Sweet  Dentist 10月18日(火曜日)



いつもの予約の時間は4時半。今は4時15分。
どうよ。コレなら文句無いでしょう?

あたしはやっと慣れつつあるYasuhara Dental Clinicの受付にやってきて時計を確認するとニヤッと笑った。

この間は放課後に先生に呼び出せれたせいで予約の時間より20分以上遅れてしまった。
おかげであの嫌味な男に罰ゲームを強いられてしまったのよ。

ああもうっ!今思い出しても腹が立つ。

あいつがあそこまで根性悪いと思わなかった。

嫌がるあたしにあんな約束をさせるなんて…。






「じゃあ、来週は罰ゲームだな」

治療が終わるや否やあいつのそう言った。
もちろん納得の行かないあたしは怒ったわよ?
でも、そんな事聞く奴じゃないってことぐらいここ数日で分かり始めてきたよ。

あたしってなんて学習能力が高いのかしら…。

でも、あいつの考えることって、とことんぶっ飛んでるってことまでは考えなかった。

あたしが甘かったのか、ピュアなのか…。たぶん後者だと思うけどさ。

あのバカ男が考えた罰ゲームって何だと思う?
あいつの医者としての神経を疑ったわよ。いったい何を考えているのかしら。
今までも随分変わった医者だとは思っていたけれど、ここまでキレているとは正直思わなかったわよ。

あいつは澄ました顔でこう言ったの。


「歯医者嫌いの男の子がいるんだ。おまえ、俺の助手になって手伝えよ」


………はい?

それって歯科衛生士の資格も無い女子高生のあたしに助手もどきをさせようっていってるのよね。

ンな事できるわけないじゃない?

『ばかじゃない?患者さんに何かあったらどうするのよ。』

って、あたしは散々抵抗したのよ?

でもあいつは引き下がらなかったの。本当にどうかしているわ。そんなにあたしを困らせたいのかしら。

何とか止めさせようとするあたしに、あいつはしゃあしゃあと言いやがった。

「ちょっと子供の気を引いてくれればいいんだよ。どうも先入観で歯医者が怖いと思い込んでいる。誰かと一緒だよな。おまえなら気持ち分かるんじゃねぇ?」

誰かと一緒という言い方にカチンときたものの、ぐっと我慢して考える。

ちょっと待って?

そうよね。普段どんな顔して治療しているのか見てみるのもいいかもしれない。

「千茉莉にしか出来ない事なんだよね。子どもの心を掴むには子どもが相手をするのが一番だろう?」


ぶち!!


「誰が子どもなのよ?あたしは立派な17才の乙女です。12月には18才なんだからねっ!」

「ぶはっ!ははははっ…。乙女?自分で言うか普通?身のほど知らずもいいところだな」

「なぁんですってぇ!」

あたしにはいつもあんな態度だけど、他の人にはどんな治療しているんだろう。
もしかして子どもにワンワン泣かれちゃうとか?でもって、子どもを怒鳴っちゃうとか?

すっげ〜ありえそう。

「いいわよ。やればいいんでしょう。覚えておきなさいよ?今度は絶対にあたしがあなたにバツゲームをさせてやるわ」


そうよ、絶対にやり返してやる。で、勘弁してくれよって言わせてやるんだ。


何だか楽しみになってきたかも…。

でもやっぱり、あいつはあいつだった・・・。

「大方俺が子どもを泣かすとか思ってるんだろう?甘いね。
千茉莉には手伝ってもらうけど、あくまでも、バツゲームだからな。俺がやれって言った事するんだぞ?いいな。来週のおまえの診療の後に予約が入っているからな。頼むぞ」

ニヤッと笑った顔はきっと世間一般では綺麗といわれるものなのかもしれない。
でも、あたしには悪魔の笑みにしか見えなかった。背中に黒い羽が見えたような気がするのは気のせいじゃなかったと思う。









…ってことで今日はあたしの治療が終わった後の5才の男の子の診療を手伝う羽目になってしまった訳なんだけど・・・。

手伝うって言っても何もする事ないんだよね。

一体あたしに何をさせたいのか分からない。

診療が始まる少し前にあいつは一言だけ言った。

「子どもが不安にならないように楽しい雰囲気を作ってやるんだ。俺がおまえに何か話し掛けたら、とにかく俺に話をあわせろ。いいな?」

そのときは言っている意味が良くわからなかったけど、とりあえず頷いたあたしは、診療が始まってようやくその言葉の意味を理解した。


そこにいたのは…あたしの知らない『先生』だった。




「ほら、見てごらん?これがね風を送る機械なんだよ。シューって風が出て来ただろう?」



5才の男の子を前に歯科医療用の器具の説明を始めたあいつを見てあたしはぶっ飛んだ。




あなた誰?どこのどなたですか?



信じられないけど…メチャクチャ優しいじゃない?

子どもが怖がらないように一つずつどの機械が何をするものなのか丁寧に教えている。
子どもは好奇心に目をキラキラさせて風をかけてもらったり、ブラシが回転するのを見て笑っている。
その様子を見ているあいつの目ったら…



信じられない。こんな優しい顔が出来るんだ。

じゃあ何、あたしには何であんなにイジワルなわけ?訳がわかんないよ。
子どもだから…?子どもだから優しいの?

そう言えば女は診ないとか言っていたよね?あたしが女だから冷たいのかな。

そんな事を考えながらぼうっとしていると、あいつの皮肉を込めた声が降って来た。

「いい?このおねえちゃんはね、歯医者さんが大っ嫌いなのに虫歯になったケーキ屋さんなんだよ。雄介君はケーキが好きかい?」

「うん。だあいすきだよ」

「そうか、でもこのおねえちゃんみたいに治療中にワンワン泣いたり暴れたりしちゃダメなんだよ 痛くないからね?じっとしていたらすぐに終わるから。イイコにしているんだよ?」

なっ!!あたしがいつ泣いたのよ。
あいつは目配せしながら続けてくる。

「お姉ちゃんも最初は怖くて泣いちゃっんだけどね、先生の治療は痛くないからってもう泣かなくなったんだよ。ねえ、千茉莉ちゃん」

ねえ、千茉莉ちゃん…

なによそれ?

呼ばれたことの無い呼び方に思わずときめいてしまう。
…なに、動揺してるのよあたしったら…。
おっと。話をあわせて怖がらない様にしてあげなくちゃいけないのよね?
さっきやたらと先生の治療は痛くないからって所に力を入れていたわよね?…ってことは

「うん、そうよ。おねえちゃんね、ケーキ屋さんだから甘いもの食べ過ぎてすぐに虫歯になってしまうの。
でも、響先生がとっても優しくて、上手に治してくれるからすぐにまた、美味しいケーキが食べられるようになったんだよ。
響先生に任せておけば大丈夫だから…だから頑張って治そうね?お姉ちゃんここで見ていてあげるからね」

自分でもこんなに優しい言葉が自然と出るなんて思わなかった。

自然に響先生って自分から、言っていた。嘘みたい…。

もしかしてあいつの考えてたバツゲームって…


あたしに先生って言わせることだったんだろうか



なんだか、響先生と言う言葉が魔法のように胸にすとんと納まった。

子どもを見つめる響先生の瞳から目が離せなくなる。



何故だろう…。


『響先生』


その呼び方を心で繰り返すだけで胸がドキドキして止まらないの。










千茉莉になんとか先生と呼ばせたくて、バツゲームを口実に作戦を考えた。

子どもの前でさすがに怒ることもないだろうと思った俺は、千茉莉の後の予約につき合わせることにした。

案の定あいつは嫌がっていたが、最終的には何かを企むようにニコニコ同意してきた。
きっとあいつの事だから、俺が子どもをどんな風に治療しているのかとか考えてるんだろう。
あいつの中の俺のイメージってかなり悪いらしいから、きっと子どもを泣かすんだろうとか考えているんじゃねぇかな。

…もしかして逆バツゲームのネタでも捜そうと企んでるのかもしれない。

まあ、それでもいいさ。とりあえず、『あなた』から、『先生』へ昇格さえ出来れば。

そう思っていたんだけど・・・予想外の言葉があいつの口から飛び出したときには本当に驚いた。

驚いただけじゃなく、すごく嬉しかった・・・。



響先生がとっても優しくて、上手に治してくれるから…。

響先生に任せておけば大丈夫だから…。



なんだろう。子どもの前だから、合わせて言ってくれているだけなのに、それでも心臓がバクバク鳴って、顔が緩んでいってしまうのを止められない。

何でだ?

何だろう。この心の満足感は…。



千茉莉のせいなのか?

どうして千茉莉の言葉にはこんなにパワーがあるんだ?


治療を終えた雄介君を抱きしめるように診療台から降ろしてやる千茉莉。
「良く頑張ったね。えらかったよ」そう言って褒めている姿をぼんやりと眺める。

「おねえちゃん、やさしいね。ぼくのおよめさんにしてあげるよ」

そう言う雄介君に、やんわりと微笑みかける輝かんばかりの笑顔。

その瞬間……

部屋全体が眩いばかりの光に包まれ千茉莉の背中に一瞬白い羽が見えた気がした。



白い羽が風に舞い俺の心を包む…。



心に羽が降り積もりその中に暖かい光が降り注ぐ



胸の中に流れ込んでくるそのイメージが俺が進むべき道を真っ直ぐに照らし始めていた。






+++ 10月18日 Fin +++


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