Little Kiss Magic 3 第13話



心を羽で擽るような幸福感と満足感が僕を包み込む。

瞼の向こうに、明るい日差しを感じ、もう目覚めの時間が来たのだと解っても、もう少しこの感覚を味わっていたかった。

あと少しだけ…と、 枕をムギュっと抱きしめ、寝返りを打とうとして、いつもと違う枕の感触に違和感を覚える。

徐々に覚醒を始める意識に、薄っすらと瞳を開くと、目の前に自分のものではない、柔らかな茶色の髪が飛び込んできた。

………へ?香織?

夢かと思って、マジマジと彼女を覗き込んでみたが、 安らかな寝息をたてて、僕の腕の中で寄り添い眠る香織の姿は現実のようだった。

あ…れ?

どうして香織が僕のベッドで寝ているんだ?

彼女が眠っているのは、昨日譲った山側の寝室ではなく、紛れも無く庭に面した僕の寝室だった。

まさか無意識に彼女に夜這いを?

一瞬自分を疑ったが、見たところ無意識に手を出した様子は無い。
ほっと胸を撫で下ろし、まだ深い眠りの中にいる彼女を起こさないように、抱きしめていた腕を静かに抜き、そっとベッドから降りる。
香織は一瞬だけ何かを探すように身動きすると、僕の枕をギュッと抱きしめて再び眠りに落ちた。

あまりに可愛らしい仕草に、もう一度ベッドに戻りたくなったが、そんなことしたら自制が利かなくなりそうで、音を立てぬよう寝室から抜けだすと、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出し、一気に飲み干した。
先ほどの香織の寝姿が蘇って、知らず知らず頬が緩んでしまう。

「寝顔、可愛かったなぁ…」

…じゃなくてっ!

何でだ?

昨夜、彼女の寝室で眠ったはずの香織が、どうして僕の寝室にいたのだろう。

リビングのソファーに沈み込むと、窓の外を眺めながら、昨夜の出来事をリプレイする。


………ああ、そうか。


『僕より早起きできたら部屋へおいで』


香織は僕よりも先に目覚めて…


………あれ?


でも、香織が起こしに来た記憶って無いんだけどなぁ?






母が焼いたクロワッサンとコーヒーで、新聞を読みながら軽い朝食を取っていると、香織が少しクセの付いた髪を撫で付けながらリビングへとやってきた。
寝起きのけだるい表情が、先ほどまでの寝姿を思い出させて、思わず視線を逸らす。

「おはよう廉君」

「おはよう香織」

「やっぱり廉君のほうが早く起きたね」

「え?でも香織が先に起きたから僕のところに来たんだろ?」

とたんに真っ赤になる香織に、僕の頬も自然に熱くなる。

……そんなに真っ赤になるような事があったのか?

コーヒーを手渡しながら、昨夜のことをどうしても思い出せないと、恐る恐る切り出した。

香織に無理矢理何かしていたらどうしよう。

嫌われるような事をしてしまったんじゃないか?



「あー…覚えて無いんだ、やっぱり。…寝ぼけていたものね」



……寝ぼけて何かしたのか?



「そっかぁ。あの時何て言ったのか良く聞こえなかったのよね。気になっていたから教えて欲しかったのになぁ」



……気になるから教えて欲しいのは僕のほうだって。



昨夜の一連の流れを聞くと、僕は寝ぼけて彼女をベッドに引き込んで、そのまま寝入ってしまったらしい。

ベッドサイドの灯りをつけたまま眠るのは、いつものことだ。
以前暗闇で眼鏡を落して割ってしまったことがあり、それ以来ベッドサイドのライトだけは点けておくクセが付いたのだ。
それを知らない香織は、僕が深夜まで起きていると心配したらしい。

良かった。
僕が無意識に彼女を拉致してきた疑惑は晴れた。
でも、自分を疑わないといけないこの状況って…情けないなぁ。

手を出さなかったことは証明されたが、香織が聞き逃したという『幻の寝言』には、やはり記憶が無い。
香織も寝入ってしまって、僅かに聞き取れた言葉を忘れてしまったそうだ。
香織が僕の部屋へ来たときの状況や、『離さない』と言ったらしい台詞からも
彼女に聞こえなくて良かったと思う発言をしていただろう自覚は120%位ある。

昨夜の自分の状況を考えると、行動を起こさなかったのが奇跡のような気がしてきた。
良くぞ耐えたと、自分の理性を賞賛してみたくなる。

もしかして僕に遠慮して言えないだけで、本当は何かあったんじゃないかと、不安は拭いきれない。
何でもない顔をして冗談のように「僕、香織を襲わなかった?」と、笑って聞く勇気もない。

焼きたてのクロワッサンに感動している香織を見ていると、特に、昨夜の事を不快に思って、僕を嫌っている様子は無い。
これ以上質問するのは、自ら首を絞めている気もするし、このまま濁したほうが良いのかもしれない。

母が用意したフルーツサラダとクロワッサンの朝食を勧めると、美味しそうにクロワッサンを頬張る香織。
可愛らしい姿に癒されながら、暫し見とれていると、不意に思い出したように彼女が言った。

「あ!」

「何?」

「思い出した。聞き逃した寝言の一部」

ブホッ!
思わず飲みかけたコーヒーを吹き出しそうになった。
追求をやめて濁そうと決めたとたん思い出すとはね。
現実から逃げるなという、天のお告げだろうか?

「…僕、何て言ったの?」

合格発表前の受験生のように、心臓が爆走を始める。
とんでもないことを口走っている気がするんだけど…
ちゃんと誤魔化せる範囲であってくれるといいなぁ。

「あのね、廉君は『香織…欲しい』って言ったの」

「……」

もしかしたら、そんな感じのことを言ったんじゃないかと不安ではあったけど、ヤッパリ…。

『香織…欲しい』か…。
何て言うか、願望丸出しのダイレクトな台詞だなぁ。
寝ぼけてなかったら絶対に言えないだろうな。

「声が擦れてて良く聞こえなかったんだけどね。
最初の『香織』と、最後の『欲しい』は、何となく解ったの。
でも『何を』っていう肝心なところが聞こえなかったのよね。
凄く気になって眠れない!って思っていたんだけど…」

「眠れたみたいだね?」

「うん。一人だったら眠れなかったかもしれないけどね。廉君の鼓動を聞いていたら安心して、いつの間にか眠ってしまったの」

僕の鼓動で香織が眠れたというのは、嬉しいけれど、それは意識していない証拠でもある訳だ。
複雑な気持ちだが、僕の腕の中で安心できたという言葉は嬉しかった。

「僕の寝言のせいで香織が寝不足にならなくて良かったよ」

「あの時、何て言ったか覚えていない?」

「…覚えて無いなぁ?どんな夢を見ていたんだろうね?」

覚えていないけと、大体解るよ。
君には教えてあげられないけどね。
無理矢理作る笑顔が、引きつっている気がするのは否めない。

「あっ!もしかしてベッドサイドにあった資料を『取って欲しい』って言ったのかしら?」

どうしたら、そんな風に考えられるんだろう?
まぁ、僕にとっては都合が良いけど。

「廉君、寝る前に資料を見るのは止めたほうがいいわよ。夢の中でも仕事の事考えるのは、身体に良くないもの」

仕事の夢を見ていたと決め付ける香織に、このまま誤解してもらったほうが良いと判断した僕は、「そうだね。気をつけるよ」と言って話を濁した。

世の中には知らないほうが良いことがある。

それを、僕はこの時つくづく痛感した。


………聞こえなくて本当に良かった。


『香織…君が欲しい』


僕が無意識で言ったであろう本音。


もしも聞こえていたとしたら…


香織はどうしただろうか?






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想いはそれぞれ同じ方向を向いているのに、なかなか互いの心に気付かない二人。
……バカだね( ̄▽ ̄;) ←鬼
ほんの些細なキッカケさえあれば…なのですが、なかなか上手くいきません。
香織はかなり天然も入っていますので、廉は苦労しそうです(笑)

2007/08/08