―…香織
廉君に呼ばれた気がして振り返る。
そこにいるはずのない人、そこにあるはずの無い姿を求めて視線を彷徨わせていると、村田さんが訝しげな顔で『どうかしましたか?』と聞いてきた。
曖昧に笑って誤魔化すと、促されるままに駅のプラットホームへと進み、勧められた待合の椅子に座った。
乗車予定の特急はあと5分ほどで到着すると、村田さんは事務的に説明をした。
彼は安田さんのように、気さくに話したり、ニッコリと微笑むことはしない。
ボディーガードといわれてもピンと来なかった安田さんとは違い、下手するとヤクザさんと間違われてしまいそうな雰囲気で、ちょっと怖い。
ふぅ…と、小さく溜息をつくと、数メートル先の自販機まで飲み物を買いに立ち上がり村田さんと距離を置いた。
そのまま悩むふりをして彼の視界から隠れる。
あたしを護る為だいうのは解るけれど、あの射るような視線でずっと見つめられていると、ただでさえ沈んでいる気分が更に暗くなる。
傍にいると息が詰まりそうだ。
どちらかというと運転をしていた小村さんのほうが話し易く、安田さんと雰囲気も似ていたせいか、好感をもてた。
せめて彼がいたら、この重苦しい空気を少しでも和ませることが出来たかもしれないのに…と、車中の会話を思い出しながらもう一つ溜息を吐いた。
別荘を出て10分もしないうちにあたしは車に酔ってしまった。
昨夜はずっと廉君と話していて、朝方少し眠っただけだった事が、ただでさえ酔いやすい体質に拍車をかけてしまったようだった。
安田さんの時は酔わないようにといつも気遣って、沢山お話しをしてくれたっけ。と、優しい笑顔を思い出した。
彼の容態はどうなんだろう。
こんな形でお礼もお別れも言えず帰ることを申し訳なく思いながら、昨日の現場付近を通り過ぎた。
山道が終わり見慣れた景色が遠ざかると、それまで張り詰めていたものが緩み始める。
本当は泣き伏してしまいたいけれど、運転手の小村さんと、助手席に座る村田さんの手前それも出来ず、あたしは眠ったふりをして目を閉じたまま、込み上げる哀しみと気分の悪さに耐え続けた。
その様子に、小村さんは180cm以上ある長身を小さく折り曲げるように頭を下げて、安田さんのように運転できなくて申し訳ないと、何度も謝ってくれた。
かえって申し訳なくて、大丈夫と精一杯の虚勢を張ってみるものの、体調は益々悪くなり、声を出す事も辛くなっていく。
ついに車を止め休憩を余儀なくされたあたしに、
しょんぼりとする小村さんには申し訳なかったが、既に慰めの言葉をかける心の余裕も無く、その場の重い空気を何とかしようと電車で帰る提案を即座に受け入れたのだった。
少しでも早く一人になりたかった。
早く彼らから離れて泣きたかった。
電車に乗れば、一人になれると思ったのに…。
村田さんと二人きりになったことを、あたしは今更ながらに後悔した。
「大丈夫ですか? まだ体調が優れませんか?」
自販機の前でモタモタしていたあたしに、背後から村田さんが声をかけた。
彼の視線から逃げたはずなのに、いつの間に後ろに回ったのだろう。
全く気付かなかった。
いくら考え事をしていたとはいえ、こんなに大柄な彼が、すぐ傍に立つことに気付かなかったなんて…。
ボディガードというのは、気配すら消して傍についているものなんだろうか。と、思わず真夏であることを忘れ身震いをした。
自分を護ってくれる人に嫌悪を抱くなんて…。
昨日の今日で敏感になっているのかもしれない。
そういえば…と、ここへ来る時、余りにも心配する廉君に電車を却下されて、安田さんに迎えに来てもらった事を思い出した。
廉君はあの時から、ずっとこうなることを心配していたのかもしれない。
廉君はいつだってあたしを一番に考えて心配していた。
もしかしたら夏休みに入ってからずっと、片時も心の休まる時なんて無かったのかもしれない。
昨夜一晩中、彼の腕の中で出逢ってからの事をずっと語り明かして、彼の横顔を見ながら、あたしはそう感じていた。
夜明けなんて永遠に来なくてもいいと思った。
ずっとずっとあのままでいたかった。
寄り添って抱きしめあって、互いの温もりと鼓動を感じる。
触れる場所から想いが溢れてきて、廉君があたしをとっても大切にしてくれているって伝わってきた。
大切だから傷つけたくないと…
痛いほどに気持ちが伝わってきて…
傷ついても良いから離れたくないとは言えなかった。
本当は泣いて別れたくないと言えば、廉君の気持ちが揺らいだと思う。
だけど、それをすれば彼の負担は益々増えるばかりだ。
それだけは…嫌だった。
あたしはもう、廉君の負担になりたくない。
あたしの為に、これ以上苦しい顔はさせたくない。
これでよかったんだ…。
村田さんに促されるままに、再び待合の椅子に座ると、電車の遅れを告げるアナウンスがプラットホームに響いた。
一つ手前の駅で何かあったらしく、ダイヤが乱れているらしい。
アナウンスを聞いた村田さんが、チッと舌打ちした。
どうやら予定が狂ったことに苛立ちを感じているらしく、しきりに時計を見ている仕草に、これは良い口実になるかもしれないと、瞬時に思考をめぐらせた。
「村田さん?…あの、あたしなら一人で帰れますから、何か用事があるんでしたら、どうぞ構わずに行ってください」
「何故そんな事を?」
「だって、随分時間を気にしていらっしゃるみたいで…あたしのために予定が変わって迷惑しているんじゃありませんか?」
僅かに動揺を見せた村田さんは、突然痛いほどの力で手首を掴んだ。
予想外の行動に驚きの余り言葉を失うあたしに、彼は感情を隠した声で低く呟いた。
「確かに…少し困ったことになりました。ダイヤが乱れたとなると、あなたを予定通りお連れすることが出来なくなります」
「あの…あたしなら一人で帰れます。誰もあたしが車を降りて電車で帰るなんて思わないでしょうし、危険は無いと思います」
「確かに…あなたがここにいる事を知っているのは小村と私だけです。だが、あなたをまだ帰す訳にはいきませんので…。私と一緒にタクシーで移動願います」
「…なんですって?」
「あなたにお会いしたいと仰る方がいらっしゃるのです。ご自宅へお送りすると見せかけてそちらへ向かう予定だったのですが…あなたがここまで車に弱いとは思いませんでした。怪しまれない為に小村に荷物を運ばせ、電車で1つ先の駅まで行ってから降りて頂くつもりで別の車を待たせていたのですが…なかなか事はうまく運ばないようですね」
「…1つ先の駅って…あたしが降りるはずないじゃない。何を馬鹿な…」
「あなたには電車に乗ってすぐに薬で眠って頂く予定でしたので」
淡々と話す村田さんに、ゾッとする。
あたしをどうするつもりなのだろう。
この人は、最初から家へ帰すつもりなどなかったのだ。
「…行かないと言ったら?」
「あの方は時間に厳しい方ですので…急ぎますよ。怪我をしたくなければ、素直に付いて来てください」
あたしの意志など無視すると逆らうことを許さない力で腕を引いていく。
背中を冷たい汗が伝った。
ココカラニゲナケレバ…
プラットホームに鳴り響くアナウンスの音が、脳裏に響く警笛と重なる…
反射的に抵抗しようと、手にしたバックを振りまわした。
それまで大人しかったあたしの突然の攻撃に、村田さんはかなり驚いたようで、一瞬ひるんで腕が緩んだ。
その隙に腕を振り切り身を翻すと、駆け出そうとした。
「待てっ!」
村田さんがあたしの肩を掴み引き戻そうとする。
無我夢中で満身の力をこめて左腕に噛み付いた。
ギリッと嫌な音と共に肉に喰い込む感触と、口の中に広がる生暖かい鉄の味で胸が悪くなったが、ここで怯む訳にはいかなかった。
痛みの余り叫んだ村田さんは、まるで咆哮する獣のようだった。
狂ったようにあたしを振り払おうと足掻き、ものすごい力であたしを引き剥がし突き飛ばした。
刹那…
あたしはバランスを崩した。
スローモーションのようにプラットホームから身体が離れていく。
なす術もなく落下するあたしの視界に飛び込んできたのは…
轟音と共に近づいてくる貨物列車だった。
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廉の為に自分の気持ちを閉じ込めようとする香織。そんな彼女をまたしても悪夢が襲います。
ホームから転落してしまった香織の運命は?
久々の更新でまたもや怒涛の展開となっておりますが…果たして廉は間に合うのかっ?
きゃーっ。廉早くーっ!! 必死こいて書いてますっ(滝汗)
2007/12/26