大人の為のお題【signal】
ホタルシリーズ 〜夏祭り 5話〜



午後7時30分。

右京との約束を守るべく、僕は待ち合わせの場所へと出かけた。
8月の最後の土曜日は、夕刻にもなると初秋の風を感じられる程で、河川敷の公園は日中の暑さを忘れるほど過ごしやすい。
心地よい川風を感じながら土手の階段を下りると、右京がこちらに手を振って駆け寄ってくる。
楽しそうに笑っている二人の少女から少し離れた場所で止まり、彼女達にチラリと視線を流してから「晃、ちょっと…」と小声で言った。

「何だよ、右京。大事な彼女を紹介してくれるんだろう? ここまで呼び出しておいて、ヤッパリ見せたくなくなった。…なぁんて言わないよな?」

「言わねぇよ。紹介する前にちょっと言っておきたいことがあったんだよ」

「言っておきたいこと?」

「茜の事だけど、なるべくゆっくり歩いてやって欲しいんだ。今日は調子が良いらしいけれど、やっぱり人込みは疲れるだろうから、なるべく…」
「右京。僕は彼女を病人扱いするつもりは無いよ」

言葉を奪う強い口調に、右京は一瞬息を呑んだ。

「せっかく遊びに来たのに最初から発作が起こると決め付けるように周囲が心配していたら、彼女も楽しめないだろう?
僕は彼女を病人として特別扱いするつもりは無いよ」

「…晃。お前って、本当に相変わらずだな」

僕は幼い頃から祖父の療養所で病の人を見て育った。
祖父は常に誰をも平等に受け入れ、相手が誰であっても対等な立場で接する人だった。
目に映るものに囚われず、偏見を持たずに接することを、僕は祖父から学んだ。
どんなに重い病気を持っていても、体に障害があっても、彼らはそれを受け入れ乗り越えるべく必死に努力している。
病を知らない者以上に、必死に前向きに生きていることを、僕は知っている。
だから僕は彼らを特別扱いするつもりは無い。
初めて会う右京の恋人の妹に対しても同じ気持ちだった。

「…そうだな。茜の事はお前に任せるよ。行こう、二人を紹介するよ」

「ああ、花火の音で声がかき消される前に、自己紹介ぐらいは済ませておこう。あまりレィディを待たせるもの失礼だしね」

右京が二人に向かって手を挙げた。
それを見て、パッと明るい表情をした白地に青の桔梗が鮮やかな浴衣を着た女性。たぶん彼女が右京の恋人だろう。
右京が可愛いと言うだけあって、確かに整った顔をしている。ソックリな妹なら申し分なさそうだと、姉の影に隠れている紺色の浴衣の妹に微笑んだ。



その瞬間……時が止まった。


照れたように微笑む彼女に釘付けになる。

まるで彼女の身の内から光が滲んでいるように、そこだけ輝いて見えた。

音が消え、彼女以外視界に入らなくなる。

二人だけが時間の流れから切り離されたような感覚に僕は戸惑った。


右京の言うとおり、そっくりな双子。
だけど僕の目には明らかに二人は違っていた。
どんな人込みの中でも、姉と彼女を見分け見つけ出すことが出来ただろうと確信できた。

紺に紫陽花あしらった浴衣の柄に、遠い日の記憶が蘇る。

雨の中、その色を一層濃くした紫陽花…。

初めて誰かを助けたいと願い、医者になると誓ったあの日。

幼い日の純粋な気持ちを思い出し、胸に熱いものがこみ上げてきた。
その瞬間、帰国が決まってからずっと胸を占めていた感情がスゥッと消えていく。
萎えかけていた心に再び炎が灯る感覚が蘇ってくるのを感じた。



「君が…茜さん?」

右京に紹介され会釈する仕草にさえ、僕の鼓動は異常なまでに反応しその速度を増していった。
僕の声は震えていなかっただろうか? 擦れてはいなかっただろうか?
耳に届く自分の声が妙に遠く聞こえて、思わず咳払いをする。
僕の問いかけに小さな声で「はい」と言った時、彼女の肩がピクッと跳ね上がったように見えた。

「あの…私、デートって初めてなんです。今日はよろしくお願いします」

頬を染めてペコリと頭を下げる初々しさに、ぎゅっと胸をつかまれたような痛みを感じる。

このとき僕は運命の分岐点でシグナルが青に変わるのを感じた。

ギシリと運命の歯車が回り始める。


この先、僕の人生に彼女は無くてはならない女性になる。

僕の人生も、僕自身も、彼女によって大きく変わっていくだろう。

僕はきっと彼女に出逢う為に帰国しなければならなかったのだ。

何故かそう確信できた。

一目惚れなんて信じていなかった。

だけど、心を奪われるとはこの一瞬の事なのだと、僕は身を持って知った。

右京の話を聞いて笑い飛ばしたのは誰でもないこの僕だった筈なのに…。

神様なんて信じたことはなかったし、運命とか生まれ変わりなんてありえないと思っていた。

けれど、もしも生れ落ちる時に二つに分かれた半身があるのなら、彼女こそまさにそうなのだろうと信じられた。

もしもこの時…

僕らの目の前に避けられない哀しい運命が迫っていると知っていたら…

僕は彼女を愛することを止められただろうか?


河原からは秋の気配を帯びた、湿った風が吹き寄せてくる。

空と地の境を紅に滲ませていた太陽は、名残惜しげに西の彼方を紫に変えながら消えていった。

急速に近づく闇の足音。

夜の訪れを呼び寄せる星が瞬き、二つの魂を引き寄せる。


運命の恋が動き始める。


その幕開けを告げるかのように、最初の花火が夜空を彩った。




++Fin++


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