30分くらい車を走らせた頃、響先生はようやく目的地に着いたようだった。
車が止まったのはあたしも名前を知っている子供服のブランドとして人気があるお店の前だった。
親子ペアで着るデザインの大人物も評判が良く、雑誌などでも取り上げられているお店だ。
響先生は何故こんな所にあたしを連れて来たんだろう。
あたしに車を降りるように促がすと店のドアを開けて中へ入るようにと仕草で示す。
子供服でも買うのかな?
『付き合え』って誰かのプレゼントを選ぶのを手伝う事だったのかしら。
店内を見回してみると響先生と余り年の変わらない髪の長い女性が先生に向かって笑いかけた。
それはもう鮮やかな天使を思わせる笑顔で。
「響先輩。いらっしゃいませ。お久しぶりですね」
「やあ、こんにちは聖良ちゃん。お店はどう?」
「フフッ…順調ですよ。珍しいですね。響先輩が彼女を連れて来るなんて。龍也さんが知ったらきっと飛んで帰ってきますよ」
「彼女じゃないよ。それに龍也が忙しいのは分かってるから連絡せずに来たんだ。どうせ後で会えるんだろう?」
「ええ、1時間くらいで来れると思いますよ」
「もうすぐだな。準備は出来ているのか?」
「ええ、何とか会社関係は遠慮してもらって身内だけの結婚式になったから堅苦しい事はしないことにしたんです。あとはウェディングケーキを手配なんですけどね。この間響先輩にお願いしていた事OKもらえました?」
「あ、その件なんだけど…」
ふたりの会話をぼんやり聞いていたあたしを響先生が手招きして呼び寄せた。
「千茉莉、この人は佐々木聖良さん。この店のオーナーで俺の親友の奥さんだ」
挨拶をすると聖良さんは『ああ、あなたが千茉莉ちゃんね。』と言ってふわりと優しく微笑んだ。
あたしのことを知っているみたい。
「聖良ちゃん。こいつが千茉莉だ。そのウェディングケーキ任せようと思っているのこいつなんだけど」
「…へ?」
響先生の言葉を聞いてあたしはぶっ飛んだ。どう言う事よ。あたしがウェディングケーキを作る?
「ええぇぇぇぇぇ!せっ…先生、何を言ってるんですか?あたしがウェディングケーキを作るですって?」
あたしの驚く声を無視して響先生と聖良さんは話をどんどん進めている。
「彼女が千茉莉ちゃんなら、それは問題ないわ。お願いしても良いかしら?」
「千茉莉は『SWEET』の一人娘だ。杏ちゃんも太鼓判を押すくらいの腕だよ」
「ふふっ。知ってますよ。響先輩のお気に入りなんでしょう?」
「ばっ…お気に入りって…どうせ龍也だろう。聖良ちゃんに面白半分にそんな事吹き込んだの」
「あら。違いますよ。龍也さんは特別な事言っていませんよ。ただ響先輩と龍也さんの電話での会話を聞いているとどう考えても…」
「ストーップ!そこまでだ聖良ちゃん。千茉莉は高校生だぞ?何でみんなして俺を犯罪者にしたいんだよ」
ケーキの話はもう終わったとばかりにふたりで盛り上がっている会話をよそに、パニクったあたしの頭の中は色んなデザインのウェディングケーキが飛び交っていっぱいになっていた。
うわぁ…今晩絶対に夢に見そう。
…って悠長に考えてる場合じゃないわよ。響先生も聖良さんもなに決定事項みたいにケーキの話を終わらせているのよ。
いくら将来はカリスマパティシェになるとはいえ(これは決定事項ね)まだ高校生のあたしなんかが人生で一番輝かしいイベントである結婚式を彩るケーキを作るなんて…そんな事しちゃだめでしょう?
やっぱり断らないと…。
気が付くと聖良さんに質問攻めにあって、見たことの無いほどオロオロしている先生の姿が目の前にあった。
いつものあたしならここぞとばかりに一緒になって響先生に突っ込んでやりたい所だけど、今はそれどころじゃない。あたしはちょっと惜しい気がしつつもふたりの会話に割って入った。
「ちょっ…ちょっと待って下さい。一生の記念になるケーキですよ。あたしみたいな高校生が作っていいものじゃないでしょう?」
「おまえ誰にもまねできない世界でひとつだけのお菓子を作るのが夢だったんじゃないのか?ウェディングケーキは世界にひとつだけのその人の思い出にいつまでも残るものだ。こんなチャンスは滅多に無いぞ」
「そんなこと言ったって。あたしはプロじゃないんですから…」
「プロだから上手いって事は無いだろう?杏ちゃんが言ってたぞ。千茉莉の作るお菓子はパワーが込められているって」
「そりゃ、パワー込めますよ。食べてくれる人が元気になるように、幸せになるようにって思いを込めて作るのは当たり前じゃないですか」
「だから、そのパワーで最高に幸せになれるウェディングケーキを作ってみたらどうだって言ってるんだよ」
先生の言う事はもっともなんだけど…でも、一生の思い出になるケーキをあたしなんかが作って良いんだろうか。
あたしには…やっぱり自信がないよ。
みんなに祝福される幸せいっぱいの花嫁と花婿を更に幸せに出来るパワーなんて今のあたしには無い。
自分のことで精一杯で誰かを癒してあげるとか優しい気持ちになるとかそんな余裕がないの。
自分の中のパワーがどんどん無くなって、どうやったらお菓子にパワーを込められるのかさえ忘れてしまいそうなのに…。
返事を渋って悩んでいると、聖良さんが困っているあたしを見かねたのか『考えておいてくれない?』と言ってくれた。
本当に聖良さんって綺麗で優しい人だ。もし、自分にその力量があるのなら、あたしに出来る最高のウェディングケーキをどれだけでも作ってあげたいと思える女性だと思う。
大学を卒業してすぐに結婚された聖良さんはご主人の龍也さんの都合で籍は入れたものの結婚式まではなかなか出来なかったそうで、ようやく今月結婚式を挙げることになったそうだ。
そんな記念すべき結婚式のケーキをあたしなんかに任せるなんて…聖良さん後悔はしないんだろうか。
ご主人だってまさかあたしみたいな高校生にケーキを頼むなんて思ってもいないと思う。
響先生にそう訴えてみたけれど、龍也なら大丈夫だとアッサリあたしの意見は聞き流されてしまった。
「あいつの事は自分の事のようにわかるよ。なんせ20年以上も親友やってんだ」
その言葉に思わず絶句する。
…あたしが生まれる前からじゃない。
こんな時まで年齢差を感じてしまって凹んでしまいそう。12才も違うんだから当たり前なんだけど…。やっぱり自分とはずっと遠い世界にいる男性のように思えてしまう。
先生の隣りには、聖良さんとか亜希さんとか、大人の女性が似合うんだろうな。
聖良さんと話す響先生が凄く絵になっていて…ふたりがそんな間柄じゃないってわかっているのに心が騒いで目を背けたくなってしまう自分がいた。
つまらない嫉妬…。
ばかね。
こんなだから子どもだって言うのよ。
「聖良ちゃん。千茉莉にフォーマルドレスを選んでやってくれないか?あと、この間のヤツまだあるかな?」
「モチロン。ちゃんと除けてありますよ。じゃあ、千茉莉ちゃんちょっとドレス見てみましょうか。千茉莉ちゃんはピンクとか似合いそうねぇ」
いそいそとあたしの腕を取って奥へ行こうとする聖良さんに驚いて響先生を振り返ると行って来いという風に顎をしゃくった。
あたしにフォーマルドレス?何処にそんなお金があるのよ!
響先生は一体何を考えているの?
動揺するあたしをよそに、『フォーマルドレスは奥なのよ〜♪行きましょうねぇ。』と、聖良さんは実に嬉しそうに奥の部屋へとあたしを連れて行こうとする。
「聖良さん、フォーマルドレスなんてあたしそんなお金ないですよ」
「あら?響先輩からのプレゼントに決まっているじゃない」
さも当然という風にサラリという聖良さんに、あんぐりと口をあけて呆然としてしまった。
…はぁ?響先生からのプレゼントぉ?何でよ。何のために?
響先生を振り返りその理由を問いただそうとした、そのとき。
「…千茉莉ちゃんは細いけど結構胸がありそうね。ちょっとスリーサイズ測ってみても良いかしら?」
聖良さんが言ったその台詞に響先生が反応した。
「ええ?千茉莉って胸でかいのか?細っちいからペチャパイだと思って…ぶっ!」
バァン!!
響先生の顔面にあたしの学生カバンが炸裂した。
あらら、今日は英和と和英の両方の辞典が入っていたんだっけ?さぞ痛かったでしょうに。
「ち〜ま〜り〜!おまえのカバンは凶器かっ!すげぇ重いじゃねぇか。大体店の中に入るのに何でカバンなんか持ち歩いてるんだよ」
「貴重品が入っているんです」
「なら、貴重品だけ出して来いよ」
「…えっち」
「…なんでそうなる」
「女の子のカバンには秘密が入っているんです。簡単に人には見せられません」
「んじゃ、カバンも買ってやるからその凶器はしまってくれ」
先生の言葉に唖然とした。
はいぃ?何ですって?カバンも買ってやるってどう言う事よ。何で響先生はあたしに色々買ってくれたりする訳?
「ちょっと先生。あたし先生にそんなの買ってもらう理由がないわ。どういうつもりなの?」
あたしの質問に響先生はちょっと迷ってから二人で話したいからと聖良さんに奥の小部屋を使わせて欲しいと頼んだ。
4畳半くらいの小さな事務所を兼務したような小部屋の片隅に座ると、聖良さんが二人分の紅茶を持ってきてくれる。
狭い部屋はすぐに花の様な紅茶の香りでいっぱいになった。
聖良さんが運んでくれた紅茶を飲んで一息ついたところで響先生は言葉を選ぶように話しはじめた。
「実はおまえに今夜付き合って欲しい所があるんだ」
「あ…。それってさっき車の中で言いかけた事?」
「ああ、…さっき亜希の事話したよな」
ズキン…。
「はい。先生の初恋の人でしょう?ピアニストになるために留学した」
「そうだ。そしてあいつはプロのピアニストになったんだ」
「わあっ!すごいじゃないですか」
胸は痛んだけど、亜希さんはきっと凄く努力して夢を掴んだんだろうと思うと、同じように夢を持って留学を希望しているあたしにとっては尊敬に値する人だと素直に思う。
「亜希が帰ってきたんだ。今日、リサイタルがある」
―― 亜希さんが帰ってきた…?
「今夜のリサイタルに俺と一緒に来てもらいたいんだ」
「は?なんであたしなの?」
「なんでだろうな。でも亜希と再会する時には千茉莉に傍にいて欲しいんだよ。多分、俺の中の亜希の思い出を振り切るために…かな。
届かなかった初恋って言うのは綺麗なまま残っているもんなんだ。ある意味俺はあの日の思い出に心を残したまま抱えているものがある。伝えたかった言葉、伝えられなかった言葉を亜希に伝えなくちゃ俺は前に進めないんだ」
「先生の言っている事はわかるけど…でもどうしてあたしなの?」
「おまえはあの日俺に希望を与えてくれた。こうしておまえと再会して亜希が同じ時期に帰ってきたのには何か縁があるような気がするんだ」
「あたしなんかが…ダメですよ」
先生のグレーの瞳が真っ直ぐにあたしを見つめる。
「千茉莉」
名前を呼ばれる。ただそれだけで胸が震えて目を逸らすことも出来ない。
「千茉莉…。俺の傍にいてくれるな?」
瞳に囚われて抵抗なんて出来なくなる。
ダメって言わなくちゃと思うのに、胸がいっぱいで声もでなくて…。
「傍にいて欲しいんだ」
冬空のような悲しげな瞳に魅入られて、いけないと思うのに頷いてしまっている自分がいた。
この瞳の魔力から逃れられる術を知っている人がいるのなら誰か教えてほしい。
どうしたらこの人に恋する心を止められるのですか。
+++ 11月 2日 第7話へ続く +++
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