車を運転し始めて15分。
千茉莉はずっと黙ったまま窓の外を見つめている。何か考え込むようにして助手席に黙り込んだまま何も映らない瞳でただ窓の外を流れていく景色をぼんやりと眺めている。
さっきの男の事を考えているんだろうか。
「待ち合わせ場所、もう少し考えるべきだったかもな。悪かったな」
「あした学校中の噂になっちゃうんじゃないかな。女の子はみんな響先生を見ていたもの」
いつもの明るい笑顔では無いが何とか笑ってみせる千茉莉。無理をしているのはわかったが俺はいつものように軽い調子で話す事にした。
「さっきはビックリしたぞ。『俺の彼女』なんてあいつが言うから。本当なのか?」
「…なんで彼氏だって思うんですか?あたしが色っぽくなったから?」
いつもの調子でそう言う千茉莉にほっとして、それに便乗するようにからかう事にした。早く…いつもの俺達に戻ろう。本当の千茉莉の笑顔を見たい。
「ばぁか。どう見てもあいつの片想いって感じだったよなぁ。彼氏が出来たならこれでちょっとは色っぽくなって乳臭さが取れるんじゃないかと一瞬期待して…うわっ、千茉莉やめろって!」
いきなり左肩をバシンと叩かれ危うく運転を誤りそうになる。
「ばか。止めろって。運転中だ。危ねぇだろ?」
「響先生がそんなこと言うからでしょう。悪かったわね。何で宙が彼氏じゃないと思うのよ」
「わかるよそのくらい。千茉莉のさっきの動揺振りを見ればな」
本当はお前のことが気になるから…なんて言える訳無いだろう?
「動揺…。そっかな?あははっ。でもこれで少しはあたしもモテるってわかってもらえたんでしょ?」
「まあ、そうだな。そう言う事にしておいてやるよ」
無理に笑って誤魔化そうとしているけど俺にはお見通しなんだよ千茉莉。
無理しなくても良いのに…。
『何で好きでもない奴とキスなんてしたんだよ。』そう聞いてみても良いだろうか。
そう、ここが俺の一番知りたい所だ。あのホテルで頬にキスしただけであれだけ怒った千茉莉。ファーストキスにはそれこそ執着があるように思えた。
それなのに、好きでもない男とあんなに悲しげな顔でキスをして、それを知られてあんなに動揺するなんて…。
俺が次の言葉を選んでいると小さく溜息を付いて千茉莉が口を開いた。
「友達だったの宙は。ずっと…いい友達だったのに。でもあたし告白されて…」
「今まで何も気付かなかったのか?」
「わからない。宙は今までアプローチしてきたって言うけどあたしは全然気づかなくて。でも、好きって言われても宙はずっと友達だったからいきなり告白されてもあたし、受け入れられなくて」
「付き合うって言ったのか?」
「言葉では何も。ただ…」
「それでキスされても抵抗しなかったんだな。相手は本気だって知っていたんだろう?期待させるだけ残酷じゃないのか?」
「…うん。わかってる。あたし酷い事をしているって…。でも…宙はそれでも良いって言ってくれたの。あたしが宙を好きになるまで待っているって」
「おまえなぁ。キスしてあんなに悲しそうな顔して泣くくらいなら何で好きでもない奴とキスなんてしたんだよ」
千茉莉の頬を涙が伝っていった。苦しげに思いを吐き出す千茉莉を抱きしめたい衝動を抑えきれなくなり、その肩を抱き寄せた。
「泣くなよ。千茉莉の泣き顔は好きじゃない。おまえは笑っているか怒っているほうがかわいいよ」
…おまえの本当のファーストキスの相手は俺だって知ったらおまえはどうするんだろう。
「それに、おまえのファーストキスはあいつじゃない」
「響先生…?」
「俺のあの頬へのキスがおまえのファーストキスだって言ったのは千茉莉じゃないか。おまえが本当に好きな人としたキスが本物のファーストキスだ。それまでは俺のあのキスがファーストキスだって思っていれば良いんだよ」
本当の事はやっぱり言えねぇよなぁ。
潤んだ瞳で俺を見上げてくる千茉莉に不覚にも胸が高鳴って動揺してしまう。
いつもの軽口で言い合う俺達に戻らないと本当に千茉莉に気持ちを告げてしまいそうだ。
自分でさえ持て余しているわけのわからない中途半端な想いなのに…。
「大体さ、確かにあそこは校内では告白スポットだけど、表の通りからは丸見えだってわからなかったのかよ。あんな目立つ所でキスなんてしたら誰かに見て下さいって言っているようなもんだろうが。もう少し場所を考えろよ」
「…なっ!どう言う事?そう言えばさっきから見ていたような口ぶりで…もしかして見てたの?」
「偶然通りかかったら見えたんだよ。見ようとして見た訳じゃない」
「…のぞきじゃん」
「止めろよその言い方。人聞きの悪い。見せられたんだ。見たくもねぇのにさ。慰謝料取るぞ」
「うわ、なにそれ?ドケチ!女子高生から慰謝料取るってどういう社会人よ」
「おまえなぁ。あんなもん見せられた俺の身にもなれよ。すげぇビックリして心臓発作でも起こすかと思ったんだぞ」
「…どういう意味よ」
「おまえあのときすげぇ悲しそうに泣いてたからさ。気になってた。でも今日、宙だっけ?あいつを見て理由が分かったよ」
「…響先生」
「あいつキスが下手だったんだろ?歯でもぶつけたのか?あ、鼻か?低い鼻が益々低くなったらそりゃ泣くわな〜」
バコッ!
「…って〜〜!運転中だって言ってるだろうが!」
「生命を危機にさらしたくなかったら、その口を閉じて運転したほうが良さそうですよ。あたしは別に先生と一緒だったら構いませんけど、先生は死にたくないでしょう?」
―― あたしは別に先生と一緒だった構いませんけど ――
千茉莉が思わず口走ったその言葉に胸が高鳴った。意味なんて無かったのかもしれないがそれでもうれしくてたまらなくなる。
…やっぱり俺、千茉莉に本気なんだろうか。
フン!と鼻を鳴らして窓に張り付いて俺を見ようとしなくなった千茉莉を見て、いつもの調子を取り戻したのを確認するとホッとする。
本気でおまえがそんな理由で泣いたなんて思っているわけ無いだろう、千茉莉。
おまえの涙の理由が宙を受け入れられなかったからだって分かっただけで少し心が軽くなるなんて、俺の精神年齢って宙や千茉莉と変わらないのか?
確かに千茉莉を好きだとは思うけど…。
これが恋だって認めないわけにはいけないんだろうけど…。
確かめたい。この気持ちが本物なのか、それともただの錯覚なのか。
俺は千茉莉を亜希に重ねているだけなのか。
それとも…本気で千茉莉を愛し始めているんだろうか。
+++ 11月 2日 第4話へ続く +++
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