『大人の為のお題』より【予感】
ホタルシリーズ 〜夏祭り 2話〜



8月最後の土曜日。僕は4年間の留学から一時帰国した。
空港から一旦父に電話を入れ母の容態を訊ねると、ここ数日は落ち着いているという。
安堵の溜息を漏らすと同時に、親友の沖崎 右京(おきざき うきょう)の伝言を告げられ、もう一つ大きな溜息を吐いた。

「まったく、帰ってくるなり呼び出しとは、あいつも良い根性してるじゃないか。こっちは落ち込んだ上に時差ボケだってのに…」

受話器を置きながらぼやくと、髪を無造作にかき上げた。陽に透けると沈む夕陽を思わせる赤茶色のクセ毛がパサリと視界にかかる。色素の薄い琥珀色の瞳を細めて、久しぶりに会う親友の顔を思い浮かべた。

その時、視線を感じてふと顔を上げた。
明らかに僕を意識した女性とバッチリと視線が合う。声をかけるタイミングを計っている事は仕草で分かった。
ネットリと纏わり付く視線も普段の僕ならサラリと紳士的に流せるが、空港のざわめきも鼻をつく香水の臭いも何もかもが苛立つ今は、言葉を交わすのも疎ましかった。
すれ違いざまに冷たい流し目で牽制すると、女を無視して足早に出口へと向かう。声を掛けようとした女が言葉を飲み込みその場に凍てついたのを見て、フンと鼻を鳴らす。
今日の僕に声を掛けようとした空気の読めない頭の悪い女に罪悪感は湧いてこなかった。

この苛立ちの原因は時差ぼけでも右京でもない。
母の病状の悪化で緊急帰国しなければならなかった事への戸惑いと、大学を休学せざるを得なかった焦りが、僕を追い込んでいるのだ。

仕方の無いことだと解っている。
だけど理性と感情は別物で、全てが順調に見えた未来が抗いようの無い流れによって変わりつつあることを心が受け入れられずにいた。

15歳のとき、父とも親交の深かった『神の手を持つ』と名高い心臓外科医、Dr.ホフマンと初めて父の病院で会った僕は、彼に感銘を受け、その日の内に彼の従事するアメリカの医大へ進学するを決意した。
こうと決めたら即行動を起すせっかちな僕は、中学の卒業を待たずして9月からアメリカのハイスクールに転入することを希望した。
周囲は大反対だったが、根気強く説得する僕の強い意志に両親もついに折れた。
それから4年間、僕は僅かな睡眠時間で必死に猛勉強をした。飛び級で高校を卒業し大学課程もほぼ終了の段階まで進んでいる。
ライフプランは完璧で、来年にはDr.ホフマンが従事する医大で学んでいるはずだった。

僕の辞書には努力さえすればどんなことも自分の望む通りになると書いてあったし、不可能という文字は載っていなかった。
それなのに、これからという大切な時期に大学を休学し帰国することになった。
母の病状次第では、当分日本に留まらなければならないという先の見えない状況は、僕にとって大きなリスクで、親不孝と罵られてもアメリカに留まり勉強を続けたい気持ちが強かった。
母の事を思うなら、日本でもう一度大学入試からやり直し医師を目指すべきなのかもしれない。
だがそれでは医師になるまでに何年も掛かってしまうし、それではこれまで努力してきた意味がなくなってしまうのだ。

イライラと溜息を吐き出すと、荷物を乱暴に引き寄せタクシー乗り場へと向かう。
タクシー乗り場は混雑しており、長い列に今日何度目かの溜息を吐いた。
落ち込んだ上に時差ぼけで、更にこれから右京に会わなければならないのだ。できれば右京はすっ飛ばして、自分のベッドにダイレクトインしたい気分だが、それをすれば右京は部屋まで殴り込みに来るだろう。
右京が何を言おうと30分以内に話を切り上げて、ベッドにダイブしようと心に決めたとき、少し先に寄り添いタクシーを待つカップルの後姿が右京に似ていることに気付き、年末に帰国したときの事を思い出した。

女嫌いで有名な右京から名前も知らない女の子に一目惚れしたと告げられた時、僕はそこが待ち合わせたカフェだということも忘れて腹を抱えて30分も笑いこけ、周囲の注目を集めて右京を怒らせてしまった。
「妹が5人もいたら女には夢も希望も無くなるんだよ」と言うのが口癖の右京が恋に堕ちるなんて、長年親友をしてきた僕も正直な話信じられなかった。
一人っ子の僕にとって羨ましい話だが、沖崎家には右京を筆頭に6人の子供がおり、右京以外の5人は全て女の子だ。
故に、彼は女に幻滅している部分があり、女性嫌いであることは有名な話しだ。
不器用な右京は男との喧嘩なら無敵だが、女とは挨拶を交わすことすら苦手だ。整った顔立ちをしておりモテるのだが、女性と接することを極力避け、ひたすら空手に明け暮れ、学校と道場の往復ばかりの毎日を送っている。

女は嫌いだ。一生独身でいい。と豪語していた彼が一目惚れしたという事実は、僕にとって自分の事の様に嬉しいことであり、また最高に笑えるネタでもあったわけだ。
数日もすればまた渡米する僕にエイプリールフールの先取りをしているのだろうか? と半ば本気で疑った程だった。

だが右京は本気だった。
名前も知らない、一度会ったきりの彼女を真剣に探していた。
シンデレラでさえガラスの靴を置いていったのに、彼女は何も残さず走り去ってしまったのだという。
…いや、そういえば一つ残したものがあったといっていたな。

キスだ。

右京のヤツ、初めて会った女の子と話をするでもなくいきなりキスをしてしまったらしい。
泣いていた彼女が余りにも綺麗で、気がついたら引き寄せられるように触れていた。…なんて、自分の都合の良い解釈をして、バカだなぁと思う。
必死に彼女を探す右京が妙にいじらしかったから、「もしかしたら痴漢か何かと勘違いして、怖くなって逃げ出したんじゃないか?」とはいえなかったけれど、きっと彼女が見つかっても、痴漢か変態扱いされて殴られるのがオチだろうと思っていた。

ところが数ヶ月前、その彼女を見つけ、なんと付き合うまでに至ったとのメールを貰ったのだ。
流石の僕もこれには驚き、あの硬派で堅物の武道派右京がどんな顔をして彼女に告白をしたのかを考え、腹を抱えて笑い転げた。
僕の笑い上戸には慣れている右京だが、まさか海の向こうで僕がメールを読んで酸欠になっていたなどとは、夢にも思わなかっただろう。

兄弟のいない僕にとって彼は弟のような存在で、誰よりも互いを理解している。
右京なら僕が帰国に納得いかず、落ち込んでいる状況も、時差ぼけで機嫌が悪いだろうということも、全てお見通しのはずだ。

だからこそ、何故彼がそれを承知で僕を呼び出すのか解らなかった。

何か緊急に相談したいことでもあるだろうか。

久しぶりとはいえ、明日まで待てないほど再会を待ちわびていたなどという事もあるまい。
まさかとは思うが、付き合い始めたばかりの彼女に振られたとか?
それならまだ良いが(いや、良くないのだが)ただノロケを聞かせたかったなんて理由だったりしたら?
嫌な予感を握り潰すように、無意識に荷物を持つ手に力が入った。
今の僕に親友のノロケや恋愛相談を聞くだけの気持ちの余裕は無い。
つまらない話だったら今日呼び出したことを後悔させてやると心に決めてタクシーに乗り込んだ。

後部座席のシートに身を沈めると、振動が心地良く睡魔を呼び寄せる。
約束の場所までの僅かな時間、少しでも時差ぼけ回復に努めようと瞳を閉じた。





Back お題【止められない】 / Next お題【egoism】

Copyright(C) 2009 Shooka Asamine All Right Reserved.

『大人の為のお題』より【予感】 お提配布元 : 「女流管理人鏈接集」