『大人の為のお題』より【恋人】
Sweet Dentist番外編
** 歯医者さんのバレンタイン 中編 **
※ちょっぴり色っぽいシーンがありますので、小学生は両親に確認してからにしてね?
千茉莉の父親の経営する【SWEET】はかなり有名な洋菓子店だ。
父親も賞を取ったことのあるパティシェで、雑誌でも何度も取り上げられ、かなり遠方から有名人が買いに来ることもあると聞いている。
だから、繁盛するのも、この一大イベントにごった返すのも分かるが、まさかバレンタイン当日がこんなにも凄い戦場だとは思わなかった。
バレンタインっていうのは、告白の為にかなり前から、あーでもない、こーでもないと、準備しているものだと思っていたが、そうとばかりは限らないらしい。
当日に駆け込みで買いに来るヤツって意外に多いんだな。
どうでもいいことに感心しながら、遠巻きに店内を覗き込んでいる俺って、端から見たら不審人物に見えるかもしれない。
ここ数日、俺は足繁く彼女の実家に様子を見に来ている。
すれ違う寂しさを、千茉莉の天使のような笑顔に、ほんの数分でも良いから癒されたいと、ただそれだけの為に仕事の合間にイソイソと愛妻の働く姿を眺めに行く俺って、凄く健気な夫じゃねぇか?
店内の甘ったるい匂いだけで眩暈を起こす普段の俺なら絶対にありえねぇことだ。
千茉莉指数がレッドゾーンに突入し、感覚が麻痺している今だからこそ成せる業だと思う。
しかし流石に、あのごった返した店内に入る勇気が無い。
俺にしてみりゃ、洋菓子店に来るなんて行為は、そりゃあもう、敵陣に乗り込むような心境だぜ?
千茉莉がいなきゃ絶対に半径100m以内には近寄らないだろう。
特にこの時期なんて、店に一歩踏み込んだとたん、甘ったるい香りと女たちの熱気でぶっ倒れるだろう。
それでも千茉莉指数を示す針がレッドゾーンを振り切らないようにと、暫し心の安らぎを求め、ストーカーまがいの行動をしているという訳だ。
店内から聞こえる柔らかな羽で心をくすぐるような声…。
はぁ…癒されるぜ。これで今夜まで何とかもつかなぁ?
千茉莉は分かっちゃいないんだろうな。俺がこんな風にあいつを見に来ているなんて…。
しかし、女性客ばかりだと思っていたが、そうではないのだということが、ここ数日店内を眺めていて良く分かった。
ただ単に、甘いものが好きなのか、それとも手土産として購入するのか、とにかく男の客が多いんだ。
まさか、千茉莉が目当てで来ているなんて事ないよな?
………ありえないことじゃねぇから余計に怖い。
今も俺の目の前で千茉莉にケーキの注文を言い渡している男が一人。
ザワリと自分の中で嫌な感情が湧き上がってくるのを感じる。
今までも何度か、俺がプチと切れそうなほどの可愛い笑顔で男性客に『ありがとうございます〜♪』などとケーキを手渡す現場を、目の当たりにしてきた。
ああ、わかってるよ。仕事だってな。
だけど、あの男が、今の千茉莉の笑顔でドキューンとハートを打ち抜かれちまったりしたらどうすんだよ?
明日から毎日ケーキを買いに来て、千茉莉と顔見知りになって、それからストーカーとかになっちまったりしたらどうするんだよ?
今だってほら『いつものベリータルトですか?今はバレンタイン期間限定のチョコレートケーキを用意しているんですけど、そちらもどうですか?』とかって…そいつ常連か?
『いつもの』ってなんだよ?その男、そんなにしょっちゅう来てんのか?
お前が作ったチョコレートケーキを勧めるって…その男誤解するんじゃねぇか?
ああっ、そんなに愛想ふりまいて『ありがとうございました〜。また来て下さいね♪』なんて、可愛らしく言ってんじゃねぇよ。
ち〜まぁ〜りぃ〜!!こんなに心配させやがって…。
おまえっ!心配しすぎで俺がハゲたらどうすんだよっ!!
一瞬心を癒されたはずだったが、仕事に戻る頃には逆にイライラ&ため息というダブルパンチを喰らってしまった。
重いものを背負い込んで、行く前より更にどんよりとした気分で帰ってきた俺を待っていたのは…。
受付に山積にされた女性患者からのチョコレートだった。
誰からも受け取らずに徹底的に拒否し続けてきたのに、ほんの1時間程いない間に受付スタッフに無理やり押し付けていったらしい。
勘弁してくれよ…。
さっきから甘ったるい香りが染み付いているようで眩暈がしてんのに、何なんだよこれは。
あーもう。俺は千茉莉以外の甘いものは見たくもないっつーの。
この世にあいつほど俺を酔わす、極上のSweetは無いんだから…。
***
時刻は午後7時。
まだお客さんの残るお店を両親とバイトさんに任せて、あたしは仕事を早めにあがらせてもらった。
毎日遅くなっていたことにパパも罪悪感を感じていたらしくて、バレンタインぐらい早く帰ってやれと、むしろ追い出すように帰してくれた。
「響に、営業妨害になるような視線で男性客を見るのは止めるように、くれぐれも伝えてくれ。」
と、苦笑しながら…。
時々、お仕事の合間にあなたがお店の外からこっそりと様子を見に来てくれているのはあたしも気づいていた。
忙しくて話す事も触れることも出来ないけれど、優しく見守ってくれる視線がとても心地良くて、まるで抱きしめられているように幸せだった。
確かに男のお客さんにチョット怖い目で睨むのはやめて欲しいなあって思ったけど、それもあなたの愛情だと思うと何だかとっても嬉しかったりして…。
…ごめんねパパ。ちゃんと響さんには機嫌のいいときを見計らって話しておくからね。
パパに心の中で謝って、響さんの為に作った特製チョコレートを持つと、はやる心を抑えて足早に彼の職場へと向かった。
思ったよりも早く終わったことにきっと驚くだろうな。
今朝は、随分と甘えたがりだったし、きっと喜んでくれるよね?
あなたに見つめられるとドキドキするのは、いつもの事だけど、今日のドキドキは少し違う。
あなたへの想いが詰まったチョコレートを口にしてくれるかどうかが心配で、胸が苦しいほどに早鐘を打っている。
早く、あなたに抱きしめて欲しい。
早く、あなたの唇に触れたい。
早く、あなたの温もりを感じたい。
早く…
あなたに愛しているって伝えたい…。
驚かそうと思って、連絡もせずにクリニックの受付へ行くと、そこには少し困った顔の響さんがいた。
その傍には、ダンボール詰めされたチョコレートの山…。
自分の旦那様がもてるのは分かっているけれど、結婚した今でも、こうして彼に好意を寄せて告白してくる女性が後を絶たないのはとても複雑だ。
だけどこれまで贈り物なんて一切受け取ったことは無かったし、どんな相手にもハッキリと断ってくれる人だから、安心していただけにチョコレートを受け取ったという事実が凄くショックだった。
わかってる、響さんが喜んで受け取るはずが無いことは。
わかってる、ただの子供っぽい嫉妬だって。
それでも、響さんに好意を寄せる女性からの気持ちが、チョコレートから伝わってきて…。
初めて、大切な想いの詰まったお菓子を拒絶している自分がいることに気付いた…。
「あ…っ、千茉莉?おまっ…どうして?」
感情に追い討ちをかけるように、チョコレートの山とあたしを交互に見て焦る響さんに、益々苛立ちを感じる。
「あら?何を焦っているの?あたし来ちゃいけなかったのかしら?」
「何をバカなこと言ってんだよ。」
「じゃあ、堂々としていればいいのよ。焦って隠さなくちゃいけないような相手からもらったチョコじゃないでしょう?」
「――っ、そりゃ、そうだけど…。お前が嫌がると思って…。」
ああ、あたし嫌な娘だ。響さんに八つ当たりしている。
嫉妬で一瞬でもお菓子を愛せなかった醜い自分が嫌で…
「ごめ…ん。あたし…最低…。パティシェ失格だわ。」
「はぁ?おかしいぞお前。とにかく帰ろう。俺も今日はもう親父にまかせて帰るから。」
「別に気を使わなくていいわ。遅くなっても待っているつもりだったから。」
「いや、今すぐに帰る。」
刺々しい言い方にもさして気にした様子も見せない彼の余裕に、自分の幼さを痛感して更に落ち込んでいると、不意に目の前に影が落ちた。
つられるように見上げると、響さんが少し腰をかがめてあたしを覗き込んでいた。
瞳が絡んだ瞬間、あたしの気持ちを察したようにフッと笑うと、いつものようにクシャ…と髪をかき回して耳元に唇を寄せる。
―― 千茉莉が嫉妬してくれたのがすげー嬉しかったから…今すぐに人のいないところで、すっげー長いキスしたい。
ゾクリと身体の芯から痺れるような甘いテノールと、凄く嬉しそうな彼の表情に、胸がズキンと痛むくらい大きく跳ね上がる。
言葉を失って放心している間に受付の女性にチョコレートの処分を頼むと、あたしを引きずるようにその場を離れ車に押し込んだ。
ドアが閉まると同時に降ってくるキスの雨…。
今朝、あたしに植え付けられた火種を煽るような熱いキスに、あたしは無意識に彼を引き寄せて自分から舌を絡めた。
彼を求めてもつれ合うように抱き合い、キスの合間に互いの身体を探りあい、更に感情を煽り立てていく。
ダンボールいっぱいのチョコレート。
ダンボールいっぱいの響さんへの想い。
子供みたいな独占欲だとはわかっても、嫉妬する気持ちが止められない。
柔らかく手になじむ綺麗な金の髪
甘く囁く優しいテノール
そして見つめられるだけで切なくなるグレーの瞳
それをすべて独占しているのがあたしだと、大声で叫びたかった…。
嫉妬が暴走して感情がコントロールできなくなっていく。
ここがパーキングだとか、誰かに見られるかもしれないとか
そんな事はどうでもいい…。
ただ、あなたが欲しい…。
あなたがあたしだけのものだと感じたい…。
「…響さん…抱いて…?」
自分からこんなことをお願いするなんて初めてだった。
***
チョコレートの山を見たら気分を害するだろうと思い、スタッフで食ってくれと頼んでいた時に千茉莉がやってきた。
結婚したことで確かにチョコレートの数は去年より減っているが、その数は半端ではない。
チョコレートなんて食えないし、千茉莉以外の女性からなど、何も受け取るつもりも無いのだから、千茉莉が許してくれるなら、捨ててしまってもいいくらいだ。
だが、どんな理由があっても、お菓子に込められた気持ちを大切にするのが彼女だ。捨てると言ったらマジで切れるだろう。
いくら自分が苦手でも、パティシェの卵である彼女のお菓子に対する愛情は決して傷つけないように気を使っているつもりだ。
だが、今日の千茉莉は少し違った…。
あからさまに嫉妬している様子に、胸に熱いものが込み上げてくる。
お菓子より俺への愛情が勝った事がこんなにも嬉しいなんて、何だか複雑な気もするが、ここ暫くお菓子に千茉莉を奪われていただけに本当に嬉しくて…。
引きずるように車に連れ込むと、千茉莉を引き寄せた。
どちらからとも無く唇を重ね、激しく貪るように求め合う。
彼女の甘い唾液が俺の中に生気を送り込むように流れ込んでくると、ここ数日の飢餓感が薄れ、心の乾きが潤っていく。
もっと彼女が欲しい。
今すぐにこの場で繋がりたいとさえ思うが、せっかくのバレンタインにそれは無いだろうと必死に理性を手繰り寄せたそのとき…。
「…響さん…抱いて…?」
消え入りそうな小さな声に耳を疑った。
千茉莉が自分から抱いて欲しいと言うなんて…。
思いがけないバレンタインギフトに、心臓がフルスピードで爆走を始める。
それでも、動揺を悟られないように必死で余裕の表情を装いながら、耳元でわざと感じるように囁いた。
「千茉莉…今夜は夜景の綺麗なホテルを予約したんだ…。食事をしてゆっくりと夜を楽しもう…な?」
潤んだ瞳で俺を見上げ頷く千茉莉に満足げに微笑むと、車のエンジンをかけ、ホテルへと向かった。
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