Sweet  Dentist 12月10日(土曜日) 第6話



その夜、あたしの誕生日を祝うテーブルには、パパの作ったケーキを中心に、ママの気合の入り方が一目で分かる料理の数々が並べたてられた。

ハイテンションなママに勧められるままに、やや緊張の面持ちで席に着いた面々。
ママに緊張感が無いのは言わずと知れたことだけど、あたし達の緊張度合いも三者三様だった。

ニコニコと緊張感のカケラもないママの隣に、やや緊張気味のパパ。
その緊張度合いは、5段階としてレベル4といった所だろうか?
機嫌は朝ほどではないけれど、ご機嫌というには程遠く、口をへの字に曲げて、眉間には深めの皺。
そんな顔してたら直ぐに老けちゃうよ?…なぁんて、いつもみたいに言えない雰囲気が肩に重い。

一方、パパに対面する形で座る、多分少しは緊張しているだろう響さん。
彼の緊張度合いは、5段階のレベル1未満…といった所だと思う。
彼の場合、全く緊張していない事は無いと思うけど、凡人のあたしとは感覚が違うらしく、本当に悠然として見えてその緊張度合いがまったく伝わってこない。
…さすがビケトリ…。

あたしは…と言うと、彼とは対照的に、肩の位置が普段より2cmくらい上がるほどガチガチに緊張している。
5段階のどの辺りかって? そんなの訊かなくてもレベル5なんてぶっちぎっているって解るでしょ?

今日の主役であるあたしが、この場に一番ふさわしくない緊張の仕方をしているって、どうよ?
でも午後のバトルを思い出すと、もう心臓がギシギシと音を立てて軋んでいるような気さえする。
早鐘とはよく言ったものだと、どうでもいい事を思いながら、あと1時間この状態で心臓が暴走したら、きっと救急車を呼ばなくちゃいけなくなるだろうと、ストレッチャーで運ばれる自分を想像してしまった。


緊張しながらも始まった誕生パーティは、恐ろしいほど穏やかに、かつ賑やかに過ぎて行く。
バトルを心配していたあたしは、意外にも静かなパパに唖然とした。
会話の中心の殆どが、ママによる響さんイジメ…もとい、芸能リポーター並みの質問攻めで暴かれる響さんの過去と私生活だったから、叩いてどのくらいの埃が出るのかを静観していたのかもしれないけど。

流石の響さんもママの質問攻めにはタジタジで、その様子に気を良くしたのか、パパの機嫌も少し良くなったみたいだった。
ママの鋭い質問が炸裂する中で、あたしは噂だけで知っていた、ビケトリの数々の偉業を直接聞くこととなった。
思わず唸るようなものから、笑いを誘うものまで、とにかく波乱万丈の人生だと、唖然としてしまう。
特に、暴力団の組長さんに気に入られて、高校を卒業したらうちへ来いと付き纏われ、知らないうちに若頭として就職先が決まりそうになった前代未聞のエピソードには、可哀想だけど笑い転げてしまった。

凡人にはあり得ない高校時代に、改めてこの人は本当に“あの”ビケトリなのだと、ようやく少しずつ実感ができたような…ヤッパリできないような?
そんな会話の中で、ガチガチだったあたしの緊張もいつの間にか解れて、ようやく自然な笑顔が戻っていた。

すっかり雰囲気が和み食事もほぼ終わりかけた頃、あたしは留学の話を切り出そうと居住まいを正した。
響さんもそれに気付き、きちんと座りなおす。

パパもそれを察知したのかビールを取り上げ響さんに勧めようとした。
少しでも話を先延ばししたいのか、それとも酔わせて誤魔化してしまいたいのか。
車だからと断っても、半ば無理やりグラスを持たされ、困った顔の響さん。
「あとで代行頼むな?」と、諦めた調子でぼやき、あたしは溜息をつきながらジュースに口をつけた。

その時―…

テンションの高いママが、本日最大の爆弾発言をした。

いわゆるあたしたちのカンケイについて訊いてきたのだ。

コッソリ訊かれることはあるだろうと覚悟していたが、ようやく場が和んでこれから…という時に突然! しかもパパの前で切り出されたことに驚き、 あたしは飲んでいたジュースを噴き出しそうになった。
パパは動揺して、響さんに注ぐつもりで取り上げたビールをそのままコップの無い空間に注ぎ、テーブルクロスに飲ませてしまった。

多分一番冷静だったのは響さんだったと思う。

「残念ながらまだキス止まりで…」

と、素直に告白する彼に、あたしはイスから転げ落ちそうになった。
またパパのご機嫌がレッドゾーンに突入かと頭を抱える。
話を切り出す前に、留学の文字に羽が生えて飛んでいくのが見えた気がした。

だけど、世の中何が功を奏するか解らない。
率直過ぎる返答が逆にパパを安心させたようで、先日からの思い込みによる誤解をようやく解いてくれたのだ。
挙句の果てに…

「千茉莉は世間知らずだからあまり無茶はさせず、少しずつ…な? 大事にしてやってくれよ」

と、信じられない事をのたまってくれた。
天地が引っくり返ってもあり得ないはずのパパの言葉に、あたしは今度こそイスから滑り落ちた。

「パパパパッ? ななななななにをっ? すっ少しずっ…つって…」

舌を噛みながらシドロモドロで、 もう自分でも何を言いたいのか解らない。
そんなあたしを無視して、パパは響さんに向かってとんでもない交渉を始めた。

「響君、千茉莉を説得して日本に留めてくれたら、君と千茉莉の交際には一切口を出さない。
夜何時に帰ってこようが泊まってこようが黙認してやろう。どうだ?」

はあっ? 何よそれ!
そんな悪魔の囁きに耳を傾けないでよ?響さんっ!

「…うーん…それは凄く魅力的な条件ですね」

ええーっ? 響さんの裏切り者ーっ!

「うんうん、そうだろう? 千茉莉が君の為に日本に残りたいというなら、結婚の話も考えておこう。何なら卒業後直ぐでもいいぞ?」

「本当ですか? 心が揺らぎますねぇ…」

ああ…この二人が、時代劇の悪役に見えてきたわ。
悪徳代官と越後屋じゃないっ?

焦るあたしをチラッと見て、響さんはフフッと鼻を鳴らして笑った。

「心動かされたいのは山々なのですが…その話を受けることは出来ません。彼女にとっての夢は、俺にとっても夢なんです。
千茉莉はフランスで多くを学び、一流になってお父さんの跡を継いで、誰にも真似できないお菓子を作るんですよ。
その為に俺が出来ることならどんな事だってしてやりたいんです」

響さんの返答に、パパはがっくりと肩を落として大きな溜息を吐いた。
それでもまだ、諦めきれずにしつこく食い下がる。

「なぁ?響君、君は千茉莉を留学させたくないとは思わないのか?
付き合いだしてまだ日も浅いんだろう?
本当なら片時も離れたくないと思ってもおかしくない時期だ。
なのにどうしてそんなに冷静でいられるんだ?」

「彼女が世界に名を馳せる一流のパティシェになる為ですからね。俺の我が侭でその道を閉ざすことはできません」

「そういう理屈じゃなくて、君の気持ちを訊いてるんだ。俺は親だから、やっぱり娘の苦労する姿は見たくないんだ。
フランスで修行なんて聞こえは良いが、実際には下働きとなんら変わりない。
手取り足取り誰かが教えてくれるなんて甘い考えじゃなく、自分の努力で技術を盗むんだ。東洋人に風当たりは強いし本当に辛いんだぞ?
プライドが高いフランス人の中には、自分達の舌が世界一だと信じていて、東洋人に何が解ると馬鹿にしている者も少なくない。
千茉莉みたいな若い女の子が修行に行って、温かく迎えてくれるなんて考えない方が良いぞ。
俺は自分が経験したような辛い思いを娘にはさせたくないんだよ」

パパが留学に反対する理由が解った。
あたしを傍におきたいからだけじゃない。
憧れだけで外国へ行っても、その厳しい現実の前に傷つき、潰されてしまうこともあるのだ。

確かに不安はある。
だけどあたしの気持ちは変わらなかった。

「パパ、あたし…それでも行きたい。ううん、行かなくちゃいけないの」

「どうして留学に拘るんだ?日本でだって勉強や修行はできるんだぞ? 世界に負けないパティシェは沢山いるんだ」

「あたしもそう思うわ。大会前までならそれで納得したと思う。…だけど、今はシャルルさんの元で勉強したいの。あたしのケーキで感動してくれたシャルルさんが、あたしを育てたいと言ってくれたのよ? お願い、あたしシャルルさんから学びたいの」

「シャルル…? 千茉莉、だが彼は…」

「神崎さん、千茉莉を行かせてやってください。確かに、彼女を一人で行かせるのは俺だって怖いし不安もありますよ。
だけど最初から恐れていたら何も学べませんし、前へ進むことも出来ません。
千茉莉が大きくなる為には、どんな環境も自分のものにしていかなければならない。神崎さんもそうだったんでしょう?
だから俺は待ちますよ。彼女が戻ってくるのを」

「……なるほど、それが君の答えか」

「はい」

「しつこいようだが、本当に待てるのか?」

「…大丈夫です。数年は無理でも数ヶ月なら耐えられます」

「はぁ?」

「俺だって出来ることなら神崎さんの出す好条件を呑みたいのが本音ですし、独りで行かせるくらいなら一緒について行きたいくらいですよ。
だから、俺が数ヶ月ごとに会いに行きます。幸いクリニックは年中無休です。1ヶ月8回の休みと国民の祝日分を考えると、3ヶ月休み無しで働けば、約1ヶ月分の休みを纏めてもらうことも不可能ではありません。
3ヶ月に一度は会いに行きますよ。それじゃ足りなくて、どうしても我慢できなかったら【YASUHARA Dental Clinic】ごとフランスへ行きます」

クリニックごとフランスへ行くなんて、流石にそれは本気とは思えないけど、そこまで言い切る響さんに、ついにパパも折れた。

「―ブッ…ハハハハハッ…そうか、うん、そうか。解った。響君の気持ちは良く解った。
千茉莉の事を本当に大切にしてくれていることも、それなりに現実を見ていることも解ったよ。
…だが、今すぐに心の整理をして、行って来いとは、やはり俺には言えない。
だが、頭から反対することは止めよう。…千茉莉、少し時間をくれないか?」

「パパ…うん、ありがとう。いい返事を期待しているね」

「…余り期待はされたくないんだがね。響君に感謝するんだな、千茉莉。
はぁ…子供はあっという間に大きくなっちまうんだなぁ。俺のほうが成長できていないみたいだ…」

ブツブツ言いながら席を立つと、少し待っていてくれと言い残し、キッチンへ消えていった。
暫くして戻ったパパの手には、クッキーと紅茶が載せられたトレイがあった。
フワリと紅茶の香りが部屋いっぱいに広がる。
それまで緊張していただけに、部屋の空気が和み、あたしはホウッと息を吐いた。

だけど、響さんは目の前に置かれたクッキーを見て、明らかに顔色を変えた。

「自分で酒を勧めておいてから出すのも変だが、これは今日の午後、君の為に作ったものだ」

「…俺の為に?」

「一つでいいから食べてみてくれないか? そして何を感じたか教えて欲しいんだ」

不思議な顔をしながらも、響さんはそれを一つ取り上げた。
口元まで持っていって、香りを嗅ぎ、躊躇うように手を止めた。
甘い香りが拒否反応を引き起こしているのかも知れないと、不安になる。

「パパ? 響さんは甘いものが苦手なの。無理よ」

「いや、千茉莉…これは…。この香りは…」

何か考え込むように暫くクッキーを見つめていた彼は、思い切ったようにそれを口にした。
次の瞬間、ビクッと身体を硬直させ、大きく目を見開いたまま動かなくなった。

「響さん、どうしたの? 苦手なんだから無理しなくてもいいのよ?」

あたしの声にハッとすると、出された紅茶を一口飲んで息を吐いた。

「信じられない…どうして神崎さんが…?」

「気付いてくれたか? そうだよ、それは彼女の味だ」

パパは何かを懐かしむように遠い目で響さんを見ていたかと思うと、ボソリと呟いた。

「安原…響か。こんな再会をするとは思わなかったが…いい男に育ったな。鼻タレガキだったのに」

「え、パパ?」

「『最初から恐れていたら何も学べないし、前へ進むことも出来ない』か。アリスさんと同じ事を言うんだな。血は争えないって事か。
君が受け継いだのは、その瞳だけじゃない。強さ、優しさ、そして大きさ…彼女の素晴らしい面を全て受け継いでいる」

「どういう事? 響さんの事、知っていたの?」

「うーん、知っていた…ことになるかな?
随分昔の事だから彼だと直ぐには気付けなかったけど。
このクッキーは、昔、俺に洋菓子の味を教えてくれた人から教わったもので、俺がパティシェを目指す切っ掛けとなった最初のお菓子なんだ。
そして、それを教えてくれた女性が…彼のお母さんだったんだよ」

響さんのお母さん?
どうしてパパが響さんのお母さんの事を知っているの?

響さんは呆然として、クッキーを見つめていた。
パパの声が届いているのかどうかも解らない。
いつも余裕で悠然としている響さんが、こんなにも動揺するなんて―…

心配で響さんの手をキュッと握り締めると、ようやく視線が動いた。
ゆっくりとテーブルの上を移動し、パパを見つめ、最後にあたしの所で止まる。

「この味…覚えているよ。…幼い頃母親がいつも焼いてくれたクッキーだ」

そういうと瞳を伏せ、少し眉間に皺を寄せたまま、微動だにしなくなった。
何かを深く考えているようで、声を掛けることも憚られる。

やがてゆっくりと顔を上げた響さんの瞳には、薄っすらと光るものが浮かんでいた。

「響…さん?」

「思い出したよ…ずっと…忘れていた…母さんの顔を」






+++ 12月10日 第7話へ続く +++


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