学校の水泳大会といっても生徒会が主催するお祭りイベントである。
主に競泳が主体ではあるが、そればかりではなく一昔前のアイドル水泳大会的要素も多く含まれ、水中宝探しや騎馬戦、借り物競争など、泳げないものも全員参加で楽しめる競技があるのも人気行事である理由の一つだ。
この学校は生徒の自主性を重んじる校風の為、学生行事は生徒会が取り仕切るのが基本だ。
だがこの水泳大会だけは学校側からの厳しい監視の目が光っている。
なぜなら去年の生徒会が学校側と交渉し、試験的に実現した水着の自由化が、今年の状況次第で定着するからだ。
去年の春、約3ヶ月に及ぶ協議を繰り返し、水泳大会直前についに学校側が折れたのには、超優秀なあの三人組が大きく貢献しているらしい。
もちろんビケトリの三人はそれについて一切語ろうとしないため、色々な憶測だけが飛びかっているのだが、学校が文武共に優秀であるビケトリの…特に教師すら一目おく龍也の機嫌を損ねたくないという意図は明らかであっただろう。
最終的に三人と学校側が直接交渉したらしく、具体的にどのような話し合いが成されたのかは、去年の生徒会長である樋口 誠ですら知らされていないのだ。
学校の歴史に残る革命を成し得た三人だが、その際に学校側から提示された条件が、『風紀を乱さないデザインで、高校生に相応しい華美ではない水着であること』だった。
主にワンピースが好ましいとされるが、タンキニや、ビキニでもトップスなどで肌の露出を抑えたものであれば許可された。
これには生徒会と風紀委員の涙ぐましいまでの努力が考慮されている。
露出の高い者に注意を促しTシャツを配るなどの配慮をし、それでも従わない者には校則違反における罰則のレベル4を発動し即刻退場処分とするなど、厳しい姿勢で赴いている為だ。
校則違反者に対して発令される罰則は5段階ある。
レベル1は口頭注意。
レベル2は反省文提出命令。
レベル3は学校奉仕作業(校内清掃を中心とした肉体労働を科せられること)と反省文提出命令。
レベル4は停学処分。もしくは教師の監視の下、一定期間の補習と課題提出(この課題が半端ではない)更に反省文の提出命令。
レベル5は退学処分。
通常の服装や持ち物の違反取締りでは、生徒会権限でレベル3まで状況に応じて発令できる事になっている。
レベル4以上が適応となるのは、暴力や喫煙、あるいは万引き恐喝などといった、悪質なものに限定されている為、生徒会の手を離れるのだが、この水泳大会においてのみ、生徒会及び風紀委員の権限でレベル4を宣告することが可能とされる。
学校側にしてみれば風紀を乱さないための警告の意味があるのだが、スクール水着に逆戻りしたくない生徒会にとっても、この切り札はありがたい。
『処分レベル4を言い渡された者は、即刻退場となり図書室送りとされる。更にその日から一週間、数学教師、竹中の監視下で課題を提出する事』という内容は、学生にとって停学処分以上に脅威なのだ。
10人に質問したらほぼ10人が、『竹中の授業は体罰だと感じる』と答えるのだから、罰則としてはこれ以上有効なものは無いだろう。
学生いびりが趣味のサディスト竹中の眼光から逃れ、図書室でオサボリライフを楽しむなど、死んでもありえない事は、この学校の生徒なら知らぬ者はいない。
図書室送りはまさに流刑にも等しい処分なのだ。
そして、今まさにそのレベル4を宣告されたばかりの女生徒がいた。
2ーAの井波一葉(いなみかずは)である。
ショートカットの髪をオレンジ色に染め、綺麗に小麦色に焼けた肌と長い手足を強調するデザインの豹柄ビキニは、明らかに高校生に相応しいとは言いがたい露出度の高さで男子生徒の視線を釘付けにしている。
注意を促す響の腕に縋りつき、胸を押し付け、甘い声でなんとか見逃してもらおうと試みたが、それは響の苛立ちを煽ったに過ぎず、かなり手厳しい拒絶の言葉と共に図書室への強制連行が宣言された。
だが、ここで問題が起こった。
通常違反者の着替えと移動には、逃亡防止の為風紀委員が付き添う事になっている。
しかし、女性の風紀委員が一葉の前に図書室送りになった生徒に付き添いまだ戻っていなかったのだ。
仕方なく響が生徒会役員に助っ人を依頼しようとしたまさにその時、タイミング良く歩いてきた聖良に響が声を掛けたのは必然の形だった。
「聖良ちゃん、手ぇ空いてたら手伝って欲しいんだけど?」
「はい、いいですよ。放送席にプログラムの変更の連絡をするだけなので、それが終わればお手伝いできます。待っててもらえますか?」
「変更は俺が伝えておくよ。それより彼女を着替えさせて図書室へ連れて行って欲しいんだ」
図書室と聞いて事情を察した聖良は一瞬表情を曇らせたが、すぐに一葉と共にプールの東側にある女子更衣室へと向かった。
響はそれを見送ってから、放送席へと向かった。
◇◆◇ ◇◆◇ ◇◆◇
「―…なんだって、水着が盗まれた?」
突然硬い表情で本部へやって来た淳也に引きずられ、プール西側の男子更衣室裏手へ連れて来られた龍也は、事情を聞き顔色を変えた。
確かに、先ほど着ていた水着が昨日見たものと違っていたことが妙に引っかかっていたのは事実だった。
あれほどキスマークを気にして何度も念を押していた聖良が、当日になって水着を変えるのには、よほどの理由があるのではないかとは思っていたのだ。
だがまさか、水着が盗まれるとは…。
自分と付き合いだしてから、聖良の周囲では物が無くなったり、嫌がらせ的行為が多発していた時期はあったが、徹底した犯人探しと容赦ない報復の噂に恐れを成し、最近ではそういった事は殆どなくなっていた。
だからこそ、龍也自身もどこか油断していた部分があったかもしれない。
鍵の掛かったロッカーから盗むとは、悪質すぎる。
目的は明らかに聖良に対する嫌がらせであり、合鍵を作るなど計画的な事からも、淳也が危惧するとおり何事も無く相手が引き下がるとは思えなかった。
「ふざけた野郎だ。どこの女か知らないが聖良にもしも擦り傷一つでもつけたら、二目と見られねぇ顔にしてやる」
「…それが目的だったりしてな。殴られて傷物になったから結婚して〜♪とか?」
「…浦崎、お前も殺されたいのか?」
先ほどまで腑抜けだった龍也の瞳に怒りと共にはっきりとした生気が宿る。
ようやくいつのも龍也にモードチェンジしたようだ。
そこへ、愛子が淳也を捜して走ってきた。
「淳也、ああ、やっと見つけた。携帯で連絡が取れないから随分走り回って捜したのよ」
プールサイドに携帯は持込が禁止されている。水気による故障を避けるためでもあるが、一番の理由は水着の盗撮を警戒している為だ。近年高精度化している携帯カメラによる盗撮が問題になっている為、僅かにでも疑惑があれば即刻レベル4以上で処罰される。
それは役員であっても例外はなく、会場では携帯連絡ができない為、不都合も多いのが事実だった。
「愛子、どうした? 聖良をから目を離すなって…」
「それなんだけど…。佐々木君も一緒で丁度良かったわ。実は女子の風紀委員が誰も会場にいないらしくて、聖良ちゃんが図書室に付き添いで行く事になったのよ。
水着の事があったばかりだし、今、聖良ちゃんを一人にするのは心配で…。更衣室で井波さんと二人きりでいるうちはまだいいわ。問題は彼女を図書室へ送った後会場へ戻るまでよ。でも、あたしは役員じゃないからプールから離れて校舎へ入ることはできないのよ」
「校内へは関係者以外立ち入り禁止だ。…いくら佐々木でも生徒会長の私的理由でそれを曲げたりできないだろうな」
「風紀委員に女子は二人しかいないんだ。その上、一人は今日休んでいる。聖良が手伝うのは仕方がないが、まさかこんなときに限って…クソッ。やっぱり監禁してでも休ませるべきだった」
忌々しげに言い捨てると、龍也はギリッと奥歯を噛み締めた。
『監禁』という過激発言をいとも当たり前のようにサラリと言い放つ事に、淳也は苦笑しながら恋人に視線を向けた。
自分も今までに無いほど彼女に溺れていると自負しているが、これほどとなると束縛ではなく呪縛である。流石に愛子に嫌われてしまうだろう。
龍也と似ている部分を自負しているだけに、気をつけなければと自分を戒めた時、愛子と視線が絡んだ。
プレイボーイがどこへやら、それだけで心臓が暴走を始める。
恋とは人を変えるものだ。と、しみじみ思ったとき、ふとあることを思い出した。
「そういえば、さっき愛子が言った井波って…もしかして2年生の井波一葉? 武田駿平(たけだしゅんぺい)の彼女の?」
愛子が頷くと淳也の表情が曇った。それを見た愛子が何かを悟ったように小さく「あっ」と声をあげた。
「武田駿平? 誰だそいつ」
「…佐々木、お前なぁ、仮にもお前をライバルとして挑戦している男の名前くらい覚えておいてやれよ。今日こそリベンジだってすげぇ燃えてるらしいぜ、武田のやつ」
「ああ、水泳部の武田か」
「井波一葉ってさ、昔は結構遊んでいるヤツだったんだけど、武田に惚れてから大人しくなったんだ」
「よく知ってるな」
「これでも一応少し前まではプレイボーイと呼ばれてたからね。女の子の情報は放っておいても入ってきたんだよ」
「くだらん自慢するな。それで?」
「最初は彼女の片思いだったんだ。だけど去年の水泳大会でお前に負けて、武田の奴スランプになっただろ? あの時、井波が随分献身的に尽くして立ち直らせたらしいんだ。それが切っ掛けで付き合い始めたんだよ。素行の悪い井波を立ち直らせた武田が、今度は彼女に支えられてスランプから抜け出したって、美談みたいに新聞部で取り上げられて一時話題になったじゃないか。あの二人が付き合っている事くらいお前だって知ってるだろ」
「知らね。人の色恋に興味ないからな。で、それが何か?」
「興味が無いだけに鈍いな。いつもの頭の良さはどこへ行ったんだよ? つまり彼女は派手な見かけからじゃ想像つかないが、一途に尽くすタイプなんだ。言い換えれば思い込みが激しいって事さ。武田の為なら…」
「まさか…俺に揺さ振りをかける為に、聖良の水着を盗んで水泳大会に出られないように仕向けたって言いたいのか?」
「…そこまでは解らないけど、水着の盗難は聖良ちゃん個人に嫌がらせをしようとした訳じゃない可能性もあるって事さ。動機もあるし、容疑者Aと言えるんじゃないか?」
淳也の言葉が終わりきらないうちに、龍也はプールを挟んで反対側にある女子更衣室に向かってと歩き出した。
眉間に深い皺を寄せ怒りを滲ませた表情に、暴走しかねない雰囲気を感じた淳也は慌ててその後を追った。
「おぃ? まてよ、可能性の話しだって。ちょっ…お前、まさか更衣室へ飛び込んでいくつもりじゃないだろうな?」
「そのまさかだ。直接確かめて吐かせてやる」
「マジかよ? 着替えている途中だったらどうするんだ?」
「聖良以外の裸なんかマネキンと一緒だ」
「そういう問題じゃないだろう?」
呆れる淳也を無視すると、龍也は愛子を振り返った。
「金森、頼みたいことがあるんだ」
◇◆◇ ◇◆◇ ◇◆◇
同じ頃、聖良は退場処分が不服で文句を連ねる一葉の言い分を聞きながら、曖昧に返事を促していた。
校則違反では仕方が無いが、退場という厳しい処分に同情してしまうのが聖良の性格だ。
「蓮見さんだってそのワンピの下はビキニなんでしょ? これって差別じゃない」
「井波さんも上に何か羽織ればいいのよ。あたしが響先輩からTシャツ借りてきてあげるから、それを着て会場に戻ろう?」
「嫌よ、あんなダサいTシャツなんてごめんだわ。大体豹柄ビキニのどこが派手だって言うのよ。このくらい普通じゃない? 私の彼は水泳部で色気の無い水着を見飽きているんだもの。このくらいでないと悦んでもらえないわ。水着なんて好きな男が悦んでなんぼのもんでしょ?」
男の基準は『あの龍也』の聖良にとって、豹柄の水着が普通だというのも驚きだが、彼女がセクシーな水着で人前に出ても平気な彼など、想像すらできない。
自分が一葉のような水着を着たら、即刻監禁され、それを観た男は龍也に目を潰されかねないだろうと、考えただけでゾッとする。
これまでも自分の考えの浅い行動が龍也の嫉妬を煽り、周囲に迷惑をかけたことは数限りない聖良は、過去の経験からそれを骨の髄まで叩き込まれている為、奔放な一葉の考えに
どう返答してよいか分からずにいた。
その時プログラムの変更を伝えるアナウンスが流れ、龍也の出場する競泳が、全員参加行事と入れ替えになったと告げられた。
響に託した伝言が無事伝わったこと確認した聖良は、ホッとすると同時にこの後の事に考えをめぐらせた。
一葉の着替えを待って、ここから一番離れた校舎にある図書室まで行き、竹中教諭に事情を説明してからプールまで戻る。その所要時間を考えると、龍也の競泳が始まるまでに会場へ戻ることは難しいかもしれない。
残念ではあるが、一葉を放り出して応援に行くわけにもいかない聖良は、諦めの溜息を吐き、少し前の本部テントにやって来て爆弾を落としていった校長を恨めしく思い出した。
実は突然のプログラム変更は、校長の我が侭のせいなのだ。
大会の最後を飾る龍也と水泳部の武田の競泳は、学生だけでなく、教員や学校長も注目している。
特に水泳好きの校長は、去年の水泳部が龍也のおかげで輝かしい成績を残したことに大満足で、この水泳大会の一大イベントも楽しみにしているという話は有名だった。
ところが、この日の為にスケジュール調整をしたにも関わらず、急な出張が入ってしまったらしい。
楽しみにしていただけにどうしても諦められなかった校長は、手揉みせんばかりの低姿勢で、競技を入れ替えて欲しいと本部テントまで龍也に頼みに来たのだ。
もちろん、普段なら簡単にそれを了承する生徒会長ではない。
だが、本日の腑抜け龍也は、校長の話を放心状態で聞き流し、軽く二つ返事をしてしまったのだ。
これには龍也の代わりに指揮を執っていた暁が目をむいたのは言うまでも無い。
すぐに訂正しようと試みたが、大喜びの校長の耳には届かなかった。
今更ダメだとは言えば、それこそスクール水着に戻すと脅されないとも限らない。
仕方なく承諾した暁の暗い後姿に哀愁が漂っていることを察知した聖良は、龍也の仕出かした失態を穴埋めする為、自ら放送席へと変更を伝えに行くことにしたのだった。
その結果がこれである。
まるで、聖良に龍也の泳ぐところを見せまいと、何かの力が働いているような展開である。
顔に出さないようにしたつもりだったが、ガッカリした様子は一葉にも伝わってしまったようだ。
「プログラムの変更ですって? 今から私を送ってたら生徒会長が泳ぐところ、観られないんじゃない? クスクス…残念ねぇ。私なんて放っておいて行ってもいいのよ?」
「役員のお仕事だもの、いいのよ。それより、井波さんこそいいの?」
「…なんの話?」
「さっき水泳部の彼って武田先輩の事よね? 応援しなくてもいいの? やっぱり響先輩にシャツを貰ってきましょうよ」
一葉はそれには応えず、わざと時間をかけて着替えを取り出しながら、棘のある言い方をした。
「…あんなスーパーマンみたいな彼、疲れない?」
「え?」
「秀才でスポーツも出来て、おまけに顔も良くて、まるでロボットみたいに何でも出来ちゃう人って、一緒にいて楽しい? 自分と余りにもかけ離れていて、自己嫌悪に陥ったりしない?」
「龍也先輩のこと? クスクス…楽しいから一緒にいるんじゃない。確かに普通じゃないなぁ、って思う部分もあるけど、そうある為に彼なりに努力していること、あたしは知っているもの。凄いなあって尊敬しているし、そんな彼を支えてあげられる存在でいられることがあたしは嬉しいの」
「彼なりに努力している? 佐々木先輩がどれほど努力したって言うの? 駿平は毎日部活で遅くまで必死に練習して、更に自主トレもしているのよ。それなのに特に練習もしていない人に負けて、彼がどれほどショックだったと思う?」
「…それは…」
「私、駿平がまた去年みたいに落ち込むのは嫌なの。去年の水泳大会の後、自信を無くしてしまってスランプで凄く苦しんだのよ。もうあんな彼は見たくないわ。今回の競泳だって周囲が勝手に盛り上がって…」
「武田先輩がリベンジに燃えてるって聞いていたけど、違うの?」
「勝負の前は誰だって負けないって宣言するものでしょ? それを新聞部がリベンジだなんて盛り上げるように書いただけよ。だけど本当は凄く不安なはずなの。負けたら大学の推薦を断って水泳を辞めるって…」
「そんな…」
半ばお祭り騒ぎとなっているイベントに武田がそこまでの決意をしていると思わなかった聖良は絶句した。
龍也がこれを知ったら手加減をするだろうか。
いや、きっとそれは本人の為にならないと、全てを知った上で全力で赴くだろう。
だがそれは、武田の水泳人生を断ち切ってしまうことになるかもしれないのだ。
「―…バッカじゃねぇ」
突然思いもかけない声と共にドアが開き、不機嫌の見本的な顔と態度で龍也が入ってきた。
水着のブラを外しかけていた一葉は悲鳴を上げて胸を隠し、聖良は信じられない人物の、ありえない登場にパニックになった。
「バカッ!佐々木、ノックぐらいしろよ。女子更衣室のドアをいきなり開けるなんて…こいつありえねぇしっ!」
淳也が戸口で入室を躊躇いながら、うんざりした表情で言った。
「僕までのぞきの同罪にするつもりかよ。大体愛子が戻るのをどうして待てないんだ? まだ証拠もないってのに」
二人の剣幕に目を丸くしながらも、流石に聖良も事の重大性から龍也に噛み付いた。
「どういうことですか! 女子更衣室にいきなり入ってくるなんて、龍也先輩だって許せませんよっ」
「お前以外の裸なんて興味ないし、見たってどうって事ないだろ」
「ありますっ!」
「つぅか、見てねぇし。それより、何もなかったか?」
「はぁ? 何かあったとしたら更衣室に突然二人の男が乗り込んで来た事です。井波さんは着替えの最中なんですよ。出て行ってください」
「この女と二人きりにするのは心配なんだよ。いいからちょっと黙れ」
「何を言ってるか…っん!」
いとも簡単に聖良の腕を引き寄せると、有無を言わさず唇を奪い言葉を封じる。
暫くの抵抗を試みた聖良だったが、強く抱きしめられたことで酸欠になり、グッタリと力を抜いた。
丁度そこへ「あったわよ」と、やって来た愛子は、その情景にあっけに取られて手にした袋を取り落とし、淳也と一緒に入り口で固まってしまった。
愛子が取り落としたものを見た龍也はニヤリとほくそ笑み、一葉は顔色を変えた。
脱力した聖良を愛子に預け、聖良の水着が入った袋を拾うと一葉に向き直り睨みつける。
普通の女なら涙目になる冷たい視線だが、一葉は突っぱねるように睨み返した。
「井波一葉…俺が何故ここへきたか、これを見れば解るな?」
聖良の水着を突きつけられても、平然と「さあ?何かしら」と流す女に、ピクリと眉を上げた。
「金森、これはどこにあった?」
「佐々木君に言われたとおり女子水泳部の部室にあったわ。彼女のロッカーの中にね。どうして解ったの?」
「もし彼女が盗んだのなら、急いで隠そうとして隠せる範囲なんてたかが知れてる。人に見られてマズイものを隠そうと思ったら、すぐに思い出せるのは自分のロッカーか部室くらいだろ? 今日は水泳大会で学内は立ち入り禁止だ。何かあったときに自分は入れない。だったら、出入りできる部室に隠すほうが無難だろ? 簡単なことだ。それより、どうして盗まれた聖良の水着がそんなところから出てくるんだろうな。なあ?水泳部マネージャーの井波一葉さん」
「生徒会長が泥棒まがいの事を指示してもいいのかしら?」
「どっちが泥棒だ」
「ライバルの女に難癖を付けようって言うの?」
「はぁ? ライバルなんていたっけ?」
あくまでも白(しら)を切りとおす一葉を挑発的に嘲笑い、あさっての方向を見る。これにはプライドを傷つけられた一葉が食って掛かった。
「―っ、失礼ね。あんた一体何様のつもり? ちょっと頭がデキて運動神経が良いからって、いい気になってるんじゃないわよ。駿平はね、あんたなんかより遥かに努力してんだからっ」
「だったら、自分にもっと自信を持てばいいだろ? あいつは去年、俺に負けたんじゃない。自分自身に負けたんだ。
学校の水泳大会で水泳部のエースに敵う者はいないはずだと、あいつは思い込んでいた。俺はその過信が凄くムカついたから本気で挑んだだけだ」
怒りからか、恋人の事をけなされたと感じたからか、一葉は青ざめ、噛み締めた唇はワナワナと震えていた。
「あいつは自分の自惚れに負けたんだ。だが今は違う。自分を取り戻しスランプから脱出してからは、調子も良くなっているしタイムも伸びている筈だ。おまえが武田の事を思うなら、聖良を使って俺を動揺させるなんてくだらない事考えるより、あいつがもっと伸びるよう陰で支えてやれよ」
「わかった風なこと言わないで。私達はあんた達と違う。卒業してもこの関係が続く程、駿平は私を好いてくれている訳じゃないことくらい知っているわ。新聞部が騒ぎ立てたから、それを否定するのが面倒でなんとなく付き合っているだけなんだもの」
一葉の悲鳴にも似た声に、聖良は胸を鷲づかみにされたように苦しくなった。
「でも井波さんは武田先輩がスランプのとき凄く頑張って支えになったって…」
「あんなの新聞部が適当に美談に仕上げただけに決まってるでしょ? 献身的に支えた…ですって? 笑わせる。水泳を辞めるっていった駿平に、賭けを提案しただけなのに」
「賭け?」
「そうよ、金槌だった私が一週間で25mを泳げるようになったら、もう一度泳ぐってあいつは約束したの。だから私必死で頑張って賭けに勝ったの」
「それで付き合うことに?」
「新聞部がそれを美談として書き立てて騒いだから、あいつも否定できなくてダラダラと付き合っているだけよ。別にデートなんてした事も無いし、部長とマネージャーの延長ってだけの関係よ。…きっと夏休みが終わって私がいなくなったら、しつこい女が消えたってホッとするでしょうね」
「いなくなる?」
「そうよ。…駿平にもまだ伝えていないけど、両親が離婚することになって、私は母方の祖母の家に
引越しするの。もうすぐこの関係は自然消滅するわ」
「…そう。だから聖良ちゃんの水着を利用したの?」
愛子の問いに、一葉はコクンと頷いた。
「…どうしても勝って欲しかった。少しでも勝つ可能性が高くなるなら、どんな事でもして佐々木先輩の邪魔をしようと思ったの。悪気は無かったし後で落し物として届けるつもりだったわ。佐々木先輩が泳ぎに集中できなくなればそれで良かったの。駿平は何も知らないわ。」
「じゃあ、井波さんにとって…この水泳大会が彼の泳ぎを観る最後になるんじゃない。だったら尚更こんなところにいちゃダメ。応援に行かないなんてダメよ。一緒に行こう?」
聖良はうな垂れる一葉に駆け寄ると抱きしめた。
驚いたように見開かれた一葉の瞳から、ホロホロと大粒の涙が溢れ出す。
愛子が羽織っていたパーカーのポケットから真っ白なハンカチを取り出し、その涙をふき取ってやった。
「井波、武田はもっと大きくなれる男だ。お前が心配するようなことは無いと思うぞ? あいつはスランプを克服し一回り大きくなった。この勝負の本当の相手が俺ではなく、自分自信だという事を、誰よりも解っている筈だ。あいつにとってきっとお前の応援は力になると思う。その水着で戻ることはできないが、露出を控えれば俺が許可をしよう」
「…井波さん、あたしの水着着れない?」
「え?」
「あたしの水着を貸してあげるわ。そうすれば堂々と一緒に会場へ行けるでしょう? セクシーとは程遠くて武田先輩の趣味じゃないかもしれないけど…」
聖良は龍也から水着をもぎ取ると、一葉に無理やり押し付け、愛子は素早く龍也と淳也を更衣室から追いたてた。
「あたし、龍也先輩の泳ぐところ観たいの。でも井波さんを図書室まで連れて行くと観れないじゃない? だから、付き合ってくれない? ほら、時間が無いから早くっ」
ニッコリと笑う聖良の気遣いに、一葉も折れた。
急き立てられて身につけた水着は、聖良らしい優しいクリーム色のビキニにシフォンキャミとミニスカートだった。
「少し胸が窮屈だけど、あのダサいTシャツを着るよりはマシね」
相変わらず辛口だが満更ではないようだ。
先ほどまでのセクシーなイメージとは程遠い清楚なものだが、小麦色の一葉の肌に良く映えた。
「…さ、付き合って欲しいんでしょ? いつまでボケッとしてるの。私の気が変わる前に動きなさいよ。時間が無いわよ」
二人の先に立って更衣室を出ようとする一葉。
傍から見たら感謝のカケラも無いようなぶっきらぼうな態度だが、言葉とは裏腹に、頬がほんのり赤く染まる。
それを隠そうと先にドアを開けて飛び出していく様子に、二人は頬が緩むのを感じた。
「…ありがとう」
一葉が小さく呟いた感謝の言葉は、彼女が出て行ったドアから入り込んだ涼やかな風に運ばれ、心地良く聖良の耳に届いた。
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『大人の為のお題』より【引越し】 お提配布元 : 女流管理人鏈接集
今回、一葉の気持ちとか、この後につながるエピソードを詳しく盛り込んだら、えらく長くなりました。
一葉はちょぃツッパリ目の素直でない女の子ですが、聖良にかかると何故か皆、女の子らしくなってしまいます。
これが聖良マジックなのかもしれません。うーん、恐るべし(笑)
さて、次回もハプニングは更に続きます。
2008/08/09
朝美音 柊花