Little Kiss Magic 3 第43話



ほとぼりの冷めた頃に香織を迎えに行き、百合絵が望んだとおり一族から離れ、静かな土地で、二人で暮らそうと思っていた。

だが、俺はどうしても百合絵の復讐を遂げずにそれをすることは出来なかった。

香織に危害が及ぶことを恐れ、里子に出し、俺との繋がりを絶って欲しいと母に託し姿を消した。
奴らに復讐をする為に、俺は榊 俊弥として生きた全てを捨てなければならなかったのだ。

俺は、百合絵を裏切り死に追いやった者とされ、一族に追われ始めた。
だがむしろそれは、自分の存在を消し別人に生まれ変わろうとしていた俺にとって、ある意味都合の良い形となった。
俺は『鵺』に追い詰められ、冬の荒波に消えた。
荒れ狂う波に沈んだ俺を、誰も生還できるとは思わなかったのだろう。
俺は死んだものとされ、以降一族の追っ手がかかることは無くなった。

それから俺は整形手術を繰り返し、声を潰した。
新しい戸籍を手に入れ他人に成りすまし、一族の使用人として春日家に潜り込む事に成功した。
春日が俺を殺そうとした『鵺』を操る一族だという事を、闇の情報より知り得たからだ。

春日の暗殺組織に潜り込み、尾田と一族の情報を集め復讐を遂げる。
それが俺の計画だった。


だが、一族に潜り込んだとき初めて、失ったと思っていた小さな命が、 仮死状態から奇跡的に一命を取りとめ、瀬名家の養女になったことを知った。
あの時、百合絵の腕の中で死んだと思っていた我が子は生きていたのだ。

百合子と名づけられた娘は、百合絵に生き写しだった。
嬉しかった。
だが同時に、百合絵の忘れ形見が一族の手にある事実に愕然とした。
百合絵の最後の望みは香織を一族の手から離し、幸せにすることだった。
もしも百合絵があの子の無事を知ったら、きっと香織に望んだと同じ事を百合子にも望んだはずだ。

この巨大な鳥かごから愛する娘を逃がさなければ、百合絵は安らかに眠れない。…そう思った。

俺は、それまで以上に任務をこなし、着実に春日での信頼を得ていった。
闇に封印するような汚い仕事も顔色一つ変えずにこなしていく事で、短期間に力と信頼を得ることに成功した。
その冷酷さを買われ、暗殺集団『魁鬼』の一人にまで抜擢されるようになり、春日での信頼を不動のものとしていった。

そして、あの哀しい日から5年後…
俺は『魁鬼』として百合絵を死に追いやった尾田をついに追い詰める事となった。
本来なら『鵺』の動くべきところであったはずの制裁だが、一族に泥を塗った尾田に対し、その罪の重さをより残酷に知らしめる為、『魁鬼』が呼ばれたのだ。
百合絵の葬儀にも出席せず、直ぐに新しい妻を娶った事で、瀬名家を始め、五家の当主たちの尾田に対する怒りは相当なものだったようだ。

『魁鬼』となっていた俺にとって、まさに幸運としか言いようのない復讐のチャンスが舞い込んだのだ。
百合絵が俺を導いてくれたのだと思った。

より残酷に、より苦しむように、俺はあいつが百合絵にしたように、山奥の別荘に外から施錠し監禁した。
外部から僅かの光も届かぬよう密封され、必要最小限の粗末な食事のみを与えられる極限の環境の中、一定時間ごとに投影される百合絵の立体映像に、あいつは恐れ戦き、泣き喚き、徐々に精神を蝕まれていった。

ひと月余りで孤独と恐怖に気が狂い、廃人同然になった尾田を、俺は山中に縛りつけ置き去りにした。

1週間後
そこには野犬に食い荒らされ残骸となった、かつての上司の無残な姿があった。

俺は奴の最後の姿を前に笑った。
ようやく憎い男への復讐を遂げたのだ。
これほど嬉しいことはないはずだった。

それなのに、何故か心の渇きは癒されなかった。

そのときようやく悟ったのだ。
あいつを殺しても、恨みを晴らしても、何をしても…
百合絵はもう還ってこない。

俺はその場に崩れ、 彼女が死んでから、初めて大声を挙げて泣いた。

虚しい想いだけが残り、いっそ彼女の元へ逝きたいとさえ願った。

だが、まだ俺はこの世に残した仕事があった。
百合絵の最後の願いはまだ叶えられていない。

まだ死ねなかった…。



復讐から暫くして、俺は浅井家への任務を命じられた。
結婚を嫌がり失踪して、10年後に記憶を失って帰ってきた春日 雪が浅井家に嫁ぐ為、彼女が再び逃げ出さないよう監視する役目だった。
彼女が再び逃げ出すことがあれば、『魁鬼』として抹殺せよとの春日当主からの命を受けていた。
自分の孫娘にすら容赦のない春日家当主に、一族の底知れない闇を見た俺は、改めて百合子を一刻も早く解放しなければと思った。

俺はさる有力企業筋から紹介された優秀なボディガードとして浅井家に雇われた。
裏では『魁鬼』として、春日と対立する泉原家に傾(かし)いでいる浅井家当主の動きを探るスパイの役目も担っていた。
俺に全幅の信頼を寄せる浅井家当主の克己様と夫人の雪様。そしてご子息の廉さん。
彼らが良い人であるだけに、心が痛まなかったといえば嘘になる。
だが、俺は百合子を助ける為にも、彼らを欺き続けなければならなかった。

夫人を傍で見ていると、一族の女性がどれほど血に縛られているのかを痛切に見せ付けられる。
それ故に、百合子を一日も早く解放し、幸せにしたいという思いは日に日に募っていった。
何も出来ない父親だが、せめて百合絵の望んだとおり、一族から逃れ幸せになってほしい。

それだけが願いだった。

そんなある日、 百合子が廉さんの婚約者になったと知った。
まだほんの子供の二人の未来を、一族最年長者である春日家当主が一存で決めてしまったことに、哀しみと憤りを感じた。
どうすれば百合子を救えるだろう。
父と名乗ることも出来ないこの身で、どうやって彼女に近づき、警戒されること無く、追われることのない土地へ逃がすことが出来るのか…。
どれだけ考えても、良い案は見つからず、時間だけが過ぎていった。


それから時が流れ、百合子と廉さんの婚約発表が囁かれ始めた頃、廉さんに想い人が出来た。
時々、彼女の話をする廉さんの初々しさに、微笑ましく思いつつも、いずれ摘み取られてしまう恋の芽を痛ましい気持ちで見つめていた。
だが、廉さんはどんどん変わっていった。
これまで大して興味もなかった仕事にも頭角を現し、率先してやる気になったのが、その彼女のおかげだというのだから、その惚れこみようときたら大したものだった。

彼女のおかげで廉さんがここまでの成長を遂げることが出来たのなら、この先二人を引き裂くより、このまま結婚させたほうが良いのではないかと春日に報告をした。
俺にしたら、彼女がこのまま廉さんと結婚して百合子を開放できないものかと都合の良いことを考えての事でもあった。

まさかそれが仇となるとは…。
なぜ、その時点で彼女についてもっと深く調べなかったのかと悔やまれる。

何も知らなかった俺は、夏休みに入った廉さんが、これまで以上に仕事に打ち込んでいる事を、内心嬉しく思っていた。
廉さんの誕生日にホテルで行われる一族の代表が集うパーティに彼女を呼ぶと聞いていたからだ。
廉さんの才能をここまで引き出した彼女を恋人として公に連れ出す。
それは百合子との婚約を解消し、正式に彼女を自分の婚約者と同等の地位に納めることを公言するようなものだ。

百合子を救い出すチャンスかもしれないと思っていた。


だが、廉さんに彼女の送迎を言い渡され、前夜に手渡された住所を見て愕然とした。


全身の血が凍る思いだった。


まさか、自分の実家の住所を渡されるとは…。


まさか、自分の娘が廉さんの想い人だったとは…。


その夜は自分の愚かさを呪い、一晩中眠れなかった。


せめてお前だけは一族と関わりあう事無く生きて欲しいと、ずっとそう思って生きてきたのに…。


ー香織…すまない


その後、香織のボディガードを任せられた俺は、美しく成長した娘から片時も目を離すことが出来なくなった。
百合絵にそっくりな百合子とは対照的に、香織は俺に似ている。
かつての俺を知る人物が気付きはしないかと、ドキリとすることもあった。

香織と廉さんは、まるで血が呼び合うように惹き合っている。
俺と百合絵がそうであったように、互いの欠けたパーツを補う一対の心で結ばれている。
それを感じただけに、二人を見ているのが苦しかった。

なんとか香織を脅えさせ廉さんから引き離そうと、紀之さんを挑発したり、チンピラを雇ったりして脅しをかけてみたりもした。
まさか、自分の雇ったチンピラが小村にも雇われていたなどとは思いもしなかった。
情けなくも自分が怪我を負い、娘を助けることも出来ず、最悪の形で傷つけてしまう結果となった。

最低の父親だ…。

香織はどうなったのだろう。
小村が俺を襲ったときの口ぶりからは、無事らしい事は分かった。
だが、あの状況で何もされなかったとは考え難い。
考えたくはないが、もしかしたら香織は心にも身体にも深い傷を負ってしまったのかもしれない。

それも全て俺のせいだ…。
憎まれても殴られても良いから、この目で無事を確かめたかった。


どうして俺たちの娘は、普通の娘のような幸せを望めないのだろう。

百合絵の最後の願いが胸に刺さって苦しい。


ーー 一族の手の届かないところで幸せにー…


百合絵…俺はお前の最後の願いを叶えてやれるのだろうか?

こんな父親失格の男でも、二人の幸せを願う資格はあるだろうか?

なぁ?最後に幸せだったとお前は微笑んだけれど…

本当に幸せだったのか?




真っ白だった世界が徐々に闇に包まれる。
白銀の雪は消え、闇夜に浮かぶ月が哀しげな銀色で別荘までの道を淡く照らしていた。

夢から覚め、現実に引き戻されると、更に痛みは強くなる。
意識を飛ばしつつも、無意識で歩き続けていたらしく、いつの間にか別荘の目の前の森まで来ていたようだ。

小村が俺を抹殺しようとした事から考えても、俺が浅井を裏切っていた事実はもう知られている可能性が高い。
だとしたら香織への警戒も強くなっており、別荘への侵入は楽ではないだろう。
この傷で別荘のセキュリティを掻い潜り、あの子の無事を確かめることは出来るだろうか…

ドクンと傷口が大きく脈打ち、それまでとは比べ物にならない程の血が流れ出した。
既に包帯も羽織ってきただけのシャツも、血で赤く染まり、傷口を押さえる指の間からは容赦なく命が流れ落ちていく。

目の前の別荘がグニャリと歪んだ。

百合絵…

俺はもう死ぬのかな…

ごめんな。お前を独りで逝かせてしまって。

随分待たせて、寂しかっただろう?

もうすぐ俺も逝くから待っててくれよな?

だけどまだ死ねないんだ。俺はまだ、お前との約束を果たしていないんだよ。

二人を一族から解放して、幸せを見届けたら直ぐに逝くからな…

その時には…お前は笑顔で俺を迎えてくれるだろうか。


あの時、俺はお前を助けることが出来なかった…

だけど…せめて娘達だけは…

全てを終えたら、きっと直ぐに追いつくからな。

もう少しだけ寂しい思いをさせるけど、待っていてくれよな。


百合絵…お願いだ。


俺に力をかしてくれ。

どうかお前が残した二人の娘を護ってやってくれー…



森を抜けた先に 月光に白く照らされた別荘は、あの雪の日の光景と酷似していた。
最後の力を振り絞り、足を踏み出す。

フラリとおぼつかない足元に、不意に落ちた影。

不審に思い顔を上げると、会いたくない男が物陰からユラリと現れた。
月の反射を受けて冷たく光る刃をペロリと血のような赤い舌で舐め、血走った目を細める。

「ー…小村…」

「あんたを殺り損ねたせいで、俺も追われる羽目になっちまった。こうなったら何が何でも、あんたを殺るしか俺が生き残る道はないんでね。瀕死のあんたを消したところで俺の株は上がらないが、死ぬよりはマシだ。…覚悟してもらうぜ」


ニヤリと笑った男の顔が、百合絵を死に追いやった男の幻影と重なって見えた。




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今にもぶっ倒れそうな俊弥ですが、別荘は目の前です。
無事たどり着き香織と再会させてやりたいところですが、大量出血に加えて小村の登場。
俊弥ピンチです。
2008/02/09