フォーマルドレスを選ぶ為、奥の部屋へと連れてこられたあたしは、聖良さんが次々に出してくるドレスを眺めては、好みのものを選んで袖を通す作業を続けていた。
もう10着は試着したと思う。だけど、なかなか上手くサイズの合うものがなかった。
「すごい数ですね。子供服が中心だと思っていたのにフォーマルドレスまでこんなにあるなんて知らなかったわ」
「まあね。主人の仕事の関係で知り合いの奥様達からの要望を聞いて取り寄せているうちに増えたのよ。だから表向きには扱っている事にしていないの」
「そうなんですか。ご主人って何をしていらっしゃるんですか?」
「ん〜。まあ社長業って所ね。そのうち話してあげるわ」
含みのある言い方をする聖良さんに少し違和感を感じたけれど、それ以上聞いてはいけないような気がしてドレスを選ぶ事に専念する。
だけど、胸が大きなことが災いして、サイズの合うものはかなり大胆なカットや色使いのドレスばかりで今ひとつあたしに似合うものが無い。
「ふう…千茉莉ちゃんって本当に胸が大きいのね。それなのに細いし…可愛らしい感じのドレスだとどうしても胸がきつくなっちゃうわね。でも、あんまり色っぽいのもねぇ。今日入ってきたのに良いのがあった筈なんだけど少しカットが深いのよ。一応試してもらってもいいかしら?」
「あ、はい。お願いします。ごめんなさい聖良さん」
「あら、どうして謝るの?謝らなくちゃいけないことなんてないわよ。こちらこそ、千茉莉ちゃんの要望に応えられるようなドレスがなくてごめんなさいね」
「とんでもない。どれも素敵なドレスばかりですよ。ただ…あたしが子ども過ぎて大人の女性みたいなドレスが似合わないだけなんです」
「そんな事無いわよ。千茉莉ちゃんは凄く可愛いし、多分ドレスとお化粧で随分変わると思うわよ」
「大人っぽくなれますか?聖良さんや亜希さんみたいに」
「亜希みたいに?…千茉莉ちゃん亜希のこと知っているの?」
「あ…いいえ、ただ響先生から少し話を聞いていて…きっと素敵な女性なんだろうなって思って」
「そうね、亜希は強い娘だわ。どちらかと言うと姉御肌で学生の頃はいつもあたしの事を危なっかしいって心配していたわ」
「聖良さんと亜希さんはお友達なんですか?」
「うん、親友よ。あたしも今夜久しぶりに会うの。だから子ども達を実家の母に押し付けてきちゃった」
「聖良さんにお子さんがいるようには見えないですね。凄くお若いですし」
「そう?ふふっ。こう見えても二人の子持ちよ。一応まだ増える予定なんだけど」
「え?それって…」
「ええ、まだ主人しか知らないんだけどね。響先輩も知らないのよ」
幸せそうに微笑んであたしに小さくウィンクしてみせる聖良さんは本当にかわいくて、思わず見惚れてしまう。
こんな女性がママだなんて…しかも3人目?
「そんな大切な事あたしに先に話しちゃっていいんですか?」
「ええ、だって今のあたし達があるのは千茉莉ちゃんのおかげですもの」
「…あたし?」
「千茉莉ちゃんのお菓子には凄いパワーがあるわね。…ずっと前にね、あたしがとても辛い気持ちでいたときに千茉莉ちゃんのお菓子を食べた事があるの」
…あたしのお菓子を聖良さんが?
「初めて杏ちゃんに会った日に、千茉莉ちゃんケーキをあげたの覚えている?」
それは覚えている。初めて家庭教師に来るお姉さんと仲良くなりたくて、ケーキを焼いてプレゼントしたんだ。あの時杏先生は凄く驚いて喜んでくれたんだっけ。
「あたしね、その日杏ちゃんに会ったの。その時に千茉莉ちゃんの作ったケーキを頂いたのよ」
「うわあ、凄い偶然ですね」
「偶然かしらね?あたしは今でも運命だったと思っているわ。その頃あたしは龍也さんからプロポーズされていて…実は別れることも考えていた時期だったの。でも千茉莉ちゃんのケーキを食べて色んな懐かしい思い出が溢れてきてね、涙が止まらなくなっちゃって…。一緒に生きていこうって決心したのよ」
信じられなかった。
自分のお菓子が知らないところで人の人生に大きな影響を与えていたなんて。
「もし、あの日千茉莉ちゃんが杏ちゃんにケーキをプレゼントしなかったら、もし、あの日あたしがそれを口にすることがなかったら、今のあたしは無かったわ」
胸が震えるような感動があたしを包んでいた。あたしのお菓子が誰かを幸せにすることが出来た。その事実が嬉しくて…。
「だからね、千茉莉ちゃんさえ嫌でなければあたしたちのウェディングケーキはあなたに作ってもらいたいのよ。無理を言うつもりは無いけれど、あたしにとっては千茉莉ちゃんのケーキは特別な思いがあるの」
――特別な思いがあるの
聖良さんのその言葉であたしの中の迷いは消えた
「やらせて下さい。聖良さんの人生で一度の記念に残るウェディングケーキ…あたしに作らせて下さい」
聖良さんは嬉しそうに微笑んでありがとうと言ってくれた。
ありがとうと言いたいのは…あたしのほうです。聖良さん。
「千茉莉ちゃんって『SWEET』のひとり娘さんなんでしょう?いつかお店を継ごうと思っているの?」
「あ、はい。そのつもりです。今度の大会で優勝したらフランスに留学できるんです。あたし人を感動させるお菓子を作れるようになりたいの」
「千茉莉ちゃんならきっとなれるわよ。…あのね千茉莉ちゃんのお菓子は食べると天使が微笑みかけてくれたような優しい気持ちになれるのよ。自分の悩みやこだわりがとても小さなことに思えてくるの」
それは最上級の褒め言葉だった。
例えこの先どんなにつらい事があってもこの言葉がある限りあたしはずっとお菓子を作っていけると思う。
「千茉莉ちゃんのお菓子には人を幸せに導いてくれる媚薬が入っているみたいなの。きっとあなたはお菓子で人を幸せに導くようにって生まれてくる時に神様から天使の羽を与えられてきたのね」
天使の羽を与えられて…?
自分を見失ってどうやったらお菓子にパワーを込められるのかさえ忘れてしまいそうになっていたあたしに聖良さんのその言葉は一筋の光となって進むべき道を教えてくれた。
聖良さん…
あなたこそ不安で足元を見失いそうな心に、光を射してくれる天使のような女性です。
いつかあなたのような女性に…あたしもなりたい。
あなたがその微笑で人を幸せに導く人なら、あたしはお菓子で人を幸せに導く女性になりたい。
いつかきっとそんなお菓子を作れるパティシェになってみせます。
「ありがとうございます。その言葉に恥じないよう頑張ります。
聖良さんとあなたの周りのすべての人が幸せになれるよう願いを込めた最高のウェディングケーキをきっと作って見せますね」
「ありがとう。楽しみにしているわ」
そう言って笑った聖良さんは本当に天使のようだった。
「これよ。今日入ったばかりなの。絶対に千茉莉ちゃんに似合うと思うんだけど、ちょっと胸元が大きく開きすぎかなって思ってさっきから出そうか迷っていたのよね。袖を通してみてくれない?」
そう言って聖良さんが箱から出してくれたのは淡い桜色のドレスだった。
それまでと明らかに違う大胆なカットに戸惑いながらも袖を通す。
体のラインに流れるように纏うドレスは、あたしに誂えたようにピッタリだった。
淡い色合いのせいか大きく開いた胸元もウエストを強調したマーメイドラインも大胆なデザインなのに何処か清楚な雰囲気であたしが着ても違和感が無い。
「素敵よ。やっぱり似合うわ。でも胸元、気にならない?」
「すごく綺麗なドレスですね。胸元は確かに少し恥ずかしいけど色も綺麗ですし清楚な感じがしますからそんなに気になりません。むしろあたしには勿体無いです」
「ふふっ。千茉莉ちゃんすごく綺麗よ。これに決まりね?もっと綺麗に仕上げてあげるわよ」
そう言うと聖良さんはあたしの髪をまとめ、薄く化粧をしてくれた。柔らかく触れる聖良さんの手先が心地いい。
どんどん変わっていく自分に思わず息を飲んだ。
アップにまとめた髪に真珠の髪飾りをつけ、スプレーをふりかけ仕上げていく聖良さんを、魔法にかかったように鏡越しに見つめていると、不意に聖良さんが口を開いた
「千茉莉ちゃんにお願いがあるんだけど…」
「なんですか?」
「もしもあたしの兄がプロポーズにいい返事をもらえたら、兄の結婚式にもウェディングケーキを作ってやってくれない?」
「結婚なさるんですか?お兄さん」
「ううん、まだ返事待ち。随分待たされててね、このままじゃおじいさんになっちゃう。ただでさえ年齢差があるっていうのに」
「お年離れているんですか?」
「そう言えば千茉莉ちゃんと響先輩も年齢差があるのね」
突然出てきた響先生の名前にドキドキする。
平静を保って見せても聖良さんにはお見通しなのかもしれない。
この人の前では何故かウソをつくのはいけないような気さえしてしまうから不思議だ。
「ハイ…っていうか付き合っている訳じゃないですし」
「まだ、告白もされてないの?でも、先輩が自分からあたしに誰かを紹介するなんて今までに無かった事だし、こんなふうに何かをプレゼントするなんて事もあたしの知っている限りでは無いことよ」
「響先生にしたらあたしはただの患者です。杏先生に紹介されたから仕方なく治療してくれただけで…」
「そんなこと無いと思うわよ。千茉莉ちゃんは響先輩のこと嫌いなの?」
「そんなことは…」
「好きなんでしょ?大丈夫よ。きっと先輩もあなたを好きだから。もう少し待っていて御覧なさい。きっと響先輩も心の整理をつけて近いうちに動く筈よ」
「そんなこと無いです。響先生は…亜希さんが好きなんです。さっきあたしそう言われたの。あたしが亜希さんに似ているから気になるって」
「そう?じゃあその気持ちが本当かどうかすぐに気付くわよ。今夜のリサイタルでね」
「…あたしなんて子供過ぎて恋愛対象になんてなりませんよ」
「…まったく罪作りよね。こんなにかわいい千茉莉ちゃんを悩ませるなんて」
呆れたように溜息をつく聖良さんに曖昧に笑ってみせる。
聖良さんは響先生があたしを好きだって勘違いしているみたいだ。
…そんな事ありえないのに。
「さあ、素敵になったわ、誰が見てもあなたは立派なレディーよ。
誰も高校生なんて思わないでしょうね。響先輩きっと驚くわよ。早く見せてあげましょう♪」
嬉しそうにイソイソと部屋から出て行く聖良さんを鏡越しに確認してから、自分をもう一度見つめなおす。
淡い桜色の大人っぽいドレスに身を包んだ、いつもより大人に見えるあたしがそこにいた。
響先生。あたし、綺麗になった?
あなたの瞳にあたしはどう映りますか?
「響先輩。どうかしら?千茉莉ちゃんとっても綺麗になったわよ」
奥の部屋から出てきた千茉莉を見て、唖然とした。
女って…こんなに変わるものなのか?
どう見ても高校生になんて見えない。
緩くアップにした髪から除く細い首は、後れ毛が艶っぽさを添えて色香を放っている。
潤んだように見つめる瞳はいつもの千茉莉のそれであって、そうではなかった。
何もかもが大人の女の仕草だった。
指の動かし方一つ。
話すときの唇の赤までがいつもの千茉莉ではなかった。
その微笑み一つで誰もが魅了される。
その仕草一つで誰もが視線を注ぎたくなる
その紅く縁取られた形の良い唇が、禁断の果実に見えるのは、決して俺だけでは無いと思う。
ヒールの高い靴を履いた千茉莉は、聖良ちゃんにエスコートされるように手を引かれて恐る恐る歩いている。
「こっ…こわいですよ。こんな不安定なヒール」
「大丈夫よ。ほら胸をしゃんと張って…千茉莉ちゃんは誰よりも綺麗よ。自信を持って。
響先輩エスコートお願いしますね」
「あ…ああ。千茉莉行くぞ」
潤んで光る千茉莉の瞳に、吸い寄せられるように手を伸ばすと、遠慮がち差し出された手を取り引き寄せる。
よろける千茉莉の腰を取り、導くように歩き出した。
「綺麗だよ。千茉莉」
自分でも思いがけないほど優しい声で自然にそう言っている事に驚いた。
今夜だけは千茉莉は俺だけのものだ。と、嬉しく思っている自分がいる。
蕾が大輪の華を咲かせた今夜、おまえの手を取って歩く男が俺である事を誇らしく思うよ。
「響先輩ったら…自分の気持ちに気付いていないわけでもないでしょうに…。ハッキリしてあげれば良いのに」
聖良ちゃんが呟いた言葉は俺には聞こえていなかった。
俺の意識のすべては千茉莉に注がれてしまっていたから
+++ 11月 2日 第8話へ続く +++
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