「茜。見てごらん」
私を腕から下ろした晃の指差す方向を見る。
森が開けたその奥に、信じられない光景があった。
「す……ご…い」
言葉もでないくらいに驚いた。
世の中にこんな風景があったなんて…。
目の前にそびえる崖の中腹には、見たこともないほど大きな桜の木が大きく両手を広げ、風が吹くたびに花を散らして足元を流れる清流の川面に降り注いでいた。
たくさんの桜の花びらを纏い、清流は光に煌きながら流れていく。
水の流れに花びらが漂い揺れる様子は、晃との別れを決めながらも揺れ続けている私の心のようで、胸が痛くて、苦しくて息が詰まりそうだった。
肌が粟立ち思わずギュッと自分を両手で抱きしめる。
圧倒的な存在感。圧倒される生命力。
『命を謳歌する華』その言葉がぴったりの光景だった。
晃は何故ここに私を連れてきたんだろう。
そう思っていた時、晃はその光景を見つめながら私の肩を抱いて静かに言った。
「茜。桜は散るために咲くんじゃないんだよ。
精一杯咲いて、愛して愛されて、時が満ちた時に散るんだ。
茜はまだ、愛することも愛される事も十分だとは思えないよ」
……っ! 息が止まるかと思った…。
晃の言葉が心に染みた。
「愛しているよ茜…。君が望むなら今この場で君と共に死を選んでもかまわない。
君が望む道を共に歩むよ。僕は君を手放すつもりはないからね」
そう言って静かに天を仰ぐように見る。つられて私も晃の視線の先を追った。
崖の中腹から風に舞い上げられた淡い桜の花びらが雪のようにハラハラと降ってきて私たちの髪に肩にと降り積もった。
その幻想的な風景に暫し心を奪われていた私は晃の言葉で現実に引き戻される。
晃は空を見たまま静かに言った。
「別れる事は許さない。君が僕の愛を最後の
一欠片まで受け入れるまで。
それが君へのバツゲームだ」
言葉が出ない。余りにも晃の気持ちが真っ直ぐで…。
その瞳が余りにも真剣で…。
「だめ。だめだよ。そんなの晃が辛すぎるでしょう?」
「茜が望むなら、いつだって一緒に逝くよ。だから別れようなんて言うな」
晃は本気で言っている。でも、それは出来ない。晃には晃の未来があるのに…。
心の奥に閉まった思いに小さな亀裂が入る。
どうして…どうしてみんな私の為に自分を犠牲にするの?
亀裂が少しずつ広がり心の奥に固めた何かを暴いていく。
ずっと封印していた思い。
けっして口に出さなかった思い
「最後の
瞬間まで君は僕と一緒にいるんだ」
晃の言葉に認めたくなかった心の叫びが…その鎧を砕いた。
「―――やめて!」
「やめて晃。私なんて誰も幸せになんか出来ない。みんなに気を使わせてばかりで、誰かの庇護が無いと生きてさえいけない。
私がいるとみんなが我慢しなくちゃいけないの。
私がいるとみんなに無理をさせてしまうの
もういいの、これ以上誰も傷つけたくない。もう私にかまわないで。
このまま逝かせて…。このまま、一人で逝かせて――」
―――砕けた鎧は心に突き刺さり鮮血の花を咲かせてゆく。
ずっとずっと思っていた。どうしてみんな私の為に無理をするの?
どうしてみんな私の為に我慢するの?
私はみんなの足かせでしかない。誰も幸せになんて出来ない。
私さえいなければ、みんなが幸せになれるのに
私さえいなければ、誰も苦しまずにすむのに
傷を負った心は血を滴らせたまま暴走して止まらなかった。
自分の中で、ずっと認めたくなかった思い。ずっと目を逸らしてきた思いと初めて向き合い、その衝撃の大きさに心が悲鳴をあげている。
―――心が引き裂かれる。
―――思いが血の花を咲かせる
「―――私なんていなくなってしまえばいいのよ!!
あと、何年なんて言わず今すぐにでも死んでしまえばいいんだ」
―――――――――!!
不意に襲った衝撃に言葉を飲み込む。
胸を塞ぐような圧迫
息の出来ないほどの衝撃
自分が晃に抱きしめられ唇をキスで塞がれたと言う事に気付くまで…どれくらい時間が掛かったのかわからなかった。
何度も深く唇を奪われ息も出来ないほどに強く抱きしめられる。
意識が遠のきかけた時、ようやく晃が私から唇を離した。
怒りを帯びた低い低い声が胸に突き刺さった。低く冷たく哀しい…こんな晃の声を私は知らない。
「ふざけるなよ。誰かの庇護が無いと生きていけないだと?
茜がいなくなったらどれだけの人が悲しむか考えた事があるのか?
みんな茜を愛しているから護りたいんだろう?君の亡くなった両親も、君を愛していたから護りたかったんだ。
沙紗も、蒼も。君に傍にいて欲しいんだ。…だから君をを護りたいんだ」
私は晃の瞳の中に万感の想いを見た。
強く強く抱きしめられる。痛いほどに…切ないほどに…
どこへも逝くなと訴えるように…
「僕だってそうだ。何を失っても君だけは失いたくは無い。
茜は庇護が無いと生きていけないんじゃない。みんな茜の事を愛しているから君を逝かせたくないんだ。全てのものを敵にまわしても、何を失っても君を護りたいんだ。
何故わからないんだよ。みんな、君が必要なんだ」
私はこんな晃を知らない。こんなに悲痛な声も聞いたことが無い。
晃はいつも太陽みたいに明るくて、春風みたいに優しくて、陽だまりのように穏やかで…
いつだって静かに私を受け入れて抱きしめてくれた。
彼の心にこんな悲しみを抱かせてしまったのは私だ。
彼にこんな苦しみを背負わせてしまったのは私だ。
「―――ごめん…なさ…いっ。晃……。苦しめてゴメンね。悲しませてゴメンね。
私と出会ってしまったこと…あなたを好きになってしまったこと……本当にごめんね?」
あなたを愛しく想う心なんて……無くなってしまえばいいのに…
「何で謝るんだよ。僕は茜に出会ったこと後悔していない。むしろ右京には感謝してるよ」
言葉にならない。余りにも晃が眩しく見えて・・・。
「茜は僕と出逢ったこと、後悔しているのか?」
真っ直ぐな晃の瞳にウソがつけなくなる。プルプルと顔を横に振り否定すると、晃はいつもの太陽のような鮮やかな笑顔で微笑んだ。
「後悔していないだろう?僕たちの出逢いは必然だったんだよ。君には僕が必要で、僕には君が必要だった。だから、僕達は出逢ったんだ。
たとえそこに苦しみや悲しみがあっても、それは僕達二人が一緒に乗り越えていくべき障害なんだ。
僕たちは二人で生きるために出逢ったんだ。絶対に一人ではダメなんだよ」
晃が強く私を抱きしめた。耳元で何度も名前を呼ばれて涙が溢れてくる。
晃……あなたが好き…。
誰よりも、何よりも護りたい大切な人…。
「晃…これからも…後悔しない?」
「しない。するわけないだろう?こんなにも茜だけが欲しいのに。他には何もいらないのに…」
晃はそう言って私の首筋に唇を這わせてきた。痺れるような切なさが首筋から全身に広がっていく。
晃の指が、唇が、触れる先から静かに愛情を注ぎ込むように、私の心も体も満たされていく。
晃が私を愛してくれている。
私も晃を愛している。
晃…この桜の下であなたに誓う。
きっとあなたを幸せにする。
たとえ私がこの世から消えても、必ずあなたを幸せに導いてあげる。
私を愛してくれてありがとう。
私を支えてくれてありがとう。
あなたの腕の中で私は美しく華開く。
愛して…愛されて…
私はこの桜のようにあなただけの美しい華になる
あなたの心に華開く永遠の桜になろう
かつて戦地で花の如く命を散らすことを散華(さんげ)と言った
最後の時、咲き誇る花の全てを一瞬で散らす桜こそが散華と言う言葉にに相応しいのなら
私はあなたに全ての愛情を注ぎ桜のように散りたい。
例え短い時でも、あなたの愛を一身に受けて咲き誇り見事に散華しよう
晃……愛してる
あなたをおいて逝く私を許して―――――
花が舞う
今日の日を決して忘れない。
ここへ連れてこられた訳がわかった気がする。
命を謳歌するように咲き誇る桜とその花びらを受け止め流れゆく清流。
あなたは私に生きるも死ぬも共にあろうと言いたかったのね
あなたに愛されて私は華になった
あなたの心に永遠に咲き続ける華に…
***** ***** *****
窓から差し込む朝日が晃の優しく微笑む横顔を照らし出す。
優しい腕の中で目覚める幸福をあなたは教えてくれた。
ありがとう。幸せだったよ。
『別れる事は許さない』それがバツゲームだったけれど…ごめんね。
バツゲームはやっぱり出来ないよ。
晃は無理なバツゲームばかり考えるから困っちゃうね
ふっと微笑み優しく額にキスを落とす。
これが私からの最後のキス―――
ひらりと桜の花びらが風に乗って晃の傍らに落ちた。
私についていたのかな?
昨日の幸せな夜の名残だね…。
私の想いはこの花びらと一緒にここにおいていくね。
晃は怒るかもしれないけれど、あなたと生きるのはやっぱりあなたを不幸にする。
あなたはあなたの幸せをみつけて。
晃…幸せになって……
戦場で散った花は最後の時に誰を想ったのだろう。
戦場に咲く花は散華の瞬間に地上に残された戦士の哀しい想いなのかもしれない
さよなら…晃
桜はいつか散るものだから
散り際は見せるつもりはないよ
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2005年の発表時はここで終わっていましたが、2009年1月にR18ver.より一部抜粋し、続きを加筆いたしました。