火照った身体をプールサイドで夜風に曝して、僕はずっと言葉を捜していた。
香織を手放す…
それは僕にとって心を失うことに等しい。
『別れよう』なんて、そんな簡単な言葉で終わらせられるほど軽い気持ちじゃない。
何を失っても、彼女だけは失いたくは無かった。
一族を敵に回して苦しむのが僕だけであるのなら、一生苦しむ事だって厭わない。
だけど、香織に危害が及ぶ事だけは二度と避けたかった。
別れることで彼女の安全が保障されるなら…
僕はこの決断を後悔はしない…
春日のおじい様の残酷さは僕の見解を超えている。
邪魔者は容赦なく消すと黒い噂は聞いていたが、香織はまだ高校生で一族を脅かすような存在ではない。
別れろと脅される程度の事はあっても、女性にとってもっとも屈辱的な方法で、しかも一生苦しむ形で心身ともに拘束し僕から遠ざけようなどという、非人間的な手段は考えも及ばなかった。
彼女の一生など何の価値も無いかのように闇に葬ろうとした。
許せない…
おじい様
あなたはどこまで人を不幸にするつもりなのですか。
一族結婚の輪廻は誰も幸せになどしない。
なのに何故、そうまでして濃い血を求めなくてはいけないのか。
望まない結婚の為に、何故愛しい人を傷つけなくてはいけないのか。
僕は…あなたを許さない。
香織を傷つけたこと。
僕から彼女を奪おうとしたこと。
その代償がどれほど大きなものか
いつかその身で思い知っていただきます。
決してあなたの思い通りになどさせません。
激高するでもなく、深々(しんしん)と心に積もりゆく怒りは、どこまでも静かで僕を冷酷にする。
香織を護るためなら
今の僕はどんなことでもするだろう
森からの風が心地良く頬を撫で、水面を揺らす。
水に浮かぶ銀の月が、一瞬星を散らしたように揺らぎ、また美しい姿に戻ってゆく。
二人でならば美しいと感じる風景も、今はただそこに在るものにすぎない。
香織がいなければ、この世は風も月も存在しないただの闇でしかなかった。
「廉君? そこにいるの?」
プールサイドを覗くように顔を出した香織の声に、ハッと我に返った。
フリルのついた真っ白なネグリジェの裾がフワリと風に揺れる。
部屋から漏れる灯りが一瞬その背に金の羽を広げ、月明かりが彼女の頭上に天使の輪を作る。
闇をも照らす美しさで微笑む僕だけの天使がそこにいた。
瞬きをすることも忘れ心奪われる。
この姿を一生忘れないようにと瞳の奥に焼き付けた。
右手を差し伸べると、自然にその手を取り僕の膝に座る香織。
石鹸の香りのする彼女をギュッと抱きしめると、何も言わず僕に身を預け抱きしめ返してくれる。
愛しい…と、心から思った。
「…好きだよ、香織」
「…好きよ…大好き。廉君」
微笑む彼女は何もかも悟ったように僕の瞳を受け入れる。
あれほど悩んで探した言葉は、必要ないのだと感じた。
何も言わなくてもわかる。
これまでなら心地良かった筈の事が今はこんなにも辛い。
こんな風に心を通わす事ができる相手に、再び出逢うことなど生涯かけても出来ないだろう。
若さゆえの思い込みとか
初恋ゆえの一途さとか
人は言うかもしれない
だけど僕にはわかる
この恋は生涯にただ一度
命を懸けるに値する恋なのだと
君を護りきれなかった僕に、その言葉を言う資格などないけれど…
心で呟くことは許して欲しい
香織…
君を愛している
「出逢った頃から今日までの事、一晩中話そうか」
「…うん」
僕は彼女を抱き上げると寝室へと向かった。
彼女を抱きしめて、出逢った頃から今日までの事を順に紐解くように話し、想いを語った。
初めて互いを知った春。
偶然にも想いを知って告白をした秋。
共に過ごした季節はいつも色鮮やかな風景に彩られていた。
日ごとに募った恋心。
キスを交わすたびに深まった愛しさ。
誰よりも互いが好きで
誰よりも大切だった
思いは言葉で語るだけでは伝えられなくて
時に苦しくなるほどの切なさを
時に溢れて止まらない愛しさを
何度も唇を重ねて伝えた
どんなに語っても語りつくせない想い。
だけど僕らの恋はやがて訪れる夜の終わりと共に最後の瞬間(とき)を迎える。
空が薄い光のベールを纏い、少しずつ明るさの層を増していく。
闇に希望の光が満ち、世界が目覚めを迎える時…
僕たちはどちらからとも無く身体を離し見詰め合った。
一晩中腕の中にあった温もりが遠のくと、急激に別れの実感が迫ってくる。
ほんの20cmの距離が、果てしなく遠く感じた。
「廉君、あたしね、廉君に恋して幸せだったよ」
「僕も…君に恋をして一生分の幸せをもらったよ」
誰よりも君が好きだから…
どんなに離れたところからでも君を護ってみせる…
君がずっと幸せに笑っていられるように…
ずっとずっと見守っていく。
「廉君…大好き―…」
「香織…誰よりも好きだよ―…」
言葉の代わりに僕らは最後のキスを交わす
誰よりも好きだから…
さようなら…
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辛い決断をする二人 あううっ切なすぎます(T_T)
心が通い合っている彼らに言葉は必要ありませんでした。
二人はそれぞれに新しい道を進もうとするのですが…
2007/10/31