Love Step

Step7 キスの代償 嫉妬の矛先 5




今日は大変な一日だった。

はぁ…と溜息を付いて湯舟に肩まで深く沈みこむ。
子どもの頃から肩まで入るようにと口すっぱくお兄ちゃんに言われたせいで、あたしは今でも湯舟には肩まで漬からないと気が済まない。

半身浴が身体に良いって言うけれど、あたしは絶対にダメ。お風呂に入っているって言う気がしないもの。

龍也先輩のマンションのお風呂は広く無いけれど、こういったマンションにしては比較的湯舟が大きくて、龍也先輩の長い足では無理かもしれないけれど、あたしくらいならそこそこ足を伸ばす事が出来る。

龍也先輩は一緒にお風呂に入りたがるけれど、「この広さで二人って言うのは絶対に無理です。」と頑なに拒否している。

だってこの湯舟に足の長い先輩と二人なんて…絶対に無理だもん。
あたしが拒否する度に、『沼に落ちたときは、一緒に入ってくださいって自分から言ったくせに。』って突っこんで、つまらなさそうに唇を尖らせて拗ねてしまう。
あの時の事を思い出すと今でも自分の無知ゆえの大胆な発言に頬が熱くなってしまうから、余りいわないで欲しいんですけど…。

でも、そんな時のあなたの表情は、いつもの意地悪なあなたじゃなくて、とっても子供っぽくて母性本能をくすぐられてしまうの。
カワイイってコッソリ隠れては思い出して笑っているなんて…これは絶対に内緒にしておかなくっちゃ、すぐにいつもの意地悪な表情に戻ってとんでもない仕返しをされてしまいそう。

でもね、お正月に沼に落ちて借りたお風呂は大きかったから龍也先輩が一緒に入っても距離を取れたし、状況が状況だけに恥ずかしいとか言っている余裕もなかったけれど、このお風呂じゃずっと抱き合っていないと無理だと思うのよ?


ゆったりと身体を湯船に委ねながら瞳を瞑って、今日一日の出来事を振り返ってみる。



ほんっっっ………とうに、疲れた……。



ポスター取りと言っても、あんなに本格的に何枚もスタジオで撮ると思わなかったし、教会へ移動してのリハーサル風景もかなりの枚数を撮っていた。
武ちゃんに写真を撮ってもらった事は子どもの頃から何度もあったけど、あんなに真剣な顔をした武ちゃんを見たのは初めてだったから、正直言ってかなり驚いた。

真剣な顔をしてファインダーを覗き込みシャッターを切る武ちゃんはいつもの明るい彼とはまったく別人のようで、龍也先輩にはナイショだけど少しドキドキしちゃった。

教会でのリハーサルは、かなり念入りに何度も誓いの言葉を練習した。
自分のドジを身に染みているあたしはバージンロードを歩く時にドレスの裾を踏んで転ばないように、龍也先輩が呆れるくらい何度も往復してみた。
結婚するカップルはみんなこんな風に何度もリハーサルをするのかと龍也先輩がげんなりとした顔で質問したら、「普通は一回だけかぶっつけ本番よ。」と佐藤さんが笑っていたけれど、例え本番でもあたしだったらこのくらいしないといけない気がする。

あたし達の場合は、ポスター用の写真撮りを兼ねていたから通常では考えられないくらいリハーサルに時間がかかっているのだそうだ。

綺麗なウェディングドレスは嬉しかったけれど、普段着慣れないせいか動きにくくて思ったより大変だった。
明日緊張して裾を踏んでよろけたり…いや、こけたりしたらどうしよう。

これから結婚するたくさんのカップルが見に来る大イベントの為、失敗のないように特に念入りに打ち合わせが行われているの見ていたあたしは、自分の責任の重大性を感じ始めていた。

その為か、リハーサルが終わる頃には緊張と不安で本当にグッタリと疲れきってしまっていて龍也先輩と武ちゃんを心配させてしまった。


パチャッと両手でお湯をすくって顔を洗ってその不安を洗い流すようにしてみるけれど、一度不安を感じてしまうと、人間はどうしてもそれを打ち消す事が出来ないらしい。

自分がたくさんのお客様の見守る中で派手に転んだ所を何パターンも想像して益々不安になってくる。


「あ〜〜!もうイヤ!考えちゃダメだってば〜〜!!」



そう叫ぶと、思い切ってザブンッっと、頭まで湯船の中に潜り込んだ。

お湯の中にもぐってしまうと、外の音が鈍く響くだけでよく聞こえなくなる。自分の心臓の鼓動がお湯に反響するように、ドクンドクンと耳に届くだけ…。

何だかお母さんのお腹にいたときを思い出すようで、あたしは心配事がある時こうしてお風呂に潜るのが好きだ。


あぁ…何だか落ち着くな。


温かくて、ふわふわして、ずっとこうしていたら不安なんて何も無くなってしまうのかも知れない







「――っ!聖良!?」







突然龍也先輩の声が妙にはっきり聞こえたかと思うと、浮遊状態からいきなり身体にG(重力)がかかった。
驚いた拍子に思わずお風呂のお湯を少し気管に入れてしまったようでむせ返ってしまう。


暫く咳き込んでいたけれど、ようやく落ち付きを取り戻したあたしは、今度は自分のおかれている状況にパニックになった。

あたしは裸のまま龍也先輩の膝の上で抱きかかえらるようにして座りこんでいる。
一瞬声もでないくらい驚いて、次の瞬間には大声で叫んでいた。

「きゃあっ!たったたたたっ龍也せんぱっ…い?ななななんでっ??」

あたしの叫びを無視した龍也先輩は湯煙で曇った眼鏡を外しながらすごい剣幕で『バカ!何やってるんだ。』とあたし以上の声で叫んだ。
どうして怒られるのか分からないあたしはきょとんとして目と鼻の先にある龍也先輩を見つめていた。

「…ぇっ…なっ…なんでバカなんですか?大体どうして先輩がお風呂に入ってきてるんですか?しかも服のままずぶ濡れじゃないですか。」

「聖良が溺れてたからだよ。」

「はあ?あたしが溺れてた?違いますよ。潜っていただけです。」

「……潜ってって…はぁ〜〜〜っ…なんだよそれ、すげぇビックリしたんだぞ?」

安堵の溜息をつきながら脱力した様にあたしを見つめる龍也先輩に、とりあえず事情を説明して謝ってみたけれど…。

「静かだから眠っているのかと思って声をかけても応えないし、心配でドアを開けたらいないし、おかしいと思って湯舟を覗いたら沈んでピクリともしないし…。マジで心臓が止まったと思った。」

先輩はあたしをギュッと抱きしめたまま服が濡れてしまうのも構わず座り込んでいる。
この状況からどう動いていいかわからなかった。
身体を軽く押せば離してくれるだろうけれど、そしたら龍也先輩にこんな姿を見られてしまうわけで…。 何度も見られたとは言えこんなに明るい照明の下で、それはやっぱり恥ずかしいかも…。

ハァ…どうしよう。心臓がすごくドキドキしている。
なんて言って離れたらいいんだろう。目を瞑って出て行ってくださいなんて、こんなに心配させた後にそんな事も言えないしなぁ。

あれ?そういえば龍也先輩の動悸もすごく早い気がする。

「……と思った。」

「え?」

龍也先輩の小さく擦れた声は震えていて…良く聞き取れなかったけれど、もしかして…あたしすごく心配させちゃったのかな。
ギュッと強く抱きしめられて息が苦しくて…先輩の指先が身体に食い込むのがわかる。
僅かに痛みを覚えたけれど、それほど彼を心配させてしまったのだと思うと申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

「…聖良が溺れて死んでいるのかと思った。おまえが俺をおいて手の届かない所へ逝ってしまうんじゃないかと思った。」

「せんぱ…。」

先輩の胸に顔を埋めて抱きしめられているあたしには、彼の鼓動が身体に直接響いてくるくらい大きく聞こえた。


ドクドクドクドクドク……


龍也先輩の鼓動はいつだって優しく包み込む子守唄みたいにあたしの心を落ち着かせてくれて大好きなのに…。今日はその鼓動が乱れ、いつものトクントクンとリズミカルに打つ鼓動よりも遥かに早い。



あたしが死んじゃうって思ったから?


あなたをおいて逝ってしまうと思ったから?



先輩の気持ちが嬉しくて…あたしはギュッと大きな背中に手を回しありったけの想いを込めて抱きしめた。

「逝きません。龍也先輩をまた一人にするなんてこと絶対にしません。ずっと一緒にいるって約束したでしょう?」

「うん……。」


龍也先輩は頷いただけでそれ以上の事は何も言わなかった。


先輩の服が水を吸ってどんどん重くなっていく。


それでも…


彼はあたしを離そうとはしなかった。






どの位そうして抱き合っていただろう。

龍也先輩の髪から滑り落ちた水滴があたしの肩から背中へと伝っていくのを感じた。

その冷たさに自分たちの身体が随分冷え切っている事に気づく。
龍也先輩が慌てて入って来た時のまま開け放たれたお風呂のドアからは風が流れてきて、夏場ならまだしも日中は温かくなったとは言え、夜はまだ暖房が欲しいくらいの気温の季節では濡れたまま裸で抱きしめられているあたしは体が冷たくなり始めていた。
必然的に先輩だってずぶ濡れの洋服に体温を奪われて体が冷えている筈だ。

このままじゃ二人とも風邪をひいてしまうんじゃないかしら?

「龍也先輩、ずぶ濡れですよ。」

「…うん。」

「このままだと寒くなって風邪引いちゃいますよ。」

「…うん。」

「着替えたほうがいいですよ。」

「…うん。」

「寒くないんですか?」

「…うん。」

何を聞いても『うん』しか言わない龍也先輩にだんだん不安になって来て試すように更に質問を重ねる。

「あたし…寒くなってきたんですけど?」

「…うん。」

いつもならあたしが寒いと呟いただけで自分の着ているジャケットを掛けてくれるような人なのに、今はあたしの言葉に反応するでもなく淡々と返事をするだけの龍也先輩にどう考えてもやっぱりおかしいと心配になって来る。
正気に返ってもらうにはどうすれば良いかちょっと考えて…あたしは大胆な行動に出てみた。


「寒いですしこのまま一緒にお風呂に入っちゃいます?」

「…うん。」

…まだダメか。

「じゃああたしが先輩の身体とか洗っちゃっても良いんですか?」

「…うん。」

はぁ…ダメだ。完璧に呆けている。

「じゃあこの服あたしが脱がせちゃってもいいんですね?」

「…うん。」

……完璧におかしい。ショックで頭の中がショートしちゃったとか?

どうしよう…。このままずっとこの状態って事ないよね?

不安を感じつつもとりあえずこのままではいけないと両手を突っ張るようにして先輩の身体を離そうと試みるけれど、呆けているわりにはシッカリ身体には力が入っていて、あたしが身動きすると益々力を入れて離すまいとしてくるみたい。

これって意識しているのかな?それとも無意識?

困り果てたあたしは先輩を正気に戻すべく、最終手段をとることにした。
これで正気に戻らなかったらあたし、本当に恥ずかしいんだけど…。

身体は冷え切っているのに恥ずかしさで頬がすごく熱くなってくる。

ドクドクと早い先輩の鼓動と同じか、それ以上に速いスピードで自分の心臓が踊りだすのがわかった。



すぅ……



小さく息を吸い込んでから、ギュッと目を瞑って龍也先輩の胸に顔を埋めた。

あたしの声は震えていて、自分で出したつもりの声よりもずっと小さかった。

それなのに…まるで時間を止めたかのように静かに反響して心臓の音までもがお風呂場に響いているように感じた。




チャポン…




蛇口から漏れた水滴の音があたしの声以上に大きく反響して、湯舟に波紋を作って静かに消えていく。








「あたしが…あなたを抱いてもいいですか?」











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うわ〜っ(*/∇\*) 聖良の口からこんな言葉が出ることになろうとは…成長したねぇ
おかーさんは嬉しいよ。お赤飯炊こうかなvv(…ってコラ!喜んでていいのか)
龍也は呆けているのか策なのか…。聖良を嵌める為にやっているとしたらとんでもない詐欺師ですね(笑)
次回は龍也視点です。彼の行動の本当の理由は…。


2006/05/29≪オリジナルバージョン作成≫
2006/09/19≪森バージョンに改訂≫
朝美音柊花