『大人の為のお題』より【モノクローム】

 Love Step
HAPPY CURRY 〜甘いカレーの作り方〜 2

 **Side Seira**
グツグツと煮込む鍋からは、カレーの良い香りが部屋一杯に漂っている。
開け放った窓から流れ出る香りにつられ、近所の子どもが今夜はカレーが食べたいと、母親にせがんでいる声が聞こえてきた。
微笑ましい光景を想像し、フフッと笑みがこぼれる。
軽く味見をしてから、対面式のカウンター越しに見えるパパの写真に向かって微笑んだ。

「うん、美味しい。今日も上出来よ、パパ」

カレーは家庭の味だって言うけれど、あたしにとってのカレーはパパの味だ。
幼稚園の頃、男の子に泣かされて帰ってくると、パパはいつも『ハッピーカレー』を作ってくれた。

『ほら、聖良。パパが幸せのおまじないをしたカレーだよ。一口食べるとハッピーになるよ。笑ってごらん』

そう言って励ましてくれた優しいパパは、写真の中で永遠に笑っている。
パパが事故で亡くなったのは、あたしが6歳の誕生日を迎える数日前だった。幼かった為パパの記憶は多くない。思い出のほとんどはモノクロームでぼんやりとしている。
だけど『ハッピーカレー』の記憶だけはどれも色鮮やかで、香りも、味も、パパとの会話も笑顔も、何もかも鮮明に覚えている。

だからあたしにとって、カレーはパパとの大切な思い出で、特別な料理。
パパのカレーの味は、ママにも出せなくて、幼い頃は良くパパのカレーが食べたいと言って、ママを困らせた。
だから小学1年生の時、初めてのチャレンジした料理は、もちろんカレーだった。
初めてにしては上出来だって、お兄ちゃんのママも褒めてくれたけど、パパのカレーとは似ても似つかない味がショックで、涙が止まらなかった。
それから記憶を手繰っては何度も試行錯誤を繰り返して、ようやパパの味を出せたのは6年生の春のこと。
お兄ちゃんは『聖良の執念はスゴイな』って笑ったけど、懐かしそうに何度もおかわりをしていたっけ。
ママは、お水が欲しいとか、サラダのドレッシングが足りないとか、理由をつけては落ち着かない様子で席を立っていたけれど、それが涙を拭くためだってあたし達はちゃんと気付いていた。
口には出さなかったけど、二人ともパパのカレーがずっと食べたかったんだね。
今ではあたしにしか作れない『ハッピーカレー』は、パパから受け継いだ大切な財産。蓮見家のカレーは家族がそろう日の特別メニューなの。
最近は海外赴任をしているお兄ちゃんが帰国した時しか作らない。だってあたしとママだけで食べるとお兄ちゃんがイジケるんだもの。 空輸で送れとか本気で言うんだから、まるで供みたいよね?

でも今夜はお兄ちゃんも帰国していないし、あたしも外泊の予定。それなのにメニューがカレーなのは特別な日だから。
ママったら今朝から鼻歌なんか歌っちゃって、やたら機嫌が良いの。しかもいつもより輝いていて綺麗だなって思っていたら、案の定、夕食のメニューにカレーをリクエストしてきた。
これは絶対にパパの夢を見たんだと思う。それもかなり良い夢を♪
パパの夢を見た朝のママは恋する乙女って感じで、本当に可愛い。好きな人を思うとき、年齢なんて関係なくなっちゃうんだなって思う。
パパの事を話すときのママは本当に幸せそう。たとえ夢でもパパに会えると、『いつも見守ってくれているって感じられてとっても幸せなのよ』って、いつだったか惚気ていたっけ。
あの頃はそんな気持ち解からなかったけれど…今なら良く解かるよ。
あたしも、たとえ一緒に過ごせなくても、龍也先輩が幸せな笑顔で過ごせるなら、どんな努力だってしたいと思うもの。
パパがいた頃のママの笑顔をあたしは覚えていないけれど、今朝のようにキラキラしていたんだろうな。ううん、きっとそれ以上だったに違いない。

仕上げに『ママが今夜もパパに会えますように』とスペシャルスパイスを一振りしてから火を止める。
サラダはラップをして冷蔵庫に仕舞い、テーブルに食器を用意して、ママが帰ったらすぐに食べられるようにセッティング。最後にパパの写真がママの位置から良く見えるように、少し角度を変えてからエプロンを外した。

「そろそろ龍也先輩の所へ行く準備をしなくちゃ。…すっかり日没が早くなって、まだ5時を過ぎたばかりなのに外はもう暗くなってきてるわね。…龍也先輩はこの時間でも一人歩きはダメって言うかなぁ? 小学生だってまだ外を歩いているのに…」

龍也先輩は暗くなってから外出することに良い顔をしない。それがたとえ夕方5時であっても、早朝5時であってもだ。
本当に龍也先輩は超!超!!超!!!心配性だ。幼稚園児じゃないんだから、お迎えがなくってもちゃんとマンションまで行けるって何度も言っているのに、どうしても譲ろうとしないんだから。

体がひとまわり縮んでしまいそうな大きな溜め息を吐いてから、ハタと気が付いた。

……マズイ。
お迎えは困る。
今この家に来たら、龍也先輩はとっても不機嫌になってしまう。

だって、龍也先輩はカレーが大嫌いだもの。

玄関ドアの前でカレーの香りに表情を曇らせる、龍也先輩の姿が浮かんだ。
いつだったか理由を訊いた時、『生理的に受け付けない』と、ぶっきら棒に言ったきり黙りこんでしまった事がある。
今までにない拒絶を感じたその時の表情がとても痛々しくて、誰にも触れられたくない傷を垣間見た気がした。
だから、いつか彼から話してくれるまで、その話題に触れることは絶対にしないと決めたの。

チラリと時計を確認すると5時20分を指していた。
彼は意地っ張りだから、どんなに辛くてもあたしの前ではポーカーフェイスを崩さないでしょうけど…。
でもやっぱり、触れなければ痛まない傷に、あえて触れる必要はないわよね。

……そうだ! 龍也先輩から連絡がくる前に夕食の買い出しに行こう。駅前のショッピングセンターにいるって言えば、流石に龍也先輩もお迎えは諦めて待ち合わせで妥協してくれるはず。
うん、その手でいこう。今日だけは多少のお小言は覚悟するわ。
そうと決まれば、まずは身体に染み付いたカレー臭(加齢臭じゃないわよっ)を洗い流さなくちゃ。





携帯が龍也先輩からの着信を告げたのは、濡れた髪を拭いていた時だった。
予想より早い時間に動揺しながら携帯を開くと、耳に馴染んだ声は機嫌が良さそうだった。

「龍也先輩…どうしたんですか? まだバイトのはずじゃ…」

『もう終わったよ。実は先方の都合で予定の時間を30分繰り上げたんだ。今から迎えに行くよ。もう暗いからな』

「いえっ!あのっ、いいです。実は…あの、ママに用事を頼まれちゃって、もう家を出ているんです」

『……用事って?』

「え…と、その…ちょっと……かっ、回覧板を」

『回覧板ならまだ近所だろ? 家で待ってろよ。もう暗いし』

「あっ…そっ、その…もうそれは終わって…今、駅前のショッピングセンターに向かって歩いているんです。今から戻るのはちょっと……あ、それより今夜、何か食べたいものありますか?」

『お母さんの分は?』

「今夜はいらないって…」

『……ふーん?』

必死の言い訳に納得したのかしないのか、不満げな返事をする龍也先輩。 彼は勘が良いから、咄嗟の嘘を見抜いたかもしれないと、ヒヤヒヤしながら反応を窺った。
声が震えないように喉に力を入れて平静を装う。

「…はい。だから、今夜は先輩の部屋へ行ってから作ります。どこかで待ち合わせしましょう。買い物している間、時間をつぶせるような場所で待っていてください」

『ふぅ…ん。…心配だし迎えに行きたかったけど、家に戻るよりスーパーのほうが近いなら仕方ないな。…そうだ、一緒に買い物しようか?』

「あれ? …そういえば二人で夕食の買い物するのは初めてですね」

『そうだな。聖良が飯を作ってくれるようになってから、冷蔵庫の管理はまかせっきりだからなぁ。たまには二人で行くのも新婚みたいでいいんじゃないか?』

新婚という言葉に、ポンと頬が熱くなった。

「やっ…やだ、恥ずかしいじゃないですか」

アハハと明るく笑う龍也先輩の声を聴くと、ホッとして頬が緩む。やはり彼の笑顔を曇らせることは絶対にしたくないと思った。
待ち合わせの場所を確認しながら濡れた髪を拭き、大急ぎで着替えると、電話を切る頃には出かける準備はほぼ出来ていた。
姿見の前で全身を映して、最終チェック。

「よし、おかしいところは無いはね? 髪が濡れているけど、今日は暖かいしこのくらい大丈夫でしょ。寒くなれば上着だって……あっと、いけない。忘れてた」

今日は小春日和で11月とは思えない陽気だったから、この時間でも充分に暖かい。おかげでうっかり上着を持たずに出かけてしまうところだった。
龍也先輩はあたしが薄着をしていると、自分の上着を脱いででも着るように言う。意地っ張りだからどんなに寒くても口に出さないし、何があってもあたしの体調を最優先してしまう。
だから気温の変りやすいこの季節は、必要なときだけカバンから出して羽織ることができる上着的なモノはあたしのお出かけ必須アイテムだ。これを忘れると大変な事になる。
下手すると温めてやるって、所構わず抱きしめられちゃうんだから。…あれは恥ずかしすぎる。

数日前の羞恥を思い出し、頬を染めながらネイビーとホワイトのカーディガンを取り出す。5秒迷ってからネイビーをお泊り用のバッグに押し込んだ。

これで今日は大丈夫、っと。

……でもね、いつも思うんだけど…

ベッドではパジャマを着るのを許してくれないのに、薄着に文句を言うのはどう考えてもおかしいわよ…。

姿見の中の自分に向かって『ねぇ?』と訴えてから、時計の長針に急かされる様に家を後にした。





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この聖良サイドストーリーはサイトの閉鎖を考えた時期に、応援してくださった一部の方にのみお贈りした書き下ろしでした。
今回、龍也サイドストーリーと併せて、一つの作品として発表するため、一部加筆修正しましたが、おぼえていらっしゃる方もいると思います。
2006年11月のことでしたので、完成形まで4年かかったことになります。随分時間がかかりましたが、当時からお通いの方にも、新しくお越しくださった方にも、お楽しみ頂けますと幸いです。
2010/12/09