大人の為のお題より【egoism】
ホタルシリーズ 〜夏祭り 3話〜




「なあ、晃。今夜暇だろ?」

再会の挨拶もそこそこに、僕の超機嫌の悪い表情をまったく気にする事無く、右京は当たり前のように言った。
帰国したばかりで予定などあるはずも無い。と、高を括っていることが何だかムカついて、「デート」とすかさず答える。
アッサリと言った僕に右京は言葉を失った。

ポカンと口を開いた間抜け顔に、落ち込んでいた気持ちが少し晴れた。
昔からそうだったけど、やっぱり落ち込んだときはこいつをからかうのが一番良い薬だ。せっかくだからもう少しからかってスッキリさせてもらおう。

かなりS系の性格だが、これは心を許した人間限定の事で、誰にでもというわけじゃない。
むしろ普段の僕は人当たりが良く、その場にいるだけで周囲が和むといわれる癒し系なのだから。

「ククッ…ウソだよ。その顔最高、口閉じろよ」

「お前なぁ。久しぶりに会っていきなりそれかよ?」

ムッとした顔で睨む右京は、空手の有段者だけあって、かなりの迫力だ。
彼は癖のある赤茶色の髪の僕とは対照的で、艶やかで真っ直ぐな黒髪をしている。
切れ長の目には夜の闇より深い漆黒の瞳。こちらも僕の琥珀色の瞳とはまるで対照的だ
幼い頃、一緒に過ごすことが多かった僕らは、よく兄弟と間違えられ、太陽と月みたいだと言われた。
もちろん兄弟などではないが、正反対のタイプなのにどこか似ている僕等が並ぶと、確かに兄弟に見えなくは無いから不思議だ。
環境に順応するのが上手く柔軟な僕は友達も多いが、右京は武道家らしく曲がったことが大嫌いで融通の利かないタイプだ。故に誤解も多く、心許す友達も多くは無い。
親が沖崎孝宏という、ハリウッドからもお呼びが掛かる有名な俳優で、子供の頃誘拐された経験があったりするから、尚更他人に対して警戒する傾向があるのかもしれない。

純粋な日本人らしい癖の無い髪をかき上げると、小さく溜息を吐き「相変わらずだな」とぼやく。
微笑めば甘いマスクなのだろうが、愛想がない為切れ長の目が更に冷たく見える。
長い付き合いの僕でなかったら、今の彼はとても機嫌が悪いように見えるだろう。
こんなヤツに本当に彼女が出来たのなら、神様も捨てたものじゃないと思う。

「まったく右京も親友思いだよな。時差ぼけの僕に帰国したら家へ帰るより先に自分の所に寄れだなんて。…まさか例の彼女の事じゃないだろうね?」

「あ〜まあ、当たらずとも遠からずって所だな?」

「あのねぇ、僕が絶好調で右京の惚気に付き合う心境だとでも思ってた?」

「いいや」

「じゃあ、何で今日なんだよ。右京なら僕の心境くらい…」
「わかってる。だからじゃねぇか」

晃の言葉を奪うような珍しく強い口調の右京に驚いて、晃は一瞬言葉を失った。

「そんな悲壮な顔したお前を、おばさんに会わせたくねぇからな」

「…っ!」

「晃、お前がすげぇ落ち込んで帰って来るんじゃないかとは思っていたさ。
だから、あんまりひでぇ顔だったらこのまま家に帰さないでおこうと思っていたんだ…。
落ち込んだ顔や、無理矢理取り繕った笑顔をおばさんに見せるのは可哀想すぎるだろ?
一番辛いのは病気と闘っているおばさんなんだ。
それなのに、お前がしょぼくれた顔で帰ったら、お前を帰国させる原因となった自分を責めちまうだろう?」

「それは…顔に出さないようにしていたつもりだったさ」

「全然ダメじゃねぇか。感情垂れ流しだぞ?どんよりオーラ全開でさ。
そんなお前を見たら、おばさんがどう思う?治る病気だって治らなくなるぜ?
……おばさんは、おじさんがお前を帰国させるって決めたときも、最後まで反対してたんだぞ」

右京の言葉にぐっと胸が詰まる。

昔から互いの事は誰よりも理解していた。
だからこそ、右京が晃の今の心境に気付いていたのは必然だったのかもしれない。
母親の為に帰国したことを後悔するつもりはない。
だが、自分の中で蟠(わだかま)っている何かを母に悟られず、笑うことが出来るかといえば、少々自信が無かったのは事実だ。

「おまえさ、自分ひとりで医者になれると思うなよ?」

「え?」

「お前が一日でも早く医者になって、約束を果たしたいっていうのは解る。
でも、誰かを悲しませたり、犠牲にしてそれを果たしても、本当の意味でお前のなりたかった医者になれるのか?」

「それは…」

「お前が必死に頑張ってきたのは知っている。
だけど、たった15歳のお前を信じて渡米を許して、ここまで応援してくれた両親を大切にできなくて、 どんな立派な医者になれるっていうんだ?」

右京の言葉は胸に深く突き刺さった。

解っていなかった訳じゃない。むしろ自分でもそう思っていた部分はあった。
だが、勢いのついた人生にブレーキを掛けることは難しい。
僕はずっと何かに追い立てられるように急いでいたのだから。

僕には成すべきことがあり、僕を待っている人のために一日も早く優秀な医者にならなければならない。
一日も早く…。急がないと間に合わない…と、本能がそう教えていた。
だから僕は駆り立てられるように必死で努力した。時間の許す限り勉強をしたし、どんな努力も厭わずに頑張ってきた。
そのために犠牲にしてきたもの、傷つけてきた人が沢山いたけれど、目的を達成する為には仕方がないと割り切っていた。

だがそうまでして築いてきたものが帰国によって崩れ、自分の意志だけではどうにもならない事態に直面した。
努力だけでは補いきれないことがある現実の中で、僕は自信さえ失いつつあった。

思い通りにならない苛立ち。
膨大な努力と時間を無にしてしまったような喪失感。
いつアメリカへ戻れるかも分からない焦り。
闇の中でもがく様な言い知れぬ不安が僕を蝕んでいた。

自分の事で精一杯で、両親に対する感謝や思いやりの気持ちなど忘れていた。 自分勝手な思いの為に、病の母を煩わしく思った事さえもあった。
我侭を許して渡米させてくれた両親の気持ちも考えず、一人で頑張っているつもりになっていた。
僕は至極(しごく)エゴイズムで親不孝な男だ。

未熟さを右京に見透かされた事が悔しいのか、愚かな自分に気付かなかったことを恥じているのか、怒りにも似た苛立ちが込み上げてくる。
キュッと唇を噛み締めて感情を表に出さぬよう葛藤していると、突然肩にズシリと重みがかかった。
右京が僕の肩に圧し掛かかるように、体重を掛けたのだ。

「なっ…重…っ」

「しっかりしろ。凹んでんじゃねぇよ」

ぶっきら棒な言い方だが、右京の優しさが伝わってくる。

「……わかってる」

霧のように湧き起こっては不安を煽り、視界を曇らせる感情。
右京の言う事は頭では理解できるが、素直に頷くことは難しかった。

「医者になる道はひとつじゃねぇだろ?お前は焦りすぎなんだよ。急がば回れって言うだろ?このままじゃ息切れしちまうぞ?」


道はひとつじゃない…。


その言葉は静かな水面(みなも)に落ちた一粒の水滴のように、静かな波紋となり胸に広がっていく。
不思議と心が凪いで、不安だらけで先に見えない未来に、僅かに希望の火が灯った気がした。

「世の中ってさ、休息を必要とするときには、ちゃんと足を止めるような出来事が起こるようになっているんだ。
少しスピードを緩めて自分を見つめ直す時間を与えられたのかもしれないぜ?」

…自分を見つめる時間。

ほんの少し歩みを緩めて、周囲を見回す。
当たり前で単純な事だけど、随分と長い間忘れていた気がした。

「うん…そうだね。……ごめん」

謝罪の言葉は右京へのものでもあり、同時に両親への言葉でもあった。
あのまま家に帰らなくて良かったと、親友に感謝して顔を上げる。
右京は心底ホッとした表情で、「その顔ならおばさんに会えるな」と呟いた。
胸に重く掛かっていた暗い影は、空港にいたときよりずっと軽くなっていた。



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