リサイタルが終わってから龍也さんに誘われて、みんなで食事をした。
龍也さんと聖良さん。暁さんと杏先生。聖さんと亜希さん、そして響先生とあたし。
ハッキリ言って美男美女集団だと思う。
まぁ、あたしみたいな子供は別としてだけど…。
大人の中にあたしなんかが混ざって、会話についていけるか心配だったけれど、亜希さんも聖良さんも気さくな人だったので、心配するような事も無く、楽しく過ごす事が出来た。
杏先生と亜希さんは初対面だったにもかかわらず、胎教に良い音楽で盛り上がっていた。
亜希さんが熱弁を振るうのを、真剣に聞いている杏先生が可愛らしくて、聖良さんと微笑んでしまう。
亜希さんは聖良さんの言った通り、姉御肌で気さくな人だった。
ステージでの妖艶な雰囲気とはうって変わって、シャキシャキしてとても行動的なリーダー的女性だ。
あたしがフランス留学を希望しているという話をすると、ヨーロッパの事情を色々教えてあげるから今度遊びにいらっしゃいと誘ってくれた。
夢を追いかけて留学し、成功した亜希さんは、いつの間にかあたしにとって憧れの存在になっていった。
やがて話は亜希さんと聖さんのプロポーズに及んだ。
亜希さんは日本でのリサイタルが終わったら聖さんにプロポーズの返事をするという約束だったそうで、みんなその話に興味津々だった。
今夜返事をする。と、もったいぶって言った亜希さんと、それまで食事が喉を通らないと嘆く聖さんが可笑しくて、みんなで笑って聖さんのために幸運を呼ぶ乾杯をした。
初めて飲んだワインは甘酸っぱくて…
この幸せな時間をそのまま凝縮したようにすら感じた。
食事はとても美味しかったし、会話も楽しくてあたしはすっかりみんなの中に溶け込んでいたと思う。
もしかしたら心が通じ合って信頼関係があれば、年の差なんて関係ないのかもしれない。と、少し思えるようになっているくらいだった。
響先生との年の差も、このときはまったく感じなかった。
むしろ傍にいるのがまるで当たり前のように、すごく自然に感じていた。
〜〜*〜〜*〜〜*〜〜*〜〜*〜〜*〜〜
「すっかり遅くなったな。時間は大丈夫か?俺からご両親に連絡しようか?」
千茉莉を送る帰り道。
予想以上に遅くなった事を気にして声をかけた。
「ううん、大丈夫です。さっき電話したときに杏先生からも言葉を添えてもらったから」
「そうか。杏ちゃんには世話になったな」
楽しい時間はあっという間に過ぎて、時計はもうすぐ12時になろうとしている。
「すごいですよね亜希さん。一人で海外に留学して夢を叶えるなんて…」
千茉莉は溜息と共にそう言った。
自分を重ねているんだろうか。
助手席を横目で見ると、いつもより大人に見える千茉莉の大きく開いた胸元で目線が止まり、慌てて視線を逸らした。
「そうだな。亜希は努力家だったし、真っ直ぐに夢を追いかけていたからな。まるで千茉莉みたいだよ」
俺は平静を保っているだろうか。
ドキドキと耳元で五月蝿いくらいに心臓の音が大きく聞こえる。
「千茉莉も真っ直ぐに夢を追いかけている。俺にしたら凄く眩しいよ。いつか輝く翼をはばたかせてどっかに飛んで行っちまうんだろうな」
自分で言いつつも本当は離したくないと思っている。
だけど亜希の時のように後悔はしたくない。
彼女を手の内に留める事なんて絶対にしてはいけないことだとわかっている。
千茉莉は広い世界へ飛び立つ輝く翼をもっているのだから。
「あたしは…好きな人が行くなって言ったら、きっと留学なんて出来ないと思う。大好きな人に一番に食べてもらえなかったら、美味しいお菓子なんて意味が無いんだもの」
「そんな事言うなよ。お前には才能があるって聖良ちゃんも言っていた。留学してみんなを幸せにするお菓子を作るパティシェになるんだろう?」
「……」
「おまえはその夢を叶えるんだよ。きっとなれる。
俺はおまえにあの日救われた。聖良ちゃんも、杏ちゃんもおまえには色んな形で救われているんだよ。
おまえには人を救う才能がある。
それは千茉莉が生まれてくる時に与えられてきた使命みたいなものだと俺は思っている」
「…使命?」
「おまえの天職ってヤツさ。お菓子で人を幸せにするって言う使命を、神様から与えられて生まれて来たんだろうな。
おまえの背中には輝く天使の翼があるよ」
「翼…?」
「俺は千茉莉に出会ったあの日、おまえの背中に天使の羽を見たよ。
おまえは自信を持って飛び立てばいいんだ。俺も応援してやるよ」
微笑んで千茉莉を応援している大人の自分を演じてみるが、本当はウソだ。
見栄を張っているだけだ。
ドレスを着て聖良ちゃんに手を引かれて出てきた千茉莉は、すごく綺麗だった。
心を奪われるってああいうことを言うのかもしれない。
17才だなんて思えないくらい色っぽかったし、誰にも見せたくないくらい綺麗だった。
もう千茉莉しか視界に入ってこなかった。
離したくない。
誰にも譲りたくなんか無い。
手元に置いて自分だけのものにしておきたい。
一旦認めた気持ちは、制御を失いどんどん膨らんでいく。
俺がこんな気持ちだって知ったら千茉莉は困るんだろうか。
そのドレスを着たおまえを、このまま抱きしめてキスしてしまいたい衝動に駆られるのを、必死に止めているなんて…
口が裂けても言えないよな。
千茉莉…おまえが好きだよ。
この気持ちを伝えたら…おまえは応えてくれるだろうか。
自宅に前に車を着けると、まだ足の痛む千茉莉を抱き上げる。
千茉莉は大丈夫だと言い張るが、どうしても抱いていたかったというのが本音だった。
「大人のデートはおしまいだ。背伸びは楽しかったか?」
「う…ん。もう子どもに戻る時間だね。まるでシンデレラみたい」
怪我をしたほうの靴を俺に見せながら笑う千茉莉の顔が、月の光を浴びて妖しく陰影を帯びている。
見上げる瞳が星を散りばめたように光って、いつもより紅い唇が艶やかに俺を誘っている。
「クスッ…シンデレラか。確かにそうだな。
ちょうど12時だ。じゃあ、姫には靴を片方置いて行ってもらおうかな?」
「あはっ、先生ったら…」
「靴なんてなくたって見つけてやるから」
「…え?先生なんて言ったの?」
「なんでもない。それより大人のデートって言うのは最後はキスで締め括るもんなんだが…姫は王子にキスを許してくれるのか?」
冗談めかしてかなり本気で言う。
千茉莉の瞳が潤んで俺を誘っているように見えるのは、俺の願望なんだろうか。
「千茉莉には頬へのキスが精一杯かな?」
本当はその唇に触れたい衝動を抑えることなんてできそうにない。
そっと薔薇色の頬に唇を寄せ、甘い香りを堪能しながら、ゆっくりと唇の端ギリギリの場所に移動しキスを落とす。
千茉莉はそれに反応するように細く震えると、小さな声で呟いた
「センセ…大人のキス…教えて…」
その消え入りそうな小さな呟きに胸が早鐘を打ち始める。
キスをするのにこんなに緊張した事なんてあっただろうか。
抱きしめる腕に無意識に力が入っていることにすら気付いていなかった。
「…これがおまえの本当のファーストキスだよ」
俺を真っ直ぐに見つめている潤んだ瞳を見つめ返す。
「千茉莉…瞳閉じて…」
柔らかな唇に誘われるように静かに自分のそれを重ねた。
フワリと鼻腔を擽る千茉莉の甘い香り
緊張から僅かに震えている唇を、優しく宥めるように啄んだ。
甘い柔らかな唇を弄ぶように何度も啄むと、それに応えるように俺の首に腕を回す千茉莉。
胸の奥底から愛しさが込み上げてきて徐々に深くなるキス。
唇を舌先でこじ開けると戸惑いを隠しきれない千茉莉に誘うように舌を絡めた。
必死で俺に応えようと受け入れる千茉莉を、このまま離したくなくて、焦らすように何度も何度も唇を寄せる。
キスの合間に一瞬だけ離れる唇から漏れる、千茉莉の甘い溜息に、感情が暴走してもう止まらなかった。
「千茉莉…俺おまえを…」
「センセ…あたし…」
想いを告げようとした時、千茉莉が同時に何か言おうとした。
一瞬、言葉を切って見つめ合う。
〜〜〜♪
突然俺達の静寂を破るように鳴る携帯。
…ったく、何でこうなるんだ?
さっきと同じパターンじゃねぇかよ。
また龍也だろうか。あいつなんか俺に恨みでもあるのか?
千茉莉に胸ポケットから携帯を取り出してもらい着信を確認するが見覚えの無い番号だ。
龍也だったら「邪魔すんな!」って怒鳴ってやるつもりだったが、どうも違うらしい。
不審に思いつつも千茉莉に携帯を耳に当ててもらった。
「もしもし?」
携帯の向こう側から聞こえたのは、龍也ではなく先ほどまで幸せそうに微笑んでいた懐かしい声だった。
「―――!亜希?」
+++ 11月 2日 Fin +++
11月5日 /
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