Little Kiss Magic 3 第4話



香織の両親から外泊の許可を貰うのは意外と簡単だった。

反対される事も、嫌味の一つ二つを言われる事も覚悟して、何とかお願いしたいと頭を下げるつもりだった僕にとって、それはもう、思わず脱力してしまうほどにアッサリと許可が下りた。

しかしその前に、毎年お盆に顔を出しているお母さんの実家へは、予定を前倒ししてでも行かなければならないそうだ。
香織のおばあさんは年末に一度入院しており、気弱になっているらしい。
彼女が遊びに来ることを楽しみにしているので、せめて1週間くらいは滞在して元気付けてあげたいとの事だった。

夏休みの初日に一緒に連れて行きたかった僕には残念だったが、事情が事情なだけに、流石にこれ以上我侭は言えない。
結局香織は、おばあさんの家で7月を過ごすこととなり、彼女が僕の元へ来るのは8月からとなった。

香織に誰かが接触しないかと心配ではあったけれど、親戚の家まで押しかけて何か仕掛けるような馬鹿な真似は、たとえ紀之さんだってしないだろう。

だが、両親と一緒の間は良いとして、彼女を独りで別荘へ向かわせるのは、やはり心配だった。
電車で来ると言い張る香織を何とか説得して、使いの者を迎えにやる事を半ば無理矢理了承させると、僕は一足先に両親の待つ別荘へと向かった。

気がかりではあったが、だからと言って仕事を放り出しておく訳にはいかない。
これからホテルオープンへ向けての最終調整が始まる。

香織の笑顔の無い生活に明日からの激務。
考えただけで気分が萎えてくる。
だけどやるしかないんだ。

1週間後には彼女は僕の傍で笑っている。
香織を最高のホテルに迎える為に与えられた時間だと自分に言い聞かせ、とにかく仕事に全力を注ごうと決めた。

それからの僕は、彼女が来るまでに1カ月分の仕事の全てを終わらせるつもりかと、父が笑うほどの勢いで仕事をこなしていった。
仕事で頭を一杯にしておかなくては、離れていることが不安で、すぐにでも飛んでいきたくなってしまうからだ。
一日が、とにかく早く過ぎるようにと、それだけを考え仕事に没頭する。

そんな僕を支えていたのは、毎日香織から日記のように送られてくるメールだった。

朝起きて、『おはよう』から始まって、『お休み』まで、約2時間ごとに送られてくるメールで、彼女がその日、何をして過ごしたのかが手に取るようにわかる。

彼女がすぐ傍にいるようで、ふっと心が和らぐ一瞬の後、その距離の遠さにぐっと切なくなる。

一秒でも早く、彼女の笑顔に癒されたい…

彼女の声を聞き、彼女の温もりに触れたい…

ただひたすらそれを願いながら、再会の日を待った。

まるで永遠のようにすら感じる1週間は、ノロノロと、カタツムリの這うような速度で流れていった。



そして待ち焦がれた当日。



僕が朝からソワソワしていたのは、モチロン言うまでもない。

父親はそんな僕をやたら冷やかしてくるし、母親は早く香織に会いたいと一緒になって浮き足立っている。

勝手に盛り上がっている二人を無視して車に乗り込むと、その日の仕事を午前中で片付ける為、いつもより1時間以上早く家を出た。
車を降りる際に幼い頃から知っているベテラン運転手の安田さんに、香織が車に弱いことを告げ、気を配るようお願いすると、彼はニヤッと笑った。

「もちろんですよ。廉さんの大事な方ですから、宝物のように扱わせていただきますよ。それよりもお約束の時間に戻れるよう、仕事を片付けてくださいね。彼女に寂しい思いをさせたくは無いでしょう?」

「うん、わかってる。安田さん、香織を頼みます」

黒塗りのベンツが音も無く走り去っていくのを見送り、数時間後の香織との再会に思いを馳せる。
僕よりも安田さんが先に彼女に会うのは悔しいが、そんな事で拗ねている場合ではない。
とっとと仕事を始めないと、本当に約束の時間に間に合わなくなってしまうと、慌ててオフィスに駆け込んだ。

まだ誰もいないオフィスで、僕はすごい勢いで仕事を片付けていった。
香織が来るというだけで、こんなにもパワーが溢れてくるのだから自分でも笑ってしまうほどだ。
社員が来る頃には、僕のデスクの上は、何処から沸いてくるのかと思うほどに書類が積みあげられていた。
とても午前中だけでは終わりそうに無い仕事量だったが、眩暈がしそうになる気持ちに叱咤し、約束の時間までにはケリをつけようと、追いかけてくる時間に挑むように頑張った。

何とか無理矢理切り上げてタクシーに飛び乗った頃には、既に香織との約束の時間は30分ほど回っていた。

つい先ほど香織から別荘に着いたとメールが入り、僕のテンションは最高潮に高まっている。
早く、早くと願うときほど、時間もタクシーもゆっくりと流れるのがもどかしかった。
焦る気持ちに車のメーターを覗き込むが、体感スピードより、ずっと車の速度は速いようだ。
人間の感覚なんて当てにならないものなのだな。と、どうでも良い事を妙に納得しながら、窓の外を流れる景色が少しずつ香織へと近づくのを、じれったい思いで見つめていた。

門の前でタクシーを降り、慌しくアプローチを駆け抜ける。
玄関に向かおうとした時、夏の暑さも吹き飛ぶような涼しげな笑い声が耳に届いた。

香織の声だと脳が認識したとたん、ズキンと心臓に杭を打ち込まれたような衝撃が走る。

もう何年も聞いていないようにすら感じる彼女の声に、痛みを感じるほどに心拍数が上がっていくのを感じた。

この調子では香織の顔を見たとたん心臓発作でも起こすんじゃないだろうか?

一抹の不安を抱えながらも、耳に心地良いその声に誘われて裏手のテラスへと回る。

そこには、母にお茶とお菓子でもてなされている香織の姿があった。


深い緑の木々に囲まれた庭を、心地よく吹き渡る夏の風が、白いサンドレスの裾を揺らす。



会いたくて、愛しくて、夢にまで見た香織の笑顔。



その光景に、僕の心臓は一瞬、その鼓動を止めた



時々聞こえる僕の名前に頬を染め、恥ずかしそうに微笑む仕草一つ一つが愛しくて、今すぐにでも駆け寄って抱き締めたい衝動を抑えるのが難しいほどだった。

木々の間を吹き抜ける風が香織の長い髪を揺らして甘い香りを僕の元へと運んでくる。

ドキドキと五月蝿く鳴る鼓動を抑えるように、深呼吸をしてゆっくりと歩き出すと、その気配を感じて彼女が振り返った。

「廉君!」

その場が光に包まれるような、真夏の太陽よりも眩しい笑顔。

それは僕だけの為に捧げられた、最高の贈り物だった。

その瞬間、1週間の辛かった時間など、瞬時に何処かへ吹き飛んでしまった。

現金だなんて、言わないで欲しいね。

だって…

この微笑に魅了されない男なんて…


絶対にこの世に存在しないと思うよ。





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香織に会えない夏休みをジリジリと過ごす廉。我慢しただけあって、香織の笑顔はいつも以上に眩しく映ったようです。
惚れた欲目で、彼女の笑顔には誰もが惚れるだろうと思い込んでいるようで…(^^;)
カワイイというか…バカ?恋は盲目ですねぇ(笑)
次回も廉の視点です。嬉しくてちょっと暴走気味の廉君をお楽しみいただきましょう♪

2007/07/05