Little Kiss Magic 3 第27話



紀之さんはタバコを取り出すと、ゆっくりと銜えて火をつけた。
紫煙が辺りに漂い車内を漂う。
それを目で追いながら紀之さんの言葉を頭の中で整理する。
記憶のどこをどう探っても今までに聞いたことも無い事実だった。

「聖良さんが? そんな話初耳だ。大体僕達のせいって何のことだ?」

「お前は知らないだろうが、聖の母親の楓(かえで)は一族の中でも才色兼備で有名で、春日のジジイのお気に入りだったんだ。いずれ春日に嫁がせたいと思っていたらしい。
それなのに水谷家は、楓をどこの馬の骨とも知らない男にくれてやったんだ。ジジイは怒り狂ったらしいぜ」

フウッと大きく溜息と共に煙を吐き出すと、狭い車内はあっという間に煙草の煙が立ち込める。
抗議するように僅かに窓を開けると、とたんに、夏の午後独特のムッとした空気が流れ込んできた。

「二人は東京を離れ、一族との連絡も絶って幸せに暮らしていたらしい。だが、ジジイはコケにされて素直に許すような奴じゃねぇ。幼い頃の楓に似た聖良を気に入ったらしく、養女に寄こせとかなりしつこく迫ったらしい。 だが楓はそれ激しく拒んで泉原と水谷に相談して娘を護ろうとした。…その矢先、楓の夫が交通事故で死んだんだ」

「まさか、おじい様が…?」

「不慮の事故だというが、ジジイが仕掛けたものだと言う者も多い。確かに信憑性はあるな。夫が死ねば女手一つで二人の子供を育てなければならない。楓が子供を連れて実家へ戻ってくることを見込んでいたと考えられないではない」

「……手中に収めて…手駒にする…か。おじい様らしい」

「そんなところだ。だが楓も春日の思惑を感じていたんだろう。実家には帰らず水谷グループの会社の一つと協力し、夫が手がけていた仕事を生かし新会社を設立して女手一つで二人を育てた。今では実力を認められ水谷の幹部だよ。大したもんだよな。まさか聖までもが水谷に入って一族に協力するとは思わなかったが…あいつは武と仲が良いからな。自分が水谷に入ることで聖良を一族から遠ざけたかったんだろう」

自分の尊敬する聖さんにそんな事情があったなどとは、考えた事もなかった。
おじい様の為にどれほどの血が流れたのか。
一族結婚の為にどれほど苦しめられ哀しんだ人がいるのか。
考えただけで身体が怒りで震えてくる。

「許せない…どこまで人を苦しめたら気が済むんだ」

「わかったか、廉。アイツは泉原寄りの水谷と浅井を手中に収めたいんだ。水谷の血筋の聖良を養女として春日に入れ、浅井と結びつけることで春日に反旗を翻す者を潰したいんだ。ジジイが欲しがっていたのは水谷の人質だ。だが聖良を手に入れることに失敗したせいで、百合子はお前の婚約者になった」

「…僕は誰とも婚約なんてしない」

「お前と婚約しなければ、百合子はまたモノのように誰かと婚約させられるんだろうな。今度は一族ではないかもしれない。…会社の利益になるような、何処かの御曹司かもしれない」

「…そんな、彼女の意志はどうなる? 紀之さんは平気なんですか?」

「平気な訳ないだろう!? 聖良がダメなら百合子か? 廉が要らないと言ったら別の男か? 百合子を何だと思っていやがる。誰も百合子の事を考えもしない。自分達の恋にしか目を向けない。お前達が自分の事ばかり考えて行動しているその影で良いように振り回され犠牲になっているのは百合子なんだ」

紀之さんはギリッとフィルターを噛み切ると、怒りと共に灰皿に押し付けた。
苦しげな横顔に浮かんだ深い悲しみに、僕達のせいだと言った彼の苦しみが痛いほど解った。
この人は百合子さんを心から大切にしているのだ。

「わかるか、廉。ジジイにしたら結婚に愛なんて必要ないんだ。より濃い血を求めるためには手段を選ばない。つまりあの娘の事でお前がいつまでも婚約を拒み続けたとしたら、ジジイが再びあの娘に手を出さないとは言い切れないんだ」

「そ…んな…」

「あのジジイの残酷さには反吐が出る」

「紀之さんは…春日の味方じゃないんですか?」

「春日? あんなもの…っ、俺だけの問題ならあんな家に従うもんか」

「…じゃあ、もしかして百合子さんの為?」

紀之さんの表情が一瞬揺らぎ、柔らかなものが宿った。
言葉はなくても彼の心の内が手に取るように解った。
多分紀之さんは、僕と同じだ。
大切な女性を一族から護りたい。
手段は違っても、その想いは同じなのだろう…


「廉、お前が俺に協力すれば彼女を護ることができる。…取引しないか?」

「……取引?」

「そうだ。彼女を確実に護る事ができ、お前にとってもメリットがある」

「何をさせようというんです?」

「俺の妹と…百合子と婚約するんだ」

「断る。おじい様の思い通りになるだけだ。僕は絶対に婚約なんてしません」

「待て、話を最後まで聞け。お前は形だけ婚約して、結婚はせず時間を稼いでくれればそれでいいんだ」

「……どういう事です?」

苛立つ僕を横目に、紀之さんは新たなタバコを取り出すと火をつけた。

「俺は百合子を一族結婚の犠牲にしたくないんだ。あの家から逃がし自由にしてやりたい。何処かの御曹司と婚約したら破棄することは難しい。だからお前が婚約をしてズルズル結婚を引き伸ばしてくれればいいんだ。」

「…なっ?」

「時間を稼いで欲しい。お前はまだ高校生だ。大学を卒業するまでは何とか婚約のままで引っ張れるだろう。その後も何とか理由をつけて引き伸ばせ。俺の準備が整うまで」

「準備?準備って何のことです?」

「…それはお前が協力を約束してくれないと言えないな。…俺も命を懸けているんでね」

「随分物騒な話ですね。理由も知らされず協力しろと言われて頷くほど僕を馬鹿だと思っているんですか?」

「思っちゃいないさ。だが彼女を護りたいなら…絶対に協力するだろうよ」

フウッと大きく吐き出された煙が開け放たれた窓からネットリと流れていくのを見送る。

真夏の午後の太陽に焼かれた熱風が吹き込み、雑踏の音が耳障りに流れ込んできた。

エアコンの風に馴染んだ身体にムッと湿度が纏わりつき汗が滲む。

車のボディーを焼く灼熱の太陽が眩しくて目を細めた。



「あなたは…何を考えているんです?」

「聞いてから協力を拒んだら、俺に殺されるぞ」

「聞かずに協力しても覚悟は必要なんでしょう?」

「…ああ、春日を敵に回すことになるからな。バレたらジジイが俺達を殺すだろう」

「どちらも真っ平ですね」



紀之さんの眉がピクリと上がった。



「でも…どちらにしても覚悟がいるなら、話を聞きましょう」



僕の返事に深く息を吐き、振り返る紀之さんの瞳は、これまでに見たことが無いほどの強い意志を秘めていた。
彼がこれから話すことは決して僕を騙すための戯言ではない。
命を懸けていると言ったのは、嘘ではなく、彼は本気で春日を敵にまわす覚悟をしているのだと直感した。

「お前、ジジイの孫の篤(あつし)って知ってるか?」

「いいえ。初めて聞いた名前だ」

「そうか、無理も無い。14〜5年前の事だからな。当時ジジイは篤を次の後継者にと考えていたんだ。実際、その時春日を継げる男子は彼しかいなかったからな。だが、篤は大学2年のとき高校生を孕ませた上、結婚するといって家を飛び出し春日と縁を切ったんだ」

「縁を切った? おじい様がそれを許したっていうんですか?」

「許すわけねぇだろ? だが、あの一家は楓の時とは違い何事もなく今も平穏に暮らしているんだ。何故だと思う?」

聖さんの父親の死におじい様が関わっているのなら、同じように篤さんの家族に手を下すことも容易に想像できる。
だが、彼らにはそれがないというのか?

何故だ…?

「篤には娘が二人いる。長女の雅はまだ中学生だが、ジジイの奴、えらく気に入っているらしいんだ。聖良のときに失敗しているから慎重になっているんだろう。今騒ぐとまた手に入れられなくなるからな」

「まさか!まだ中学生のその娘を?」

「ああ、いずれ養女にすると言い出すはずだ。ジジイを裏切った篤を許すとは思えないし、春日には他に男の後継者がいないからな。篤の娘達だけが春日の血を引く一族結婚の対象者なんだ。いずれ一族の誰かと婚約させて跡を取らせるつもりでいるんだろう」

「それは…篤さんが許さないでしょう?」

「篤の意思なんて関係ないさ。ジジイを裏切った篤への復讐も兼ねているだろうからな」

「…酷い」

怒りにギュッと握り締めた拳に爪が食い込む。
その痛みがかろうじて怒りに呑み込まれそうな自分を制してくれた。

「…良いか廉、俺は春日を内側から崩す」

「紀之さん! まさかその為に?」

「…そうだ。雅はまだ中学生だ。彼女を手に入れて春日に入り込むまでには、まだ数年かかる。…お前は百合子と婚約をして時間を稼いでくれ」

「ダメだ!雅さんはまだ中学生なんでしょう?」

「他に方法はないんだ。春日には後継者がいない。…誰かが春日の家に入らなければ、一族結婚の悪夢は断ち切れない。誰も幸せになれない一族結婚なんてもうゴメンだ。俺があの家に入り込み内側から潰してやる」

「紀之さん!ダメだ。雅さんの犠牲の上に成り立つ幸せを百合子さんが喜ぶと思うんですか?」

「…大切な妹を護るためだ。罪なら俺が一人で背負う。廉、お前だって彼女を護りたいんだろう?お前が百合子と婚約し、俺が雅と結婚すればジジイは安心するだろう。彼女達の安全は保障される」

「…っ!」

「どうだ?お前はこの取引を受け入れるはずだ。血を流す事無く、被害は最小限で済む」

「雅さんが最大の被害者だ」

「俺だって雅の事は可哀想だとは思う。だが、他に方法はない。もしも…春日に後継者がいれば話しは別だがな」

「春日の後継者…?」

「ああ、春日を継げる男子だよ。…どっかに隠し子でもいて、そいつが味方になれば勝算はあるかもしれないんだがな。春日に後継者がいない今、これしか方法がないんだ」


紀之さんは諦めたようにフッと笑ったが、僕は内心動揺していた。



母さんの息子…



考えてみれば彼はただ一人の正当な春日の後継者なのだ。



「タツヤ」という名前が一瞬胸を過ぎる



彼はこの悪夢を断ち切る鍵になるのだろうか






いや、ダメだ。






一族の因縁に囚われる事無く、何処かで幸せに生きている義兄を…





この忌まわしい呪縛の中に巻き込むわけにはいかない。








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幾つかの物語が繋がりましたが、お分り頂けましたでしょうか?
時間軸はバラバラですが、『雪うさぎ』『夢幻華』『Love Step』が繋がりました。
篤の娘は『雪うさぎ』の雅です。篤は番外編【続・勇気の受難】で雅の恋人勇気にアレを渡したあのパパです。 時間軸は、雅が14歳の頃、勇気と再会する1年ほど前になります。
『Love Step』の時間軸は番外編【星に願いを】の2ヶ月後で、二人は夏休みにペンションFriendへ来ています。
頭の中が整理できましたか? まだ混乱していらっしゃる方、現在作品年表と家系図を作成中です。もう少しお待ちください。
質問があればお答えしますのでメールにてどうぞ(笑)

2007/11/08