もうだめだと思った―…
もう二度と廉君に会うことは無いだろうと―…
だけど、次に来ると思った恐怖はいつまで経っても来なかった。
不思議に思い、そっと目を開き恐々と先ほどの男へと視線を移動する。
そこには…
長身のとても綺麗な男の人が、あたしに覆いかぶさっていた男を後ろから羽交い絞めにして、ナイフを取り上げている姿があった。
「てめぇ…どこまで腐りきってるんだ。強盗の次は強姦か? 反吐が出るぜ」
切れ長の目を鋭く光らせると、男をボンネットから引きずり下ろす。
あたしを押さえつけていた男達はリーダーを失い動揺したのか、あたしを拘束していた手足を離し、引きずられていく男を追いかけて行った。
今のうちに逃げなくてはと、痛みに耐えフラフラしつつも、なんとかボンネットから滑り降りる。
転げ落ちたといったほうが正しかったかもしれないが、拘束されていた痺れで手足に力の入らないあたしには、それが限界だった。
辺りを見回すと、少し先に安田さんが血を流して倒れているのが見えた。
その周りに男達が5〜6人倒れている。
怪我をして抵抗も出来なくなった安田さんを殴り続けていた人たちだ。
気を失っているその人たちを無視し、必死に這いずって安田さんの所まで行くと名前を呼んだ。
脇腹を刺されたと主犯格の男が言っていた事を思い出して、すぐにその部分に手を当てて止血する。
傷を抑えるが指の間からどんどん血が流れて、あたしはどうして良いか判らず、ただ安田さんの名前を涙声で呼び続けた。
「大丈夫か? 俺がやろう」
あたしを助けてくれた人がやってきて、安田さんの傍に座り込むと、すぐに傷の具合を診た。
あの男達はどうしたのかと、驚いて顔を上げたあたしに、彼は視線で全員が気を失っている方向を示した。
あの人数をこの短時間で一人で倒した事実に驚いて声も出なかった。
「今、救急車を呼んだから安心しろ。あいつらの事は警察に任せよう」
半ば放心状態で頷くと、彼は手際よく安田さんの止血をしていった。
歳の頃はあたしより少し上ぐらいに見えるが、もしかしたらお医者様の卵か何かだろうか。
余りの手際の良さにそんな事を考えながら、真剣な表情の綺麗な横顔を見つめた。
「まったく、とんでもない奴らだ。昨日あいつらは俺の彼女をナンパしやがってさ。彼女が断ったら逆ギレして拉致しようとしやがったんだ。俺が気付いて何とか食い止めたんだが、彼女の鞄を引ったくられちまってさ。今朝からずっとあいつらを探していたんだ。盗まれた鞄には大切な指輪が入っていたんでね」
「指輪? それで、見つかったんですか?」
「いや、まだ探していないんだが…奴らの車の中にまだあると思う。昨日の今日ですぐに捌(さば)けるような代物じゃないからな」
「じゃあ、警察が来る前に探してください。警察が押収した後に返して貰うのは手続きが面倒ですよ」
「ああ…だが、今はこの人の応急処置が先だ」
「じゃあ、あたしが探します。どんな鞄ですか?」
あたしは彼の鞄を探して彼らの車の中を物色した。
車の中には明らかに暴力団が絡んでいる事を匂わせる、銃刀法や薬物法に違反するものがあり、あのまま彼らの手に堕ちていたら、あたしはどうなっていたのだろうと、ゾッとした。
余計なものにはなるべく触らないように気をつけて、注意深く教えられた形状の淡いブルーの鞄を探し出し、彼の元へと持っていった。
「見つかったか? ああ、ありがとう。ちょっと待ってろ。着替えになるようなものが入っていたはずだ。その格好じゃ救急車が来た時ちょっとマズイだろう? 何か自分で着替えでも持っているのか?」
着替えなど持っていなかったあたしは、黙って首を横に振った。
その人は鞄の中身を探ると、真新しいパーカーを取り出し、あたしに着るようにと差し出してくれる。
申し訳ないと思ったが、こんな状況なのでありがたくお借りすることにした。
車の影で破れたブラウスを脱ぎ捨て、パーカーに袖を通す。
裾が2段のフリルになったロング丈のパーカーは、ジッパーをあげるとフレアーのワンピースのようになり、スカートの汚れも隠してくれたのでありがたかった。
着替えて戻ると、彼は荷物の中から藍色の石のついた指輪を取り出しているところだった。
ホゥッと安堵の溜息を漏らしているところを見ると、さっき言っていた指輪なのだと思う。
「綺麗な指輪ですね」
「婚約指輪として彼女にやったものなんだ。普段は持ち歩いたりしないんだけど、今度彼女のお兄さんに正式に婚約の報告をするんでね。まさか盗まれることになるとは思わなかったから、マジで焦ったけど…無事で良かった。彼女が昨夜から凄く落ち込んでいてさ。慰めても泣いてばかりで本当に困っていたんだ」
彼は指輪を愛おしそうに見ながらそう言った。
まるで指輪が彼女そのもののようで、その姿にあたしまでなんだか嬉しくなった。
「大切な指輪が無事でよかったです」
「見つけてくれてありがとう。…これは俺の母親が唯一残した思い出の品なんだ。失くしたら彼女が責任を感じて婚約解消を言い出したかもしれない。助かったよ」
この時になって初めて、あたしは彼の名前も聞いていなかったことに気付いた。
「あっ…あの、すみません。お名前を教えてください。この服もお返ししないといけないですし…ご住所もお願いします。必ずお礼に伺いますので…」
「俺もあいつらに用があったし礼なんて必要ない。その服はここへ来る前に俺が彼女の為に買ったものだから、また同じものを買ってやればいいだけのことだ。返してもらう必要はない」
「でも、そんな訳にはいきません」
「いいんだ。この服を見る度にあんたは嫌なことを思い出すだろうから、処分して良いよ」
そういうと彼はあたしの頭をクシャ…と撫でた。
「俺に気を張らなくていい。それより少し自分を労わってやれよ。大変な目にあって怖かっただろう?」
フンワリと伝わってくる温かさが、張り詰めていたあたしの心を緩め、思い出したように涙が頬を伝いだした。
彼は少し驚いたようだったけれど、そっとハンカチを差し出してくれた。
「ありがとう…ございます」
ハンカチを握り締めて、そのままへたり込んで泣き出したあたしを見捨てておけなかったのだろう。
携帯を取り出して誰かと話した後、嗚咽するあたしの隣に戻ってきて腰を下ろした。
「泣き止むまで傍にいてやるよ。胸は彼女のものだから貸せないけど…腕ぐらいなら貸してやる」
そういって左腕を差し出してくれた優しさに、今日一日でずっと我慢していた涙が堰を切って溢れ出した。
差し出された腕に縋り付き、思い切り声をあげて泣いた。
これまで誰かに縋ってこんな風に泣いたことなんて無かった。
どんなに苦しくても、どんなに哀しくても
苦しいときほど笑顔を絶やさず
哀しいときほど微笑んでみせる
それがあたしだった。
そうすれば誰もあたしを不幸だと思わないから。
イジメに遭った事のあるあたしは、いつしか笑顔という鎧で自分を護る術を身につけていった。
だれもがあたしを明るく社交的な女の子だと信じる中、廉君だけが、その笑顔を作り物だと気付いてくれた。
彼だけがあたしの不安や孤独に気付いて、無理に笑う必要が無いのだと教えてくれた。
だから、あたしが涙を見せるのは廉君の前だけ…
今までも…
これからも…
そう思っていたのに…
何故、この人の前では素直に涙が溢れたのだろう…
涙で霞む視界と、朦朧とする意識の中…
彼の横顔に、見知った人の面影を見た。
ああ…そうか
彼は似ているんだ…あの人に…
安心したあたしは、彼の腕の中に崩れるように意識を手放した。
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この《彼》が誰だかお分かりになりましたか?多分アイツだろうとビビッと来た方も多いのではないでしょうか?
香織の意外な過去にもチラッと触れてみました。
香織だけが廉の秘めた顔に気付いた様に、廉もまた香織の隠し続けた心に気付いていたのですね。
さて、香織を護りきれなかった廉は、次回どう動くのでしょうか。
2007/10/27