Sweet  Dentist 12月 5日(月曜日) 第1話



腕時計をチラッと見て、アクセルを踏み込む。

唸るように低音を響かせて高速を飛ばす車。
スピードメーターは既に、捕まれば一発免停の域に突入している。
それでもスピードを緩める事無く、むしろ加速しながら、捕まらないことを祈り、前を行く車を片っ端から抜き去っていく。

大会の開会式まで、あと1時間余り。
最初にお偉いさんの挨拶や説明があるというから、実際に選手達が創作に掛かるのはそれから30分後ぐらいだろう。
どんな行事でも偉いおっさん達の前置きがやたら長いのは世の常だが、今日ばかりはその前座が長ければ長いほうが俺にとっては都合がいい。

この調子で飛ばせば、おっさん達の前座が終わる頃には何とか到着できるだろう。

千茉莉、驚くだろうなぁ。
俺が応援に来るなんて思ってもいないだろうからな。
でもまあ、菓子作りに集中しているときは何も耳に入らないヤツだし、俺が会場に居ても絶対に気付かないだろうな。
龍也の結婚式のウェディングケーキを作っていたときの千茉莉の集中力を思い出しながら、そんな事を思う。

結婚式の帰り道、千茉莉には東京までは応援に行けないと言ったが、最初からそんなつもりは更々無かった。
何が何でも応援に行くつもりでチャッカリ仕事の調整はしてあったのだ。
本当ならあの日、休みが取れた事を告げ、応援に行くと言って驚かすつもりだった。

だがそれが出来なかったのは、亜希の言葉が胸に引っ掛かっていたからだ。

結婚式の披露宴会場で、亜希から千茉莉が留学を断ったと聞き、正直言って俺は驚いた。
ウェディングケーキを作っていた数日間、ずっと千茉莉の仕事ぶりを傍で見て、彼女のお菓子への愛情と情熱を強く感じ取っていたからだ。
素人の俺でもその天性の才能を感じたほどなのに、留学を躊躇した理由が『自分に自信がない』だなんて納得できなかった。

亜希は、かつて同じ経験をした者として気持ちが解るのだと言い、千茉莉の決心を鈍らせている本当の理由は、俺と離れることへの不安ではないかと示唆した。

確かに以前、『好きな人が行くなと言えば行けない』と言っていた事は覚えている。
だが、それは引き止められた場合だと、俺は思っていた。
あれほど瞳を輝かせて夢を語っていた千茉莉が、俺の為に留学を躊躇するなどあり得ないだろうと思っていた。

だが亜希は、このままでは大会での優勝はおろか、実力も発揮できないかもしれないと危惧していた。

亜希の話の全てを鵜呑みにした訳ではなかったが、半信半疑で披露宴の帰り道にさりげなく留学の話を切り出した時、千茉莉の話し方に歯切れの悪いものを感じ、その可能性を否定できなくなった。

初めて出逢ったあの日、千茉莉の背に見た金の翼。
あれは夢に向かって大きく羽ばたく夢の翼だった。
飛び立つ前に俺の為に羽ばたく事を諦めるなんて…そんな事をさせちゃいけない。

そう思った俺は、とっさの判断で会場までは行けないと口にしたのだ。

だからと言って、応援にも行かずにジッと待っているなど性分ではない。
元来、何事も先ずは先陣を切って飛び出すのが俺なのだ。
応援に行かないと言ってしまった手前、見つかったときの事の言い訳を考えて悩んだものの、やはりどうしても行きたい衝動を抑えられず、車に飛び乗ってしまった。

会場に入ってしまえば集中している千茉莉が俺に気付くことはないだろう。
目立たない格好でいれば、まず分からない筈だと無理やり自分を納得させてみる。

事、千茉莉に関しては、俺は本当に自制が利かない。

あいつの事を考えると、心配でほんの僅かにでも目を離せないんだから重症だ。

不安で昨夜は眠れなかったんじゃないか…とか

緊張して具合でも悪くなっていないか…とか

とにかく次から次へと不安要素が浮かんできて、居ても立っても居られなくなる。

昨夜は空とホテルに泊まったらしいが、ちゃんと起きれただろうか?

迷子にならずに会場まで行けただろうか?

忘れ物なんかしていないだろうなぁ?

だんだん余計なことまで心配し始めた自分に苦笑する。

まったく…俺はあいつの保護者かよ?

早く千茉莉の顔を見ないことには、心穏やかになれないと判断した俺は…

前を行くトラックを抜き去る為、更にアクセルを踏み込んだ。



***


12月の冷たい風が見事に色づいた枝葉を揺らす。

カサカサと乾いた音が耳に心地良く、高ぶる気持ちを穏やかにしてくれるようで、街路樹の際をわざと落ち葉を踏みしめながら歩く。
そんなあたしを見て、空が呆れながら笑った。

「千茉莉、子供じゃないんだから。わざと枯葉を踏んで歩かなくてもいいじゃない。そんなことしていると滑って転んじゃうわよ? 会場の前で怪我をして棄権なんて事になったら洒落にならないじゃない」

まるで母親が子供に言い聞かせるような物言いに笑って肩をすくめると、枯葉を踏むのを止めて歩道の中央を歩く空の隣へと戻った。

いよいよ運命の日。
3年に一度、全国から三度の審査を潜り抜けた10名がトップの座を争う、全日本パティシェ選手権大会が開催される。

空は家庭科部を代表して、助手としてあたしをサポートする為に一緒に大会に出てくれる。
早朝の電車でも十分間に合うのに、朝からバタバタすると、忘れ物をしたりヘマをしそうだと心配するあたしに付き合って、前日から会場近くのホテルに泊まってくれた。
昨夜は空がいてくれて、本当に救われたと思う。
大会の前夜に一人で過ごしたら、きっと緊張して眠れなかったかもしれない。
もしかしたら不安で、迷惑だと解っていても、響さんに電話で一晩中付き合ってもらっていたかもしれない。

修学旅行のように、友達の恋バナに花を咲かせたり、宙の噂話をしたりして過ごしたおかげか、昨夜はリラックスして良く眠れた。
大会当日の今朝は、昨日までの緊張が嘘のようにスッキリと目覚めることが出来て、あたしの心は大会前とは思えないほどにとても穏やかだった。

その代わり…と言っていいのだろうか?
空はあたしの分まで緊張してしまったように、ガチガチになっていた。

「空、大丈夫?」

「千茉莉はどうしてそんなに落ち着いていられるの? 全国から三次審査までを潜り抜けてきた兵(つわもの)が集まるんだよ? しかも人前で審査されながら時間内で課題のお菓子を作るなんて…胃が痛くて…本当に倒れちゃうよ」

空は眩暈を起こしたように、グラッとよろける仕草をしてみせた。
そのオーバーな仕草が、先日の響さんに重なって、思わず思い切り噴き出してしまった。

「アハハッ、空ったら、そんなに今から緊張していたら、本番でヘマしちゃうよ? あたしの助手なんでしょ? しっかり助けてよ?」

「う…ん。やっぱり助手は宙に頼んだほうが良かったかなぁ?」

「宙が志願したとき、何が何でも自分が行くって言ったのは空じゃない」

「まぁ…ね。あの時は宙が行ったら響先生が心配するんじゃないかと思ったから」

「クスクス…宙が何を言っても最初からあいつを助手にするつもりなんて無いわよ。宙にお菓子作りの手伝いなんて出来るわけないでしょ? まあ、毎日試食してアドバイスしてくれたことには感謝しているけどね」

あたしが試行錯誤していた今日の日のためのスペシャルスイーツを、空と宙は毎日試食してアドバイスをくれた。
日に何種類も作って、アレコレ手を加えて、いい加減胸焼けを起こしてもおかしくないのに、二人とも根気強く付き合ってくれた。
おまけに空はクラス全員を半ば強制的に協力させてくれたし、宙なんてバンドのメンバーに毎日差し入れだといって試食の強制参加を促してくれた。
それでも嫌な顔一つせずに毎日試食に付き合ってくれ、応援してくれた、皆の笑顔を思い出す。

良い友達を持ったと思う。

彼らがいたからこそ、完成することが出来たんだと思う。

沢山の人から貰った幸せ。

沢山の人から支えてもらった感謝。

沢山のありがとう…

沢山の大好き…

皆から貰った気持ちで身体の芯が熱くなっていく。

今日まで応援してくれた皆の表情が順に浮かんでは消えていく。

皆から分けてもらったパワーを、今日のお菓子にいっぱい詰め込みたいと思った。



会場の入り口の前で、大きく深呼吸して巨大な建物を見上げる。

今日ここから、あたしの未来が変わるかもしれない。

宙や応援してくれた皆の笑顔があたしに力をくれる。


頑張ってくるね。


あたしは今日


ここから夢に向けて歩き出すよ。






+++ 12月 5日 第2話へ続く +++


Next / Sweet Dentist Index へはこちらから