星を眺める癖。茜は窓から見渡す丘の風景が好きで、リビングでも寝室でもいつも窓辺に座っていた。
四季折々に咲き乱れる花々に幸せな時がいつまでも続くようにと願い、宝石のように煌く夜空に愛する者の幸せを祈っていた。

いつの頃からか、窓からの風景に茜の姿を求めるのが晃の習慣になった。
庭の花々の中に、星降る夜空に、彼女の愛した風景の全てに愛しい姿を求め語りかける。
今夜は星が見えなくて、哀しげに微笑む青白い三日月が見下ろしているだけで、彼女の微笑みは闇に隠れてしまっている。
晃は夜空に茜を求めるのを止め、ベッドサイドへと視線を移した。

サイドテーブルの上には幸せの瞬間を切り取った花嫁が微笑んでいる。
白いドレスで愛を誓ったあの日の純粋な瞳は、今もひたむきな愛を晃に捧げ続けていた。

「茜、君がいなくなって随分経ってしまったんだね。あれから16年も経つなんて信じられないよ。僕にはまるで昨日の事のように思えるのに」

晃はあの日に時を止めたまま、命の尽きるその瞬間(とき)に茜と再会することだけを望んで生きていた。
彼女以外に恋する女性など決して現れないはずだった。
それなのにふとした時に出逢ったばかりの陽歌の事を思い出す。茜の姿を求める度に、その姿が陽歌と重なり心が乱れてしまう。
自分の中に芽生えた気持ちを認められない晃は、茜が否定してくれるのを望むかのように写真に語りかけた。

「…君以外の誰かに恋するなんて…そんな事ありえない。婚姻届を出すとき僕は一生君の魂だけを愛し続けるって誓ったんだ。僕の気持ちはあの日と変わっていないよ」

科学的には不可能なことだと解っていながらも、「必ず還ってくる」という夫婦になった日の約束の言葉を信じていたかった。
茜が陽歌となって還ってきたのだと思いたいから心が乱れているのだと、晃は必死に自分に言い聞かせていた。

「彼女にキスをしてしまったのも、君に重ねてしまうのも彼女が君の記憶を持っているからだ。確かに陽歌さんに婚約者がいると知ったとき、僕は動揺した。あの時僕の心を占めていたのは陽歌さんの婚約者に対する嫉妬だったのは事実だ。僕は彼女と一緒に君が還って来たと信じたかったんだ。…彼女は君じゃないのにね。陽歌さんには彼女の人生があって恋人もいる。もうすぐ幸せな結婚もするだろう。…幸せになって欲しいと思うよ。君の記憶を持った女性が他の男のものになると思うと胸が痛むけどね」

晃は瞳を閉じ深く呼吸をした。暫くそれを繰り返し、乱れる心がゆっくりと治まるのを待ってから花嫁に微笑んだ。

「…ねぇ茜。君は僕に再婚を望んだけれど、僕には君との幸せな思い出があればそれでいいんだ。僕が恋をするのも、もう一度結婚するも君の魂とだけ。どんな形で生まれ変ってきても君を愛する自信はあるよ。でもやっぱり…人間であってくれるのが望ましいね。できれば女であって欲しいなぁ。男とは結婚できないからね」

クスクスと笑いながら引き出しの中のルビーの指輪を取り出し、「君の魂ならどんな形であっても一生傍に置いて愛でるけどね」と一旦照明にかざしてからそれを写真の前に置いた。

「現世ではもう結ばれることはないだろうけど、あの世で再会したら真っ先にプロポーズするよ。もう一度そのドレスを着てくれるよね?」

花嫁は何も答えず、ただ幸せな笑顔で晃を見つめている。
星の無い夜は独りの寂しさが身に沁みて温もりが恋しくなる。腕に抱くことの叶わない花嫁を見つめながら、晃は温もりを求めるように腕を組んだ。


「父さん、何を一人でブツブツ言ってんだよ。…不気味だぞ」

突然声を掛けられ振り返ると、いつの間にか開け放たれた寝室のドアに暁が寄り掛かっていた。

「暁…いつの間に?」

「寝室の外まで声が聞こえてたから魘(うな)されているのかと思ったんだよ。心配して様子を見てやったんだ、優しい息子に感謝してくれよな」

肩をすくめ可愛げのない心配の仕方をする暁に、クスッと微笑んで一人掛けのソファーに座った。
暁も向かい合う形で設置された二人掛けのソファーの中央に身を沈めるようにして深く座った。
暁が晃の部屋に入ったのは数年ぶりだ。珍しく何か話したそうな素振りなので視線で促すと、暁は浅く座りなおした。膝に肘をついて両手を組むと、その上に顎のせる。
暫く晃の顔をじっと見つめていたが、その視線を母親の写真に移してから深い溜息をついた。

「父さん、また母さんの写真に話し掛けていたんだろ? …いつまでそうやって母さんに縛られているつもり? 父さんはまだ若いんだぜ。俺は父さんが再婚を考えるならいつでも祝福するよ。だからさ、そろそろ幸せになれよ」

「なっ…何をいきなり?」

「俺さ、昔から母さんを愛している父さんが好きだったよ。一人の女性をこんなに深く愛して、共に過ごした時間の何倍もの時間を独りで生きるなんて、父さんの愛情の深さには敬服するよ。そんな風にたった一人の女性を愛せるなんて羨ましいと思うし、とても凄いと思う。父さんを見ていると自分の気持ちを誤魔化して逃げてばかりの自分が嫌になってくるよ」 (注1:参照)

暁が素直に父親を好きだと言ったのは小学校低学年の頃が最後だった様に思う。
最近は余り自分から話したがらなかったのに、突然照れもせず真顔で尊敬の念を語りだした事に晃は戸惑った。しかも一度として母親が欲しいと言わなかった暁が、初めて晃に再婚を勧めたのだ。
想像さえしなかった事に、晃は唖然として言葉を失ってしまった。

「んな驚いた顔しなくたっていいだろ? 俺にだって一応父親を尊敬する気持ちくらいあるんだぜ。…まぁ、普段は何かにつけて弄られるから うぜぇって思うことのほうが多いけどな。
でも本当は感謝しているんだぜ。二十歳(はたち)そこそこで母さんを亡くして男手一つで俺を育てたんだ。しかも医者になる勉強も続けながら生活も支えて…。それは並大抵の努力じゃなかったと思う。でも父さんは大変な素振りは全然見せず、俺の前ではいつも笑っていたよな。俺が寂しがらないように母さんの分も愛してくれているのをいつも感じていたよ。だから俺は母さんがいなくても寂しいと思ったことは無かった。でもいつも母さんに語りかけている父さんを見て幼心に思っていた。父さんは寂しいんだろうなって」

暁は一旦言葉を切り、晃の顔を覗き込むように見た。
心を見透かすような目に、晃は動揺を悟られまいと表情を固くして身構えた。

「…父さんは俺がいたから母さんの後を追わなかったんだろ? 随分前に右京父さんがそんな様な事をチラッと言っていたのを聞いた事があるよ。これまで父さんは俺の為に生きてきた。だけどあと数年もすれば俺だって自立していくんだぜ。その時父さんは何を支えにして生きていくんだ? 父さんが一生独りぼっちで寂しく年老いていくのを母さんは望んでいたのか?」

「…いや…茜は…僕が幸せになることを祈っていたよ」

「そうだろう? 母さんと再会する事だけを望みながら生きるなんて、そんな散る為だけに咲く花のような哀しい生き方を母さんは望んでいないだろ? 新しい幸せを見つけて陽だまりの中で生きるべきなんだよ。母さんに遠慮する必要なんて無い。生きている人間は亡くなった人の悲しみを乗り越えて、それでも前へ進まなきゃいけない。それなのに父さんは母さんに心を囚われたまま生き続けている。そんなのは母さんが望んだ事じゃないだろ?」

「…囚われているつもりはない。遠慮しているわけでもないよ。ただ、今まで茜以外の女性に興味が無かっただけだ」

「これまではそうだったかもしれないけどさ、今は違うんじゃない? 父さん昨日のあの人のこと気になってんだろ?」

「っ……!」

「昨日陽歌さんに会ってから、自分の行動が明らかにおかしいって全く気付いていないんだなぁ。いくらあの嵐で来院する人がいないと言っても、診療所を臨時休診にして彼女を送るわ、その足で右京父さんの所へすっ飛んで行くわ…ビックリしたね。普段の父さんならありえないだろ? 帰ってきてからもずっとソワソワしてたと思ったら、朝から妙に凹んでいるし…俺としては見てて楽しいけど、あんまりこれが続いても困るんだよな」

普段冷静な父親が珍しく異常行動を起したのがよほどおかしいのか、暁は思い出してはクックッと喉を鳴らした。
言い返したいところだが、昨日の事に関してはそのとおりなので反論も出来ない。一刻も早く蒼に彼女の事を話さなければいけない気がして、診療所を臨時休診にしてしまったのだから、確かに自分でもおかしいと思う。
朝の出来事も、自分では冷静なつもりだったのに凹んで見えたというのは、流石にショックだった。

「…落ち込んで見えた?」

「この世の終わりみたいな顔してたぜ。今朝右京父さんが来たときもボーっとしてたしな。まるで恋煩いみたいだぜ? 意地張っても良い事無いんだし、いい加減自分に素直になれば? 父さんに恋人ができて喜ぶ人はいても、誰も反対なんてしないさ」

暁は笑顔を残し、静かに部屋を出て行った。


「一目惚れもいいんじゃない? 母さんもきっと喜ぶよ」と言い残して。


『出逢ってひと目で恋に堕ちる事だってあるさ』




昼間の右京の台詞が暁の言葉と重なる。



晃…幸せになって……



茜の声が聞こえた気がした。





+++



長いキスからようやく開放された陽歌は拓巳に組み敷かれ、畳の上に横たわっていた。

唇が首筋を滑り徐々に下へとさがっていくのを感じて身を硬くした。
だが僅かな抵抗はすぐ閉じ込められ、徐々に肌を露にされていく。
覚悟をしたつもりでも身が竦んだ。

「陽歌…。全部忘れてしまえ。俺を求めてくれ」

何度も囁かれる心を蕩(とろ)かす魔法の声。
脅える体を宥める手の優しさに、迷うことの無い愛情を感じた。
茜ではなく陽歌にだけ捧げられる真っ直ぐな気持ちがとても嬉しかった。

拓巳はきっと幸せにしてくれるだろうと思った。

陽歌はゆっくりと手を伸ばすと、拓巳の首に腕を回した。

これでいいのだと、目を瞑って拓巳を引き寄せようとした。
だが、拓巳はビクともしない。
不思議に思って目を開けると、拓巳は目を細くして探るように陽歌を見ていた。


「…心を決めたのか? なら約束してくれ。俺を友人ではなく夫として愛して欲しい。そして生涯俺だけを愛して添い遂げろ」

拓巳の真剣な想いが言葉が胸に突き刺さった。

本当に彼の愛に応えて生涯を共にできるのか。
私は彼を夫として愛していけるのか。
自らに問いかけてみるが、迷わず頷くことはできなかった。
返事をできずにいると、拓巳は右手で陽歌の目を覆った。
視界が遮られ、何も見えなくなる。

「…陽歌、愛している」

闇の中に響くのは拓巳の声。
それなのに、目の前に浮かんでくるのは晃の顔だった。

心を偽って身を任せても、胸の奥底にはどうしても諦めきれない想いがある。

涙がぽろぽろと流れ落ち、拓巳の手を濡らしていった。

拓巳を好きだと思う気持ちは、恋愛とは違う。拓巳の手は温かいし心地良いけれど、真剣な彼の気持ちを利用する事は出来ないと思った。

この手を取るのは自分ではない。
心から拓巳を愛している女性こそが、この手を取るべきなのだ。
瞼の奥に、お節介な親友の顔が浮かんだ。

亜里沙、ごめん。
やっぱり私にはこの手を取ることは出来ないよ。
晃先生とは出逢ったばかりだけど…それでも私は晃さんが好きなの。
臆病な私は真実を受け入れることが怖かった。
でも、受け入れなくちゃいけないよね。

私の中の晃先生と過ごした沢山の夜と朝の記憶。それが全て茜さんの思い出だった。
彼を愛しく思う気持ちはこんなにもあるのに、この気持ちは私のものじゃない。
彼を愛していたのも、彼に愛されたのも、茜さんであって私ではない。
私が知っている彼の優しさも、広い胸も、熱い唇も、その全ては茜さんに捧げられたものだった。

その事実が哀しくて、受け入れられずにいた。

でも…

それでもいい…

私の中の彼女を想っていてもかまわない。

たとえ愛されているのが私でなかったとしても…

この気持ちが茜さんのものであったとしても…

それでも…彼の傍で生きたい。

ねぇ、馬鹿だと思う?

それでも亜里沙、あなたならきっと解ってくれるよね?

だってあなたも拓巳の事を…

そうなんでしょう?


「……おまえバカだな。やっと自分の気持ちに気付いたのか? 晃先生への気持ちは茜さんが残したものだけど、今はお前のものなんだぞ? 何度も言ってるだろ? おまえ自身が茜さんなんだって」

拓巳の手が退けられ、閉じたままの瞼に明るさを感じる。部屋の蛍光灯がやたらと眩しく感じて、陽歌は手で光を遮りながらゆっくりと目を開けた。
陽歌を開放した拓巳はテーブルの上の灰皿を引き寄せると、背を向けたまま、早く行けと軽く手を振り煙草を取り出した。

「……行ってもいいの?」

「…ああ。それがお前の幸せなら、俺は反対できないよ。好きな女には幸せになってほしいからな。俺以上に陽歌を幸せに出来る男がいるとしたら、あの人だけなんだろ? だったら行けばいい。
だけどな、これだけは約束しろ。晃先生を選ぶなら決して今日の選択を後悔するな。お前は仕事では妥協しないのに恋に関しては本当に臆病でドン臭いみたいだからな。自分で決めたんだから、もう自分の気持ちを疑ったり迷ったりして逃げるなよ。その気持ちはお前のものだ。その記憶もお前のものだ。お前は陽歌であり茜さんでもある。一人で二人分の人生を生きてきたんだ。…堂々と晃先生に告白すればいいんだよ」

これまで煙草嫌いの陽歌の前では決して吸わなかった拓巳が、初めて煙草に火をつけた。
紫煙がゆっくりと立ち上る。
拓巳が溜息と共に煙を吐き出すと、部屋が白い煙で満ちる。
煙のベールが陽歌を拒絶し、早く出て行けと言っているように見えた。


「ごめん、拓巳。…本当にありがとう」

陽歌は感謝の気持ちを述べると、罪悪感を振り切るようにして部屋を出た。
騒ぐ心を宥めるように押さえ、タクシーを拾ってあの丘に向かった。

晃に何を伝えればいいのか…
茜の想いをどう伝えればいいのか…
考える余裕は無かった。

ただ、会いたい…そう思った。




晃は寝室の窓から、たった一つだけ光る今にも消え入りそうな小さな星を見つめていた。
暁に言われた事を心の中で反復しながら、自分の気持ちを見つめなおす。
たとえ婚約者がいても構わない。もう一度会いたいと思う気持ちに偽りは無かった。

「茜…僕はきっと彼女に惹かれているんだね。でもその気持ちを認めると君を失ってしまう気がして…怖いんだ。彼女への気持ちと君への想いはまったく別なんだ」

まばたきをする一瞬すらも大切にと、短い時を燃え尽きるように激しく愛し合った日々。身も心も、命さえもひた向きに捧げた茜への想いはまさしく激情と呼ぶに相応しい。
だが陽歌への気持ちはまったく違う。出逢った瞬間から感じていた温かなものは、まるで春の陽だまりの中でまどろむ時間のように静かで穏やかだ。茜を失って以来、胸に開いたままの穴が、優しく満たされていくようだった。
時の流れに逆らうように愛し合った激しい恋とは対照的な、穏やかな気持ち。その感覚が心地良くて、もっと彼女を求めてしまうのだろう。それが恋であるかは別として、惹かれているのは事実だった。


小さな星が「それでいいのよ」と茜の声を運んでくる。
その声に背中を押され携帯を取り出すと、陽歌の番号を表示した。

一旦深呼吸をして、今度は迷わずボタンを押した。

陽歌に何を伝えればいいのか…
この気持ちが本当に恋なのか…
考える余裕は無かった。

ただ、会いたい…そう思った。




陽歌はタクシーの中で晃の番号を表示した携帯を握り締めたまま悩んでいた。
民宿を飛び出してきたものの、もう深夜に近い時間である。この時間に晃に電話をする事は戸惑われた。

「…11時20分かぁ。やっぱりいくらなんでもこの時間にいきなり電話して押しかけたりしたら失礼よね」

携帯を閉じ、やはり今夜はホテルに泊まろうと決めたその時、手の中の携帯が晃からの着信を告げた。
思いがけないことに、心臓が跳ね上がる。
携帯を持つ手が震え、もどかしい思いで通話ボタンを押した。


「もしもし……晃先生ですか?」

『陽歌さん?ごめん、こんなに遅くに…。今ちょっとだけいい?』

陽歌は声を聞いただけで胸が締め付けられるのを感じた。
晃もまるで10代の少年のように胸が高鳴るのを感じていた。

「はい、実は私も先生にお話ししたいことがあって、今、電話を掛けようか迷っていたんです」

『本当に? 凄い偶然だね。実は…こんな夜更けに悪いけど、今から会って話すのは無理かな?』

「えっ、今からですか?」

『ごっ…ごめん。そっ、そうだよね。気持ちが急(せ)いてしまって、失礼なことを…。やっぱりこんな時間にお願いするのは君の婚約者に申し訳ないね。本当に申し訳ない。気分を害したら許して欲しい』

陽歌の驚きを否定と取った晃は、冷静なときなら絶対にしない失態にようやく気付き慌てて謝った。心臓がバクバクと暴走を始める。焦って謝ると舌が縺れてしまい、上手く喋れない。
まるで自分の体ではないようだった。

「いえ、あのっ、彼は婚約者じゃないんです。違います。婚約なんてしてないんです私。それに、私も先生にお目にかかりたいと思ってて…。お電話を頂けてとても嬉しかったんです」

『……本当に? 嬉しいよ。今どこにいるの。自宅? 昨日のホテル?』

晃は自分の声が弾むのを感じた。居場所を確認したら、すぐにでも車を飛ばして迎えに行くつもりで身構える。先ほどまで動揺で暴走していた心臓は、再びときめきへと変化していた。

「いえ、実は今、そちらにタクシーで向かっています。何も考えずに伯母の家を飛び出してきたんですけど、こんな時間ですしとりあえずホテルを手配しようと思っていたところで…」

『こっちに向かってるって? なら、ホテルへなんか行かないで直ぐに僕の所へ来てくれないか?』

「良いんですか? こんな夜更けにご迷惑だと思ったので、明日の朝一番に伺おうと思っていたんです。どうしても伝えたい事があって…」

『迷惑だなんて…いつだって大歓迎だよ。それに君に少しでも早く会わせたい人がいるんだ』

「会わせたい人?」

『そう、君が来る時間まで来て貰えるように頼んでおくよ。…今どの辺り?』

「…あと30分くらいだと思います」

『わかった。じゃあ、待っているから…』

「はい…じゃあ、後で…」



晃は携帯を切ると、額に携帯をあてがうようにして俯いた。
安堵の溜息がでる。
拒否されるかもしれないと覚悟の上での電話だった。
それなのに彼女は受け入れてくれ、婚約もしていないと言った。
その言葉にこんなにもホッとしている自分がいる。

もう、自分の気持ちを認めないわけにはいかない。

彼女を思うと胸の鼓動が五月蝿い。

切なくて、愛しくて、会いたくて…

晃は顔を上げると再び携帯を開き発信ボタンを押した。
数回の呼び出しの後、相手が出る。

「…右京? 夜更けに悪いんだけど、蒼と一緒に今すぐに来て欲しいんだ」

晃は窓の淵に寄りかかり夜空を見上げた。

ホタルのように儚い瞬きは、微笑むように晃を見下ろしていた。




(注1:この時暁は16歳。当時はまだ小学6年生だった杏への想いを必死に隠し、色んな女の子と付き合うことで気持ちを誤魔化していました。そう考えるとロリコン…いや、この頃の4歳差って大きいですねぇ。詳しくは『夢幻華』を読んでみてくださいね)

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