Sweet  Dentist 10月31日(月曜日)



先日のドタバタで千茉莉の治療が出来なかった為、あと一回彼女は治療のためにここへ来る。

明日…いつもの時間に彼女がきたら、先日のことを謝らなくてはいけない。

『気にしないで。』と千茉莉は言っていたけれど気にせずにはいられない。

頬の腫れは引いたのだろうか。どこか他に怪我をしてはいなかっただろうか。

あの日最後の患者を診た後に、千茉莉の様子を見に行くと彼女は診療台の上で俺の白衣を握り締めて自分を抱きしめるようにして眠っていた。
目じりに残る涙が痛々しくて、抱きしめたい衝動を抑えるのが大変だった。

何故だろう。千茉莉を愛しいと思うのは…。

俺を庇うように真由美の前に立ち、凛とした声で言った千茉莉の言葉が忘れられない。

『あなたは気付いていない。先生を好きだって言っておきながら先生の心が冷たく固まっていく事に気付いていない。』

千茉莉の言葉に真由美はショックを受けていたようだったが一番衝撃を受けていたのは俺だった
千茉莉は俺の心の奥底の闇を感じたんだろう。
誰にも話した事の無い心の奥深く閉じ込めた深い愛情と憎しみを…。
そういえば杏ちゃんが言っていたっけ。千茉莉は人の心に敏感だって。

…やっぱり、千茉莉の背中の羽は錯覚なんかじゃなく本当にあるのかもしれない。




明日になればまた、千茉莉の笑顔に会える。
口の悪い駄目天使でもやっぱりあいつは俺の天使なんだ。
千茉莉の事を思うとき、いつも白い羽が舞うイメージがついてくる。
あの羽は俺にだけ見えるものなんだろうか。

他の誰かにも見えているんだろうか。

なんだろう、この気持ちは…。

他の誰かにもあの羽が見えたら…そう思うと胸の奥から不快感が湧き上がってきてイライラと落ち着かなくなってくる。


千茉莉の顔が見たい…頬の腫れは引いただろうが自分で確かめて安心したいんだ。


千茉莉は笑っているか怒っているかしているのが似合う。


まるで…亜希みたいだな。

真っ直ぐに夢を見つめて追いかける姿も、何をするにも一生懸命な所も、いつだって怒っているか笑っている所も…。

亜希と最後に会った日に出会った千茉莉。


俺は…千茉莉を亜希に重ねて見ているんだろうか…。



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「千茉莉、今日はバンドの練習見に来ないのか?」

校庭を横切って裏門から帰ろうとしていたあたしを同級生の浜本 宙(はまもとそら)が呼び止めた。宙は小学生の頃からの腐れ縁で高校に入ってからは仲間とバンドを組んでいる。
あたしはその練習を高校に入ってから一番の親友になった川本 空(かわもとそら)に付き合って時々見に行っていた。

空とは家庭科部もクラスも一緒でほとんど毎日一緒に行動している。
川本 空と浜本 宙。このふたりは名前が似ているため紛らわしいといつもケンカしているけど実はとても仲が良かったりする。お互いに親友だって言い張っているけど、あたしからしたら凄くお似合いなんだよね。

このふたり付き合ったりしないのかな?などとお節介なことも考えてみたりして。

「おまえ最近全然顔出してないじゃないか。メンバーもどうしたんだって心配してるしさ、たまには出て来いよ」

「え…ううん。ゴメン今日はパス」

「今日はじゃなくて今日もだろ?」

言われてみるとその通りだ。最近は歯の治療や大会の事あって一ヶ月以上顔を出していない。

「うん…でも、今度の大会の事で頭がいっぱいでそれ所じゃないのよ」

「はぁ…やる気でねぇなあ。千茉莉が見にきてくれると俺頑張っちまうんだけど」

こういって宙は小さく溜息を付いた。
バンドを組んでいて顔だって悪くない。結構女の子にも人気があるのに、未だに彼女がいなくてこうしてあたしにちょっかいを出してくる。
まったく…あたしは今それ所じゃないのよ。

「宙さぁ、あたし色々忙しいのよ。あんたのバンド活動は応援してるしヒマな時ならいつだって見学でも手伝いでも行ってあげるけど、今はダメなの」

「…っ。つめてぇなあ千茉莉。以前は火曜日は必ず練習を見に来てたのに最近ずっと付き合い悪いし…」

「火曜日に行っていたのは、空がその日は唯一メンバーが全員揃う日だからどうしても行くって誘うからよ。あたしは付き合いで見学していただけ。空は今でも毎週火曜日は行っているんでしょう?」

「ああ。来ているよ。でも俺は千茉莉に来て欲しいんだよ」

「あたしは歯医者で忙しいのよ」

そこまで言って響先生の事を思い出す。
…響先生今ごろ何しているのかな。

この間あたしのこと凄く心配して家まで車で送ってくれた先生。
明日の診療が最後になるのがとても淋しくて…。

『俺は、おまえが来なくなったら淋しいような気がする。』

先生があの時言った言葉が胸に何度も響いてくる。あれはどういう意味だったんだろう。

先生があたしと会えなくなるのを淋しく思うって…。まさか先生もあたしのこと…
ううん、そんなことありえないよ。
きっとからかう相手がいなくなって淋しく感じるってことだよ。きっとそう。

勘違いしちゃダメ…明日でもう会えなくなるんだから…。

自惚れたりしちゃダメだよ


自分が辛くなるだけだもん。



「オイ、千茉莉。人の話聞いてるのかよ?」

突然の宙の声ではっとする。宙はずっと話し掛けていたみたいだけど、あたしはまったく上の空だった。

あわてて宙を振り返ると眉間に皺を寄せて機嫌の悪い顔であたしを見ている。

「あ、ゴメン。何の話だったっけ?ちょっと考え事してて…」

「…千茉莉…。おまえがなんだか凄く遠くにいるみたいに感じる」

「なにそれ、ここにいるじゃない。宙ったら変だよ?どうしちゃったの?」

宙はあたしが聞いていなかったのが気に入らなかったのか、怒ったようにあたしの腕を掴むとツカツカと歩き出した。

「なっ…宙?何よ。どうしたって言うの?」

宙は道路に面したフェンスと大きな桜の木のある場所にあたしを連れて行った。ここは校内でも有名な告白スポットで、ちょっと周囲からは死角になって見えなくなっている。
ナイショ話や告白をするには人に見られにくくてちょうどいい場所だ。

でも、この場所って学校側からは死角になるけど、校外の道路に面した部分は思いっきり見えているんだよね。
道路から丸見えなのにこんな所で告白なんて本当にみんなしているのかな。
なんとなくそんな事を考えていると、ようやく宙があたしの手を離した。

何か相談したい事でもあるんだろうか。学校側からはたしかに見られることはないから相談するにはいい場所かもしれない。

「なによ。こんな所につれてきて・・・何か相談事でもあるの?」

「千茉莉、おまえ鈍過ぎだって。こんだけアプローチしているのに何で気付かないんだよ」

「…何が?」

「いい加減気付いてくれよ。俺…ずっとおまえの事好きだったんだけど」

「…え?」

「中学の時からおまえの事見ていたんだよ。いままでずっと友達だったし告白したらこんな風に話せなくなるかもしれないから今まで言えなかったんだけど…。俺、ずっと千茉莉のこと好きだったんだ」

宙の真剣な瞳が彼の心を真っ直ぐにあたしに伝えていた。

冗談なんかじゃない…。それだけは直感できた。


でも…あたしが好きなのは…。

「宙…ごめん。あたし好きな人がいるの」

宙は凄くショックを受けたみたいだった。明らかに動揺を隠しきれていなかった。

「誰だよ。おまえの好きな奴って。今までそんな話聞いたことも無いぞ?」

「あたしだってつい最近自分の気持ちに気付いたんだもん。それまではまさかその人を好きなんて考えた事も無かったし、彼にとってはあたしはきっと対象外だもん」

思い出すと切なくなって涙が滲んできてしまう。

響先生はあたしを女性として見てくれる事はあるんだろうか。ううん、無いと思う。明日の治療が終わったらきっともう会う事も無いんだと思う。

「だったらやめとけよ。そんなヤツ。俺はずっと千茉莉を見てきたんだ。対象外なんて思っているヤツより俺にしておけよ」

「何バカな事言ってるのよ」

「バカな事じゃない。俺は本気だ!」

「……困るよ。宙はそんな風に見れない」

「俺のほうが対象外だって言うのか?やってらんねぇな」

「宙はずっと友達だったじゃない」

「おまえの前ではな。でも心の中じゃずっと想っていた。いつかおまえを俺の彼女にするって決めていたんだ」

「勝手に決めないで…―――!」


不意にぐらりと体が揺らいで、一瞬何があったのかわからなかった。

気付いたら宙の顔が近くにあって、あたしは宙に抱きしめられる格好になっていた。

「ちょっ…なにするのよ。・・・っ、やぁっ…」

「何年おまえの事が好きだったと思ってるんだよ千茉莉」

宙の顔が不意に近付いてあたしの唇触れそうな距離まで近づいた。

「俺にしておけよ。叶わない想いをいつまでも抱いているなんてバカらしいぜ」


叶わない想い…その言葉が胸に突き刺さって辛かった。


「俺が忘れさせてやるから…。俺と付き合おう、千茉莉」


忘れられるんだろうか、宙となら…。



―――響先生…。



宙の唇が静かに重なった。

避ける事は出来たはずなのにあたしには抵抗することが出来なかった。


『千茉莉はファーストキス…まだだもんな。ここは一番好きな人の為に取っておいたほうがいいな。』


響先生の声があたしの胸をよぎる。

多分あたしは後悔する。でも…響先生への想いは決して叶わない。

涙が頬を一筋流れていくのを感じた。

そっと唇を離して宙があたしを見つめてくる。

「千茉莉…好きだよ。今は忘れられなくてもいいから、いつか…俺を見て」

「宙だめだよ。あたし、あなたの気持ちを利用してしまう。優しさに甘えてしまう。そんなのは宙の為に良くないよ」

「それでもいい。千茉莉が俺の彼女になっていつか俺を見てくれるようになるのなら」



宙はそう言うともう一度優しく唇を寄せてきた。

重ねるだけの優しいキス。

それなのに…。

触れた唇が心に反応してどんどん熱を奪われて冷たくなっていくのがわかる。


響先生のキスはあんなに優しくて甘くて…触れていなくても唇がとても熱くなったのに…。


頬を伝う涙が止まらない。



『千茉莉、本当のキス教えてやるよ。』



響先生…あたしのファーストキスの相手が…あなたなら良かったのに…。







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何をやっているんだろう俺。

千茉莉のことが気になっているのはわかるけど、何で俺千茉莉の学校の前まで来ているんだろう。

もしかしたら千茉莉の姿を少しでも見れるかもしれないとか思っている自分がいて、千茉莉と同じ色のタイをしている女生徒を見かけると目で追ってしまう。

俺、端から見たらヤバイんじゃねぇかな?

やっぱりまずいよな。こんな所千茉莉に見られたらまた、ヘンタイとか言われそうだし、ヤッパリ帰ろう。
そう、ただ散歩のついでにちょっと寄ってみただけだし、変に意識することもないんだ。
千茉莉が友達と笑っている所でも見れたら安心できるかもと思っただけだし。
とにかくあの涙が頭から離れてくれないと俺も落ち着かないからな。

自分にそう言い聞かせて学校を見渡せるフェンス越しに校庭の様子をなんとなく眺めてみる。

懐かしいな。俺がこの学校を卒業してもう10年以上になるのか。
あの頃は龍也や暁といつも一緒だったな。ビケトリとか呼ばれて大変だった事もあったっけ。

思い出が一気に押し寄せてきて懐かしい時間に一時心を馳せる。





そのときだった。

不意に聞き覚えのある名前が聞こえた。


「何年おまえの事が好きだったと思ってるんだよ千茉莉」




―――千茉莉?




声のする方向へ回って歩いてみる。

ああ、ここは学校側からは死角になる告白スポットだったよな。
千茉莉…ここに呼び出されたのか

待てよ。…って事は千茉莉が呼び出されて愛を告白されているとか。

なんなんだ?この胸のもやもやした気持ちは。

まるで俺が嫉妬しているみたいじゃないか。

…嫉妬――?

いや、ありえねぇし。だって12才も年下でクソ生意気な駄目天使だぜ?

たぶん千茉莉は似ているんだ、亜希に。

だから心惹かれるし、特別な感情があるような錯覚を覚えるんだ。

そう、そうだよ。単なる勘違いだ。

この間千茉莉が診療台で眠ってしまった時のことを思い出し、切なさや愛しさが甦ってきて俺の心を乱し始める。
俺の白衣を握り締めたまま涙の痕を滲ませて眠る千茉莉…。

僅かに開いたそのピンク色の唇から漏れた小さな呟きに俺の心は打ち抜かれたような衝撃を受けた。

愛しさで胸がつぶれそうに苦しくて…。



だめだ、思い出すな…


そのときだった。信じられない光景が俺の目の前に飛び込んできた。



千茉莉が同じ年頃の男に抱きしめられ唇を重ねる所だった。

あまりの衝撃に身体を動かす事も出来ず、その場に立ち尽くしてただ呆然とその光景を見ていた。

わかっていたことだ。

千茉莉の周囲には同じ年頃の男がいることも、その誰かが千茉莉を好きになったっておかしくはないことも…。

だけど・・・

千茉莉の天使の羽は…俺以外の誰かにもやはり見えていたのかもしれないと思うと苦しくて苛立ちが募ってどうしようもなかった。


『千茉莉はファーストキス…まだだもんな。ここは一番好きな人の為に取っておいたほうがいいな。』


自分の言った言葉に後悔している自分がいた。

あの時、あのまま唇を重ねていたら千茉莉は受け入れていただろう。

千茉莉の心に永遠に俺を残す事が出来たはずなのに…。



あぁ。認めないわけにはいかないんだ。


悔しいが…おれはいつのまにか、あの生意気な天使に心を奪われていたんだ。



あの日診療台で眠る千茉莉が呟いた小さな言葉を思い出し胸が痛くなる。



「あたしが響先生を助けるから…」



いつの間にか心に住みついて俺の心を癒し包んでいた千茉莉



…おまえの事が愛しいよ。



今更、こんな気持ちに気付くなんて……










※以前、天使としてはちょっとお粗末だけどちゃっかり天使と言う意味で『駄天使』としていた部分ですが、『堕天使』じゃないですか?との問い合わせを多く頂いていました。
使い分けたい要素があるので、あえて『堕天使』としたくなかったのですが、紛らわしいようですので『駄目天使』と訂正させていただきます。
以前読んだときと違うぞ?と思われた方、ご了承くださいませ。(2007/9/7)


+++ 10月31日 Fin +++


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