Sweet  Dentist 12月 5日(月曜日) 第2話



会場に着いたとき、ちょうど開会式が終わった所だった。

選手は調理設備の充実した1階フロアーへ移動し、それぞれに用意された10箇所のスペースで開始の合図を待っている。
この会場には、1階に広い調理スペースのあるフロアーがあり、選手以外はVIPルームかモニタールームでその様子を見ることとなる。

VIPルームは2階に位置し、ガラス越しにキッチンフロアーをグルッと360度の角度から見下ろすことが出来る。
ここは一部の関係者と選手のサポーターパスを持つ数名しか入れない。
サポーターパスは各選手5枚しか配布されておらず、高校生の部では殆どが両親や学校関係者など、身内に配られるらしい。

故に俺のようなパスを持たない一般入場者は、1階のモニタールームで応援することになる。
先ほどのキッチンフロアーでの千茉莉の様子も、モニタールームで確認したという訳だ。

このモニタールームもなかなかの設備で、この大会の注目度がいかに高いかを、俺は改めて知ることとなった。
室内には大型モニターが設置され、テレビの実況中継さながらに選手たちの様子を放送している。
更に、各選手ごとに専用モニターが用意されており、一人一人の様子がリアルタイムで映し出されるのだ。
これらの映像は、後に編集してテレビでも放送されるのだという。

ここへ来てようやく、自分の恋人が凄い大会の決勝に挑んでいるのだと実感することが出来た。

千茉莉に内緒で来ただけに、モニタールームは仕方ないが、やはりVIPルームが気になるのは正直なところだ。
何とかならないものかとウロウロしていると、見覚えのある姿が飛び込んできた。
あまり会いたくない奴だが、向こうも俺に気付いたらしい。
無視するのも大人げないので、視線で挨拶をすると、驚いたことに向こうから話しかけてきた。

「よぉ。来ないって聞いていたのに…来たのか?」

「よぉ、宙…悪いかよ」

「悪かねぇよ。むしろ応援にも来ない恋人っつーのは最低だと思ってたよ」

「来ねぇ訳ねぇだろ? ちょっと事情があって千茉莉には内緒にしておいたんだよ」

「ふーん…千茉莉泣かしてんじゃねぇぞ? オッサン」

「…てめぇなぁ。俺に喧嘩売ってんのか? この色男を捕まえてオッサンはねぇだろ?」

「10代の俺にしたら30歳なんてオッサンだよ。女子高生に手ぇだしやがって、犯罪だろうが」

「まだ手ぇ出しちゃいねぇよ。つーか、何でお前がここにいるんだよ?」

「千茉莉の応援に決まってんだろ? ってか、なんでオッサンVIPルームに来ないんだよ」

「…っさい。千茉莉には内緒で来たっつってんだろ? パスがねぇからこんなトコでウロウロしてんだろうが」

「バっカじゃねぇ? しょうがねぇなあ。ほらついて来いよ」

思わぬ宙の申し出に一瞬躊躇するも、やはり応援するならVIPルームへ行きたいのは本音だ。
ここはプライドを捨てて、宙に頼むしかねぇか。

「…悪いな」

出来れば聞こえなければ良いと思いつつ、小さな声でボソッと言ったのだが、宙にはシッカリ聞こえていたようで、ニヤッと笑って見せる様子が何気に嬉しそうだ。
くっそー。俺は嬉しくないっつーの。

それでも宙がいなければVIPルームで応援することは出来ないのだから、しょうがない。
『こっちだ』と仕草で示すドアの前で宙がスタッフに2枚のパスを見せた。

…え? コッソリ入れてくれるって事じゃないのか?
つーか、何でこいつ2枚もパスを持っているんだ?

「おぃ? お前なんで…」

「ん? 何で2枚持っているかって? 決まってんだろ。あんたの分だよ」

「へ? 俺の?」

「空がさ、もしかしてあんたが急に来るんじゃないかって読んでたんだよ。あんたが千茉莉を応援しないはずが無いってさ。絶対に仕事を放り出してでも来るはずだから、俺に1枚余分に持ってろってさぁ…。まさかって思ったけど、あいつすげーよな」

絶句して言葉も出ない。
確かに凄い。
ってか、12歳も年下の空に俺の性格を読まれてるってのも、少々情けない気もする。
しかも、仕事を放り出してでも来るはずって…社会人にあるまじき行為も千茉莉の為なら厭わないと思われているらしい。
空から見た俺ってそんなに千茉莉にメロメロのヘタレ男なんだろうか。

あークソっ! ソコでニヤつくなっ宙!!
つーか、てめぇ!何が『何でVIPルームに来ないんだよ』だっ!
何もかも知ってて声を掛けやがったんじゃねぇかっ!

出入りする時に必要だからと差し出されたパスを、むしり取る様に受け取ると荒っぽくポケットにねじ込む。

俺の表情に『してやったり』といった表情を浮かべニヤつく宙。
ムカつくを通り越し、プチと切れそうになるのをグッと堪え、ヤツの脇をすり抜ける一瞬にデコピンを一発喰らわせるだけで我慢した俺って、すげー大人だと思うぜ。

デコを押さえ蹲った宙を鼻でせせら笑うと、すぐにガラスにへばりつき千茉莉の姿を捜した。
千茉莉は俺のいる位置から見ると前列の中央にいた。

両脇に各二組のライバルに囲まれ、張り詰める空気の中、千茉莉は微動だにせず瞳を閉じ、精神を統一していた。
ウェディングケーキを作っていたときの集中力を思い出す。
この様子なら大会が終わるまで千茉莉が俺の存在に気付く可能性は少ないだろうと、ホッとしたような、残念なような複雑な気持ちになった。



やがて始まりを告げるブザーが鳴った。

それまでビリリと緊張していた空気が一瞬にして変わった。
まるで張り詰めていたギターの弦が、ビィンと音を響かせて切れたように、それまで何かに拘束されたように緊張で固まっていた選手たちが、一斉に散らばり動き始めた。
手際よく作業を進めていく姿は、素人の俺から見ればプロと言っても良い素早さだ。

二人一組のペアで動いているのだが、助手からの助言などは一切許されておらず、あくまでも基本の創作は選手がするそうだ。
だが、選手と助手の呼吸も審査の対象になるらしい。
作業工程が円滑に進むよう動き回る助手は、選手達とぴったり息も合っており、所定の時間内で独創性のあるお菓子を作る為に、助手も相当の練習を積んできたことを窺わせた。

三年に一度の大会とあって、毎回選手のレベルの高さは定評があるというこの大会は、 味と芸術性の全てにおいて、細かな審査があり、総合で一番得点の高い者が今回の優勝者となるのだという。
全国から寄せられる数百人とも千人とも言われる応募者の中から、最終審査に残った10人は、将来を有望視されると聞いていたが、ライバル達の手際のよさといい、気迫といい生半可なものじゃない。
これは流石の千茉莉も苦戦するのではないかと、不安が募る。

それなのに千茉莉はまだ、先ほどと同じ格好で瞳を閉じて精神を統一していた。

おぃおい、千茉莉? いつまでやっているんだよ?

……まさか…本当に俺と離れるのが嫌で、最終選考を棄権するつもりじゃねぇだろうな?

「んな、不安な顔すんなよ。千茉莉なら大丈夫だ。空がちゃんとついてる」

いつの間にか隣に立っていた宙がそう言うと、何故か余裕さえ見せて二人を見下ろした。

「何言ってんだよ? 空がついてたって、助手は直接創作に手を出せないんだろう? 千茉莉があれじゃ…どうしたんだよあいつ? 緊張して動けないのか?」

「違うよ。あいつは…『想い』を集めているんだよ」

「…『想い』?」

「そう、このお菓子には沢山の優しい気持ちが要るんだってさ。そのために幸せな『想い』を集めているんだ。今回のお菓子を作るときはいつも、あんな風なんだぜ」

「何でお前がそんなに詳しいんだよ」

「あったりめぇだろ? ここ数週間、毎日試作品を食って一緒に頑張ってきたんだ」

「…毎日?」

「ったくよぉ。オッサンも自分の彼女の作ったもんくらい食ってやれよ? あんたが甘いもん食えないから千茉莉のヤツ遠慮してたんだぜ? 俺や空や、学校のみんなで協力して、あんたの代わりに毎日毎日試食してさ…」

「俺の…代わり?」

「……千茉莉が創る芸術品(もの)、しっかり見ておけよ? あいつは甘いもんが食えないあんたでも口に出来るケーキの為にすげぇ頑張ったんだぞ。せめて今日くらい最後まで見届けてやらなきゃブッ飛ばすぞ?」

「―っ!…俺の為に?」

「絶対に完成品食ってやれよ? 食わなかったら俺はお前の事、絶対に認めてやらねぇからな!」

宙の言葉に暫し呆然と立ちすくむ。
千茉莉が俺の為に?
甘いもんが食えない俺の為のケーキ?

そのとき、不意に初めて千茉莉をデートに誘った日の車内の会話を思い出した。

『じゃあ、先生の誕生日にケーキを作ってきますよ』

『…甘くないやつだぞ。甘かったら食わないからな』

『大丈夫ですよ。未来のカリスマパティシェに任せて下さい。きっと響先生の気に入ってくれるケーキを作ってみせます』

その後だったな、課題で閃いたとか言っていきなり運転中に抱きつかれて焦ったのは。
もしかして、あの時閃いたのって…甘いものが苦手な俺みたいなヤツが食えるお菓子の事だったのか?

千茉莉へと視線を戻すと、 慌しく動き回る参加選手達とは裏腹に、彼女はまだ微動だにしない。
大丈夫なのだろうか?
緊張の余り頭が真っ白で動けなくなったんじゃないだろうか?
何もしてやれず、ただ見守ることしか出来ない自分が悔しかった。

ゴメンな千茉莉。

応援してやるといいつつ、俺は何もしてやれなくて…。

しかも、こんな大切な本番に、つまらない嘘を吐いてちゃんと傍にいてやることもしなかった。

お前が夢を諦めようとするなんて、どうして思ったんだろう?

もしも本当に俺の事が原因で留学に迷いがあるのなら、俺がその不安を解消してやればよかっただけじゃないか。

ガラス越しで声をかけることすら出来ず、ただひたすら心で千茉莉の名を呼びながら、彼女が沈黙から目覚めることを祈った。

千茉莉―…

俺はここにいる。

ずっと傍にいるから…

ずっと見つめているから…



だから…頑張れ!



その時…

まるで俺の声が届いたかのように千茉莉が目を開いた。

そしてゆっくりと顔を上げると

迷う事無く俺を見つけ、真っ直ぐに見つめてきた―…。







+++ 12月 5日 第3話へ続く +++


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