パパからとりあえずのお許しを貰ったらしいあたし達は、この間の結婚式の写真を届ける為に聖良さんのお店へ出かけた。
車の中で今朝からの事を思い出し、今日はとんでもなく忙しい一日だと溜息をつく。
まだ半日終わったばかりなのに、既に一日分、下手したら二日分くらいの疲労を感じている。
響さんは平気なのかな?
あ、でも彼が伝説のビケトリなら、全然平気かもしれないわね。
だって凄いスーパートリオだったって噂だし?
学校でも未だに語り継がれているビケトリ伝説。
全国模試で常に上位をキープし、助っ人に出る運動部は全て好成績に導いたという、数ある伝説的な偉業を遂げた秀才で超美形の三人組の事はうちの高校で知らないものはいない。
いまや伝説化され、スーパーマンのような逸話まで飛び交っているビケトリの一人が、自分の恋人なんて…
なんだか信じられない。
信じられないけど…
「…なんだよ? ジロジロ見て。俺に惚れ直したのか?」
いつの間にか運転中の響さんの横顔をマジマジと見つめていたようで、前方を見たまま苦笑している。
…惚れ直しているような視線と受け止められましたか?
そりゃ、確かにさっきの響さんは素敵だったけどさ。
だけどそんな風に訊かれて、素直に『素敵でした』と答えるほど、あたしは素直じゃなかったりする。
故に、返答が少々天邪鬼になってしまう。
「…っ、違うわよ。その…ちょっと思い出しちゃって…響さんがビケトリ…って…はぁ〜」
「何だよ、その溜息は?」
「だって、あたしの中のビケトリのイメージが……って、ああっ!もしかして、ビケトリの他の二人って…」
「龍也と暁だよ」
…やっぱり…
そっかぁ。あの二人なら納得。
「二人は納得できて俺は納得できないって表情だな? お前って本当に自分の恋人に対して、とことん失礼なヤツだな?
俺がビケトリの一人だったらおかしいか?」
おかしいとか、おかしくないとか、そういう問題じゃなくてね?
「だって、響さんは近い人なんだもん」
「は?」
「ビケトリって、あたしの中ではすっごい超人のイメージなのよ。話すなんてあり得ない、触れるなんてとんでもない。って感じで、すっごく遠い人って気がする。
だからね、響さんがビケトリって言われても、あたしのイメージとは違って、納得できなかったりするのよ」
「龍也や暁は?」
「あの二人はあたしだけの特別じゃないし、一線を引く部分があるから、特に違和感は感じないのよ。ほら、こんな風に触れたり出来ないでしょう?」
響さんの頬をムニッと摘まみながらそういうと、『いひゃい(痛い)』とすかさず文句が飛んでくる。
「こんなこと、響さんにしかできないもの。だから響さんが“あの”ビケトリと言われても、どうも素直に事実を受け入れられないのよ。解る?」
「……わかんねぇ」
あたしの答えに不満そうに頬を撫でながら、唇を尖らせる響さん。
「ほらその表情、子供みたいよ? クスクス…だれがビケトリって言われて頷けると思う?」
「こんな表情(かお)見せるのはお前の前だけだってぇの。わからねぇかなぁ?」
まだ何か言いたそうだったけれど、聖良さんのお店が見えてきたので、響さんは大げさに溜息をついて話を打ち切った。
あたしにだけ見せる表情?
そんな風に言われると、ドキドキして頬が緩んでしまう。
本当はね、ちゃんと納得しているんだよ?
大会のときも、さっきのパパに対しても…
いつだって凛とした姿勢を貫いている響さんは、とっても格好良いと思う。
惚れ直した? なんて訊かれて素直には言いたくないけれど…
あなたに会うたびに、昨日までよりずっと好きになっていく。
一つときめく度に、さっきまでよりずっと愛しい気持ちが募っていく。
特に今日の響さんは、いつにも増して格好良くて…
あたしの心臓は、夜まで持つかどうか心配なくらいなんだよ?
あなたこそ解ってる?
あなたに訊かれ無くったって、とっくに惚れ直しているんだからね?
結婚式以来、久しぶりに会えると思ったのに、お店に聖良さんはいなかった。
先日もいた店員さんが、聖良さんはつわりが本格的になり体調が良くない為、無理をしないように暫く休むのだと教えてくれた。
師走だけあってお店も忙しいらしいが、聖良さんの性格だと無理をして流産でもしかねないという、超愛妻家の龍也さんの判断らしい。
なるほど、店員の人数が以前来た時よりも多いのは、聖良さんが安心して休めるように、龍也さんが人員を増やしたのだと解った。
相変わらずの溺愛ぶりだと、響さんは笑ったけれど、そんな風に大切にされる聖良さんはとても幸せだと思った。
「千茉莉、これをやるよ」
さっきまで店員さんと話していた響さんが、いつの間にかあたしの目の前に現れ、突然手のひらに何かをのせた。
驚いたあたしは、慌てて落とさないように手に力を込め、それを受け止めた。
ヒンヤリと冷たい感触が指に伝わる。
「これ…ガラス?」
それは羽のデザインのキーホルダーだった。
「いや、水晶を彫って作ったものだ。お守りになる。綺麗だろう?」
「うん、凄く綺麗。これ…誕生プレゼント?」
「いや…これはさ、お前と最初にここへ来たときにやろうと思っていた物なんだ」
「え? あのリサイタルのとき?」
「そう、その前に来たときにこれを見つけた瞬間さ、お前を思い出したんだ」
「…あたし?」
「ああ、初めて出逢ってキャンディを貰ったときに、お前の背中に夕陽に染まる羽根が見えたんだ。
だから、もうすぐ治療が終わってもう会えなくなると思ったとき、お前にこれをやりたいと思ったんだよな。治療が終わったらもう二度と会えないかもしれない。もしも会うことがあっても、その時は誰かのものになっているかもしれない。
そう思ったら少しでも俺の事を覚えていて欲しくて…聖良ちゃんにこれを二つ用意しておいて欲しいって頼んだんだ」
「二つ?」
「一つはお前に…俺を忘れないように。もう一つは俺の為に…お前に救ってもらった気持ちを忘れずにいたかったから…」
響さんは自分用のキーホルダーをあたしの目の前で揺らして見せた。
店内のライトが反射して、羽の曲線に沿って、光が流れるように伝っていった。
「お前は俺の治療を受けて、腕を認めてくれるって言ったよな? 認定書でも鑑定書でも付けてくれるって…覚えているか?」
「あ、うん。そんな事言ったね」
「俺はさ、顔ばかり目当てで俺の治療を受けたがる女どもに嫌気が差して、自分の腕を認めてもらいたいって気持ちが凄く強かったんだ。
だけど、お前に抱き締められてああ言われた時、天使の羽に包まれたような優しい気持ちになれた。
解ってくれるやつは何も言わなくても、ちゃんと気付いてくれる。認めてもらおうと気負う必要は無いんだって言われた気がしたんだよ。
その時にさ、お前は俺を癒す為にもう一度俺の前に現れたんだなって思った」
「響さん…」
「でもあの日、フォーマルドレスを着たお前があんまりにも綺麗で、俺もテンパっちまってさ。これを貰って帰るのをすっかり忘れていたんだ。
遅くなったけど、誕生日に渡すってのも、ある意味記念になっていいかもしれないな」
「凄く綺麗…。どうもありがとう。大切にするね。ずっと肌身離さず持ち歩くから…。響さんだと思って」
「ああ、フランスでホームシックになったら、俺だと思って抱きしめて寝ろよ?
…っと、その前に、親父さんに留学を許可してもらわないとな。さっきは微妙に交際を許可してくれたような感じだったけど、ここで留学まで許可しろって言ったら、俺の株、急落しそうだなぁ? やっぱ、逃げてもいい?」
肩をすくめておどけて見せる響さん。
逃げ腰の台詞とは裏腹に、絶対に留学させてやるって彼の強い決意が伝わってきて…
あたしは彼の腕にギュッと縋りついて「逃がさない」と笑った。
クシャ…と優しく髪を撫で、グレーの瞳が細められる。
瞳を覗き込み、おねだりするようにウィンクを一つ。
「じゃあ、親父さんに負けないよう、パワーをくれるか?」
痺れるような甘いテノールに導かれ、黙って瞳を伏せて返事に代えると―…
直ぐに優しいキスが降りてきた。
+++ 12月10日 第6話へ続く +++
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