助手席で眠りにつく千茉莉に視線を落とし、再び進行方向へと戻す。
時刻は既に深夜に近い時間。
すれ違う車のヘッドライトが、長時間運転してきた目には眩しく、思わず目を細めた。
「宙、少し遠回りになるが空を先に送るぞ。女の子だからな。お前は最後だ、いいな?」
「ああ、いいよ。悪りぃな、俺たちまで送ってもらって」
「…自分から無理やり乗り込んできたくせに良く言うぜ。まぁ…その狭い後部座席で良いって言うんだから俺は別に構わねぇよ」
大会終了後、千茉莉と帰ろうとしたところへ半ば無理やり乗り込んできた空宙コンビ。
大体スポーツカーなんて二人乗りみたいなもので、後部座席は飾りだ。
それなのに大人が4人、しかも宙みたいなヒョロリとでかいヤツが乗っているのだから、今や車内は前代未聞の人口密度。
後部座席は振り返るだけで呼吸困難に見舞われるほど超過密状態だ。
大体、空はともかくとして、どうして宙まで乗せて帰らなくちゃいけねぇんだよ。
そうは思っても、大会の為に色々と助勢してくれた事を考えれば無碍にも出来ず、一応かなり狭いことを予め告げた上で乗せたのだ。
空には少し可哀想かなと同情はしたが、宙に関してはそんなもの一カケラだって無い。
せいぜいその自慢の長い足を恨みながら数時間耐えてくれと笑ってやった。
空が宙に寄りかかり寝入ってしまった為、宙は窮屈に足を曲げ、更に空の体重を受け止め身動きも取れない状態で、狭い座席にコンパクトに収まっている。
この状況は流石に相手が宙でも気の毒にならないでもない。
頼むから俺の車でエコノミー症候群にだけはならないでくれ。
などと、かなり本気で心配になってきた頃、宙が口を開いた。
「千茉莉、本当に凄かったな。会場全体があんな風に千茉莉の味方になるなんて…すげぇ感動したよ」
ちょうど宙の事を考えていただけに、もしかして狭いだの、運転が荒いのと、文句の一つも言われるのかと思ったが、宙の口から出てきたのは、大会の余韻覚めやらぬ呟きだった。
「…あぁ…。凄かった。本当に…言葉も出なかったよ」
言葉も出なかった。
千茉莉が会場にいた多く人の心を動かした事もそうだが、ゲスト審査員の思いがけない特別賞には本当に度肝を抜かれた。
そう…本当に…
あの含みのある笑みはこういう事だったのだと、何とも言えない気持ちになったのは、大会終了後。
千茉莉と帰ろうとしたところを、青い目のパティシェに引き止められた時だった。
顔を合わせるなり、『君は彼女の恋人か?』と質問してきたあいつの名はシャルルとか言った。
本当の名はもっと長いのだが、長すぎて舌を噛みそうなので、勝手にシャルルと短くぶった切ってしまうことにした。
ゲスト用の控え室として用意された小部屋へと通され、特別賞について千茉莉と共に説明を受ける。
俺まで部屋へ通されたのは意外だったが、特別賞の内容を聞いて、彼の行動に頷けるものがあった。
特別賞とは、優勝者同等の権利を有する内容だったのだ。
つまり優勝した学生と同じく、彼がフランスで運営するパティシェ養成学校へ留学し、更に数年間彼の元で学ぶ事が出来るのだ。
賞の思わぬ内容に驚き放心する千茉莉。
だが、シャルルはその先の質問を彼女では無く、俺に向けてきた。
「彼女はダイヤの原石だ。類まれな素質を持っている。私は彼女をこの手で育ててみたい。
…きっと素晴らしい輝きを放つ一流のパティシェとなり世に名を残すだろう。
だが、そのためには長く日本を離れ、私の元で学ばなければならない」
それだけ言うと俺に向き直り、探るような視線で問いかけた。
「君は彼女の才能を伸ばす為に旅立たせることは出来るか?」
その先に言いたいことを悟り、心が乱れないよう出来るだけ冷静に口を開いた。
「ああ、もちろん」
「何年も離れる事となっても彼女の気持ちを信じられるか?」
「愚問だな。そんな生半可な気持ちじゃないね」
「なら、彼女が私の元へ来ることに異論はないと?」
「行くか行かないかを決めるのは千茉莉で、俺が判断する事じゃない。だが、俺は彼女が本物になる為にも行くべきだと思っている」
俺の返答を聞いて、暫く黙り込んでいたシャルルは、そのうち肩を震わせてフフフッと笑い出した。
何がどうしたのかと見守っていると、『なるほどね亜希の言ったとおりだ』と言って顔を上げた。
亜希の名前が出て少々頭の中が混乱したが、ふと、留学の話を持ってきたとき、パリに知り合いのパティシェがいると言っていたのを思い出した。
「…もしかして、亜希が留学を勧めてくれたのは…」
「Oui 亜希から凄く才能のある女の子がいるって聞いていたよ。しかもその彼女の恋人が亜希の初恋の人だって聞いて、かなり興味があったんだ。
君が【ヒビキ】なんだろう?
なるほど…聖が妬くのも解る気がするな。亜希が君に恋してたなんて僕もちょっと嫉妬したくなるよ」
「…え? まさかお前も…亜希に惚れてたのか?」
「んー、まぁ…ね。見事に振られて、聖にかっさらわれたけど。
だから亜希と聖が婚約したと聞いて、結婚式には絶対に僕がウェディングケーキを作ってあげたいと思っていたんだ。
それなのに、アッサリ断られてさ、しかもその理由が日本の女子高生に頼みたいからだなんて…。
一応名の知れたパティシェの僕としてはショックだったよ」
チラリと恨みがましい目で千茉莉を睨む。
だがその瞳に怒りは無く、何処か温かいものが宿っていた。
彼の中で俺たちの位置づけが他人から知り合いに変わったのだろう。
いつの間にかシャルルの一人称が【私】から【僕】になっている。
特に違和感無くその事実を受け入れていた俺は、自分も無意識にシャルルを【お前】と呼んで、言葉もスッカリ砕けていた。
「ちょうどこの大会や他の仕事で日本へ来ていたから、先日亜希と聖に会ったんだ。
その時にね、千茉莉の作ったウェディングケーキを食べたんだよ」
「え? 悪くなっていなかったですか?」
「クスクス…、聖が冷凍保存しておいたのをだよ。解凍したものだし期待もせずに口にしたんだけど…
本当に…驚いたよ。
まるで天使の羽で包まれたような感覚になった。あんなケーキは初めてだったよ」
シャルルがそのときを思い出し感動するように瞳を閉じ、天を仰いだ。
外人だけにジェスチャーがオーバーなのか、千茉莉の言うトコロの劇団何とかみたいな仕草だなぁ。と心の中で密かに思ってみる。
もしかしてまた千茉莉が噴き出すんじゃないかと見ると、それとは逆にポロポロと涙を流し始めた。
「へ? ちっ、千茉莉? どうしたんだ?」
「あたしの…ケーキでそんなにっ…シャルルさんが感動して…くれるなんて…嬉しくって…っ…」
そうだった。
シャルルは世界に名を馳せる有名なパティシェだっけ。
千茉莉にしてみたらすげー人なんだよな。
「ありがとう…ございます。あたし…凄く嬉しいです」
「悔しかったよ。名も無い高校生の女の子に負けたと感じたね。だから最初は気が乗らなかった今度の大会のゲスト審査員も、君が最終選考まで残っていると知って、凄く楽しみになった」
「大会の審査員が嫌だったのか?」
「大会そのものは別にいいんだ。だけど採点の仕方が良くないよな。芸術を点数で評価するには限界がある。
今回の千茉莉の結果がそれを証明していたじゃないか。あのハプニングにも十分対応できる機転と応用力。それは大きな武器でもある。
それなのに、点数に縛られて、そういった部分を評価したくてもできないんだ。本来なら上位入賞どころか優勝だって出来たはずなのね。
あの市山さんの行動には本当に感動したよ。本当は僕が言いたかったことを代弁してくれた」
「待てよ。千茉莉がこの大会に出ることは知っていたって事は…まさか最初から入賞しなかったら特別賞をって考えていたのか?」
「まさか!そんな不正みたいなことはしないよ。 特別賞はあの会場で人々の心をあそこまで掴んだ彼女に対して、何か皆が納得できる形を取りたいと思ってとっさに言ったんだ。
きっと審査委員長は目を丸くしていただろうよ。
まあ、あの場が丸く収まったし、賞自体は僕の個人的負担になるわけだから協会は何も言わないと思うけど」
「はぁ? 特別賞ってお前の独断だったのか?」
まあね。と笑ってみせるシャルルに呆れて、思わず大きな溜息が出る。
さすが亜希の友達だけあるぜ。
「きっと縁があったんだよ。僕らが亜希に恋した事、そして千茉莉と出逢えた事…。
すべては神様が引き合わせてくれたのだと、僕は思うよ」
屈託無く笑うシャルルの青い瞳が細められる。
最初は冷たいと思っていたその色に、親しみすら感じ始めていた。
+++ 12月 5日 第7話へ続く +++
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