Little Kiss Magic 3 第34話



思い出してしまった。

ずっと忘れていたこと。

忘れようとして、記憶の奥底にしまっていたこと。

あたしは何故生まれてきたのだろう。

時々そう思うことがあった。

何故だか理由は分からないけれど、時々突然とても不安な気持ちになって、そんな時必ずその疑問が浮かんできた。

両親にも、今の生活にも、何も不満もないのに、何故そんな風に思うことがあるのか、ずっと分からなかった。

何故こんなに不安な気持ちになるのかも…

何故こんなに哀しい気持ちになるのかも…

だけどようやく…

その理由を…思い出した。



中学2年生の時、あたしは転校先の学校でイジメに遭った。
きっかけは、クラスで人気のある男の子の告白を断ったという些細なことだった。

転校してすぐに成績がクラスでトップになり、入部した水泳部で先輩を凌ぐタイムを出したあたしは、急激に注目を集めていた。
それが一部の女子の癇(かん)に障ったらしい。 最初は女子の悪戯程度のものだったのが、どんどんエスカレートし、次第に男女関係無く、クラス全員があたしに嫌がらせをするようになった。
仲の良かったクラブの友達も、危害が及ぶことを恐れあたしから離れていった。

あたしは、もう何を信じていいか分からなかった。

両親に知られたくなくて、必死に隠し続け、変わらぬ笑顔で過ごしていたけれど、ある時、鞄をカッターでズタズタに引き裂かれた事がきっかけで、両親の知るところとなった。
それから、あたしは笑わなくなった。
もう無理をして笑う必要が無くなったから。
生きていることが辛くて、何度も死にたいと思った。

感情が欠落したように、表情無くただ生きているだけのあたしを見かねた両親は、学校を休学させおばあちゃんの元へと預けた。
学校からも辛い現実からも離れ、転校前の土地で過ごすことで笑顔を取り戻して欲しいというのが、両親の願いだったのだろう。

まさか、それによって隠し続けた事実を知られることになるとは、思ってもみなかったのだと思う。



それを見つけたのは、 梅雨独特の湿度が高く、今にも降り出しそうなどんよりとした雨雲が立ち込めた、6月も終わりに差し掛かった日だった。
おばあちゃんの家で暮らし始めて1週間、退屈し始めていたあたしは本を借りようとしておばあちゃんの部屋へと向かった。
そして本棚の影に隠してあったあるものを見つけたのだ。

茶色いシミがついたショールと、おばあちゃんに宛てた一通の手紙。

それがまさか、自分の出生に纏わる秘密だとは思いもせずに、興味本位で手にとってしまった。
手紙の内容は、父親が生まれたばかりのあたしを、おばあちゃんに託したいというショッキングなものだった。
理由は明記されていなかったが、誰かに追われていたらしく、あたしの存在を隠して欲しいとあった。

ショールのシミが血ではないか思い、もしかしたら自分の本当の父が誰かを殺めた殺人犯かもしれないと不安になったあたしは、 おばあちゃんに真実を問い詰めた。
おばあちゃんはとても辛そうに、父が借金取りに追われていたらしい事実と、ショールの血は産まれたばかりのあたしが包まれていた為ついたものだと教えてくれた。
父は、まだへその緒がついたままの、産まれて数時間しか経たないあたしをショールに包みおばあちゃんに託したらしい。
雪のちらつく寒い夜、綺麗に洗って貰うことも無く、産着も着ずに、たった一枚のショールに包まれたあたしは、父の腕の温もりだけを頼りに命を繋いでいたという。
どんな事情があったのか詳しいことを話すことも無く、既に泣く力も無かったあたしを預けて消えた父の消息は、その日からわかっていない。
その後あたしは、父の妹夫婦に引き取られ、娘として育てられた。

事実を知って、ただでさえ不安定だったあたしは、そのショックに耐えられず、それから暫く声が出せなくなり、度々悪夢や発作的なヒステリーで苦しんだ。
そんなときはいつも、おばあちゃんの家の裏にある川に潜った。
水の中で川のせせらぎや、自分の鼓動を聞いていると、不思議と心が落ち着いてくれたからだ。
それが一種の精神安定剤のような役割をしてくれたのか、悪夢やヒステリーの発作は少しずつ治まっていった。
それでも、あたしの声はなかなか戻らず、おばあちゃんや両親の心配を他所に、相変わらず心を閉じ、事実を受け入れることが出来ないでいた。

そんなある日、いつものように川で潜っていたあたしは、前日の雨でいつもより水かさが増し早くなっていた流れに呑まれてしまった。
薄れていく意識の中、あたしは未だ行方不明の父の事を思った。

どうしてあたしを捨てたの?
どうしてあたしに会いに来てくれないの?
どうしてあたしを愛してくれなかったの?

ねぇ…

どうしてあたしは生まれて来たの?

望まれないなら何故?
捨てられるなら何故?

あなたの事なんて知らなければ良かった。

おばあちゃんや、両親に散々迷惑をかけ、心配させ、更にはあたしを押し付けて姿をくらました父。
そんな人の血を引いているなんて、あたしは自分が許せない。

あたしはあなたのような、人の枷になる生き方だけはしたくない。

あたしの為に、誰かが苦しむのは絶対に嫌だ。

あたしの為に、誰かが傷つくのは絶対に嫌だ。

あたしの為に、誰かが我慢を強いられるのも嫌だ

あなたのように、誰かの犠牲の上に生きていくなんて…

それだけは絶対に嫌だ…

あなたなんて大嫌い!

もう二度と思い出さない!





溺れたあたしは、近所の人に助けられ一命を取り留めた。
そして、目覚めたときには、父の事も自分の出生の事も、 胸の奥の深いところに『忘れる』という形で無意識に封印してしまっていた。
それからは、少しずつ声も戻り始め、 おばあちゃんや両親の愛情を受け、以前と変わりない生活を取り戻していった。

唯一つ、変わったことがあるとすれば、以前より人を思いやれる性格になったこと。
家族や友人の気持ちや幸せを、自分より優先して考える性格になったことかもしれない。


どんなに苦しくても

どんなに哀しくても

苦しいときほど笑顔を絶やさず

哀しいときほど微笑んでみせる

大切な人を心配させないように

大好きな人が幸せになるように




もう誰もあたしを捨てたりしないで―…


胸の奥深くに封印にしたその思いが


そうさせている事も忘れて―…





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産みの母の顔を知らず、父親に捨てられた事実を受け入れられず、胸の奥底に封印した辛い過去。
廉がどんなに時間に遅れても、忙しさに構ってもらえなくても、文句一つ言わず待つことのできる香織の従順さは、捨てられる恐怖ゆえの無意識の行動だったのです。
全てを思い出し不安定になった香織を、廉は必死に支えようとしますが…

2008/01/16