真っ白な部屋で、あたしは目を覚ました。
いつも目覚める廉君の別荘とは違う、目に痛いほどの白い壁。
天井の蛍光灯が部屋を冷たく照らし、夏だというのに寒さすら感じる。
張り詰めた空気の中、規則的な電子音だけが白い壁に共鳴するかのように、妙に大きく聞こえた。
ここはどこだろう…。
ぼんやりと覚醒を始める意識を、耳に馴染んだ声が揺さ振った。
「香織、目が覚めた?」
声のする方向に身体を動かそうとして、肩と背中に激痛が走り眉を顰めた。
なに?この痛み。どうして―…
―――!
それまで霧が掛かったようにボウッとしていた意識が、突然クリアーになったかと思うと、次の瞬間、今日の出来事が次々と頭の中のモニターに映し出された。
滅茶苦茶に色んなシーンが入り乱れ、浮かんでは消えていく。
目を背けたい光景に不快感が押し寄せ、背中の痛みの理由を思い出した時、あたしを護り大怪我をした人物の事を思い出した。
「あ…っ、安田さん。安田さんは?」
「隣で眠っているよ。意識がまだ戻らないけれど…」
「怪我は?」
「大丈夫だ。早い段階で応急処置がされていたおかげで命に別状はないそうだ」
廉君の視線を追うと、安田さんは沢山の機器を繋がれ、まるでサイボーグか何かのように冷たい表情で眠っていた。
「……よかった。あの人のお陰だわ」
ホッと胸を撫で下ろし、溜息とともに深くベッドに身を沈めると、廉君は辛そうに眉を寄せた。
「そうだね。彼が助けてくれなかったら…それを考えると本当に恐ろしいよ。怖い思いをさせてしまって悪かった」
「あたしなら大丈夫。怪我も大した事ないし…ね? 気にしないで」
「…全部僕のせいだ。ここまで卑劣なやり方をするなんて…甘かったよ。僕の認識不足だ」
「違う。廉君はちゃんと安田さんをボディガードに付けて、ちゃんと護ってくれていたじゃない」
「君を最後まで護ろうとしてくれたのはあの人だ。…僕は君を護るどころか傍にさえいなかった」
あたしの右手を握りそのまま頬へと押し当てる。
指の先まで冷たかった感覚が、ジンワリと温かなものへと変わっていった。
「…香織……独りにして…本当にゴメン」
「…廉…くん…」
廉君の優しさや後悔が重ねる手から伝わってくる。
その気持ちが苦しくて、痛くて…
あれだけ泣いて、もう涙も枯れたと思った涙腺が再び緩んだ。
「…辛い思いをさせたね。…僕のせいだ」
「ちが…」
恐怖からの涙ではなく、廉君が苦しむのが辛いのだと言いたかったけれど、
しゃくり上げ乱れる呼吸に、思いを伝える言葉は声にならなかった。
「君に何かあったら…僕は…っ……」
唇を噛み締め言葉を詰まらせる廉君。
顔を伏せる彼の肩は震えていた。
頬に触れる右手に涙が伝っていく。
「護れなくて…ゴメン」
自分を責め、苦しげに嗚咽する彼を救いたくて
彼がそうしたように、左手で廉君の右手を引き寄せ、あたしの頬へと導くと…
そっと手のひらに口付けた。
お願い、苦しまないで…と。
声にならない思いが伝わるようにと願いを込めて…
その後、廉君は仕事へ戻る事無く、ずっとあたしに付き添ってくれていた。
ホテルの従業員の仕事ぶりを目の当たりにしたあたしにとって、あの状況を放り出して彼をここに留めるのは、いけないことのような気がした。
戻らなくても良いのかと何度も訊いたけれど、「気にするな」の一点張りであたしの傍を離れようとしない廉君。
きっと凄く責任を感じてしまったのだと思う。
また何かあってはと、あたしを護るために傍にいてくれるのだと思う。
それはとても嬉しいことだったけれど…
過酷な仕事と重責を背負う廉君に、更に一つ枷を負わせてしまった気がして…
あたしは気持ちが塞ぐ一方だった。
その様子は、あたしの体調が悪いようにも、精神的ショックを受けているようにも見えたかも知れない。
お医者様からは、念のため一晩だけ入院して様子をみてはどうかと勧められた。
けれど、あたしは別荘へ戻ることを、強く希望した。
心配する廉君やお母さんの心遣いはありがたかったけれど、あたしにはどうしても別荘に戻りたい理由があった。
今夜だけは…
廉君の傍で過ごして、彼の温もりを感じて眠りたかった。
病院で彼が流した涙に、あたしは決意のようなものを感じていた。
もしかしたら、今夜が廉君と過ごす最後かもしれない。
なんとなく、そう感じていた。
もしも今夜が最後なら…
彼と一晩中楽しかった思い出を語り合って過ごしたい。
彼の腕の中で最後の思い出を作りたい。
廉君、お願い。自分を責めないで…
あたしは、あなたの笑顔が大好きなの。
笑って? ねぇ…
最後にあたしの大好きな笑顔を見せて?
そしたらあたし、あなたが苦しまないように
ちゃんと笑って言えると思うから
『さようなら』って
***
香織と病院から帰ったのは、20時過ぎだった。
出かけるときは、こんな時間にこんな気持ちで帰ることになるとは、思ってもみなかった。
今朝は香織がホテルへ尋ねてくることを楽しみにして、心は浮き立っていた。
いつも以上に仕事もやる気を出していたのに…。
何故…こんなことになったんだろう。
疲労を滲ませる香織に少しでも身体を解(ほぐ)してもらおうと、母屋で母が用意しておいた風呂をゆっくりと使うように勧めて、僕は自室のシャワーを浴びた。
どんなに熱い湯を浴びても、心が凍りつくような恐怖はまだ拭えない。
僕でさえこの状態なのだから、香織の精神的苦痛を考えると心が引き裂かれるようだった。
全て僕のせいだ…
こうなることは予想できたはずなのに、彼女を傍に置きたくて、あえて現実を軽視していた。
愛しさから手放せない理由を、彼女を護る為と摩り替えて、言い訳をしていた。
僕は自分の我が侭で、彼女を危険に巻き込んでしまったんだ。
なんて馬鹿だったんだろう。
まるで、お気に入りの玩具を片時も離せない子供だ。
僕が大人なら、もっと早くに気付いていただろう。
本当に大切なら、ガラスケースに入れて大切に保管しておくべきだったのだ。
かけがえの無い存在だからこそ、傷つける前にその手を放す必要があったのだ。
君を護れるだなんて、驕(おご)りだった。
僕には君を護る強さも、愛する資格も無い。
何故…自分がこんなにも無力であることに
もっと早く気付かなかったんだろう。
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二人とも落ち込みまくりですね。。。(〃_ _)σ‖
仲がいいのは良いですが、相手の為に身を引こうとするところまで同時でなくても良いんじゃないでしょうか?
えーと…前向きにさせるにはどうしたら良いでしょうか(誰に訊いている?
……一晩考えてみます(こらっ?
2007/10/30