Love Step

Step7 キスの代償 嫉妬の矛先 6



はぁ…

今日は本当に疲れた。

なんだってリハーサルにあんなに時間がかかるんだよ?
確かに注目されているイベントだって言うのはわかる。だが、あそこまでしつこく誓いの言葉を復唱しなくても良いんじゃないか?

聖良なんてプレッシャー感じて、何度もバージンロードを行ったり来たりしていた。
慣れないヒールのある靴でしかもドレスだ。
確かにドレスは綺麗だったがあんなに大変なものだとは思わなかった。
すげぇ重いんだぜ?あれってペチコートとか言うんだろうか、ドレスをふわっと見せるのはあれでボリュームをつけているらしい。
男の俺には今までそんな事全然わからなかったけどとにかく重くて動きづらいようだ。
おしとやかに見えるドレスの下では大変な事になっているらしい。ドレスを蹴る様にして足を前に出さないと、裾を踏んでしまって歩けないんだ。

リハーサルの終わった時の聖良ときたら…かわいそうなくらい疲れ果てていた。

心配した彼女の叔父(あくまでも武さんとは言いたくない。)がどうしてもと言い張って俺達を車で送ってくれたくらいだ。

あの人も聖良と聖さんの叔父って言うくらいだから良い人なんだろうとは思う。

しかし、俺を送った後、わざとらしく聖良を自宅につれて帰ろうとしやがって、俺が慌てて聖良を抱き上げて車から降りるとおかしくてたまらないと言う風に馬鹿笑いしやがった。

あれは絶対に最初から俺をからかうつもりだったんだと思う。

クソ叔父のヤツ…いつか絶対に仕返ししてやる。



帰ってきてからグッタリとソファーで突っ伏す聖良に風呂にでも入って身体を休めるように勧めると、素直に風呂場へと消えていった。

今夜は覚悟しておけなんて言ったけど、明日は模擬結婚式の本番だしキスマークは絶対に増やすなと佐藤さんから帰り際に釘を刺されてきた。
まあ、そうだろうな。あのドレスを見る限り、首筋から胸元にかけて痕がついてちゃ目立って大変そうだ。
教会で愛を誓うのにキスマーク付きじゃやっぱりまずい気もする。

今夜は抱きしめるだけにして、早めに休もうと決めて明日の段取りをもう1度思い出しつつコーヒーを入れるためキッチンに立った。
コーヒーカップの白に聖良のドレス姿を思い出し、頬が緩んでくる。
豊潤なコーヒーの香りが部屋に満ちていくの楽しみながら俺は今日の午後からの出来事を思い出していた。



花嫁姿の聖良は溜息が出るほど綺麗だった。

明日が本当の結婚式ではなく、聖良が俺のためだけの花嫁でないのが本当に残念だ。

あんな可愛くて綺麗な花嫁はこの世に二人といないと思う。…って思うのは惚れた欲目って言うヤツだろうか。

聖良は本当にまるでこの世の者とは思えないくらいに眩しい光を放っていて、誰もが目を奪われた。
その笑顔は輝かんばかりの美しさだった。

模擬結婚式などと言わず本当にこのまま本物の結婚式をしたいと思ったくらいだ。

明日神の前で愛を誓うのは例え本物の結婚式でなくとも俺たちにとっては本物の誓いでありたいと思う。

ずっと二人で生きていく。

繋いだ手を離さず心を繋いで共に生きていく。

死が二人を別つその日まで…。

おまえも同じ気持ちでいてくれるよな…聖良。





「そろそろ時間だ。花嫁を迎えに行くぞ。」

スタッフの声を合図に、着替えを済ませた俺は新婦の控え室へとスタッフ全員と移動した。
その時は聖良の花嫁姿を見るのがすごく楽しみで、気持ちもかなり浮ついていたように思う。

だけど、聖良を見たとき、その姿が余りにも神々しくて息を飲んだ。

ドアを開いたその先には、窓から降り注ぐ春の日差しが作り上げた光のベールをいっぱいに浴びて振り返る純白の花嫁がいた。

そこにいるのは聖良でありながら、まるで女神にも見えて…

自分でも信じられないけれど…聖良の花嫁姿が俺の母親のそれと重なった。


忘れていた記憶が一気に押し寄せて、まるで夢の中にいるようだった。

俺が6才の時に両親が結婚式を挙げた。

そのとき俺は母親が今日の聖良のように女神のように見えて、何処か遠くへ行ってしまうのではないか と不安を感じて真っ白なドレスに抱きついて離れられなかった。

そんな俺に母さんはフワリと優しく抱きしめて言った。

『お母さんは龍也を置いて何処かへ行ったりしないわよ。あなたは大切な宝物だから…。』


その言葉を信じていた。

だが、やがて裏切られたその言葉。

結婚式から一ヵ月後の俺の誕生日の翌日。母親は何も言わず、突然俺の前から姿を消した。
泣きながら母親を探した幼い記憶が胸の傷を抉る。

迫ってくる記憶の断片に憎い筈の母親の影を見ると同時に、聖良の中に重なる優しい記憶と切ない思い出が俺の心を乱していく。



『龍也を置いて何処かへ行ったりしないわよ。』


どこへも行かないと言ったのに…。


どうして…俺は捨てられたんだろう。


『あなたは大切な宝物だから…。』


宝物だって言ったじゃないか。


母さん…どうして――?



母親の苦しい思い出に、心が固まって孤独と不安が焦燥感を煽り立てていく。

ジリジリと胸を焼くような痛みと苛立ち…

腹の底がよじれるような怒りと哀しみ…

言葉で言い尽くせない負の感情が暴走しそうになる。


そのとき聖良が俺に触れた。

聖良の遠慮がちに触れた手の温もりに身体に電流が走ったようにビクッと反応した。

それまでのどす黒い感情が、一瞬にして浄化され暗闇に光の差し込むイメージが流れ込む。
ようやく夢から現実に返った俺は、目の前で不安げに俺を見上げる聖良の美しい花嫁姿にこれが現実なのだと確かめたくて思わず抱きしめていた。

フワリと香る聖良の香り。

彼女は母親じゃない。あんな風にいなくなったりなどしない。

ある日突然俺の前から姿を消すなどと言う事は絶対にないんだ。

込み上げてくる想いに堪らなくなって聖良を抱きしめる腕に力を込めると唇を寄せた。
彼女が確かに俺の腕の中にいることを感じたくて
彼女が母親のように消えたりしないと信じたくて

重なる唇から聖良の気持ちが伝わってくる


愛していると…どこへも行かないと心ごと抱きしめてくれる。


聖良の気持ちは本物だと分かっているのに、何故…こんなにも不安なんだろう。


何故…聖良が何処かへ行ってしまうような気がするんだろう。




聖良…俺を二度と独りにしないでくれ…。




おまえを失ったら、俺の心は永遠に凍り付いて魂を失ってしまうだろう。




陽だまりの温かさを覚えてしまった花は二度と日陰で咲く事は出来ないのだから








***





聖良が風呂に入ってから30分以上経っても戻ってくる様子は無かった。

いつもだったらそのくらいは普通だから気にもとめないが、今日に限って何となく胸が騒いだのは、昼間の幻のせいなのかもしれない。
リハーサル前の控え室での出来事は少なからず俺の心に微妙な変化を与えていた。
俺はそのことに、あえて気付かないフリをしたかったのかもしれない。

後になって思えば、あの時から俺の胸の奥に閉じ込めている苦い思い出の封印は、すでに揺らぎ始めていたんだ。

見るでもないテレビの画像を独りで眺めている事も苦痛で少しでも早く聖良を腕の中に抱きしめて安心したかった。

ほんの数ヶ月前まではこんな風に自分が誰かに縋りたいなどと考えた事も無かったのに…。俺は聖良を失ったら壊れてしまうんじゃないだろうか。

なかなか戻らない聖良に苛立ちと不安を隠しきれなかった俺は思い切って聖良に声を掛けてみる事にした。

上手くいけば一緒に風呂には入れるかも?などとほんの少しの邪まな気持ちが無かったと言えば嘘になるけど、決してそれが目的だったわけじゃないと言うのはここでシッカリ強調しておきたい。

かなり疲れている様子だったからもしかしたら眠っているんじゃないかと、まずは風呂場の前で声をかけた。
だが聖良からの反応が無く、やはり眠っているのかと心配になってドアを開けたら聖良の姿は無かった。
まさかと思って湯舟を覗くと長い髪を漂わせ湯の中に沈んだままピクリとも動かない聖良がいた。


……心臓が凍りついた。


無我夢中で聖良を抱き上げて湯舟から引っ張り上げて聖良が息をしている事を確認した。

驚きにお湯を飲んでしまったらしい聖良がむせ込むのを見てようやく生きているとわかると全身から一気に力が抜けた。
と、同時に自分でも驚くほど大きな声で叫んでいた。

「バカ!何やってるんだ。」

俺の声に驚いた顔をしてきょとんとしている聖良は何故俺が怒っているのかわからないといった表情だ。

「…ぇっ…なっ…なんでバカなんですか?大体どうして先輩がお風呂に入ってきてるんですか?しかも服のままずぶ濡れじゃないですか。」

聖良の言葉に訳がわからなくなるのは俺のほうだった。

「聖良が溺れてたからだよ。」

あれが溺れていなかったら何なんだよ?

「はあ?あたしが溺れてた?違いますよ。潜っていただけです。」

………。聖良の言葉に思わず絶句した。なんだよそれ?

「……潜ってって…はぁ〜〜〜っ…なんだよそれ、すげぇビックリしたんだぞ?」

その言葉に脱力して…聖良を抱いたままその場にへたりこんだ。

よかった。本当に聖良を失ってしまったかと思った。

「…聖良が溺れて死んでいるのかと思った。おまえが俺をおいて手の届かない所へ逝ってしまうんじゃないかと思った。」

そう言った俺の声は自分でも情け無いくらい震えていたと思う。
ギュッと聖良を抱きしめてそのぬくもりに安堵のあまり身体が震えて足に力が入らない。
それでも聖良を抱きしめる腕にだけは力を込める事ができたのは、聖良を離すまいとする無意識の行動だったのだと思う。

身体中の血が物凄いスピードで駆け巡っているのがわかる。

全身が心臓になったのでは無いかと錯覚するくらいに鼓動は大きく脈打っていた。
聖良が俺の背中に腕を回しギュッと抱きしめてくる。

聖良のその仕草に愛しさが込み上げてきて、昼間の幻を見てから緩みかけていた、胸の奥底に封印してきた心の叫びが一気に噴き出してきた。


その後の事は良く覚えていない。


母親が突然いなくなった記憶。


父親が病院のベッドの上でどんどん冷たくなっていった記憶。


聖良が真っ暗の沼の中に吸い込まれていった記憶。


俺の前から愛する人が消え行く記憶が浮かんでは消えていく。


腕の中で身動きする聖良の温もりすら現実なのか不安で、聖良が身動きするたびにギュッと抱きしめずにいられない。



怖かった……



聖良が俺をおいて逝ってしまう。そう思ったら、情けないけれど怖くて…震えを止める事ができなかった。


俺をおいていくな


どこへもいくな


お願いだから…二度と俺を独りにするな…


認めたくなかった自分の中の孤独への不安。聖良への願いが一気に心の奥底から流れ出して止まらない。

放心している俺に聖良が何か話し掛けていたが、何を話しているのかさえ耳に入っていなかった。

真っ白な頭の中にバクバクと自分の鼓動だけが五月蝿く響く。
それ以外の音は…聖良の声さえもどこか遠くの世界の出来事のように聞こえた。


何を聞かれても『…うん』と答えるのが精一杯で、実際には何を質問されているのかも理解できていなかった。


そんな俺の意識を引き戻したのは信じられない聖良の言葉と、頬に触れた柔らかい感触だった。




「あたしが…あなたを抱いてもいいですか?」





聖良の言葉の意味がすぐには理解できなかった。







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龍也が聖良の花嫁姿を見て放心していた理由をお分かりいただけましたでしょうか?
彼の中に母親の存在はまだまだ深く根をおろしています。
そして聖良を失い、再び孤独になる事への恐怖が、彼から冷静さを失わせてしまいました。いつかこの傷も聖良が癒してくれるのでしょうね。まだもう少し先の話になりますが。
次回は拍手リクエストのお風呂で…。うわあぁぁw(☆o◎)w
森バージョンとは言え良いのだろうか…不安だ。( ̄▽ ̄;) ぜーったいにR15だからね?小学生は見ちゃダメだよ!!(ここまで既に見て欲しくないけど)
2006/05/30≪オリジナルバージョン作成≫
2006/09/19≪森バージョンに改訂≫

朝美音柊花