Sweet  Dentist 10月4日(火曜日)



はあっ、今日何度目かのため息

どうしよう・・・。


ここまで来ちゃったけど、怖くて足が動かない

もう、15分も入口の前で言ったりきたりするあたし


神崎 千茉莉(かんざきちまり)17才 高校3年生。この町で一番美味しいと評判の洋菓子店SWEETの一人娘。

お菓子作りが何より好きで将来はもちろん家業を継いでパティシェになるつもり。
進路もバッチシ!有名料理学校への進学が決まっている。
高校では家庭科部に所属していて、お裁縫なんかそっちのけでいつも新作のお菓子を作っては部室で披露しているの。

みんなが美味しそうにあたしの作ったお菓子を食べてくれる時が一番幸せ。

美味しい物を食べる時人はこの上ない幸せな表情をする。
特にそれがSweets(甘いお菓子)であればなおの事。
だれもが天にも昇るようなホンワリとした恍惚ともいえる表情になるのよ

本当に美味しいお菓子をたくさんの人に食べてもらいたい。

それがあたしの夢

幸いあたしは太らない体質らしく、どんなにお菓子を試食しても太る事は無いらしい

それはいいのだけれど・・・

問題は歯なのよ。

あたしは虫歯になりやすいのか、しっかり歯磨きをしてフロスも毎日しているのに何故かすぐに虫歯になる。

甘いものも味見程度にして控えるようにはしているんだけど・・・。

でもね今回ばかりはそんな事言っていられないの。

2ヵ月後に控えた全日本パティシェ選手権大会。3年に一度の大きな大会で、あたしの出場が決まっている高校生の部でも全国の高校生が自慢のお菓子を競うことになる。

これに優勝してどうしてもフランス留学の切符を手に入れたい。




・・・・・・・で、毎日頑張りすぎた成果が虫歯。

多少の事は気合でやり過ごすタイプのあたしだけど、こればっかりは痛くてそんなことも言っていられない。

でも、嫌いなんだよね歯医者って・・・。

あの、無機質な冷たい音。きい〜〜〜〜〜んって考えただけで足がすくんで動けない。

こわいよお


中学の時から家庭教師をしてくれている杏先生の知り合いの歯医者さんを紹介してもらったんだけど、今ひとつ中に入る勇気が出てこない。

「やっぱり先生について来てもらうべきだったのかなあ?」

ぽそっと呟いて、又ひとつ溜息を付く。

『 千茉莉ちゃんは歯医者さんが苦手だからねぇ。一緒に行ってあげようか?』

杏先生の言葉が耳に響いてくる。いやいや、子どもじゃないんだから!

ここで負けたら女がすたるよ(何に負けるって言うんだろう?)

キッ、と正面の【YASUHARA Dental Clinic】そう書かれた看板を見つめる。

『大丈夫、響さんはね腕がいいのよ。暁の親友だし、心配しなくても優しくしてくれるから。』

杏先生の言葉を思い出して、心の中で反芻してみる。

先生は優しい人なんだよね?で、腕が良いんだよね?うんうん、暁さんの親友だって言うし…きっと凄くいい人なんだろうな。、そうだよ。大丈夫。しっかりしろ千茉莉!!

大きく深呼吸して、最後の一息をはあっと溜息と共に吐き出すと、意を決したように看板を見つめて右足を一歩踏み出そうとした。



その時・・・・


「おまえ、邪魔なんだよ。さっきから何やってんだ?営業妨害か?」

冷たいテノールの声が響いた。驚いて振り返る。

もう夕方に差掛かろうとしていた陽が逆光になってその人を照らしていた。

身長が153cmと、もう少し欲しい所のあたしより20cm位高い長身の男性。

短く刈り込んだ髪を金髪に染め、逆立てている。耳にはオニキスのピアス。

目はカラーコンタクトなのかグレーの瞳をしている。

この人も治療に来たのかな?あたしそんなに邪魔だったかなあ?

そんなことを思いつつも一応反論してみる。

「なっ、違いますっ!ちゃんと受診に来たんです」

慌てて反論するや否や、じゃあさっさと入れと腕をつかまれズルズルと院内に連れ込まれてしまった。




あたしの腕を掴んだ男性はずんずんと院内の診療室にあたしを連れて行った。

????訳が分からない。まだ受付もしていないのに、いきなり診療室なんて!

周囲の患者さんも、スタッフの人もみんな唖然としている

そりゃそうよ。こんな、バンドでもやっていそうなお兄さんがいきなり診療室へドカドカ入り込んできたら何事かと思うでしょう?

しかも、この人偉そうにスタッフに指示を出している。

一体だれなのこの人?


「・・・・・・あのっ、あなたいったい?」

オロオロしているあたしを鼻でせせら笑う様にあたしを見てその男は言った。

「おまえ、杏ちゃんの紹介で来た娘だろ?なんって言ったっけ?『てまり』とか何とか・・・」

ぷち!

頭の奥で何かが少し切れた。この人凄く嫌な奴かもしれない。

「『てまり』じゃありません。『千茉莉』です。ち〜ま〜り〜!!」

「ふうん、名は体を表すって言うけど、本当だな」

ぷちぷち!

「なんですって?」

「だから、名は体を表すってサ、チマチマと小さいからチマリなんだろ?」


ぷちぷちぷち!!!


むかつく!何この男? あたしは身長の事言われるのが嫌いなのよ。


初対面の金髪男に何でこんなこと言われなくちゃいけないのよ。

むっとした顔で相手をにらむと、あれ?怒ったの?なんて・・・あたりまえじゃん!!

「あなた、誰なんですか?初対面なのにすごく失礼です。それに診療室に勝手に入ったりしてっ、お医者様に迷惑・・・」

「だって、俺が医者だもん」

あたしが言い終わる前に何か信じられない言葉が金髪男の口から飛び出した。


「・・・・・・・・・・はい?」


間の抜けた声だと自分でも思う。

「だから、俺が医者なんだって。あなたじゃなく先生って呼べよな」

ふん、と鼻息が聞こえそうな感じで吐き捨てるように言う。


こんな男が先生?

冗談じゃないわよ、治るどころか歯が無くなっちゃうんじゃないの?

眉間に思いっきり皺が寄るのが分かった。まあ、当然だと思うけど。

「・・・・・・おい、お前、今すっげー失礼なこと考えなかったか?」


この男・・・表情であたしの心読みやがった。


「あたし、遠慮しておきます」

くるりと金髪男に背を向けて診療室を出ようとした・・・けど、こいつはしっかりとあたしの腕を掴んで離さない。

「や〜め〜て〜!!絶対いや!あなたみたいな失礼な先生に治して欲しくなんかありません」

「うるさい!問答無用だ。杏ちゃんから、千茉莉は歯医者嫌いだから痛くないように治せって言われてるんだ。俺は基本的に子どもと男しか治療してないんだ。おまえは特別なんだぞ。ありがたく思え」

「……子どもと男だけ?じゃあ、女は診ないんだ。あたしも診てもらわなくて結構です」

それじゃ、と言ってもう一度出口へ向かおうとした時、ふわっと自分が宙に浮いたのを感じた。

「え?あ…?……キャ―――――――――――ッ!!」

突然金髪男があたしを抱き上げ診療台に無理やり座らせると、両肩を固定するように押さえつけ、あたしの上に跨るようにして上から覆い被さってきた。

鼻が付きそうな位の距離であたしの顔を覗き込む。

うわっ、かっ、顔近すぎ!


男の人に抱き上げられた事なんて初めてで、もちろん誰かが覆い被さってくるなんて経験はした事が無い。

……あたしって、もしかして襲われてるの??

体が石のようにカチカチに硬直して、心臓は全力疾走したときみたいにビートを打っている。

「千茉莉は嫌なのか?俺に治療されんの。女はみんな俺に治療してもらいたがるんだ。光栄に思えよ」

そのセリフを聞いた時あたしの中の何かが切れた。


ぷっち〜〜〜ん!


「ふざけないでよ。女がみんなあなたを好きになるとでも言いたいの?ばかにしないでよ」

グレーの瞳を睨みつけ、押さえつけられた腕を何とか外そうと身を捩って暴れる。


「は〜な〜し〜て〜!!このヘンタイ!女子高生を襲う歯科医って訴えるわよ!!」

「馬鹿、おまえみたいなガキ、興味ねえよ」

「じゃあ、どいてください。誰が見ても襲ってるじゃないですか」

「でもまあ、治療させてくれないんだったらこのまま襲うけど?」

あたしの耳元に顔を寄せて低い声で信じられない言葉をさらりと言い放った。

耳を疑う言葉。

……何ですって?

声も出ないくらい驚くあたしに、あいつはからかうように耳元でくすっと笑ったかと思うと「痛くないようにしてやるから心配するな」と言って、すっと体を離した。

「え?いっ、痛くないようにって…?なっななっ、何がですかっ!」

耳まで真っ赤に染まったあたしを見て、あいつは『バカかおまえ、何考えてるんだ?治療に決まってんだろ』と冷たく言い放つ。

良かった、襲うってことじゃ無かったのね。心臓がまだバクバクと鳴っている。

大きく息をつき、その時ようやく自分が息を止めていたことに気づく。

腹の立つことにあいつはあたしの様子が可笑しかったのか横でケタケタ笑いながら目に涙をためている。

「あはははっ。千茉莉はまだ経験無いんだ。へえ…今時の女子高生にしちゃ珍しいんじゃないか?それとも相手にしてくれる彼氏もいないのか?」


ぶちっ!!


またも、地雷を踏んだこの男。本当にどうしてくれよう。

「ほっといてください。もてないわけじゃないんですから。単に好きになれる人がいないだけです」

そう、告白されたことは何度かある。でも、好きっていう感情を抱けるほどの人がいなかっただけ。

「それに、あなたには関係ないでしょう?ほうっておいてください!!先生なら先生らしく患者に優しくしたらどうなんですか?そんなんで本当に子供の治療なんてしてるんですか?」

あたしがそういうと、あいつはムッとした顔であたしを睨みつけた。

「バカにするなよ?俺は腕がいいんだ。すぐに証明してやる。ああ、もう!!いいから大人しくしていろ。動くと余計に痛いんだぞ?わかったな」


そう言って本当に診療を始めたこの金髪先生…。


本当に大丈夫なんだろうか。


この先生に治療されるのにはすごく不安がある。


でも、長い付き合いの杏先生が自信を持って「絶対痛くないから」って太鼓判を押して紹介してくれたんだ。
しかも、杏先生のご主人の暁さんの親友だって言うし・・・。


やっぱりここで逃げるわけには行かないんだろうなあ


あたしは不安を拭いきれないままに、はあっと大きく溜息をひとつ付くと、腹をくくってギュッと目を瞑り、言われるがまま口を開けた。





***



「おい、終わったぞ。いつまで寝ているつもりだ?」

無愛想な低く響くテノールに、意識が浮上する。

あれ?あたし寝ちゃったんだ

ここ、どこだっけ?


記憶を手繰るようにぼうっとした頭をふり、体を起こす。

視界に入ってきた歯科医療用の器具の数々、ようやく自分の置かれた状況を思い出す。

「やっと起きたか?いくら痛くないからって、俺の治療でぐうぐう寝た奴は初めてだぜ」

「……あ、ごめんなさい」

恥ずかしい。でも、どうして寝ちゃったんだろう。

「歯科治療の麻酔って寝るほど強くねぇぞ?何で寝れるんだよ?」

「さあ?何ででしょうね」

…あたしは聞こえないくらい小さな声で呟くと、診療台から降りようとした。

眠ってしまった理由は何となく分かる。

昨夜は今日の治療が怖くてほとんど寝ていなかったんだから

「大方、今日の治療が怖くて、眠れなかったんじゃないのか?」

―――! 驚いた。この人あたしの心やっぱり読めるの?

「なっ、何で分かるんですか?」

「んなもん、千茉莉の怖がり方見てりゃ誰だってわかるさ。お前もそんなに歯医者が怖いんなら虫歯にならないように努力しろよ」

「してますよ。歯磨きだって毎食後してるし、フロスもしてるしフッ素コーティング入りの歯磨き粉とかも使って結構気をつかってるんです。でも、虫歯になっちゃうんだもの」

「ふ〜〜ん。おまえ、甘いもん食いすぎじゃないのか?」

ギク!

「そっ、それは…しょうがないじゃないですか。もうすぐ大会があるんだもの。新作のお菓子試食しないわけにいかないでしょう?」

「大会?」

「はい、全日本パティシェ選手権大会って言って3年に1度の大きな大会なんです。高校生の部からも1名大賞に選ばれたらフランスに留学ができるんですよ。
あたし、パティシェになって、家業の洋菓子店を継ぎたいの。家には男の子はいないし、あたししか両親の夢をかなえてあげられないの」

「両親の夢?」

この人にこんな話をしたら笑われちゃうのかな?でも、あたしに夢を語らせたらもう止まらないよ。

「うん、両親とあたしの夢。この世に一つしかない、誰にもまねできないお菓子を作る事」

先生の顔を真っ直ぐに見てニッコリと答える。今日始めて先生の前で笑ったかもしれない。

先生は少し驚いたような顔をしたけれど、次の瞬間優しく微笑んで…
「そっか、がんばれよ」って言って、髪をクシャってしてくれた。
これって多分頭を撫でてくれたんだよね?


……子ども扱いしないで欲しい。


でも、その時の先生の笑顔が余りにも優しそうでカッコよくて…悔しいけれど思わず見惚れてしまったの。
第一印象が最悪だったから、今までわからなかったけれど、先生って結構かっこいい…って言うか、かなり美形じゃない?
今更ながらに気付いた事実に、まじまじと先生の顔を見つめていると、またもや神経を逆なでる一言があたしを現実に引き戻した。

「なに?俺に惚れたの?」

……前言撤回。全然かっこよくない。
性格なんで超最悪!!すげ〜〜むかつくし〜〜〜。

「先生自惚れすぎ。お年幾つなんですか?どう見てもあたしからしたらオジサンの領域ですよ。かっこいいとか惚れるとか…対象外ですね」

ビシッとそう言い放って「失礼します」と診療室のドアを開ける。

「ひっでぇ〜〜。オジサンかよ?まだ、経験も無い乳臭いガキに言われたくねぇよな」

むっか〜〜〜。誰が乳臭いのよ?

「ひっど〜い!誰が乳臭いのよ。先生こそ大人気ないわよ?いちいちあたしに突っかかって。小学生じゃ無いんですから!もしかして先生のほうこそあたしに惚れてるんじゃないの?」

「ばっっ…ふざけんな!女には不自由してねぇよ。誰がおまえみたいな乳臭いガキんちょに惚れるって?大人をからかうのもいいかげんにしておけよな」

ふうん、不自由してないんだ。そう言えばさっき女の患者さんは診ないって言ってたなあ。患者さんに手を出したら後腐れがあるから診ないのかも知れない…。

もしかして、さいっって〜〜な男なんじゃない?この人

あたしの疑いの眼を避け、先生は鼻でせせら笑うように次の診療日を告げた。

「じゃあ、また来週の火曜日のこの時間に来いよ」


ああ、死刑宣告に聞こえるよ。


来週…また、この先生に会わなきゃいけないんだ…


うんざりしながら今度こそ診療室を出る。


大きな溜息をつきながらあたしは治療が終了するまで今日みたいな会話が繰り広げられるのだと確信して、思わずスケジュール帳に八つ当たりするように予定を書きなぐった。

10月11日火曜日…次の診療日の書き込みをしながら、さっきの先生のセリフを思い出す。


『なに?俺に惚れたの?』


ああっ、ムカツク。絶対にありえないし〜〜〜!!



+++ 10月4日 Fin +++


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